特殊相対論、ホーキング放射、ダークマター、ブラックホールなど

・時間について特殊相対論からの考察
・プランクスケールの原始ブラックホールがダークマターの正体であるという主張
 

光時計は「時間の遅れはお互い様」を支持しない?

2023-06-28 05:01:27 | 日記

J Simplicity氏の「Chapter3 特殊相対性理論の世界」の「3.2 時間の遅れ」に「光時計を使った、運動するものは時間が遅れる」の説明があります。: https://archive.md/lEJJC :

この光時計を使った時間遅れの説明にはローレンツ変換は出てきません。

そう言う意味では「ローレンツ変換を使わない、もう一つの時間遅れの説明方法」という事になります。

 

さて「光時計」というのは「光時計のなかを走る光の位置によって経過時間を知ることが出来る時計」です。

「Figure3.5: 時間の遅れ1」にその概要が図示されています。

(a)が静止している時の光時計。

光は下から上に行って、上の鏡で反射され下に戻ります。

長さが片道3秒*Cなので行って帰って6秒かかります。

従ってこの時計で6秒という時間経過が計れます。

つまり「光が光源から出て戻ってきたら6秒経過」となります。

(b)がその光時計が速度0.8Cで右に移動しているのを横から見た絵です。

そうすると今度は光が進むべき道の長さ(光路長)が伸びます。

図の説明によれば光は「行って戻って来るまでに10秒必要」となっています。

但しこの10秒は「静止系の時計で計った時間では」という前提条件がつきます。

 

さてそうであれば「静止している観測者からこの光時計を見た場合、手元の光時計で6秒経過した時には移動している光時計では6秒*6/10=3.6秒経過という事になります。

 

なるほど、そうなんだ。

そこの説明にある通り、光速はどの観測者から見てもいつもCだから、この説明を読むならば「動いている光時計の時間は遅れるんだ」と納得してしまいます。

 

さてそれで、疑問なのは静止している観測者が6秒経過した時に0.8Cで右に移動している光時計の中の光の位置を確認して「移動中の光時計では時間は3.6秒経過だと観測する」とJ Simplicity氏は言います。

さてその時に移動中の光時計の横に立っていて、光時計と一緒に移動しているもう一人の観測者はどのように観測するのか、という質問が出てきます。

 

そのもう一人の移動中の観測者は自分の横の光時計をみて「3.6秒経過した」と認識します。

そうしてその時同時に静止系にある光時計の中の光の位置を見て「静止系にある光時計は6秒経過した」と認識します。

 

さてそれで、J Simplicity氏の説明に従って以上をまとめますと

・右側に0.8Cで移動している光時計が静止系にある光時計が6秒経過した時に3.6秒経過した事を静止系の観測者は観測する。

・静止系にある光時計が右側に0.8Cで移動している光時計が3.6秒経過した時に、6秒経過した事を右側に0.8Cで移動している観測者は観測する。

という様になります。

 

それで上記のまとめは常識的なものであり、どこにも矛盾がありません。

一方が「お前の時間は遅れていた」と観測するならばその当の相手は「そうではない、お前の時間が進んでいたのだ」と観測する事になるのです。

それはつまり「光時計を用いた時間の遅れ測定」では「時間の遅れはお互い様ではない」という事を実験に立ち会った観測者は確認する事になります。

 

そう言う訳で以上の内容では『光時計は「時間の遅れはお互い様」を支持しない』という事になるのですが?

そのあたり、是非とも「ローレンツ変換を使わなくても光時計で時間の遅れが説明できる」と主張されているJ Simplicity氏のご意見を伺いたい所であります。(注1)

 

注1:J Simplicity氏の記事では「光時計を使う事で移動している時計の時間の遅れが発生する事」を説明した後で次にローレンツ変換、逆変換を使って「時間の遅れはお互い様である」という主張を展開されています。

さてそうなりますとそれに先立って説明された「光時計による時間の遅れ確認実験の説明」とそれに続いての「時間の遅れはお互い様である」という説明は矛盾している事になります。

 

PS:相対論・ダークマターの事など 記事一覧

 


通説による「時間の遅れはお互い様」の証明は正しいか?

