J Simplicity氏の「Chapter3 特殊相対性理論の世界」の「3.2 時間の遅れ」に「光時計を使った、運動するものは時間が遅れる」の説明があります。: https://archive.md/lEJJC :
この光時計を使った時間遅れの説明にはローレンツ変換は出てきません。
そう言う意味では「ローレンツ変換を使わない、もう一つの時間遅れの説明方法」という事になります。
さて「光時計」というのは「光時計のなかを走る光の位置によって経過時間を知ることが出来る時計」です。
「Figure3.5: 時間の遅れ1」にその概要が図示されています。
(a)が静止している時の光時計。
光は下から上に行って、上の鏡で反射され下に戻ります。
長さが片道3秒*Cなので行って帰って6秒かかります。
従ってこの時計で6秒という時間経過が計れます。
つまり「光が光源から出て戻ってきたら6秒経過」となります。
(b)がその光時計が速度0.8Cで右に移動しているのを横から見た絵です。
そうすると今度は光が進むべき道の長さ(光路長)が伸びます。
図の説明によれば光は「行って戻って来るまでに10秒必要」となっています。
但しこの10秒は「静止系の時計で計った時間では」という前提条件がつきます。
さてそうであれば「静止している観測者からこの光時計を見た場合、手元の光時計で6秒経過した時には移動している光時計では6秒*6/10=3.6秒経過という事になります。
なるほど、そうなんだ。
そこの説明にある通り、光速はどの観測者から見てもいつもCだから、この説明を読むならば「動いている光時計の時間は遅れるんだ」と納得してしまいます。
さてそれで、疑問なのは静止している観測者が6秒経過した時に0.8Cで右に移動している光時計の中の光の位置を確認して「移動中の光時計では時間は3.6秒経過だと観測する」とJ Simplicity氏は言います。
さてその時に移動中の光時計の横に立っていて、光時計と一緒に移動しているもう一人の観測者はどのように観測するのか、という質問が出てきます。
そのもう一人の移動中の観測者は自分の横の光時計をみて「3.6秒経過した」と認識します。
そうしてその時同時に静止系にある光時計の中の光の位置を見て「静止系にある光時計は6秒経過した」と認識します。
さてそれで、J Simplicity氏の説明に従って以上をまとめますと
・右側に0.8Cで移動している光時計が静止系にある光時計が6秒経過した時に3.6秒経過した事を静止系の観測者は観測する。
・静止系にある光時計が右側に0.8Cで移動している光時計が3.6秒経過した時に、6秒経過した事を右側に0.8Cで移動している観測者は観測する。
という様になります。
それで上記のまとめは常識的なものであり、どこにも矛盾がありません。
一方が「お前の時間は遅れていた」と観測するならばその当の相手は「そうではない、お前の時間が進んでいたのだ」と観測する事になるのです。
それはつまり「光時計を用いた時間の遅れ測定」では「時間の遅れはお互い様ではない」という事を実験に立ち会った観測者は確認する事になります。
そう言う訳で以上の内容では『光時計は「時間の遅れはお互い様」を支持しない』という事になるのですが?
そのあたり、是非とも「ローレンツ変換を使わなくても光時計で時間の遅れが説明できる」と主張されているJ Simplicity氏のご意見を伺いたい所であります。(注1)
注1:J Simplicity氏の記事では「光時計を使う事で移動している時計の時間の遅れが発生する事」を説明した後で次にローレンツ変換、逆変換を使って「時間の遅れはお互い様である」という主張を展開されています。
さてそうなりますとそれに先立って説明された「光時計による時間の遅れ確認実験の説明」とそれに続いての「時間の遅れはお互い様である」という説明は矛盾している事になります。