花咲あさひ の 心神とともに。古神道と和の仕組の復活への道

感謝・反省・謙虚・奉仕・素直・勇気・結び・歓び・怒りあと1つの心柱は?
観世音菩薩は裸足で山を飛び出して行きました。

知って下さい天河神社。行って見ようよ天川村へ。7

2018年04月15日 07時30分01秒 | 祭祀と和の国

こんにちは。

今日は,神社側(宮司や神職)が護持を司る主体となってはいけない理由を少し書かせて戴きます。祭祀の祭と祀を意識して読んで頂ければと思います。祭祀とは極端な言い方をすれば,この世とあの世と云う大きな意味でも捉えることが出来ます。目に見えるもの(対象)と目には見えないもの(対象)で祭祀であります。神社の護持は祭祀の「祭」の方に属します。つまり,氏子さんや全国の崇敬者さんは祭を司る側にいる事になるのです。したがいまして,昨日も少し書かせて戴いたとおり神社側は祭祀の「祀」の側ですからそもそも役割が違うのであります。ただ,祭祀ともにその中心に居られる御方が居られます。それが天皇陛下であります。

祭祀の頂点ではなく,祭祀の中心です。ピラミッド型は西洋。日本は円。つまり,和型です。

日本の国を表現するのに和の国と云う言い方をしたり,日本製の物を和物と呼ぶのは,ここれから来ています。

昨日の「その6」では,人の護持について考えて見ました。神社と云うのは,不特定多数の人々が集う場所でもあります。その人と人との繋がりを大事にする場でもあります。そこに集う人々が互いに助け合って,支え合って行く姿を神さまに奉納することも大切なことであります。たくさんの金員や豪華な物品を奉納するだけが奉納ではありません。天河神社も同じですが,神社にはさまざまな人々が訪れます。純粋に感謝だけを神さまへ奉げる人もいれば,金員と引き換えに自分や家族の健康を願いに来る人。自分だけの願いを叶えて貰おうと祈願をしに来る人。本当にさまざまな不特定の人々が参拝に来られます。中には流行りのスピや霊能云々の御一行で来ることもあります。その中でも,自分の死に場所を求めてさまよいながら来る人もいるのです。神社の宮司さんや神職さんは,こう云った人にこそ神さまの祈りを伝える役目を本来,担っています。これも大切な祭祀の1つであると私は考えます。

祭祀と云うのは,見えない対象に祈りを奉げることだけではありません。目に見える対象にも祈る(奉仕や慈悲)ことが出来てはじめて祭・祀になるのであります。祭と祀で祭祀ですから,目に見えるものと目には見えない両方を祈りの対象とするのが本来のわたし達が暮らす日本の本当の神道であります。つまり,陰と陽の両方を知ることが大切なのです。そんな訳で,昨日の記事は「目に見える対象」でもある人の護持について書かせて戴きました。※人の護持とは「ボランティア」ではありません。奉仕と慈悲です。

これをゴッチャにして混同してしまうとあとで趣旨と違うと云うことになってしまいます。つまりどう云ったことかと申しますと単なるお金儲けになってしまうのです。収益勘定・損得感情で行動するようになり神社運営の趣旨が根本から変わってしまいます。たとえば,お守りなどの授与品を安く仕入れて高く売ることに主眼を置くような行為は商行為であります。神社で商行為がいけないのか?と言われてしまうと思いますが,そうではなくて,商行為は「祀」の役割ではなく,護持「祭」の役割に相当するのです。

祭祀の「祀」に相当する神社側は「決裁」することだけで良いのであります。神社運営と神道に照らし趣旨に反しなければ「可」趣旨に反するようであれば「否」とすれば良い訳です。つまり,神社に求められるものは権力ではなく「権威」です。そして,神さまへご報告申し上げる。これが出来るのは,神さまに最も近くで仕える祭(氏子崇敬者)と祀(神職や巫女)の中心でもある宮司さんだけです。神社側が「権力」を手にするとどうなるのか?先般の東京深川で起きた悲惨な事件を想い出せば明らかであります。

単なる姉と弟の喧嘩ではありません。分を弁えず,役割を忘れ,神職が神社を私物化した末路です。

それと,天河神社では具体的に神社で執り行う祭祀に追加するべき行事があります。それは祖霊祭祀です。現在の天河神社でも旧暦の7月7日に七夕神事と云う祭祀の中で先祖の御霊を供養するものがありますが,解かり易く云うと,お寺で現在している先祖供養や追善供養を天河大弁財天社でも執り行えるようにするのです。本来,祖霊祭祀は仏教の役割ではありませんでした。神道の大切な祭祀であったのです。その証拠に,縄文時代の遺跡からも祖霊祭祀の遺跡が発掘されております。追善供養も既に確立されてもいました。つまり,神道の祖霊祭祀の復活です。一般の参拝者であってもいつでも祖霊祭祀が神社で供養を出来るようにするのです。

私の知る限り,祖霊祭祀を神社で積極的に取り入れている神社は同じ奈良県の春日大社くらいであります。天河神社のような神社は特に祖霊祭祀が大切です。なぜならば,何万年も前から先人「祖霊」たちが祈りを奉げ,数千年も前から神社を支えて来て下さったのですからその御霊に感謝申し上げる祀事はなくてはならないと考えるからです。これも先日の総代会の組織改革同様に神社の運営趣旨に反するものでもありません。天河神社でやれることはまだまだあります。天河神社の中に和の仕組みをつくり上げて行くのです。現代のピラミッド化した宗教団体は,日本の本来の信仰ではありません。私たちはそのことに気が付かなくてはなりません。