2023-06-24 01:57:05 | 日記

ランダウ・リフシッツによる証明はすでに: https://archive.md/VQKl3 :に於いて述べてきました。

そうしてその証明が成立していない事は「LLの一般解の導出」によって明らかになった事もこれまで示してきた通りです。: https://archive.md/UEsgW :

さてそれで、世の中にはそれ以外にも多くの方々が「時間の遅れはお互い様である」と主張され、それを証明するかのような説明をされています。

まあそういう訳で以下「少しばかりその状況を確認しておく」と言うことにします。

それでここでは分かりやすい一例として『特殊相対性理論 Physics Lab.2021』: https://event.phys.s.u-tokyo.ac.jp/physlab2021/pdf/mathp_sr.pdf :の説明を取り上げます。

11ページに「(ii) 時間の遅れ」という章があります。

そこではローレンツ逆変換をつかって時間の遅れを導出しています。

そうして『自分から見て動いている時計の時間の進みは遅れているように見えるのです。 』と結論を出しています。

 

この「時間の遅れはお互い様」はその始まりをミンコフスキーに求める事ができます。

・1908年 ミンコフスキー

1908年9月21日にKo¨ln(ケルン)のドイツ自然科学者医師大会で行った講演「空間と時間」での主張。

以下「ミンコフスキーの4次元世界」 : https://archive.ph/Cvvyf :を参照します。

それで同上資料の「(7)時計の遅れ」第37図から始めます。それで第37図によってミンコフスキーは「相対運動している慣性系同士はお互いに相手の時計が遅れている事を確認する」と説明しています。(注1)

ミンコフスキーの説明はMN図を使ったものでしたが、それを具体的に数式で表すとローレンツ変換の出番となり、上記のpdfの説明の様になります。

そうして、ローレンツ変換で説明できるならローレンツ変換を絵に描いた図を使っても「時間の遅れはお互い様」が説明できる事になります。

 

さてそういう訳で: https://archive.md/ND6P3 :の出番となります。(注2)

この図はローレンツ変換を表しています。但し 「ζ ≈ +0.66に対して描かれている。」という説明は少々怪しいのですが、まあいいでしょう。おおまかな状況はこの図でも分かります。

黒座標が静止系で赤座標が右に速度Vで動いている慣性系を示します。

黒Y座標の目盛り4の所に黒時計があり、時刻は4を指している、と読みます。

ちなみにこの黒時計はもともとは原点にあったものが黒座標時刻経過4で目盛り位置4に移動しました。時間軸方向には移動しますが空間軸方向には移動していません。つまり「黒座標に静止している時計」なのです。

さてそれで同様に赤座標にもその座標に固定された時計があってそれが赤座標の時間の経過とともに上に動いて行きます。

舞台設定は以上です。

それでこの図の読み方は「黒座標の黒時計が目盛り4の所にある時に、赤座標からそれを見るといくつに見えるか」という事になるのです。

それは「赤座標で右肩上がりになっている横線を黒座標Y軸方向にのばして黒座標Y軸の目盛り4でクロスする右肩上がり赤横線の赤座標Y軸の値を読む」という事になります。

そうやって赤Y軸値を読み取りますと4.6ぐらいになっています。(人によって読み取り値は異なるでしょうが、すくなくとも4を超えている事は確認できるはずです。)

つまり「赤座標系から黒座標の黒時計4を見た時の赤時計の時刻は4.6だ」となります。

「さて、おかしいだろう、それでは」

「動いている方が時間が早く進んでいる」と。

いやいやこれは「赤座標メインの読み方」で赤座標からすれば「動いているのは黒座標」なのです。

「黒座標が左側に速度Vで動いていて赤座標は静止している」と赤座標は主張しているのですよ。

従って「静止している赤座標の時計で4.6経過したにも関わらず動いている黒座標の時計は4までしか経過していない」となるのです。(注3)

ちなみにこの話の大前提は「原点位置で赤座標と黒座標はすれ違い、そこでそれぞれの時計はゼロリセットした」となっています。

以上の議論はそのまま赤座標と黒座標の立場を入れ替えて「赤座標の目盛り4にある赤時計を黒座標から見るとどう見えるか?」とひっくり返す事が出来ます。

そうすると黒座標Y軸読みで5となります。(注4)

そうであれば黒座標は「動いている赤座標の時計は遅れている」と主張するのです。

さて、以上の議論を数式ベースでローレンツ変換を使って計算するとその結果は『自分から見て動いている時計の時間の進みは遅れているように見えるのです。 』という上記pdfの主張になるのです。

そうしてそのような主張の仕方は歴史的にはミンコフスキーが始めたものでした。

後はみなさん「右にならえ」という訳です。

 

しかしながらここで注意しなくてはならない事は『遅れているように見える』という部分にあります。

「ん、見える?

