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特殊相対論、ホーキング放射、ダークマター、ブラックホールなど

・時間について特殊相対論からの考察
・プランクスケールの原始ブラックホールがダークマターの正体であるという主張
 

その5・アインシュタインによる「列車と雷」の解説

2025-09-10 01:00:56 | 日記

参照資料 英文:目次: https://archive.md/PZYa4 :相対論 特殊と一般の理論

RELATIVITY THE SPECIAL AND GENERAL THEORY:

A. EINSTEIN December, 1916

次はいよいよ「同時性の相対性」を語っている9章とそのまえの8章になるのですが、ここでは

第8章 物理学における時間の概念について: https://archive.md/FOyci :の前半部分を訳出します。

ちなみに以下の訳はチャットGPTによるものです。

それから訳文にでてくる「堤防」というコトバは駅にあるプラットホームの事です。

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8章「物理学における時間の概念について」(前半の1)

アインシュタイン

鉄道の堤防上のレールに、遠く離れた二点 A と B に雷が落ちた。私は、これら二つの雷が同時に発生したと主張する。この主張に意味があるかと尋ねられれば、君は「はい」と明確に答えるだろう。しかし、もし私がこの主張の意味をより正確に説明するよう求めたなら、少し考えた後、答えがそれほど簡単ではないことに気づくだろう。

しばらくして、次のように答えるかもしれない。「この主張の意味は自明であり、特に説明する必要はない。ただし、実際に二つの出来事が同時に起こったかどうかを観測によって確かめる任務を課せられたとしたら、それについて考察する必要があるだろう。」しかし、私はこの答えには満足できない。

なぜなら、もし有能な気象学者が巧妙な考察の結果、雷は常に A と B に同時に落ちることを発見したとする。その場合、私たちはこの理論的結果現実と一致するかどうかを検証しなければならない。実際、「同時」という概念が関わるすべての物理学的主張において、同じ困難が生じる。「同時」という概念は、物理学者にとって、それが現実に適用されるかどうか判定する手段を持つまでは、実在しないのと同じである。したがって、私たちは、今回の事例において、実験によって雷の閃光が同時に発生したかどうかを判断できるような同時性の定義を求める必要がある。この要求が満たされない限り、私は物理学者として(そしてもちろん物理学者でなくとも)、同時性の主張に意味を与えることができると考えるのは錯覚にすぎない。(読者には、この点について完全に納得するまで、先を読み進めないようお願いする。)

しばらく考えた後、君は同時性を判定するための次のような提案をする。レールに沿って距離 AB を測定し、その中点 M観測者を配置する。この観測者は、例えば90°に傾けた二枚の鏡を使用し、A および B の両地点を同時に視認できる装置を持つものとする。もし観測者が二つの雷の閃光を同時に知覚したならば、それらは同時に発生したと判断できる。

 

ーーーコメントの1ーーー

『鉄道の堤防上のレールに、遠く離れた二点 A と B に雷が落ちた。私は、これら二つの雷が同時に発生したと主張する。』<--ここでアインシュタインはホームに立っていて「雷がレールの2点AとBに同時に落ちた」と主張しています。

それはつまり「ホームが静止系であってそこから観察すると雷は同時に落ちた」という設定です。

というのもこれまでの議論で明らかにしたように「同時である事」は静止系に立つ観測者によってのみ断言できることであるからです。

ーーーコメントの2ーーー

『「同時」という概念は、物理学者にとって、それが現実に適用されるかどうか判定する手段を持つまでは、実在しないのと同じである。したがって、私たちは、今回の事例において、実験によって雷の閃光が同時に発生したかどうかを判断できるような同時性の定義を求める必要がある。』<--アインシュタインはここで明らかに「同時である事」について話しています。

そうであればアインシュタインが言う同時性の定義というのは明らかに『同時である事の定義』なのです。

ーーーコメントの3ーーー

『レールに沿って距離 AB を測定し、その中点 M観測者を配置する。この観測者は、例えば90°に傾けた二枚の鏡を使用し、A および B の両地点を同時に視認できる装置を持つものとする。もし観測者が二つの雷の閃光を同時に知覚したならば、それらは同時に発生したと判断できる。』<--ここに書かれている「距離が離れた場所で起きた2つのイベントについて『それが同時に起きたのであるかどうかを判断する手順』と言うものがアインシュタインが提示している『同時である事の定義』でもありそうしてまたその事を確認する方法」となっています。

このアインシュタインのやり方「確認する手順がそのままその事の定義となる」という方法は「操作主義(英:operationalism)」と言われるものです。

さてそれで「左右から観測者に来る光を45度に傾けた2枚の鏡を頂角が90度になる様に設定した目視装置使って一つの目に左と右からの光が入るようにする。」

その様にできた装置で右と左から来る落雷の光を見た時に「同時に光った」ならば「雷はAとBに同時に落ちた」と判断できる、と言っています。

もちろんそのようにして「同時である事が判定できる大前提」は「レールが(=ホームが)静止系である」という事です。

ーーーーーー

 

アインシュタイン

私はこの提案に非常に満足する。しかし、それでもなお、この問題が完全に解決されたとは考えられない。なぜなら、次のような異議を申し立てる必要があるからだ。「君の定義は確かに正しいかもしれない。しかし、それは観測者 M に到達する雷の閃光が A → M の経路を進む速さと B → M の経路を進む速さが同じであることを知っていればの話だ。

しかし、この仮定の正しさを検証するには、すでに時間を測定する手段を持っている必要がある。したがって、この議論は論理的な循環に陥っているように思われる。」

 

ーーーコメントの1ーーー

さてここでアインシュタインは「A → M の経路と B → M の経路を光が飛ぶ速さの事」を注意しています。この速さが同じ場合に限って上記方法は有効なのです。

なんとなれば「中間点Mに左右から同時に光が届いた」と言うだけでは「左右の出発点から同時に光が出た」という事の保証にならないからです。

それを保証するものが「光が飛ぶ速さは左と右で同じ」という前提条件です。

左右の出発点から中間点Mまでの距離は等しいので飛ぶ速さが同じであるならば光の飛行時間Δtは右と左で同じになります。

そうして中間点Mに光が届いた時の時刻をMtとするならばその時刻からΔtを引いた時刻が左右の出発点から光が出た時刻となります。

そうしてもちろんその時刻は左右で同じ Mt-Δt となっているのです。

そうしてその事を指してここでは「同時である」と言っています。

それでこの時に注意すべきは「時刻Mtおよび飛行時間Δtは全て中間点Mの時計を使っている(時計Mで測っている)」という所にあります。

そうであれば「アインシュタインが提示している同時である事を判断できる方法の鍵」は「左右のΔtが同じ」=「光が飛ぶ速さは左と右で同じ」という事になります。

但しこの時の光の速度=片道光速は「一つの時計で測る」=「時計Mで測る」が前提となります。

つまりは「左右の出発点から出た光が中間点Mに到達するまでに必要とした時間Δtは時計Mで測る」のです。

そうであればここでのポイントは「同時である事の判定には地点Aと地点Bに置かれた時計は使わない」という所にあります。

さて以上の様に考えた場合「中間点Mに立った観測者が左右から来た光を同時に確認したら、その光は地点Aと地点Bを同時に出たのでしょうか?