今日は,祭と祀の役割と神社で祖霊祭祀が出来る環境をつくることを書かせて戴きました。

明日で,天川村と天河神社の記事は終わりにしたいと思います。拝

 

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

観世音菩薩とともに。花咲あさひ 拝


知って下さい天河神社。行って見ようよ天川村へ。6

2018年04月14日 06時34分14秒 | 祭祀と和の国

こんにちは。

今週一週間は,天川村と天河神社について書かせて戴いて来ました。今日は「その6」になります。昨日の「その5」の記事では,神社の護持には3つの柱「役割」があって,その役割ごとに護持を進めて行くことだと申し上げました。又,どれか一つに偏るような護持をするのではなく,意識的にバランスを整え中道を心得ながら行うことがとても大切なことだと云うことも書かせて戴きました。ちなみに,3つの柱とは①「神社本体の運営」②「神社の祭祀施設」③「氏子崇敬者に一般の参拝者」の3つをまとめた総称として護持であります。その護持でもっとも大事なのが③になります。その③「氏子崇敬者に一般の参拝者」の護持に焦点を絞って今日は書かせて戴きたいと思います。この人の護持が神社であってもお寺であってもこれからとても重要になって来ます。

天河神社の護持政策の一環として,さらに,氏子総代会や崇敬会に所属する人々の日常生活をより過ごし易くするために,氏子さんや崇敬者さんの日常に万が一のことが起きることを事前に想定して法律の専門家などの専門職と提携しておきます。たとえば,無償法律相談のようなカタチを予め予定し弁護士と提携しておくのです。そして,はじめは不定期でも付近の自治会館などの施設を借りるか,天河神社の客殿などで無料法律相談会を実施します。税務や社会福祉についても扱います。神職さんにおいても地元の氏子さん並びに全国の崇敬者さんの日々の平穏な暮らしとより豊かな生活であることを日々,神さまへ祈られて居られると思います。

ですから,神社運営の趣旨に何ら反することでは無いと私は考えます。そこまでするのか?なんで神社で?と思われるとも想いますが,これが後にとても有効的に力を発揮して行くことになります。想像してみて下さい。自分の先祖が眠るお寺で無償法律相談などが出来ることを。昔の寺子屋構想に近いかも知れませんね。あと出来ればですが,一般社団法人を設立すると良いですね。たとえば,一般社団法人天河神社護持会などの名称です。この一般社団法人は天川村と天河神社の護持だけを目的として設立します。

役員の構成は,地元の氏子さんと全国の崇敬者さんの中から参加者を募り,現在の総代会と天河神社の責任役員会議で決議して行きます。又,一般社団法人としての強みを発揮し,天川村で暮らす村民の生活面でも役に立てられるような計画も立案して行きます。たとえばそうですね,買い物弱者や災害弱者などの立案なんかはどうでしょうか?情報の収集・分析・発信を天川村と情報を共有するのであります。そして,数年後には公益社団法人の承認を得れば良いと考えます。ちょっと大きな話になってしまいましたが。

現在の総代会や世話人会は,先日も書かせて戴いた通り,法律上の権利義務の主体性が御座いません。但し,この一般社団法人についての話しは,もっと深くやる必要があります。法律上の法人設立に関する要件も関係して来ますし,宗教法人との繋がりや関連性なども関係して来ますので。つまり,宗教法人が一般社団法人や一般財団法人を傘下に置くことが法律上,認められるのかどうかを分析しなければなりません。総代会は宗教法人の組織の中に存在しますが,社団法人となると宗教法人とは分離となるでしょう。

参考とするならば,おそらく神社界では,京都の伏見稲荷大社の講務本庁くらいではないかと思います。

ただ,ここで注意しなければならないことが御座います。

それは,神社の祭祀者である宮司さんをはじめ神職さんが実施するものではなく,あくまでも総代会と云う合議体で神社護持の為に決議された事実に基づいて,氏子総代さんや全国の崇敬者さんが自ら自発的に行動することに大きな意味があるのです。つまり,神社であってもお寺であっても護持の主体性と云うのは氏子さんや崇敬者さん,檀家さんに在るのであります。したがいまして,わたしの拙い経験則から言わせて戴ければ,宮司さんや住職さんが直接,護持を司り,陣頭指揮を執るようなところは,ほとんどの確率で失敗に終わっています。その理由は,とても簡単なことで,そもそも神社と総代会では務めるべき役割が違うからであります。

氏子さんや崇敬者さんと共に天河神社を守って行くと云う決意が何よりも大事なことであります。

続きは,また明日。拝

 

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知って下さい天河神社。行って見ようよ天川村へ。5

2018年04月13日 05時52分05秒 | 祭祀と和の国

こんにちは。上の画像は,フリー画像です。ネット上からお借りしました。

天川村と天河大弁財天社の記事を書かせて戴いて,今日で「その5」になります。

天川は,世界に誇れる水の聖地です。そのことは後で解かりますが,否定する専門家はいらっしゃらないことだと思います。その水の聖地によくあることが夜空になっても天空が光り輝いていることです。空は,地の映し鏡であると感じています。昼間の空が青いのは,海の水が空に反射しているからです。天川村だけに限った事ではありませんが,空気が澄んでいると夜間になっても夜空が光り輝く星々がハッキリとよく観えると思います。そのハッキリと見える星々の光が特に強い場所が水の聖地の特徴でもあるのです。