「ほほう、空間的に離れている時計の針の位置をどうやって見るのかね?」という突込みが出来ます。

そうなんです。

黒座標Y軸は赤座標Y軸の時計の「今」は見えず、赤座標Y軸は黒座標Y軸にある時計の「今」は見えないのです。

さてそれでその「今」というのは何時でしょうか?

黒座標Y軸が自分の時計の時刻を確認した時が「黒座標にとっての今」です。

その時に赤座標Y軸にある赤時計の針が何時を指していたか、黒座標Y軸にはわからないのです。

 

2つの時計の時間の経過を比較するのであれば「同時に2つの時計を見る事が必要」です。

しかしながら上記の「時間のおくれはお互い様証明」ではその要件を満たしてはいません。

何故ならば「空間的に離れている場所にある2つの時計を同時に見る事は不可能だから」です。

そうであれば上記の説明はただ単に「そのように考える事ができる」と言っているだけで「時間のおくれはお互い様の証明にはなっていない」と言えます。(注5)

 

さてそれで、ここでランダウとリフシッツの登場になるのです。

ランダウとリフシッツは「3つの時計を使う事で時間の遅れはお互い様という証拠が手に入る」と主張しました。(注6)

しかしながら残念な事にその主張は「LLの一般解の導出」によって否定されてしまいました。

さてそういうわけで「ダブル横ドップラーの測定」によって「この問題に白黒つける時が到来した」という事になるのです。

 

注1:この件、内容詳細につきましては「その3・ ミンコフスキー パラドックス」: https://archive.md/K5C3C :を参照願います。

ここでミンコフスキーはMN図をつかって「相対運動している慣性系同士はお互いに相手の時計が遅れている事を確認する」と主張していますが、その確認手段については明示していません。

そうしてもちろん「物理学は現物勝負」でありますからこのままではミンコフスキーの主張は実は「そのように考える事ができる」という「ひとつの仮説の提示」という状況でした。

注2:ういき「特殊相対論」: https://archive.md/zqKir :の「ローレンツ変換の具体的な形」からの引用になります。

注3:この時赤座標はもちろん、「自分の座標がひし形にひしゃげている」などとは認識しません。

「自分の座標は直交座標である」と認識しています。

他方で赤座標が動いていると認識している黒座標については「ひし形にひしゃげている」と認識するのです。

注4:こちらの読み取りは楽にできます。そうして読み取り値は5です。

ちなみに本来のローレンツ変換と逆変換を使った場合では計算値はきれいに入れ替わるのですが、この図ではそうはなってはいない様です。

その理由は「図の書き方の精度がそこまで到達していない」という所にあります。

まあしかしながら「それなりの精度はある」ので「目で見てローレンツ変換をつかった時間の遅れの説明が理解できる」という事になります。

注5:このあたり「長さの短縮はお互い様」というローレンツ短縮とは対照的です。

ローレンツ短縮については「それぞれのロケットが相手のロケットの短縮状況を写真にとって記録できる」と思われます。

そうであれば後日「ほら、すれ違った時、おまえのロケットの寸法は縮んでいた」と証拠立てる事ができます。

さて、それに対して「ローレンツ変換を使った、時間の遅れはお互い様論者」はどうやって後日「ほら、あのとき、おまえの時間が遅れていた」と証拠だてる事ができるのでしょうか?