答えは「静止系であればそのように判断できる」となります。

なんとなれば「空間の等方性から考えて光速に異方性が存在するとは思えないから」です。

そうであれば「同時である」という判定に「地点Aと地点Bに置かれた2つの時計の時刻合わせは必要ない」のです。(注1

 

ーーーコメントの2ーーー

さて以上の話は静止系ではその通りです。

しかしながら運動系に於いては「光が飛ぶ速さは左と右で違う」のです。

ここで運動系は静止系に対して左から右に速度Vで動いているとします。

そうして地点Aは地点Bの左方向距離2Lの場所にあります。

地点Mは地点Aと地点Bの真ん中です。

 

さてその場合A → M の経路での光の飛行時間Δt(A → M)は

Δt(A → M)=L/V(A → M:M)

同様にしてB → M の経路での飛行時間Δt(B → M)は

Δt(B → M)=L/V(B → M:M)

ここでA → M の経路での光の飛行速度はV(A → M:M)

同様にしてB → M の経路での飛行速度はV(B → M:M)です。

V(〇→〇:M)の:Mは「この片道光速は時計Mで測った値である事」を示しています。

 

そうして

V(A → M:M)≠V(B → M:M) であれば

Δt(A → M)≠Δt(B → M)

ちなみにV(A → M:M)<V(B → M:M) ですので

Δt(A → M)>Δt(B → M) となっています。

さてこの時に『同時である』と言う条件はローレンツの局所時間を使って

Δt(A → M)ーΔt(B → M)=2LV ・・・①式

と書くことができます。(注2

 

それでこの時に注意すべきは「飛行時間Δt(A → M)およびΔt(B → M)は中間点Mの時計を使って測る」という所にあります。

そうであればこの時の光の片道速度V(A → M:M)およびV(B → M:M)は「一つの時計で測る」=「時計Mで測る」を示しています。

つまりは「左右の出発点から出た光が中間点Mに到達するまでに必要としたそれぞれの時間Δtは時計Mで測る」のです。

これができれば「対象としたイベントが静止系でおきたのか運動系で起きたのかに関係なく同時である事の判定が①式で可能となる」のです。

そうであれば①式は「同時である事を判定する一般式」という事になります。

そうしてまた運動系に於いては光が地点Aと地点Bから「同時に出た」のであれば中間点Mには「同時には着かない」という事もわかります。

それはつまり「運動系に於いては同時に地点Aと地点Bから出た光は中間点Mにはローレンツの局所時間2LVだけずれて到着する」のです。

 

さてそれでここでのポイントもコメントの1と同様に「同時である事の判定には地点Aと地点Bに置かれた時計は使わない」という所にあります。

ちなみに①式でV=0、つまり「静止系である」とすると①式は

Δt(A → M)ーΔt(B → M)=0

従って

Δt(A → M)=Δt(B → M)=Δt

となりコメントの1の条件になる事がわかります。

そうであれば①式は「同時である事を判別する一般式」となります。

 

ーーーコメントの3ーーー

さてここでアインシュタインの主張に戻りますと「A → M の経路と B → M の経路を光が飛ぶ速さの事」を注意しています。

「この速さが同じ場合に限ってアインシュタインの確認方法は有効である」と言っています。

しかしながら「光がその2つの経路を飛ぶ速さの測定の為」には前もって「時間を測定する手段を持っている必要がある」とアインシュタインは言います。

その手段とは具体的には「光の出発点に置かれた時計Aと時計Bが終点に置かれた時計Mに対して時刻合わせが終わっている事が必要である」とアインシュタインは主張するのです。

そのように3つの時計が準備できていれば「光の到着点であるMに置かれた時計の光の到着時刻Mtから出発点Aでの光の出発時刻Atそうして出発点Bでの光の出発時刻Btを差し引くことで、光が所定の距離を移動するのに必要とした時間がわかる」と言っているのです。

そうして「そうやって求めた光の移動に要した時間で距離Lを割る事で光の片道光速が分かる」としているのです。

つまりはアインシュタインが「光が A → M の経路を進む速さと B → M の経路を進む速さが同じである」と言っている「光の速さ」というのは「時刻合わせが済んでいる2つの時計を使って測る片道光速の事」なのです。

 

具体的にはA → M の経路での飛行時間Δt(A → M)は

Δt(A → M)=Mta-At

同様にしてB → M の経路での飛行時間Δt(B → M)は

Δt(B → M)=Mtb-Bt

となります。

そうして「飛行に必要だった時間」がわかれば「そこから飛行速度が計算できる」と。

地点Aから地点Bまでの距離を2Lとするならば

A → M の経路での光の飛行速度V(A → M:2)は

V(A → M:2)=L/Δt(A → M)=L/(Mta-At)

同様にしてB → M の経路での飛行速度V(B → M:2)は

V(B → M:2)=L/Δt(B → M)=L/(Mtb-Bt)

ここでV(〇→〇:2)の:2は「この片道光速は2つの時計で測った値である事」を示しています。

 

こうして「光が A → M の経路を進む速さと B → M の経路を進む速さが同じかどうか判断できる」と言うのがアインシュタインの主張です。

しかしながら残念なことに、時計Aと時計Mの時刻合わせをするには「光がA → M の経路を飛ぶのに要する速度が分かっている事が必要」なのです。

そうしてこの場合に必要となる光の片道速度についてはアインシュタインは「時刻合わせが済んでいる2つの時計を使って測る片道光速である」としています。

 

つまりは時計Aと時計Mの時刻合わせでは

Mta=At+Δt(A → M)=At+L/V(A → M:2) ・・・②式

で完了です。

そうしてまた時計Bと時計Mの時刻合わせでは

Mtb=Bt+Δt(B → M)=Bt+L/V(B → M:2) ・・・③式

で完了です。

 

こうして分かる事は「光の速さを測定する為には2つの時計の時刻合わせが終わっている事が必要」。

そうして「2つの時計の時刻合わせの為には2つの時計のあいだを飛ぶ光の速度が必要」。

その光の速度は「時刻合わせが済んでいる2つの時計を使って測る片道光速」なのです。

さてこうして「この話は見事な循環論になっている」アインシュタインはそう言っているのです。

 

ーーーコメントの4ーーー

以前のページまでで2つの時計の時刻合わせを検討してきました。

その結果は「時刻合わせされた2つの時計を使った光の片道速度測定ではその値は常に1Cとなる」というものでした。

そうしてそれは1905年の論文でアインシュタインが導入したアインシュタイン コンベンションの結果から出てきた結論でした。

くわえてそれはそのまま「2つの時計の時刻合わせをする」という事は「その2つの時計を使った片道光速の測定値を1Cになる様にすることである」となります。

 

さて以上の話をそのまま②式と③式に展開します。

つまり

V(A → M:2)=1C

V(B → M:2)=1C

とするのです。

そうすると②式より

Mta=At+Δt(A → M)=At+L/V(A → M:2)

=At+L/C

③式より

Mtb=Bt+Δt(B → M)=Bt+L/V(B → M:2)

=Bt+L/C

そうして静止系、運動系を問わずに中点Mで左右からくる光を同時に観測したのであれば

Mta=Mtb=Mt

が成立していた事になります。

それは

At+L/C=Mt=Bt+L/C

という事が成立していたのであり、結局

At=Bt

となります。

 