天川村も星を観測する場所でも有名であります。御存知の方も多いと思います。

わたしの勝手な解釈ですが,太古の人々は,夜空に光り輝く星々で水の聖地「場所」を探し出していたのではないかと想像しています。つまり,星の輝きが特に強い場所には,湧水があって,その周囲に木々を植えて鎮守の森とし大切にお祀りをしていたのだと思うのです。これが水信仰の発祥ではないでしょうか?さらに,時代を経て弁財天信仰へとなって行ったのではと考えております。

ほぼ水の聖地には弁財天を祀ります。琵琶湖や江ノ島など。

昨日の記事「その4」では,神社の護持の内,建築物に纏わることについて若干書かせて戴きました。そもそも神社やお寺の護持と云うものには3つの役割「柱」があるのです。先ず1つ目の護持は「運営」2つ目の護持は「建築物」そして,最後の3つ目の護持が「人」です。このうち,もっとも大切なものは何かなのです。わたしは,この3つの役割「柱」の内,もっとも大切なものは「人の護持」であるとずっと考えながら護持の仕事を務めさせて戴いて参りました。昨日の記事でも書かせて戴いたとおり,神社護持の根本は,祭祀と神社をお守りすることであります。これは人にしか出来ることではありません。神社の運営よりも神社の建築物よりも,何と言ってもそこに集う人々が何よりも大事であり大切なのであります。その為に態々,和の仕組みを作り上げる訳です。

ちなみに,先般の東京深川の神社で起きた悲惨な事件は,護持が機能していない何よりの証拠です。

護持を総代会などで議論すると結構,奥の深い面白い議論が出来るのです。なぜならば,そこにすべてが集約されて行くからであります。すべての学問の行き着く先に在るものは「生命」であるのと同時に,神社であってもお寺であっても護持もまた最終的には「人」に行き着きます。どこかの神社や寺院に縁があり,機会があれば総代会などで問題提起をされて見ると良く実感が伴い、凄い勉強になると思います。ただ,いきなり護持と言っても「えっ?」ってなりますから,氏子さんであれば神社の護持について考えたいと宮司さんへ話すと良いと思います。宮司さんや神職さんも護持と聞くと喜んで話をよく聴いてくれるかも知れません(笑)。

世界でもっとも永く続く伝統や文化があるとすれば,それは祭祀に纏わる護持でしょう。

神社や寺院の護持を考える上の基礎基本が3つ「3本柱」の護持でありますから,神社の護持を考えて行く場合,この3つのバランスを意識しながら行動して行くことになります。つまり,どれかに偏った考え方ではなく中道です。そもそも良いとか悪いとか言うことは,人がそれぞれの価値判断で決めつけてしまうことでもあります。その国やその地域と云った言葉があるように風習や慣行でもあります。そう云った善と悪ではなくて中道です。そのことを意識することが護持をして行く上でとても大切なことなのです。

天河大弁財天社の総代会でも護持とはなんだろう?と云う素朴な疑問や問いかけを氏子さんや崇敬者さんと一緒に考えることは大事なことでもあります。そのことで,何か新しいことやこれまで気が付かなかったことに気が付いたり,思い付いたり,また閃いたりするかも知れません。ただ,護持を司る人は表に出ることはなく,神社や寺院のお努めの中でも裏方中の裏方と云われていますから地味なのが苦手な人は無理かも知れませんね(笑)。たとえ,護持を司る人が考え思いつき,起案して総代会や責任役員会で可決されて実施されて行っても,護持人の名前は限られた人にしか解りません。神社であれば宮司さんと総代さんの数名であります。

お寺であれば,住職さんだけの場合も結構あるのです。

まして,一般の参拝者には解かることはないのであります。お祭り事にも参加しませんし,イベントにも参加はしません。お祭りやイベントなどの人々に紛れて清掃隊として居ることはありますが,段取(準備)が終われば,次の段取りに取り掛かります。段取だけで5年・10年は当たり前ですから。そこが一般の企業社会との違いでもあります。護持人は裏方に徹する。これが丁度,良いと思います。表の御用と裏の御用で「和」です。陰と陽の関係でもあります。企業社会では段取屋さんとでも言うのでしょうかね。

今日は,神社の護持を少しだけ深く書かせて戴きました。

続きは,また明日。天河神社の具体的な護持政策を考察して見たいと思います。拝


 

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神社をお守り申し上げると云うことは,わたしたち自身を守ることに繋がります。

いにしえより水の神に守られし天川村。水の神への感謝の地と定められし天河神社。


知って下さい天河神社。行って見ようよ天川村へ。4

2018年04月12日 07時00分40秒 | 祭祀と和の国

こんにちは。今日も素晴らしい天空の地に御鎮座されている天河大弁財天社「通称:天河神社」の記事4で御座います。

昨日の記事では,神社を運営するにあたり最もお金がかかるものは建物即ち,建築物に在ると申し上げました。お金がかかると言っても中途半端な金額ではなく,半端ではない金額です(笑)。瓦葺きとかになりますと耐用年数も40年と短い上に瓦を葺き替えるだけで軽く豪華な新築の一般住宅が建つくらいの金額になります。つまり,数千万円です。そんなアホなと思われるでしょうが,これが現実です。近年は,自然災害の影響や資金難からもっと耐震性や耐久性がある銅板葺の屋根にすることが多くなっています。