ちなみに「ローレンツ変換を使って時間の遅れはお互い様を主張する全ての論者の説明」は上記で示した「黒座標と赤座標の話以上の内容は含んではいない」と言い切る事ができます。

つまり「時間の遅れはお互い様、という事の証明はできてはいない」となるのです。

上記のpdfの説明の様に「数式のみを使って時間の遅れはお互い様を証明できた」とする方々は「比較しなくてはいけない2つの時計が距離が離れた別々の所にある」という事を忘れているのです。(この辺りの状況はなにやら推理小説の謎解きの様でもあります。)

注6:ランダウ・リフシッツは「時計Aと時計Bがすれ違う、その瞬間には同時に2つの時計を確認できる」としたのです。

さてその事は事実でしたが、それでもランダウ・リフシッツの証明は「LLの一般解の導出」によって否定されます。

 

PS:相対論・ダークマターの事など 記事一覧

https://archive.md/ykiMS

 


閑話休題・「横ドップラー効果」は大学教授でも間違える?

2023-06-20 02:52:19 | 日記

光のドップラー効果: https://archive.md/LM4Gn :のページに横ドップラー効果についての記載があります。

最初に出てくるのは「光源が静止していて観測者 B がその横を速度Vで通り過ぎる」と言う場合の説明です。

そうして記事では

『光源に対する観測者 B の相対速度はこの瞬間ゼロ(すなわち光源に向かうあるいは離れる速度成分はゼロ)であるが,振動数の変化が起こる。特殊相対論特有のこの現象は特に「横ドップラー効果」と呼ばれる。』

と説明され

「観測される周波数」=「光源の周波数」*sqrt(1-V^2)

となり、つまり

「観測される周波数は光源の周波数よりも小さくなる」=赤方偏移がおきる

となっています。

 

次に出てくる横ドップラー効果の説明では「静止している観測者 A の横を光源が速度Vで通り過ぎる」と言う場合の説明です。

この場合の説明でも

『観測者 A  に対する光源の相対速度はこの瞬間ゼロ(すなわち,観測者へ向かうあるいは離れる速度成分はゼロ)であるが,振動数の変化が起こる。特殊相対論特有のこの現象は特に「横ドップラー効果」と呼ばれる。』

とされ

「観測される周波数」=「光源の周波数」*sqrt(1-V^2)

となり、つまり

「観測される周波数は光源の周波数よりも小さくなる」=赤方偏移がおきる

となっています。

 

結論としてこの筆者は「横ドップラー効果では光源が動いていても観測者が動いていてもいずれの場合も観測される光の波長は伸びる=赤方偏移がおきる」と主張している事になります。

 

さてここで英語版のういき「相対論的ドップラー効果」: https://archive.md/N21ga :
https://en-m-wikipedia-org.translate.goog/wiki/Relativistic_Doppler_effect?_x_tr_sl=en&_x_tr_tl=ja&_x_tr_hl=ja&_x_tr_pto=sc

を参照します。

『一つの物体がもう一つの物体の周りを円運動している場合

図5は、このシナリオの2つのバリエーションを示しています。どちらのバリエーションも、簡単な時間遅れの議論を用いて分析することができます。(訳注1)

図5aは、図2bで説明されているシナリオと本質的に同等であり、受信者は光源からの光をガンマ倍のブルーシフトされた状態として観測します。

図5bは、図3で説明されているシナリオと本質的に同等であり、光はレッドシフトされます。』

と説明があり、さらに図5の下のコメントでは

『図5は、2つのシナリオにおける横方向ドップラー効果を示しています。

(a) 受信者が光源を中心に円運動する場合、

(b)光源が受信者を中心に円運動する場合です。』

となっています。

そうして観測者が動いて光源が止まっている場合に観測者が青方偏移を観測する事はKündig (1963:クンディッヒ)によって確認されています。<--ういき「横ドップラー効果」の冒頭の説明にあります。以下、そこからの引用。

『一方、Kündig (1963) は、メスバウアー吸収体が中央のメスバウアーエミッターの周りで高速の円形経路で回転する実験について説明しました。[p 3]以下で説明するように、この実験的な配置により、クンディッヒによる青方偏移の測定が行われました。』

 

さてそうであれば記事を投稿された大学教授は「光源が静止していて観測者 B がその横を速度Vで通り過ぎる」と言う場合はKündig (1963:クンディッヒ)の実験結果に基づいて「観測者は青方偏移を観測する」と説明しなくてはならないはずです。

しかしながらこの先生は「いずれの場合も観測者は赤方偏移を観測する」とされています。

その主張はKündig (1963:クンディッヒ)の実験結果を無視している様にみえるのですが、さて皆さんはどのように思われますか?