つまり「光は地点Aを時計A時刻でAtの時に地点Mに向かって出た」

そうして「光は地点Bを時計B時刻でBtの時に地点Mに向かって出た」

そうしたらその2つの光は地点Mに一つの時刻Mtで着いた。

つまりは「同時に着いた」のです。

そうして「そうなる為には時刻At=時刻Btであった」という事になるのです。

つまり「時計Aと時計Bは光を同じ時刻の時に出した」のです。(注3

 

さてそうであれば「2つの時計の時刻を合わせる」という事は文字通り「2つの時計の時刻を同じにする」ということです。

そうしてその事の具体的な方法が「それぞれの時計のある場所から同時刻に出た光が中点Mに同時に着くようにする」という事になります。

これを逆に言いますと「中点Mに同時に左右からの光が着いた」のであれば「光はそれぞれの出発点を同時刻に出た」という事になるのです。

さてそうであれば「静止系、運動系を問わず、中点に左右からの光が同時に着いたのであればその光は左右の出発点を同時刻に出た」となるのです。

そうしてこれがそのまま左右にある時計の時刻合わせの確認になっているのです。

 

さて以上の結論はアインシュタイン コンベンションの導入によって出てきたものですから当然「アインシュタインも同意する」のです。

しかしながら注意すべきは「静止系に於いては同時刻は同時である事」になりますが「運動系では同時刻は同時である事を意味しない」という事です。

 

ーーーコメントの5ーーー

この部分の議論は状況が入り組んでいてわかりにくいのです。

そうして入り組んでいる部分とは

・「同時である事」と「同時刻である事」

・「静止系」と「運動系」

・「一つの時計による片道光速」と「2つの時計による片道光速」

コメントの1とコメントの2は「1つの時計による片道光速」について「同時である事」について話しています。そうしてそれはローレンツ変換をベースとした話になっています。

コメントの3は「2つの時計による片道光速」についてそれが循環論になっている事を語っています。

コメントの4は「2つの時計による片道光速」について「そこにアインシュタイン コンベンションを入れることで出てくる結果」について語っています。

そうして結局「中間点Mで左右からの光の同時観測はその光が左右の出発点を同時刻に出た事の確認になる」がここでの結論です。

ーーーーーー

まとめ

さてそれで結局のところ静止系であるにしろ運動系にしろ「中間点で左右からの光の同時観測はその光が出発点を同時刻に出た事の確認になる」のです。

そうしてその慣性系が静止系の場合に限って同時刻は同時である事になる」のです。

従って「静止系で中間点で左右からの光の同時観測ができた」のであれば「その光は出発点を同時に出た」のです。

しかしながら「運動系で中間点で左右からの光の同時観測ができた」のであれば「その光は出発点を同時刻に出た」のですが「同時には出てはいない」のです。

 

ちなみに「相対性原理」と「2つの時計による片道光速」及び「アインシュタイン コンベンション」の組み合わせからは「ローレンツの局所時間は直接的には出てこない」のです。(注4

しかしながらそれらの組み合わせからアインシュタインによって導出されたローレンツ変換の中には「しっかりとローレンツの局所時間が入っている」のです。

さてそうであればこれは「アインシュタインにとってはまことに皮肉な奇妙な結果である」となります。

なんとなれば「ローレンツの局所時間はエーテルの存在を前提としてローレンツによって導入されたもの」でした。

そうしてそのエーテルの存在をアインシュタインは否定して特殊相対論を作り上げたはずでした。

しかしながら結果的にそこには「否定したはずのローレンツの局所時間が存在していた」のです。

 

注1:さてしかしながら残念な事には「一つの時計を使った片道光速を計る手段を人類は持ってはいない」という所にあります。

そうであれば現実には「2つの時計を使った片道光速の測定しかできない」のでありこの事はアインシュタインが指摘している通りです。

さてそうであれば実際に「2つのイベントが同時に起きたかどうか」を判定するには「静止系で時刻合わせされた2つの時計を使う」という事になります。

なんとなれば「静止系で時刻合わせされた2つの時計を使った2つのイベントについての時刻のラベル付けを行う」という操作は正確に「一つの時計を使った片道光速の測定と同じになるから」です。

さてそうであれば「同時であるかどうかの判定」には「静止系をイベントの時刻のラベル付けに使う」という事がポイントになるのです。

さらにその前提は「どの慣性系が静止系であるのか分かっている事が必要」となります。

注2:①式の導出について

運動系に於いては片道光速V(〇→〇:M)は

V(A → M:M)=1/(1+V)

V(B → M:M)=1/(1ーV)

となっています。(「その4・アインシュタイン同期」: https://archive.md/znrfX :から引用。)

そうであれば

Δt(A → M)=L/(1/(1+V))=L(1+V)

Δt(B → M)=L/(1/(1ーV))=L(1ーV)

従って

Δt(A → M)ーΔt(B → M)=L(1+V)ーL(1ーV)=2LV

となります。

Q.E.D.

 

注3:「中間点での左右から来た光の同時観測が光が出発点を同時刻に出た」という事を示す「一つの時計を使った片道光速での別解」について

上記コメントの4では「2つの時計を使った片道光速での解」を示しました。

その方法はアインシュタインが示した方法の延長線上にあって、アインシュタインも十分に同意可能であるものです。

それでここでは「一つの時計を使った片道光速での別解」を示します。

この方法はアインシュタインの方法とは違っていてローレンツ変換に基礎を置くものです。

しかしながら結局は両者の結果は同じものになるであれば、「お互いに相手のやり方の正当性を別の観点から保証している」という事になります。

 

さてそれで最初に静止系の場合を見ますればコメントの4での結論はほとんど自明である様にみえます。

なんとなれば「空間の等方性によって光の伝達速度には異方性がない」と言えるからです。

他方で運動系については「それほど自明である」とはいえません。

 

さてそれで「運動系で2つの時計の時刻合わせをするとBT時間軸になる」という話をしてきました。

その2つの時計の時刻はローレンツの局所時間分だけずれるのです。

さてそうであれば中間点の時計の時刻がMtであった時には点Bの時刻Btは

Bt=MtーLV

同様にして点Aの時刻Atは

At=Mt+LV

となっています。

そうであれば時刻Mtに点Aと点Bから光を出す、とした場合は次のようになります。

 

・点Bの場合

時刻がMtになるにはあとLV秒だけ待たなくてはなりません。

そうであれば点Bで時刻Mtに出た光が中点Mに到達した時の中点Mの時刻の増加分ΔtBは

ΔtB=LV+L/(1/(1ーV))=LV+L(1ーV)=L

ここでL/(1/(1ーV))は光が点Bから中点Mまで飛ぶのに必要な時間です。

・点Aの場合

時刻がMtであったのはLV秒だけ前でした。

そうして光が点Aから中点Mまで飛ぶのに必要な時間はL/(1/(1+V))です。

したがって点Aで時刻Mtに出た光が中点Mに到達した時の中点Mの時刻の増加分ΔtAは

ΔtA=L/(1/(1+V))ーLV=L(1+V)ーLV=L

 

こうして点Aおよび点Bでの時刻Mtに出た光が中点Mに到達した時の中点Mの時刻の増加分Δtは同じ値L秒となっているのがわかります。

つまりは「時刻Mtに左右の点Aと点Bから出た光は中点Mに時計Mの時刻でMt+Lに同時に着く」のです。

もちろん点Aと点Bに置かれたそれぞれの時計が示す時刻Mtで光は中点Mに向かって出たのです。

Q.E.D.