昨日の記事の文末で,書かせて戴いたとおり建築に必要となる資金を何年も前から計画的に積み立てることを神社にしてもお寺にしても行って行きますが,ただ,もう1つ恐れる事象があるのであります。わたし達のような護持をする人たちにとってもっとも畏れるものであります。すでにピンと来られた方は天河大弁財天社から音霊「波動」が届いているのかも知れませんね(笑)。

それでは,以下より昨日の記事の続きになります。

さらに,自然災害などで被災した場合どうでしょう?突発的に建物の修復に必要となる資金が必要になります。そんなのは,建物の保険があるじゃないかと一般の我々は思ってしまいますが,それが,保険会社は,損害保険業界の統一したルールに基づいた保険金の支払いしか出来ません。それは,大まかに3つの分類で支払われて行きます。自然災害で被災した建物の状態が一部損壊の場合・半壊の場合・全壊の場合の3つです。しかし,日本ならではの建築物と云うのは柱と梁の組み合わせで成り立っておりますので,一部損壊のような場合,見た目はちゃんと建っていても微妙な変形によって本来の構造体ではなくなっていることが多いのです。

しかしです。保険会社が実施する損壊調査では,社寺建築の建築士が調査をする訳ではありません。したがいまして,保険会社からの保険金もたいして支出されて来ないので,ほとんど建物の原状回復に伴う費用の負担は神社側で工面しなければなりません。そうなると,地元の氏子さんだけの力だけでは限界があります。全国にいる崇敬者さんの力添えがなければ厳しさは増すばかりです。

たとえば,年間の参拝者が100万人の神社でも年間の参拝者が1万人の神社でも建設工事の面積が同じであればかかる費用はほとんど同じです。参拝者が少ないから工事費用も少ないないなんてことはありません。私は,この建設費用に対しても言いたいことは多々あるのですがここでは申し上げません。したがいまして,総代会の副会長に全国の崇敬者さんを選任すると云うのはとても大切なことなのです。天河神社でも地元の氏子さんと全国にいる崇敬者さんの人数を比較したら一目瞭然でよく解かると思います。

その天川村の氏子さんだけで将来の天河神社を護持「お守り」するのであります。いかがでしょう。可能でしょうか?

たとえば,京都に御鎮座される下鴨神社が何年か前に話題になった事がありました。覚えている方も多いと思います。あの下鴨神社であっても資金難で式年遷宮を斎行するために,境内地の一角にマンションを建設し,その収益の中から式年遷宮の資金を捻出して斎行しようとしているのです。そのことで近隣住民との間で訴訟にまでなってしまい,神社精神の根幹である和の仕組みが壊れてしまうような事態にまでなってしまっているのです。神社に関係する方や神社が好きな方であれば,京都の下鴨神社がどう云った神社なのか解かると思います。護持の根本は祭祀「自然崇拝と祖霊祭祀」と神社をお守りすること以外に存続理由は御座いません。

また明日に続きます。拝

 

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いにしえより水の神守られし天川村。水の神への感謝の地と定められし天河大弁財天社。


知って下さい天河神社。行って見ようよ天川村へ。3

2018年04月11日 04時56分22秒 | 祭祀と和の国

こんにちは。いにしえより水の神に守られし天川村。水の神への感謝の地と定められし天河大弁財天社。

昨日は,記事のタイトルと全然関係のない前書きだけで終わってしまいましたので,今日は,記事のタイトルに沿って書かせて戴きます。奈良県吉野郡天川村に御鎮座される天河大弁財天社「通称:天河神社」ですが,芸能人や有名企業の経営者にも崇敬者が多い神社です。そう云った神社であっても神社を運営して行くには運営資金が必要になって来ます。そして,一昨日にブログで具体的に神社を護持「御守り」するには,総代会の組織改革と日本の神道の歴史をはじめから学びなおすことが必要ですと書かせて戴きました。こんなこと書いてしまって良いのか解かりませんが,神社の神職さんでもあまり神道の成り立ちや歴史を御存知の方は少ないのです。そもそも祖霊の御霊を供養するのは,神社の役割ではなく,お寺の役割であると平気な顔で言われるのを聞くと残念です。

これは,とんでもない大間違いです。

わたしも宗教家の方と話をするとき,宗教家の方から「あさひちゃんはどんな信仰をしているの?」と聞かれることがあります。わたしは古神道ですと答えるのですが,ほとんどの宗教家の方がポカンとしています。お寺の住職さんに云うのですが,お釈迦さまも最澄さんも日蓮さんも古神道家ですよと云うと笑っています。そもそもお釈迦さまが太陽信仰の祭祀一族の家系ですから古神道家ですし,日蓮さんに至っては,伊勢神宮の外宮で3つの誓いの言葉を外宮の太神さまに奉納して宗教家になることを決意しました。

又,日蓮さんほど氏神(千葉県内に御鎮座)さまを大切に感じていた宗祖は居ませんでした。

神道「神社」と云うのは,時代によって変わって来たのです。大自然(神さま)と自然(精霊)を崇拝し,自分たちの祖先の御霊を供養する古神道が元にあって,その後,天皇を祭祀の中心とした国家神道や現在の神社神道に変わり時代と共に神社の在り方も変化して来たのであります。神社とお寺つまり,寺院の歴史から言えば寺院の方が古い時代から存在していました。飛鳥時代には法隆寺のような立派な伽藍建築がありましたが,神道と云うのは先ほども申しましたとおり古神道即ち,自然崇拝が主体であったのです。ですから,その当時は,神さまをお祀りする御宮ではなく,磐座「巨大な岩」や御神木「巨木」を祈りの対象としていたのです。

