覚書

イラストレーター進士遙のブログです。
随時更新。お仕事も随時ウエルカム。

やっぱり丸に点々がすきなんだ。

2006-05-20 07:40:12 | 作品・学校
「だいぶ良くなったけど、子供に見えない。もっと目大きく、ETC」
と、今日絵本の絵を持ってったら、言われた。
で、今またいろいろ描き直してるところ。

話は少し飛ぶけれど、
絵本の絵で、好きだなあと思うのはほんっとに少ない。
本屋に行って、見てくると、(自分のことは100%棚に上げて)
きったねぇ絵だなあとか思うもののほうがずっと多い。
本当に良質な絵本が少ない(もとい、市場に出てる良質の絵本)
のも事実だけど、こういうもんなのかな、絵本って、ともおもう。

だったらやりたくねぇよ。

ああやって、目おっきくかいて、ああすれば、すんなり
いいんじゃない、とか言われるのも、なんとなーくわかってる。

が、、、

い、
い、
いやなんだぁあああ!!


もちろんほんとに良い絵本は本当にいいのも分かってるし、
絵本が「こんなもんなのかな」なわけないのも分かってる。

でもさー、
でもさー。。。

あんまりうちの講師と趣味が合わないのもあるかも。
でも話すたびに思うのが(当たり前だけど)あんまり意思疎通、
もとい感覚疎通がきてないなあ。と思う。言葉の面を抜かしても。
だから、言われたとき反発、っていうか、
くすぶってんのかなぁ。
それとも絵本作ること自体にくすぶってんのかなぁ。

つまり、自分が描く絵じゃないものを描かなきゃいけないって
感じてしまう。丸に点々がスキだったら、
その絵と絵本の交点だってあるはずなのも分かってる。
でもさ、目の前に、こういう書き方をすれば大丈夫ですよ、
無難ですよ、見たいなものがあると、あああああ
いらいらする!
そしてそれが絵本ですよ、絵本て、こういうものですよ、
って言われてるような気がしてくるんだ。

それに丸に点々がすき、っていってて、
それが自分の逃げになってる可能性だってあるわけだし。

あと、イラストレーションはコミュニケーションアートだから、
相手にちゃんと伝わるように描かなきゃいけない。
相手のことを考えて、一番いい方法をとらなきゃいけない。
そこが、悪く言えば妥協になるんだけど、
いかに自分を出しつつ、相手に伝えるか、ってところが
腕の見せ所となる。

つまり、この場合一番いいのは、丸に点々を保ったまま(例えばね)、
よい絵本を作るか。

っていうか、そこまでするとなんで私は絵本作ってんだよ、っとかおもうんだ。

素直にアーティストブックを作ってりゃあいいじゃんか、ねぇ?

まあ、だから絵本って難しいんだろうけど、
だから良いものは本当に良いんだろうけど、
そこまでして絵本にとどまる理由が私には今ない。
昔から絵本作家になりたくって、絵本大好き、っていってる子も
居るけど、そんなことは思ったこと無い。
絵本に詳しいか、って言ったらぜーんぜん。

だから余計いらいらするんだろうな。
でもあえてアーティストブックを作らないワタシはなんだ。
多分、イラストレーションにいるから、コミュニケートしなきゃ、
ってことが頭のどっかにあるのか?
定義としてコミュニケーションできるもの>出来ないもの
ってのはある。でもそれをアーティストブックなり、なんなり、
別の方法でもできるんだろうけど、
多分絵本は一番コミュニケーションを必要とする媒体だから
あえてチャレンジしたとか?一番の腕の見せ所?チャレンジャーだな、私。
でも、またどこかでアートっぽいもの(へんな言い方)>絵本
みたいのもあったり。
だからなんでこんな絵かいてんだよ、こんちきしょう、って感じるのか?
でも実際私の絵って結局漫画みたいだしな。

作品作ってて、壁にぶち当たったり、詰まったりすることは
あるけどさ、
絵本は結構腹立つ感じ。


とりとめないけど、
でも、

コレは結構問題だ。