 

注4:「直接的には出てこない」の意味

誰の目にも明らかなである、つまりは「ほとんど自明である」ように、あるいは「単にその3つの前提条件をベースに絵(=図)を描く事」と簡単な計算で明らかになる程度の「自明さ」では「ローレンツの局所時間は出ては来ない」という意味です。

「3つの前提条件」から「相当に複雑なロジックと計算をへてようやくローレンツ変換が導出される」と言うのが1905年の論文の中身です。

そうして「その様にして導出されたローレンツ変換」になってようやく「ローレンツの局所時間がそこに顔を出す」のです。

 

追記の1:以前のページで示した様に「同時である事の判定の対象となる2つのイベントそのものは現実の3次元空間で発生する」のです。

そうしてその2つのイベントが起きる発生点はどのような速度でどの方向に動いていても良いのです。

さてそうであれば「その2つのイベントは一つの慣性系の中に属している必要はない」という事になります。

ただしそのままでは「物理の対象にならない」のでそこで「位置と時刻をラベル付けする」のです。

これがアインシュタインがいう所の「イベントの数値化」であって「その数値化をする為の道具」が座標系なのです。

アインシュタインはこれを(=座標系を)直交する3つの剛体棒(=物差し)と原点に置いた一つの時計で表現しました。

さてそうであれば判定対象となる2つのイベントを「どの慣性系(=座標系)を座標値のラベル付けに使うか」でイベントに割り当てられる座標値(x,y,z,t)の値は異なってくるのは当然です。

そうして「同時であるという事を判定するのに使う慣性系は静止系である」と言うのがそこから出てくる答えなのであります。

くわえて「その静止系については使う時計のテンポの速さと距離の単位についてはすでに宇宙が決めている」のです。

なんとなれば「2つのイベントが起きている現実の3次元空間そのもの」がすでに「時間が進む速さ=時計のテンポ」と「片道光速の値は1Cである」となっているからです。

さてそうであればそこから「距離の単位が出てくる事」は当然であります。

 

追記の2:ここで展開されている「同時刻である事」と「同時である事」の違いについての説明はほとんどこれでアインシュタインが提示した「列車と雷」というテーマに対する当方の回答となっています。

そうであれば「この話が相当に複雑であって分かりにくい」あるいは「従来の列車と雷の話とは違う」という事については「そうなってしまうのは当然であって避けられない事である」と申し上げておきます。

なんとなれば「120年以上に渡って主張されてきた通説の解釈とは異なる事を言っている」のであれば「理解しにくいのはむべなるかな」となるのであります。

しかしながら「ここに至るまでには随分と関連する議論を積み重ねてきた」のであれば「それなりの準備をしてきた」という事は言えるかと思います。

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「相対論・ダークマターの事など 記事一覧」

「その2:ダークマター・相対論の事など 記事一覧」

 

 


中間まとめ・アインシュタインによる「列車と雷」の解説

2025-09-06 01:40:31 | 日記

アインシュタインの列車と落雷 第一部に於いてアインシュタインの著作「相対論 特殊と一般の理論」(あるいは「列車と雷」)1917年について以下の章を見てきました。

4. ガリレオ座標系 
5. 相対性原理(限定的な意味で) 
6. 古典力学で用いられる速度の加法定理 
7 . 光の伝播の法則と相対性原理の一見矛盾する点 

そうしてそれに続くこの第二部ではいよいよ「アインシュタインの同時性の相対性」の核心である

8 . 物理学における時間の概念について 
9. 同時性の相対性

に話が入っていくのです。

とはいいながらここでそのままアインシュタインのロジックの中に入っていく事は致しません。

なんとなれば以降の記述ではアインシュタインは「全ての慣性系において同時刻であれば同時である」という「我々にとっては明示されていない暗黙の了解を前提に話を進めているから」です。

そうしてこの「暗黙の了解」についてその事をはっきりと理解していない為に世の中の出回っている「列車と雷の解説」は「同時である事の相対性を語るふりをしながら同時刻の相対性を語っている」とそういう状況に陥っているのです。

あるいは「同時刻の相対性を語りながらこれが同時である事の相対性である』」と主張しているのです。

従ってここではまずはそのアインシュタインの暗黙の了解についてそれを明示する事から始めます。

 

まずアインシュタインは1905年の論文で「慣性系の時刻合わせは同時である事を使って出来る」としました。

しかしながらアインシュタインが目指した「同時である事を使った時刻合わせは実際には実現できなかった」のです。(注1

そうであるにも関わらずアインシュタインは「慣性系の時刻合わせは同時である事を使って出来た」ので「同時刻であれば同時である」としました。(注2

さてそうして次にアインシュタインは「同時刻の相対性」で「同時である事は相対的である」と主張しました。

しかしながらここでアインシュタインが示した内容は正確には「同時刻の相対性の証明」でした。(注3

 

さてそれで1917年の「列車と雷」でのアインシュタインの主張は「距離が離れた場所で起きた2つのイベントが同時刻に発生したのかどうかを確かめる方法」にあります。

それは「2つのイベントが起きた中間点に立つ観測者にイベントが起きた時点でそこから観測者に対して光を出す」のですが「その光が中間点に立つ観測者に左右から同時に到着した」のであれば「その光は左右のイベント発生点を『同時刻に出た』としてよい」と言うものです。

以上の内容については我々も以前の検討で確認済であります。(注4

しかしながらアインシュタインは「同時刻であれば同時である」という主張の持ち主であれば「これが同時である事の確認方法である」と主張するのです。

 

さてそのようなアインシュタインの主張に従って

8 . 物理学における時間の概念について 
9. 同時性の相対性

が展開されていますのでその文章をそのまま読みますとアインシュタインの暗黙の前提=「同時刻であれば同時である」というロジックの中に落ち込む事になります。

そうして「ああそうか、『同時である事は相対的なものなんだ』」と思い込む事になるのです。

 

しかしながら「同時刻であれば同時である」は無条件には成立していないのです。

それは静止系でのみ成立しているのであって、静止系に対して運動している座標系では成立しないのです。

さてそうであればこの後に実際に

8 . 物理学における時間の概念について 
9. 同時性の相対性

を読むのですが、「同時である事と同時刻である事の区別」については批判的に明確に分けて読んでいく事になります。

 

注1:この件詳細につきましては: https://archive.md/gJTDB :とその前の: https://archive.md/goj9s :を参照願います。

注2:この辺りは「全ての慣性系は物理的に同等である」というアインシュタインのポリシーからも出てくるものであれば、その両方からアインシュタインは「同時刻であれば同時である」とした模様です。

あるいは「全ての慣性系は物理的に同等である」というポリシーの方が先にあってそこから「同時刻であれば同時である」が出てきている可能性もあります。

注3:原文でのアインシュタインの主張は「同時である事の相対性」なのですが日本語訳では「同時刻の相対性」とこの部分を訳しているものもあります。: https://archive.md/hjDby#selection-3151.3-3151.8 :「長さと時間の相対性」

その章の最後の結論の部分を引用します。

・・・そこで同時刻という概念に絶対的な意味を与えてはならない事がわかる。

すなわち、ある座標系から見て2つの事件が同時刻であるとしても、この座標系から見て動いている他の座標系から見れば、それらの事件を互いに同時刻に起きたものと見なすわけにはいかないという事がわかる。