天河神社においても同様で,天河神社のある天川村は,古神道の重要な神域として縄文時代には人が住めるような場所ではなかったのです。つまり,信仰的側面において人間が容易く入ってはいけない土地と云うことでした。後に,役行者さんや弘法大師「空海」さんの最大の修行場所となって行ったのです。その天河神社がどうやら神社を運営するに必要となる資金を確保するために氏子さんと知恵を出し合い厳しい経済環境で奮闘しております。微力ながら私も何かお役に立てないかブログを通じて思案しております。

その為には先ず,先ほどのとおり神社を護持する中核組織「総代会」の組織を根本から改革し,総代会の会長には引き続き地元の氏子さんから代表者を選出して,副会長には全国にいる崇敬者の中から選出して行くことが必要と考えます。一昨日の記事でもこの崇敬者さんが会の副会長となる意味が重要なのですと書かせて戴きました。これまでの神社内部にあった護持組織「総代会」は,地元の氏子さんだけで構成されて来た神社がほとんどです。全国的に見てもそう言えると思いますし,それが氏神信仰でもあります。

しかしながら,天河神社の運営を多面的に見据えた場合,天川村で暮らす地元の氏子さんだけでこれからも天河神社の運営が出来るかと云うとハッキリと申し上げて「無理」です。なぜならば,これから猛烈な勢いで人口が減少して行きます。人口減少は待ったなしで到来します。観光地に立地する都市部の神社は未だ良いですが天川村のような地方の山間部に行くと解かりますが若い人が急激に少なくなっています。天川村でも住民を増やそうとさまざまな計画を立案し,特別村民と云うこれまでには考えて来なかったような政策も施行しています。奈良県の観光地は市街地だけではないですよ~。水の聖地で,自然がたくさんのどうか吉野郡天川村に立ち寄ってみて下さいと云う切実な思いが伝わってきます。天川村にとっては,いかに市街地の観光地から人を山間部に入れるかを考えているのではないかと思っています。奈良の市街地にはたくさんの人が観光旅行に来られています。山間行政の挑戦は続きます。

こうなると5年後,10年後さらに15年後の天河神社の神社運営「護持」を考えた場合どうでしょうか。地元の伝統的なお祭りはもしかすると,地元の氏子さんだけでも出来るかも知れません。しかしながら,神社を運営するためには,どうしても運転資金が必要となるのです。それだけではありません。神社とお寺で最もお金がかかるのは何かと申しますと,それは建築物即ち,建物であります。新築・修繕・補修に改修と云った場合,とてつもない資金が必要になって来ます。昨日の記事でも書かせて戴いた通りです。その資金「建築予算」の積立も何年も前からしなければなりません。しかし,そればかりではないのが現状なのであります。

続きは,またあした。拝

 

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古より水の神に守られし天川村。水の神への感謝の地と定められた天河大弁財天社。


知って下さい天河神社。行って見ようよ天川村へ。2

2018年04月10日 06時18分11秒 | 祭祀と和の国

※今日の記事を書き終えて改めて読み返してみると,タイトルに沿った内容でないことをご了承ください。

あさひの摩訶不思議体験になってしまいました。これはこれで面白いかもです。

こんにちは。

昨日は,いろいろと天河大弁財天社「通称:天河神社」の護持について考えながら書いていると,どこからか音霊「波動」が降りて来てしまい,ブログを途中で書くのを止めました。パソコンに向かって作業しているときは不思議なことなのですがよくあるのです。とくに仕事で神社やお寺の護持について起案「政策立案の原稿つくり」をしていると何十時間でもずっとご飯も食べずに集中してしまうのです。自分でもよく解からないのですが,自分には考え付きそうもないことも何の躊躇いもなく考え付いたり,自分の知らないことがいつの間にか判っていたりとすることもあります。朝になると閃いたり。ただ,多額のお金が絡むとないですね。

たとえば,お寺の本堂などの復興をする場合,建物の大きさにも勿論よりますが、通常建設費用などを含めると1億円とか2億円の資金が必要となり調達をします。文化財や国宝級になると軽く10億円以上は必要になります。そう云った多額のお金が絡む仕事となると最低でも5年から10年前後の事前準備と実施期間が必要になります。また,かかわる人も数百人にもなって来ます。

その5年から10年間の経費となる費用を計算して起案作業をしていると途中で作業が進まなくなるのです。きっと,自分の利益を勘定しながら作業しているからだと思っています。自分が儲けようとか,自分の利益を優先して考えていると途中で飽きてしまい続きません。つまり,妙案がまったく浮かばなくなってしまうのです。なんなのか?だからたくさんアルバイトをして行かないと食べて行けないし,家族に仕送りも出来ないのです。相手に稼がせることは出来るのですが,自分が稼ごうとするとダメになります。

だからいつもスズメの涙です。

 ガーン・・・。

前書きが長くなってしまった序に書いてしまいますが,わたしの事務所のお客さまで日蓮宗「総本山は身延山」に所属するお寺があるのですが,ある日,いろんな雑談を住職さんや寺族(家族)の方々と話しているとき「あさひちゃんは,なんでもっといっぱいお金を貰わないの?」「もっと,たくさんお金をお寺から貰って人を雇って事務所を大きくすれば良いんじゃない?」と住職さんに聞かれたことがあったのです。わたしも正直に,相手に稼がせることは出来るのですけど,自分で稼ごうとすると力が出なくなってしまうのですと住職さんへ答えたのです。すると,その住職さんが「うちの先代の住職と一緒だ」と笑いながら話していました。