 

訳注1:「円運動の中心にある慣性系の時間の進み方に対して、その周りを円運動する物体の時間は遅れる」という特殊相対論の結論そのものの事です。

そうしてその現象は円運動するものが光源であろうと観測者であろうと同じように時間は遅れる、そうであれば「観測者の時間が遅れた場合は観測者は光源からの黄色の光が青色方向にずれる事を観測する=光源の時間が早く進む事を観測する」のです。

 

PS:相対論・ダークマターの事など 記事一覧

https://archive.md/JXbLz

 


その1・静止系が客観的な存在だと何が困るのか?(速度の加法則の確認)

2023-06-14 01:38:59 | 日記

「静止系が客観的な存在だと誰が困るのか?」という質問の答えは簡単ですね。

「客観的に存在する静止系などはない」と主張していた方々が困るのです。

まあそういう方々には勝手に困って頂く事として、問題は「客観的な事実として何が困るのか?」という所にあります。

ちなみにここで言う客観的な静止系とはもちろん基準慣性系の事です。

そうしてマクロ的にいいますればそれはCMBレストフレーム、つまり「宇宙背景放射に対して静止している慣性系」という事になります。(注1)

それにくわえてもちろんローレンツ変換は大前提としてします。

つまりは「基準慣性系+ローレンツ変換という組み合わせの世界認識をした時に困る事は何か?」という問いかけになります。(注2)

 

1、「LLの一般解」との関係

「LLの一般解」は一つの静止系を必要として、それに対する相対速度によって個々の慣性系の時間の遅れが発生している、という前提で導き出されたものです。

したがってこの場合に「一つの静止系=基準慣性系」としても、何もそこには問題はおこりません。

2、「速度の加法則」との関係

いままで議論してきたように「基準慣性系というのは我々には通常は認識できない」のです。

それでは「全く認識できないのか?」といいますれば「そんなことはなく、注意深い測定を行えばそれは認識できる」のです。(注3)

しかしながら通常我々が認識できるのは「自分に対する相手の慣性系の相対速度」という事になります。

そうして自分が持っている基準慣性系に対する相対速度、そうしてまた相手の慣性系が持っている基準慣性系に対する相対速度も通常はは認識できません。

しかしながらそのような状況でありながらも「認識可能な相対速度につては相対論的な速度の加法則は成立している」模様です。

さてそれで、「それではどのようなメカニズム、カラクリによってそれは成立しているのでしょうか?」という問いかけになります。

そうしてそれはまた従来からの当方の疑問であった「何故、相対速度はこちらからの測定値と相手の慣性系からの測定値が一致するのか?」という疑問の答えにもなっています。(注4)

 

さてそれで基準慣性系の導入に伴って新しいコトバが必要になりました。

それは基準慣性系に対する相対速度を表す言葉ですが、それを「固有速度」と命名します。

それぞれの慣性系が基準慣性系に対して固有に持っている相対速度でありますから「固有速度」という名称は妥当なものでありましょう。

そうして「固有速度の定義」から明らかなように「固有速度はローレンツ不変」となります。

つまりは「どの慣性系から見ても固有速度は同じ値を示す」のです。

 

さてそれで原点を基準慣性系にとります。

そこから慣性系①、②、③が任意の方向にそれぞれ固有速度a,b,cをもって離れていきます。

ただしこの時に「3つの慣性系は原点を含んで一つの直線を作る様に動く」とします。

ちなみに速度はC=1で規格化しておきます。

それでその場合に①から②を見た時の相対速度V12はこうなります。(注5)

V12=(b-a)/(1-b*a) ・・・(1)式

逆に②から①を見た時の相対速度は

V21=(a-b)/(1-a*b) ・・・(2)式

(1)式と(2)式は絶対値は同じで方向が真逆となります。

そうしてこれが我々が認識できる2つの慣性間の相対速度そのものでした。(注6)

 

さて同様にして②から③を見た時の相対速度V23を求めます。

V23=(c-b)/(1-c*b) ・・・(3)式

次に①から③を見た時の相対速度V13を求めます。

V13=(c-a)/(1-c*a) ・・・(4)式

こうして3つの固有速度a,b,cから3つの相対速度V12、V23、V13が導出できました。

それで我々が通常言っているところの「相対論的な速度の加法則」は以下に示す様にこの3つの相対速度V12、V23、V13についてのものになります。

V13=(V12+V23)/(1+V12*V23) ・・・(5)式

さてこうして固有速度から導出された相対速度の間で「相対論的な速度の加法則」は本当に成立しているのでしょうか?