翻訳を担当した方は「原文の内容を忠実に理解するならばここは同時刻の相対性とするのが妥当である」と判断した模様です。

そうであれば「その日本語訳が間違いか?」といえば「一概に間違いである」とはいえない状況がそこにはあります。

しかしながらアインシュタインのそこの部分での主張は「同時刻という概念」について語っているのではなくて「同時であるという事の概念」について語っているのです。(あるいは語りたかったのです。)

さてそれはアインシュタインの中では「同時刻であれば同時である」となっているからです。

そうしてその事は後日に至りて出版された「列車と雷」(1917年)でより明確に示されています。

注4:この件、内容詳細については: https://archive.md/6tsEI :で扱っていますので、そちらでご確認願います。

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「相対論・ダークマターの事など 記事一覧」

「その2:ダークマター・相対論の事など 記事一覧」

 


その2・MN図で運動系に現れる同時刻ラインの正体

2025-09-02 01:10:19 | 日記

MN図では前のページで示した図1と図2を重ね書きします。

その時に図1に合うように図2を変化させて重ねるとMN図となります。

というよりも「それがMN図の正体」あるいは「別の形の表現」になっているのです。(注1

さていままでこんな事を指摘した人はいませんでした。

そうであれば「これは世紀の大発見」であります。(冗談です。)

 

さてそれで図2を図1に重ねる前に図2を図3の様に変形させなくてはなりません。

 図3                  ・                     
                      ・                     
                5  4.4  3.8  3.2  2.6 ・ ・                     
               4  3.4  2.8  2.2  1.6 ・ ・                     
              3  2.4  1.8  1.2  0.6 ・ ・                     
             2  1.4  0.8  0.2 ー0.4 ・ ・                     
その位置に置かれた   1  0.4 -0.2 -0.8 -1.4 ・ ・                      
時計が示す時刻t(sec)  0 -0.6 -1.2 -1.8 -2.4 ・ ・                
          '-------------------------------------------------------------------------                
X座標値 ーー>   0(原点)1   2    3    4   ・ ・                

 

これは静止系基準で運動系を見ると運動系は右方向に0.6Cで動いている事を示しています。

そうしてそれは時空図では右上方向への移動として表されます。

それからもう一つ、静止系基準で図2を見ますから運動系原点に置かれた時計は静止系時刻に対して√(1-0.6^2)=0.8の割合で遅れます。

そうしてまたX軸方向は静止系からみるとローレンツ短縮をおこして見えるのです。

その割合も又0.8です。

さてそうであれば図3を図1に重ねる為にはX軸方向は0.8倍にY軸方向は1.25倍にすればよいのです。(注2

 

ふむ、そのようにできれば図3は図1に重ねる事ができて、図1+図3=MN図となるのです。(注3

但しこのMN図はこのままでは下にある数字と上にある数字がずれているうえに2つの数字が重なっているので「実際に実用になるのか?」と言われれば「ほぼなりません」が答えでしょう。

さてそこで図1をいつも我々が使っているデカルト座標(=直交座標)に変更するのです。

そうすると図1+図3の象限面内に現れる数字は図3だけになります。

 

つまりX軸とY軸は静止系座標を現し、象限内の数字と「同じ一つの時計の軌跡である事を示すct’軸に平行に引かれた線を引くのです。

さてそうするとこの新しいMN図には同時刻ラインは引かれていませんが、それでも静止系上で示されたイベントが発生した点の座標(t、X)を運動系の座標(t’、x’)にローレンツ変換できるのです。

それは言い換えますと「棒の時間を使って座標(t、X)を運動系の座標(t’、x’)にローレンツ変換している」となります。

そうして「それが出来る事はすでに検証済」です。

 

さてこの新しいMN図では静止系のX軸と平行に運動系のX軸を示す事が出来ます。

それは単に運動系原点時刻で1秒間隔で水平線を引くだけです。

くわえて「同時刻ラインを引きたい」のであれば注目している時刻になっている時計のある場所を直線で結べばそれでOKです。(実際にこの作業は前のページで行いました。)

そうやってct’軸に平行にひかれた線と同時刻ラインだけを残して象限内のそれぞれの時計が示している時刻を表している数字を消し去ればそれがミンコフスキーの示したMN図となります。

そうであれば「これがもう一つのMN図の作図方法」となります。

 

さてしかしながらMN図では「運動系の同時刻ラインは示されている」のですが「運動系のX軸は示されてはいない」のです。

というよりは「ミンコフスキーは運動系のX軸は運動系の同時刻ラインと重なっている」としたのです。

そうであればミンコフスキーとしては「運動系のX軸はMN図では同時刻ラインとして示されている」と考えていました。

そうしてこれが今に続く「MN図の標準的な見方」となっています。

しかしながら「事実といえば、運動系のX軸と同時刻ラインは別ものであった」のです。

それは図3をみれば一目瞭然に分かる事です。(注4

 

さてでは「その様なミンコフスキーの解釈違いがどこで発生したのか」1908年の「空間と時間」: https://archive.md/ccEpc#selection-1147.3-1147.10 :ローレンツ変換:から見て行く事にしましょう。

(3)ローレンツ変換

次に我々はローレンツ変換

X’=(x-βu)/sqrt(1-β^2)

u’=(-βx+u)/sqrt(1-β^2)

がどのように図示されるか考えてみよう。

まず新しいx’軸はu’=0すなわち(-βx+u)=0から

βx=u で表され、

新しいu’軸はx’=0 すなわち(x-βu)=0から

x=βu で表される。

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ここでβはβ=v/C、uはu=ct、u’はu’=ct’ である。(変数変換しているだけ。あるいはC=1の単位系にしただけです。)

さてそれでここでミンコフスキーは「運動系のx軸はx’軸に変わる」とし「その軸は静止系座標上ではβx=u という直線で表せる」と宣言しています。

そうしてその条件は「u’=0である」としているのです。

つまり「運動系でアインシュタイン同期された時計の時刻表示がゼロになっている点を結んだ線がX’軸である」としているのです。

さてこのX軸に対する条件は静止系ではその通りなのですが運動系では「同時刻ラインとX軸は別もの」ですから「ここでのミンコフスキーのX’軸の指定は誤りである」となるのです。(注5

しかしながら何と言ってもMN図の考案者が運動系のX軸は同時刻ラインである」と言っているのですから「120年間に渡ってだれもその事には異議を唱えなかった」というのが事実の様です。

そうしてその誤解から

・時間の遅れはお互い様

・光の速度を超えた通信は情報を過去に運ぶ(情報伝達速度は光速が限界)

・未来はすでに決まっている(ブロック宇宙論)

という主張が生まれてきたのでした。

 

注1:ミンコフスキーはローレンツ変換式を検討する事でMN図を考案しました。

そのMN図がNT時間軸とBT時間軸の重ね書きと同じものである、というのは興味深いものであります。

しかしながら「BT時間軸を使う事でローレンツ変換と同じ結果が得られる」のであれば「当然の結果」と見る事も出来ます。

注2:「遅れるのだから時間軸も短縮するのでは?」と考えがちですが違います。

運動系の時間軸は伸びるのです。

それで静止系の時間軸と比較すると「遅れる事になる」のです。

注3:この図3を図1に重ねるのはコトバで書けば「X軸方向は0.8倍にY軸方向は1.25倍にすればよい」となりますが、実際は少々複雑ですので一応以下に数値例を示しておきます。