わたしはその先代の住職さんにお会いしたことが一度もありません。わたしが生まれる前に他界されているからです。ですが,この先代の住職さんのことをとてもよく知っている自分が居るのです。会ったこともないのにすごく知っていると云う感覚的なものがあるのです。ですから,そのお寺に行くといつも先代の住職さんの気を感じています。もの凄く近くに居るような感じがして,いつもお寺と檀家さんを天国で守護しているのがよく解かっています。人としての温かみがあって優しくて,いつもニコニコして大笑いしていた住職さんであったと思います。今でも檀家さんを見守っていて,檀家さんに危難が及ぶと私を派遣しているようなのです。

実際に,なんどもお寺で経験しています。檀家さんがリフォーム詐欺に遭う寸前に住職さんと私で檀家さんの家に行ったり,離婚して養育費も入れない元夫の相談を受けて,その女性が電話で私と話すと別れた元夫から急にお金が振り込まれたり,メールが来たりと云った感じです。その女性もビックリして不思議そうに私に話すのです。「あさひちゃんと話すと何で毎回毎回,元夫からお金が振り込まれるの?」って言われてもちょっと困ってしまいます。ですが,わたしは,天国で先代の住職さんがちゃんと檀家さんのことを守護してくれているのを知っているのです。だから,その女性の檀家さんにもリフォーム詐欺に遭遇しかけた檀家さんにも自分の御先祖さまと先代の住職さんに感謝して下さいとだけ伝えています。信じられないような出来事がこの世にはあるのですね。

今日は,なんだか前書きだけで終わってしまいました。

先代の住職さん。天国で檀家さんを見守ってくれて「あ・り・が・と・う」。

摩訶不思議な体験談からでした。あしたからまた天河神社の護持政策の記事を書きたいと思います。


 

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。

又,人はそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

そしてまた日本人の本当の性質を勇気を以て再び伝え広めて行きたいです。

そのことが日本を取り戻し,日本人としての誇りを取り戻す真の意味だと考えます。

観世音菩薩とともに。花咲あさひ 拝


知って下さい天河神社。行って見ようよ天川村へ。1

2018年04月09日 05時53分58秒 | 祭祀と和の国

深夜1時32分,島根県西部地方にて震度5強の地震が発生したようです。被害が拡大しないこと願っています。

こんにちは。奈良県吉野郡天川村と云うところを御存知ですか? 上の写真は,その天川村の天ノ川で水の聖地です。

今日のタイトルは何だか天川村の広報担当者みたいになっておりますが,天川村は太古より人が住めるような場所ではなかったと信仰的には言える場所なのです。それは何故かと申しますと,それだけこの天川村一帯が神秘に満ちた秘境であったからに他なりません。その証拠に,天川村一帯では原始遺跡がほとんど見つかっておりません。これまで経験したことが無いような少子高齢化の時代と言う厳しい財政的な面もあって天川村ではさまざまな広報活動が展開されています。天川村と聞くとやはり,天河大弁財天社「通称:天河神社」を思い浮かべる人も多いと思います。確かに,天川村は,その天河大弁財天社と共に繁栄して来たからです。

弁財天信仰の聖地でも有名な神社です。

天河大弁財天社「通称:天河神社」と言うと芸能人や企業経営者の参詣もとても多い神社でもあります。あの松任谷由美さん「ユーミン」も長渕剛さんもジャニーズの堂本さんもここ天河神社の崇敬者だと聞いたことがあります。きっと,芸事の神さまをお祀りしているということから芸能人の参拝が多いのだと思います。そう云った意味では,芸能人の隠れスポットなのかも知れません。

その内,アッキ―さん御一行も参詣に訪れるかも知れませんね。

わたしは特別,神社にお祀りされている御神名には拘りは全くありません。創建はいつで,お祀りされている神さまは〇〇神と云った神社の由緒書を見ることもほとんどありません。多数の有名人や有名企業の経営者が参拝する神社であっても,その反面,神社を運営する為に必要な資金がとても厳しいようにも感じています。神社を運営する側つまり,神社の宮司さんにとっては切実な思いでもあります。その為に,参拝者を多くするためにはどうしたら良いかを氏子さんたちと知恵を振り絞っているように思います。

たとえば,神社での祭事の参加者を積極的に募ったり,音楽や芸能と云った催事「イベント」を開催したりと考えられているようなのです。しかし,これは一時しのぎになります。わたしも仕事でこれまで培って来た経験を活かして無償で奉仕したいと考えてはいるのですが,こればかりは縁なので自然の流れにお任せしております。わたしが仮に奉仕人として参与するとすれば,数少ない貴重な古神道系の神社なのですから,一般の参拝者にも古神道とは何かを積極的に伝えることが大切だと総代会で主張します。