その事を実際に代入して確かめてみます。

V13=(V12+V23)/(1+V12*V23)

=((b-a)/(1-b*a)+(c-b)/(1-c*b))/(1+((b-a)/(1-b*a))*((c-b)/(1-c*b)))

これをウルフラムに入れます。

実行アドレス

https://ja.wolframalpha.com/input?i=%EF%BC%88%EF%BC%88b-a%29%2F%281-b*a%29%EF%BC%8B%28c-b%29%2F%281-c*b%29%EF%BC%89%2F%281%2B%28%EF%BC%88b-a%29%2F%281-b*a%29%29*%28%28c-b%29%2F%281-c*b%29%29%29

答えが「別の形」に出ています。

(a-c)/(a*c-1)

=(c-a)/(1-c*a)=V13

はい、こうして無事に通常の相対速度の間でも「相対論的な速度の加法則が成立している事」が確認できました。

つまり「相対論的な速度の加法則は基準慣性系があっても困らない」のです。(注7)

 

注1:CMBを参照する基準慣性系の決め方は基準慣性系がローカルな存在である事を示している事に注意が必要です。

これが「基準慣性系が従来から言われている所の絶対静止系とは違う特徴」となります。

つまりは「宇宙のあそこにある基準慣性系とここにある基準慣性系は相対速度を持つ」のです。

さてそれでCMBを使ったマクロ的な、宇宙論的な定義でない、ミクロ的な定義も可能なのですが、それについてはまた後日という事に致しましょう。

注2:ローレンツ変換そのものは一連の「光速不変を使わないローレンツ変換の導出」シリーズで示しましたように「この宇宙が誕生した時に慣性系間の変換則としてローレンツ変換が選ばれたという事実を単に確認した」という認識です。

そうしてローレンツ変換が存在すればそこから光速不変が必然的に出てくることは「その2・ ローレンツ変換の導出とその歴史的経緯」で示した様に数式上ではローレンツが、そうして図形的には当方が証明した事であります。

注3:それはたとえば「円運動を使った基準慣性系の判定」で示した様な方法があります。

注4:基準慣性系に対する相対速度が2つの慣性系で異なっていてもその2つの慣性系が相手の慣性系を測定して出す相対速度は同じになります。

これは相対論の前提でもありますが、2つの慣性系での時計の進み方が異なっている、そうしてまた物差しの長さが異なっているにも関わらず、相手の慣性系の相対速度を計ると同じ値になる、これはもう「相対速度不変の法則」といっても良いものであります。

「いやそんなものは当然だ」と言われる方はそれで良いのでしょう。

それはつまりその方にとっては「自明な事」なのでありましょう。

しかしながら当方にとっては「これはとても不思議な事」なのでありました。

注5:このあたり詳細は: https://archive.md/jydqn :にてご確認願います。

注6:何のことは無い、固有速度の加法則の結果を我々は相対速度として認識していたのです。

注7:しかしながらこの結果は「どれほど相対速度を調べてみても固有速度は分からない」という事の証明にもなっている様です。

つまりは「我々が観測できる慣性系①、②、③の間の相対速度V12、V23、V13に対して基準慣性系がどの位置に在ってもその位置からの慣性系①、②、③の固有速度a,b,cを使って相対速度V12、V23、V13を表す事が出来る」という事を示しています。

そうしてその事は「どれほど慣性系間の相対速度を調べてみても基準慣性系は隠れていて姿を現さない」と言う事でもあります。

訂正の追記:前の版では

『さてそれで原点を基準慣性系にとります。

そこから慣性系①、②、③が任意の方向にそれぞれ固有速度a,b,cをもって離れていきます。』とこのように書きました。

しかしながらこの書き方ですと3つの慣性系①、②、③は1つの平面を作るのですが一直線上に並びません。

そうして通常、我々がよく使う速度の合成則は一直線上のものです。

従いまして「3つの慣性系①、②、③は一つの直線を作る」と言うようにこの版では訂正しました。

 

PS:相対論・ダークマターの事など 記事一覧

https://archive.md/wIrP4

https://archive.md/L1GAo

 


前書きその2・客観的に存在している静止系は何故隠れるのか?

