4、さてそれで、通説にしろアインシュタインにしろ、ドップラー効果の式を導出する前提では「光源と観測者のいずれかを動かし、他方を静止させておく」となっています。
つまりは「式の導出の前提条件は2つの異なる場合がある」としているのです。
そうしてまた不可解な事にその2つの場合に対応してそれぞれが異なる形の式が導出されるのです。(通説の式とアインシュタインの式の事を言っています。)(注1)
それでこれは相対性原理から言えば「これはまことにおかしな状況である」と言えます。
なぜならば「光源が動いて観測者が静止している場合」と「光源が静止していて観測者が動いている場合」と言うのは従来のアインシュタイン流の特殊相対論の立場から言えば「同じ一つの物理的な状態=光源と観測者の相対速度がVである」と言えるからです。
その状況に対して観測者は『自分こそが静止系である』と主張できるし、また同様にして光源の横に立つ観測者は『光源こそが静止系である』と主張できる、それは「観測者の立つ慣性系と光源の置かれた慣性系は平等であり、どちらかが他方に対して優先するという事はない」と言うものが相対性原理の主張だからです。(注2)
しかしながら実際は「観測者が『自分こそが静止系である』」と主張した場合の式(通説の式)と『光源こそが静止系である』と主張した場合の式(アインシュタインの式)は異なる形をしており、それゆえに横ドップラーシフトを計算すると異なる値が出てきます。
通説の式では横ドップラーシフトは赤方偏移を示すのに対してアインシュタインの式では青方偏移を示すのです。
さてこれは相対性原理の主張からみると「致命的におかしな事」です。(追記の1)
従って通説では今までの横ドップラー効果の実験結果に合わせる形で「赤方偏移する式」を「一般式として採用している」のです。(注3)
そうしてこれは後述する事になるのですが、「実験的には実はどちらも正しい式」なのです。
つまりは横ドップラーシフトでは「光源を動かせば赤方偏移が観測され、観測者を動かせば青方偏移が観測される」のです。
さてそうなりますと「実は相対性原理そのものの成立が怪しい」という事になります。
横ドップラーシフトの実験結果はそのように主張しているのです。(注4)
さてそれで「いいや、そんなことはない」、「相対性原理は確かに成立している」といわれるのであれば、「相対速度Vのみを使って(1)式を導出して見せて下さい」という事になります。(注5)
それはつまり「光源と観測者の両方が動いている」「但しその2者のあいだの相対速度はVである」という前提条件で「相対速度Vのみで記述されたドップラーシフトの一般式を導出せよ」という事になります。
注1:「前提条件が違うのだから、出てくる式が違うのは当たり前」という見方もありますが、さてそれは「相対性原理」に反する見方の様に当方には思えるのです。
注2:「相対性原理」を「観測者の立つ慣性系と光源の置かれた慣性系は平等であり、どちらかが他方に対して優先するという事はない」と主張しているととらえた場合はそうなります。
しかしながらアインシュタインの言い方は「どの慣性系でも同じように物理法則は成立している」です。
したがって「アインシュタインの主張の解釈、あるいは理解の仕方」という事で言うならば「上記の認識の仕方は少し違っている」とも言えそうです。
まあしかしながら一般的には「相対性原理によれば観測者の立つ慣性系と光源の置かれた慣性系は平等であり、どちらかが他方に対して優先するという事はない」と認識されているのも事実であります。
注3:日本語版ういき「ドップラー効果」: https://archive.md/MNLxG :の「光のドップラー効果」で示されている式は、以上のことより「ドップラー効果の一般式ではない」という事になります。
そうしてそのような「一般式ではない式」をあたかも「これが光のドップラー効果の一般式である」かの様に表示しているういきのやり方は本当に困ったものです。
ちなみに通説の式では「光源と観測者の両方が動いている場合」については計算する事ができないのです。
そうであればその事もまた「通説の式は一般式ではない」という事を示しています。
注4:このことはもっとはっきり言うならば「静止系は客観的な存在である」という事を示しており、それは同時に「相対性原理は破れている」という事になるのです。
さてこれはとんでもない事です。
何故ならば「相対性原理」=「全ての慣性系は同等である」は特殊相対論を導出するのにつかわれた前提条件の一つであるからです。
そうであればこそ多くの方々が『横ドップラーシフトでは赤方偏移する』にこだわっていて、「横ドップラーシフトでは青方偏移する場合がある」を認めようとはしないのです。
したがって「そのとばっちりを受けたアインシュタインの式」はなんだかんだと理屈をこねられて通説の示す式にむりやり統合されている、というのが現状です。
しかし本来であればそんな事をする必要は全く無くて、「素直にアインシュタインの式をそのまま認めればよい」のです。
注5:以前のページで示した(1)式はこうなっています。
f1=f0*(1-Vr*cos(Θ1))/(1-Vs*cos(Θ2))*sqrt(1-Vs^2)/sqrt(1-Vr^2) ・・・(1)式
ここでVrは静止系に対する観測者の相対速度(=固有速度)、Vsは静止系に対する光源の相対速度(=固有速度)を示します。
但しVr、Vsの方向はお互いが近づく方向をプラスに取ります。
f1は観測される周波数、f0は光源の周波数です。
角度についてはこれまでと同様の取り方になります。
Θ1=π、Θ2=0がお互いが近づく方向、Θ1=0、Θ2=πがお互いが離れる方向です。
但しこの時 Θ2=abs(Θ1-π) の関係が成立しています。それで
(1-Vr*cos(Θ1))/(1-Vs*cos(Θ2)) の項が古典的なドップラー効果を表す部分で
sqrt(1-Vs^2)/sqrt(1-Vr^2) の項が相対論的な効果(=時間遅れの効果)を表します。
追記の1:ここで話している内容は「時間の遅れはお互い様」論争と一見同じ様にみえます。
しかしながら「時間の遅れ」論争では「現れている式は一つ」なのです。
そうしてその式の使い方についての論争でした。
それは結局の所「2つの慣性系がすれ違う時に、どちらの慣性系を静止系に取るのか」という話になります。
そうして「時間の遅れはお互い様」論者は「いずれの慣性系も『自分こそが静止系である』としてよい」、つまりは「常に相手の時間が遅れている様に観測できる」と主張したのです。
たとえばランダウ・リフシッツはそのように主張しました。
しかしながらその主張は「LLの一般解の導出」によって否定されました。
あるいは「時計Bの主張によって論破された」といっても良いでしょう。
2つ+1つの時計を使った時間遅れの測定結果からでは「どちらの慣性系が静止系であるか」が決定できないのです。
つまりは「得られた一組の時計の観測されたデータセットからは、どちらの慣性系の時間が遅れていたのか分からない」のです。
それに対して横ドップラーシフトでは「観測されたデータは一つ」であってそれは「赤方偏移している」のか「青方偏移している」のか、いずれかの値しかとりえません。
そうしてそうやって得られた横ドップラーシフトの観測結果を解釈する方法は1つだけになります。
それはつまり「アインシュタインの式が成立している」のか「通説の、ういきの式が成立しているのか」、「そのどちらかの状況がそこに在った」という事です。
そうであれば「ここでは時計Bのクレームは効かない」: https://archive.md/9WKOy :のです。
いつもの相対性原理に基づいた「動いているのはお前の方だ」という主張が通用しません。
こうして「横ドップラーシフトの観測結果によってどちらの慣性系が静止系であるのかを決める事が出来る」という次第であります。