おそらく,総代会に出席している総代さんも古神道をあまり理解されていないと思いますので,宮司さん自らが講師となって総代さんに講義することからはじめる必要性を主張します。つまり,古神道の歴史や成り立ち,国家神道と神社神道の違いと云った基礎基本を学ぶ勉強会です。そして,それと同時に氏子総代会の組織改革を責任役員会と総代会に議案提出します。氏子総代会と言う組織は,よく耳にする言葉だと思いますが,神社の内部組織で,神社や寺院の護持「お守りすること」を目的とした任意団体です。お寺で言えば,檀家さんの中から住職さんが檀家総代若しくは檀家世話人を任命します。そして任命された総代さんや世話人さんが中心となって総代会や世話人会などを住職さんたちと相談しながら運営して行きます。日本ならではの伝統的文化の一つでもあります。

したがいまして,法律上の所謂,権利を取得したり義務を負うような組織ではありません。つまり,法律上の権利義務の主体にはならないと云うことですから,神社の債権を取得したり,神社の債務を負うと云うことがないのです。法律上の権利を取得したり義務を負うことになるのは法人即ち,宗教法人です。その宗教法人の最高意思決定機関が責任役員会と言います。会社で言えば取締役会に相当します。宮司さんや住職さんは責任役員の代表者と云うことになります。難しい話は横に置いといて,その総代会の事務管理を統括する総代会長を地元の氏子さんに副会長を「崇敬者」にします。この「崇敬者」が後に重要なポイントになってまいります。

ごめんなさい。ちょっと天河神社から音霊「波動」が降りて来てしまいました。

スイッチが入ると止まらなくなってしまうので一旦,筆を置きます。続きは,また明日に。拝


 

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。

又,人はそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

そしてまた日本人の本当の性質を勇気を以て再び伝え広めて行きたいです。

そのことが日本を取り戻し,日本人としての誇りを取り戻す真の意味だと考えます。

観世音菩薩とともに。花咲あさひ 拝 


お釈迦さまは古神道の御方でした。3

2018年04月08日 06時46分01秒 | 祭祀と和の国

こんにちは。

お釈迦さまは古神道の御方でした。1・2に続いて,今日は3です。

ところで,今日4月8日はお釈迦さまが誕生された日でもあると云うことに昨日,記事を書かせて頂いているとき「そういえば?」と思い出しました。お釈迦さまが誕生された日にお釈迦さまの記事を偶然にも書いていることに不思議な縁を感じてしまいますが,それも袖振り合うも多世の縁と云う言葉で結びたいと思います。書かせて戴けることに先ずは感謝です。あ・り・が・と・う。

昨日の記事の文末で,お釈迦さまが修行中に挑んだ最大で且つ最強の相手とは何か?と云うことでした。つまり,ラスボスのような存在と真剣勝負をしていたに違いないとわたしは思っています。きっと,それまでの修行中にもたくさんのエピソードがあったのではないかと思います。修行中に難癖を付けられたり,意地悪な問いかけもあったり,無理な要求もあったりしていたのではないかと想像するのですが,お釈迦さまに言わせるとそう云った事柄は別に大したことではないと言われるかも知れません。

なぜならば,お釈迦さまからすると単なる外に在る一瞬の風景の様なもので,直ぐに過ぎ去ることであると考えられていたと思うからであります。お釈迦さまは大変な知恵者でもあったと同時に並外れた方便の達人でもあったのではないかと私は想像しています。

悟りに達したお釈迦さまは,苦しむ人々を何とか救済しようと説法をして回ります。そのなかで起きた出来事が今の仏教の法話にも残っているものがたくさんあります。弟子との対話が御経にもなっています。たとえば,お釈迦さまと鬼子母神のお話もその一つです。子どもを持つお母さん方には是非とも読んで頂きたいなと感じる法話であります。その母親の想いは現在の世でも十分に通用します。この鬼子母神の法話を不倫にたとえて読んでみるのも良いかも知れません。子どもと会えない気持ちがどれほどかを思い知るにはよい話です。子どもに対する母親の気持ちは同じ母親ならば解かるはず。物語でもお釈迦さまは鬼子母神を諭します。鬼子母神は,お釈迦さまに諭され,自分の過ちを心から反省し,こんどは鬼子母神みずから子ども達を守護する御仏さまになるのです。

ポンコツ弁護士にも読んで聞かせてやりたいくらいで・・・。あっ!いけない。またポンコツ弁護士って書いちゃいました。先日の記事でも反省したのにわたしったら・・・。ゴメンナサイ。今日は,記事を書いている途中に間違っても消さないって約束したので消せません。どうしよ~・・・。司法試験のように間違えたら二重線を引いて訂正なんて残念ですが,このブログの機能にはないので,よって,閻魔大王から補正命令が出されるまで,このまま当該記事の記載事実は残すこととします。以上。

幼い子どもの心を傷つけるとどうなるか?これまでたくさん見て来ました。その後,幸せになった人は誰一人居りません。法律などで,どんなに自分の正当性を理屈を以て主張しても天はすべてを観ています。言い逃れもなにも出来ません。それどころか,天と地の逆鱗に触れると御眷属が発動します。これ本当の話。上記の鬼子母神の話しでもお釈迦さまがその役を担いますので関心があれば読んでみて下さい。子どもの心を傷つけると,子どもの産土神「うぶすなかみ」が,子どもを守る為に取り上げてしまうのです。

ところで,お釈迦さまを悟りの道へと導いた最大で且つ最強の相手「ラスボス」とは何か?でしたね。

それは「欲」です。

わたし達にもあるさまざまな「欲」であります。これにはお釈迦さまも相当難儀をしたのではないでしょうか?なぜなら,先ほどの様な相手であれば,外に存在するものですから嫌なら相手にしなかったりすることも出来るでしょうが,意識せずとも自分の中から湧き上がる「欲」はどうすることも出来ません。お釈迦さまは,これを煩悩とし人間には108つの煩悩があるとしました。