2023-06-11 02:21:48 | 日記

2、慣性系というものは、本来、目にはみえないものである件

特殊相対論のすごい所は今までは物理の対象にはなっていなかった「慣性系」を物理の対象にした所にあります。

その結果、特殊相対論は「隠れている静止系を見えるようした」のです。

その「見えるようにする力」は「静止系に対して運動する時計は遅れる」という「特殊相対論の結論の中にあります」。

 

ランダウ・リフシッツでしたか「等速直線運動している時計は一つの慣性系と見なせる」と言ったのは。

これもまた優れた慣性系の定義であります。

そうして「等速直線運動している時計が代表している慣性系というしろものは目には見えなくても、時計が目に見えていればいいんだ」と納得してしまうのでした。

 

さて世の中にはボゾンとフェルミオンという2つの素粒子が存在します。

そうしてフェルミオンの集合体が時計となっています。

その時計が等速直線運動すると慣性系になる、そうしてこの慣性系は「目に見える」のでした。

おっと少し違いますか。

等速直線運動する時計は目には見えますが、それが代表している慣性系は目には見えません。

しかしながらランダウとリフシッツに「等速直線運動している時計は一つの慣性系と見なせる」と言われると「そうなんだ」と納得してしまいます。

それは多分「特殊相対論のロジックではそういう事になるのだろう」という認識がそこにある為であると思われます。

こうして特殊相対論に於いては「なにやら目には見えないが慣性系という存在があるのだな」と納得してしまうのです。

 

さてところでこの時計が運動しているまさにその空間は目に見えません。

ま、もっとも目に見えたらそれは空間とは呼ばれず「何者かが充満している空間」と呼ばれる事になります。(注1)

さてそれで、驚くべき事にその空間が基準慣性系として「客観的に存在している静止系であって、一つの慣性系である」となっているのです。

これは本当に「べらぼうな話」であります。

そこには何もない。

何もないから「空間」、「空っぽ」、あるいは「真空」と呼ばれています。

しかしその空っぽの空間が慣性系である、慣性系を作れるのである、という認識は驚くべき事であります。(注2)

そうしてそのように「空間を慣性系をつくれるものとみなせる認識はまさに特殊相対論から出てきたものである」と、これもまた個人的にはそう思っている所であります。(注3)

 

ふむ、少々テーマから離れましたか。

しかしながら基準慣性系は別に「隠れていた訳ではない」のであって、「直接的には目には見えない存在」として「宇宙誕生の折からずっとそこに在ったもの」「我々の目の前に在った存在」であります。

ただしそれは「素粒子が存在する」という話と比べると「客観的な静止系が存在する」という話は「相当に目にみえにくいもの」でありますから「我々にはそれが隠れている様に見える」のでありました。(注4)

 

注1:歴史的には我々はそのように考えてその充満している物をエーテルとよびました。

ちなみに現代のエーテルはダークマターであります。

これもまた「空間に充満しているもの」なのですが目には見えません。

注2:このあたりの感じ方は「人それぞれである」とは思いますが、、、。

注3:宇宙に存在するものは時間と空間と物質である、という認識はかなり古くからあったと思います。

そうして「時間と空間は物質がその中で運動するための背景」であって「物質がある、という様な意味での物理的な実在ではない」というものが「相対論誕生前までの世界認識方法であった」と思われます。

しかしながら相対論が誕生した後では「時間は相変わらず運動を記述する為の背景」ではありますが「物質と空間については密接に関係している事が明らかになった」と個人的にはそう理解しています。

つまりは「空間と言うものは相当に物理的な実在である」という事になったのであります。

注4:空間が作っている基準慣性系には目には見えませんがそこには時計が存在しています。

そうしてその時計がこの宇宙では一番早く時を刻んでいる時計となります。

 

PS:相対論・ダークマターの事など 記事一覧

https://archive.md/MQk5J