まずは前のページ図2から運動系X座標でX=5、運動系原点時刻t=3秒の点の位置を静止系の直交座標に移す事にします。

ちなみにこの点にある運動系の時計の時刻は0秒を指しています。

つまりこの点は運動系の0秒の同時刻ラインの上にあるのです。

さてそれで時間軸方向は1.25倍にするのですから運動系原点時刻3秒は静止系時刻に換算して

1.25*3=3.75秒

となります。

この3.75秒の間、運動系原点は右方向に0.6Cで運動しています。

さてそうであれば3.75秒の運動系原点の静止系X座標での位置は

0.6*3.75=2.25

となります。

さてもともとは注目している時計が置かれた点の位置は運動系X座標で5の位置にありました。

運動するものは静止系から見ると短縮してみえる、今の場合は0.8倍に短縮します。

したがって運動系では原点から右に5の位置にあったこの点は静止系では運動系原点から右に

5*0.8=4

の位置にあるのです。

さて運動系原点の位置は最初に示した様に静止系X座標で2.25の位置にあります。

そこに4を足した位置に「注目している点に置かれた時計はある」のです。

その位置は

4+2.25=6.25

です。

以上で図2の注目した点を右方向にずらしながら静止系座標に転写する事が出来ました。

その点の静止系座標でのX座標は6.25で時間軸座標は3.75秒です。

その点に置かれた運動系の時計は0秒を指しています。

さてそうであれば静止系上で運動系0秒の同時刻ラインは静止系原点座標とこの点を直線で結べばよいのです。

そうしてその直線の傾きは

傾き=3.75/6.25=0.6

です。

つまり「運動系の静止系に対する相対速度0.6C」となっているのです。

そうしてそれは「MN図に於いて同時刻ラインの傾きが運動系の静止系に対する相対速度になっている」というミンコフスキーの指摘と一致しているのです。

ちなみに図2においても同時刻ラインの傾きは0.6でした。

それを静止系座標に右方向にずらしながら転写しても0.6という同じ値になる、という事は「驚くべき事」であり、つまりは「ローレンツ変換がよくできている変換である」という事を示しています。 

 別解:通常は運動系座標から静止系座標への転写は逆ローレンツ変換を使います。

上記の場合ローレンツ変換は

X’=(x-vt)/sqrt(1-v^2)

t’=(-vx+t)/sqrt(1-v^2)

です。

ここでvにーvを代入すると逆ローレンツ変換になります。

もちろん記号「 ’  ダッシュ」は入れ替えます。

X=(x’+vt’)/sqrt(1-v^2)

t=(+vx’+t’)/sqrt(1-v^2)

運動系の注目している点の座標値はX’=5、t’=0、相対速度VはV=0.6でしたからそれを代入すると

X=(x‘+vt’)/sqrt(1-v^2)=(5)/0.8=6.25

t=(+vx’+t’)/sqrt(1-v^2)=(0.6*5)/0.8=3.75

はい、たしかに式に数字を入れれば上記と同じ答えが出てきます。

但しこのやり方では運動系のX軸上の時間軸がBT時間軸になっている事もローレンツの局所時間がそこに存在している事も隠されてしまって分からなくなるのです。

注4:そうであるにも関わらずアインシュタインを始めとしてローレンツやポアンカレまでも「この事を指摘しなかった模様」であります。

ま、もっともアインシュタインにしてみれば「ミンコフスキーのこの指定は正解である」と見えていた事でしょう。

しかしながらローレンツやポアンカレは「運動系の同時刻ラインについての解釈は違う」とは指摘しなかった様です。

その事を含めて「その時の時代の流れはアインシュタイン流の解釈に沿ったものになっていったのである」というのが歴史的な状況・事実と言えます。

注5:運動系のX軸上に並べられた時計がアインシュタイン同期するとそこにはローレンツの局所時間が現れるのです。

従って「運動系のX軸上に並べられた時計はその時にはX軸上のどの時計の時刻とも一致していない」のであれば「運動系のX軸が同時刻ラインではないこと」は「アインシュタイン同期とそれによって現れるローレンツの局所時間が保証している事」になります。

 

追記:さてそうなりますと「運動する事で運動系のX軸が時間軸方向に回転する(=持ち上がる)」という通説のMN図の理解の仕方は間違い、となります。

事実は「運動する事で時間軸方向に持ち上がるのはX軸ではなくて同時刻ラインだけ」でありました。

さて以上の内容と整合性が良い世界観は「静止系は客観的に存在する」であります。

そうしてMN図をその様に解釈し直すことで特殊相対論の計算はようやく正しく行えるようになるのです。

追記の2:ミンコフスキーによる「時間の遅れはお互い様」の説明の再確認(重要ですのでここでも繰り返しておきます。)

これは「再考・時間の遅れはお互い様」: https://archive.md/zDLQn :で一応話したのですが、そこではブロック宇宙論への接続をメインにしていましたので必要以上に分かりにくいものになっていました。

それでここまでの議論でミンコフスキーは「運動系に於いても同時刻であれば同時である」というアインシュタインの主張をそのまま引き継いでいた事を見てきました。

そうであればミンコフスキーが示した図37の解釈はそれほど難しくはなく「見た通りのものである」となります。

: https://archive.md/ccEpc#selection-2011.3-2011.8 :図37及びその説明文

 

図37に示されている対応関係は静止系Uから運動系U’を見た時のMN図です。

Uに対してU’は速度Vで右方向に運動しています。

でそのときに静止系Uの時刻D’に対して運動系U’の時刻はB’となっています。

そうして「運動するものは時間が遅れる」のであれば時刻の大きさは

D’>B’

と計算されます。

そうしてそれはX軸と平行にひかれた静止系の時刻がD’の同時刻ラインを使う事で実際に確認できるのでした。

その時に実際に比較している時計は一つはB’で示された運動系原点に置かれた時計で、もう一つは静止系の時刻D’の同時刻ライン上に在ってその時に運動系原点と重なっている時計です。

その「運動系原点と重なっている時計」は「静止系の時刻D’の同時刻ライン上にある」のであればその時計の表示時刻はD’となっているのです。

さて以上のロジックをそのままミンコフスキーは運動系と静止系の立場を入れ替えて使いました。

それで運動系から静止系を見た場合はミンコフスキーによれば「時刻Dと時刻Bを比較すればよい」となります。

その理由は「運動系に於いても同時刻であれば同時である」にあります。

そうであれば「運動系の時刻Dの同時刻ラインがY軸とクロスする点の静止系時刻Bを計算すればよい」となるのです。

そうして実際に時刻Dと時刻Bを計算するならば

D>B

となっているのです。

この時に比較しているのは一つは静止系原点に置かれた時計の時刻Dですが、それと比べているのは運動系時刻Bの同時刻ライン上に在る、そうして又その時にちょうどY軸上に在る運動系の時計です。

その「Y軸上に在る運動系の時計の時刻は確かにBになっている」のです。

さて「そうであれば」とミンコフスキーは言うのです。

「この2つの時計を比べればD>Bが確認できる」と。

 

さて以上は「運動系から静止系を見た時の時間の遅れの計算方法は静止系から運動系を見た時の計算方法と全く同じで良い」という主張、つまり「運動系や静止系というのは慣性系を名目上で区別するだけの呼び名であってその2つの慣性系は物理的に同等である」という「相対性原理の基本になっている主張」が元になっています。

しかしながら「運動系に於いては同時刻であっても同時ではない」となりますと図37でのミンコフスキーの説明は成立しなくなるのです。

つまり「Y軸上に在る運動系の時計の時刻は確かにBになっている」のですが「その時に同時に運動系原点の時計の時刻はBにはなってはいない」のです。

そうしてその事は「運動系や静止系というのは慣性系を名目上で区別するだけの呼び名であってその2つの慣性系は物理的に同等である」という「アインシュタイン流相対性原理の基本になっている主張が実際には成立していない事」を示しています。

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「相対論・ダークマターの事など 記事一覧」

「その2:ダークマター・相対論の事など 記事一覧」

https://archive.md/keZqd

 


ブログを引っ越し中です。

2025-09-01 05:59:11 | 日記

ブログを引っ越し中です。

引っ越し先は次のようになります。

・2025-01-01から1年間の記事一覧: https://karel1.hatenablog.com/archive/2025 :

このページは2025年分だけの表示ですが残りはページ右側の「月別アーカイブ」の「年指定」で確認できます。

・2025年8月25日~の記事: https://ameblo.jp/karel2/entrylist.html :<--こちらに記事一覧がありますのでそこでご確認の程をよろしく。

ちなみにこちらのブログは11月中旬に閉店の予定との事です。

閉店以降は上記アドレスにてこれまでと同様によろしくお願いします。

敬具

追伸:10月からは記事の投稿は基本的に: https://ameblo.jp/karel2/entrylist.html :に行う事になります。

 


その1・MN図で運動系に現れる同時刻ラインの正体

2025-08-29 05:20:24 | 日記

未来が決まっている宇宙論=ブロック宇宙論が出てくるのは「運動系の同時刻ラインを静止系と同様に同時である事を示すラインである」と解釈する所から始まっています。

そうであればこのページではその「運動系の同時刻ラインがどの様にしてMN図の上に現れてくるのか」を示す事にします。

そうしてそれを見るならば「運動系の同時刻ラインは『同時である事を示すラインではない』」という事が分かるのです。

しかしながら通説では「運動系の同時刻ラインも『同時である事を示すラインである』となっています。(注1

 

「何故その様な誤解が生じてきたのか」といいますればまずはアインシュタインが1905年の論文を書くときにもっていた暗黙の前提、それは「全ての慣性系に於いて同時刻であれば同時である」にあります。

日常生活に於いて「同時刻であれば同時である」は普通の感覚です。

そうであればアインシュタインはその感覚を基に「全ての慣性系に於いて同時刻であれば同時である」としたのです。(注2

 

次に登場したのがミンコフスキーです。

彼はMN図を考案してローレンツ変換を「目に見える様にしてしまった」のです。

この功績はとても大きなものであって、それによって我々はローレンツ変換を直感的に図形的に理解出来る様になりました。

しかしながらそこには思わぬ副作用があったのです。

それが「運動系においても同時刻ラインは『同時である事を示すラインである』」という認識を広めた事です。

静止系に於いては同時刻ラインは『同時である事を示すラインである』と言う認識は正しいのです。

あるいはそれは単に「静止系のx軸上にある全ての時計は常に同じ時刻を表示している」の言い変えにすぎません。

しかしながら運動系に於いては「同時刻ラインは『同時である事を示すラインである』と言う認識は間違っている」のです。

事実はそうなんですがMN図を考案したミンコフスキー自身もアインシュタインの「全ての慣性系に於いて同時刻であれば同時である」に同意していた為「運動系においても同時刻ラインは『同時である事を示すラインである』」としたのです。

さて歴史的な状況は以上の様に推移してきて、従ってミンコフスキーがMN図を公表した1908年以降現在に至るまで「運動系においても『同時刻ラインは同時である事を示すラインである』」となっているのです。

 

さてそれで前書きはそれくらいにしてさっそくMN図を見て行く事にしましょう。

MN図は出来合いの: https://archive.md/ND6P3 :を参照します。

このMN図は運動系の速度が0.58Cでのローレンツ変換を表しています。

さてそれで図では運動系は時間の経過とともに右上方向に移動します。

それは図では赤座標で示されています。

黒座標は静止系を示していてY軸が静止系原点に置かれた時計の時間経過を現しています。

他方で運動系の原点に置かれた時計の時間経過は ct' とかかれた右肩上がりの直線が示しています。

そうしてその直線は運動系原点に置かれた時計の時空図の中での軌跡を現しています。

この時もちろん運動系原点と静止系原点がすれ違う時点で両方の時計はゼロリセットされています。

 

さてそれで静止系原点に置かれた時計はMN図上ではY軸上方に移動する様に示されます。

他方で運動系原点に置かれた時計は ct'軸にそって右上方向に移動します。

そのようなときに静止系X軸上に並べられた時計の示す時刻がどのように変化していくのかを示すと図1の様になります。

ちなみにこの時のX座標値の単位は1Cです。

図1         ・                 
           ・                 
           4    4  4  4  4  4  4 ・ ・               
           3    3  3  3  3  3  3 ・ ・                 
           2    2  2  2  2  2  2 ・ ・                 
その位置に置かれた  1    1  1  1  1  1  1 ・ ・                  
時計が示す時刻t(sec) 0    0  0  0  0  0  0 ・ ・                 
          '---------------------------------------------------------------------      
X座標値 ーー>   0(原点)  1   2  3  4  5  6 ・ ・     

 

図ではX軸上に並べられた7つの時計の時刻の推移が原点に置かれた時計の時刻の推移を基準に順次上方に変化していく様子が示されています。

ちなみにもちろんこのX軸上に並べられた時計は全て原点にある時計と光を使ってアインシュタイン同期されています。

さてそうであれば見て分かります様に「X軸上のどの時計の時刻も常に原点に置かれた時計の時刻と同じ時刻を表示している」のです。

これは静止系でアインシュタイン同期を行った場合に得られる結果であって、つまりは「静止系に於いてはX軸と同時刻ラインは重なって存在している」のです。

そうしてこの状況をさして「X軸の時間軸はNT時間である」と表現してきました。

ミンコフスキー図: https://archive.md/ND6P3 :に戻ってみるならばこれは黒座標そのものである事が分かります。

 

さてそれで次は運動系である赤座標の話になります。

それでまずは上記静止系の場合と同様に運動系X軸上に並べられた時計の原点時計に対するアインシュタイン同期を行います。

そうして運動系原点と静止系原点がすれ違ったタイミングでそれぞれの原点にある時計を是りリセットするのでした。

その場合静止系では上記図1の様に各時計は次のようにリセットされます。

時計が示す時刻t(sec) 0    0  0  0  0  0  0 ・ ・                 
          '---------------------------------------------------------------------      
X座標値 ーー>   0(原点)  1   2  3  4  5  6 ・ ・     

 

それに対して運動系では原点に置かれた時計はゼロにリセットされるのですが原点以外に置かれた時計はローレンツの局所時間分だけずれてリセットされます。

時計が示す時刻t(sec) 0  -0.6 -1.2 -1.8 -2.4 ・ ・                
          '-------------------------------------------------------------------------                
X座標値 ーー>   0(原点) 1    2    3    4   ・ ・    

 

おっとその前にこの運動系は静止系に対して右方向に相対速度0.6Cで動いています。

そうであれば原点から右に距離Lだけ離れた場所にある時計のローレンツの局所時間のずれ量は

ー0.6*L

で決まります。

従って静止系原点とすれ違った運動系原点の時刻は0秒となるのですがそこから右方向に距離が離れるに従って時間は順次遅れる方向にリセットされます。

そうしてその様にリセットされた運動系X軸全体が静止系に対して右方向に0.6Cで運動していきます。

それをMN図で表しますと「運動系原点は ct' 軸にそって右上方向に移動となる」のです。

但しその時に注意すべきは「運動系X軸は静止系X軸と並行を保ったまま右上方向に移動となる」という所です。

 

さて話が少し進みすぎました。

運動系では原点時間の経過とともにX軸上に置かれたそれぞれの時計の示す時刻がどのように推移するかを図2で示します。

図2            ・                     
                ・                     
           5   4.4  3.8  3.2  2.6 ・ ・                     
           4   3.4  2.8  2.2  1.6 ・ ・                     
           3   2.4  1.8  1.2  0.6 ・ ・                     
           2   1.4  0.8  0.2 ー0.4 ・ ・                     
その位置に置かれた  1   0.4 -0.2 -0.8 -1.4 ・ ・                      
時計が示す時刻t(sec) 0  -0.6 -1.2 -1.8 -2.4 ・ ・                
          '-------------------------------------------------------------------------                
X座標値 ーー>   0(原点) 1    2    3    4   ・ ・        

 

図2ではまだ静止系に対する運動系の右上方向への移動は表しません。

それは次の図3で表すことになりますがまずは図2で同時刻ラインがどうなっているのかを観察します。

原点時間が1秒増えるごとにX軸上の各点に置かれた時計の示す時刻も1秒増えます。

しかしながら相変わらず原点とX軸上の各点に置かれた時計の示す時刻はローレンツの局所時間分だけずれたままです。

さてそれでこの状況で同時刻ラインを引くのです。

同時刻ラインは文字通り「同じ時刻になっている時計を線で結ぶ事」でMN図上に現れてきます。

そうして残念な事に図2のそのままでは「同じ時刻を示している時計が見当たらない」のです。

これはX軸上に置かれた時計の間隔が図2では広すぎる為であって、その間隔を小さくしていけば「同じ時刻になっている時計が実際に見つかる」のです。

とはいえたとえば「時刻が0秒の同時刻ライン」を見てみましょう。

原点では「時刻が0秒」です。

次に原点時刻1秒で0秒になっている時計の位置を探します。

それはX座標が1+2/3のあたりに在りそうです。

次に原点時刻2秒で0秒になっている時計の位置を探します。

それはX座標が3+1/3のあたりに在りそうです。

次に原点時刻3秒で0秒になっている時計の位置を探します。

それはX座標が5のあたりに在りそうです。

(図2ではスケールアウトしていますが、計算するとちょうどx=5の位置の時計が0秒になっています。)

・・・

つまり「原点時間が1秒増えるごとに0秒を示している時計の位置は右方向に1+2/3づつずれる」のです。

そうであれば原点時刻3秒では

3*(1+2/3)=5

となり0秒を示す時計の位置はX座標値5にある事になります。

さてこうして「運動系時刻0秒を示す同時刻ラインが見つかった」のですがそれは右肩上がりの直線でありました。

その直線の傾きは(1+2/3)でした。

さてそうであれば原点時刻で0秒以外の同時刻ラインの傾きも(1+2/3)と推測する事は妥当な判断です。(注3

 

同時刻ラインの定義は「同じ時刻になっている時計を結んだ線」です。

そうであればこれが「運動系に現れる同時刻ラインの正体」です。

そうして図2から分かります様に「確かに時計の時刻は同じ値になっている」のですが「それは同時には同じ値にはなってはいない」のです。

これが運動系での同時刻ラインの特徴です。

そうであれば静止系に於いては「X軸上の時計の時刻は同時に同じ値になる」のですが「運動系ではそうはならない」のです。

 

さてここのところをミンコフスキーもアインシュタインも見逃していました。

その為に「運動系に於いても静止系同様に『同時刻ラインは同時である事を示している』と誤解していた」のです。

そうしてその誤解はミンコフスキー以降ほぼ120年にわたってそのまま誤解し続けられました。

 

さてそうであれば: https://archive.md/ND6P3 :の赤座標のx’軸は「同時刻ライン」ではありますが「運動系のX軸ではない」のです。

運動系のX軸は相変わらず運動系原点から水平に右方向に伸びているのです。

つまりMN図の表現に於いては「運動系ではX軸と同時刻ラインは分離している」のです。

しかしながらMN図では運動系のX軸は明示されないのです。

それはミンコフスキーも「同時刻ラインが運動系のX軸を現している」と理解していたからです。(注4

これが誤解のおおもとであり、ローレンツの局所時間とMN図の表現方法がもっている「知られていなかった秘密」となります。

 

・まとめ

同時刻ラインについてのルールあるいは定理

・ひとつのMN図の中では同時である事を示す同時刻ラインは一つしか存在できない。

そうやって決められた同時刻ラインを水平に取るのが「標準的なMN図の作法」である。

 

さてそのようなルールに従うならば

・時間の遅れは一方的

・光速を超える通信があっても情報は過去には戻らない

つまり

・光速を超える通信があっても因果律違反は起きない(注5

となり、そうして

・この宇宙はブロック宇宙ではなく、ただ今現在のみが存在している

となるのです。

そうしてそれは結局は

・静止系は客観的な存在である

という事につながるのです。

 

注1:たとえばエンサイクロペディア「ミンコフスキー図」: https://archive.md/A5fjS :の「3. 特殊相対論におけるミンコフスキー図」によれば

『・・・1905年、アルバート・アインシュタインはニュートン力学の記述が誤りであることを発見し[5]、ヘルマン・ミンコフスキーは1908年にそのグラフ表現を提示しました[6]。空間と時間には、観測者が移動する場合には座標変換の規則が異なる性質があります。特に、一方の観測者の観点からは同時に起こると推定される出来事が、もう一方の観測者にとっては異なる時間に起こります。

ミンコフスキー図において、この同時性の相対性は、移動する観測者にとって別個のx′軸の導入に対応しています。上記の規則に従い、各観測者は自身のx軸またはx′軸に平行な線上のすべての出来事を同時であると解釈します。観測者の観点から見た出来事の順序は、図の中でこの線を下から上へ移動させることによってグラフで表すことができます。・・・』

となります。

注2:1905年の論文を見る限り「その様に理解できます」。

そうしてさらに言うならば「その様な普通の感覚を基に特殊相対論を提示できた」という事は「驚くべき事」と言えます。

注3:通常のXYグラフ表示ではこの値の逆数が「傾きの値」となります。

つまりは(1+2/3)の逆数である3/5=0.6が普通は「傾きと呼ばれる値」となります。

しかしながらここでは図2からの同時刻ラインの読み取りを優先して説明していますので(1+2/3)を「傾き」と呼んでいます。

ちなみに0.6と言う値は運動系のもつ相対速度の0.6Cの事になっています。

注4:この辺りの事はページを改めて示す事になります。

注5:エンタングルメントの説明を「光速を超える通信が起きているモデル」で説明しても「特殊相対論はクレームをつける事はない」のです。

つまり「特殊相対論は光速を超える通信を禁止してはいない」のです。

ただしそれは「タキオン通信は可能である」と主張するものでもありません。

つまり「その事によってタキオンは存在する」という主張にはならないのです。

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「相対論・ダークマターの事など 記事一覧」

「その2:ダークマター・相対論の事など 記事一覧」

https://archive.md/Y1Ld3