大晦日の除夜の鐘は108つの煩悩を打ち消すためにつきます。

したがいまして,お釈迦さまの最大且つ最強の相手とは,外側に存在するのではなくて,自己の「欲」内面に存在していたのです。どんな立派な人であっても煩悩「欲」と闘ったところで負けてしまいます。煩悩と闘おうとすること自体,意味のないことなのかも知れません。お釈迦さまが伝えたかったことは,煩悩を消すと云うことではなくて,どんな人にも煩悩があるとこを知り,受け入れることだったのではないかと考えます。煩悩を受け入れ,自己の内面を見つめること。そして,何よりも心の中の燈火を大切にして生きること。このような思想がやがて不滅の法灯として比叡山延暦寺でも今でも大切に守り続けられて来た証であると思うのです。

それでは,わたしたち人は,煩悩「欲」のまま生きて行くしかないのか?と言うとそうでもないようです。

それは,無我になることではないでしょうか?つまり,無我になるとは,なにも我は無くすことと云う意味ではありません。何かに夢中になることであると思うのです。皆さんも経験があると思いますが,何かに夢中になっているときほど時間が経つのが速く感じたり,ご飯を食べることも忘れていたなんて経験がないでしょうか。その無我です。よく無我夢中なんて云う言葉を聞いたりもします。あえて極論を申し上げてしまえば,命懸けで生きる事と言い換えることもできると思います。しかし,これまた難しそうです。

私にとっての釈尊学は,まだまだ入口です。これからもたくさん学んで行きたいと思います。拝

りの矢よ飛んで行け! 音霊乗せて飛んで行け!

鈴の音響かせ 今放たれよ!

歓びもちて結びとすれば 怒りの心も鎮められん。

降ろせよ しかと みはしらに。天の祈りと地の祈り。

こどもが母さまの元に戻りますように。祈


 

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お釈迦さまは古神道の御方でした。2

2018年04月07日 06時35分00秒 | 祭祀と和の国

祈りの矢を飛んで行け!音霊乗せて飛んで行け!

鈴の音響かせ いま放たれよ!自ら手を挙げ名乗り出る真の勇気と素直さを。

歓びもちて結びとすれば 怒りの心も鎮められん。降ろせよ しかと みはしらに。

天の祈りと地の祈り。命を懸けて生きられよ。忘るるな 小さな胸に秘めたる大きな誇り。

こんにちは。

さっそく,昨日の記事の続きを書かせて頂きたいと思います。昨日は,お釈迦さまの悟りについての記述からキリスト教に話が逸れてしまいましたので,話をお釈迦さまに戻したいと思います。お釈迦さまの悟りとは,仏教の真骨頂でもある「慈悲」にあると云うことでした。それは,ただ自分の眼の前に存在するものへの慈悲心であって難しいことではありません。御経を何万遍と唱えても悟りに到達することはありませんし,現代に伝わるような厳しい修行でもありません。もしてや,霊能者云々が伝授するのは論外。

なぜならば,わたし達は,誰であっても根源神の分け御魂を心の中に宿し,霊魂を宿した同じ人間です。人間霊を宿した私たち人は人間としての行い即ち,修行をしなければなりません。山に篭り,滝に打たれている人が多く成れば,わたし達の暮らしや生活は破綻します。私たち人は,大自然と云う神さまと自然と云う精霊の中で活かされて生きているのであります。したがいまして,真の悟りと云うものは,日常生活の中にこそ見出すことができるのだと云うのが私の解釈です。自己の神聖さに気が付くと云う言葉でも良いかも知れません。伊勢神宮(本宗)を頂点とする現在の神社神道では,自己の神聖なる存在を心神(しんしん)と申します。

たとえば3年間,山に篭り,滝に打たれの修行を積んだ所謂,修行者と社会の末端でそれこそ上司に怒られ,お客さまに罵倒されたりと20年・30年と云う年月を働く一般の人とどちらが厳しい修行であったのでしょうか?したがって,私はそう云った後者のような人を観ると悟りの境地に到達した聖者に観えてしまうのです。より厳しい修行をされた人は,本当に輝きを放っています。そして性別を超越した優しさを兼ね備えているのも特徴的です。こう云った本当の聖者は,残念なことに人の上に身を置く集団にはあまり居りません。それよりも会社などの末端で働く人にとても多く居るのです。私のアルバイト先にも何人か聖者が居ります。

アルバイト先では,わたしはペイペイの一番下っ端ですから,何でもハイハイと素直に先輩たちの云うことを聞いています。年齢もバラバラで上は70代から下は私よりも年下の先輩もたくさん居ります。そんな多岐に渡る年代の人たちの中に居る熟練された聖者さんたちに共通したことがあるのです。それは,仕事にはもの凄く厳しいのですが,人としてとても優しいことであります。戦士みたいな魂を宿しているのです。厳しい労働環境で闘って来た先輩たちを観ると本当に凄いなと自分の非力さを痛感させられます。

皆さまがよく御存知の霊能者と言われる人や宗教家の相談にこれまで何度も乗って参りましたが,ちゃんとその裏にはカラクリがあるのであります。確かに,一般の人に見えない存在「霊」を見たり,一般の人たちには聴こえてこない「声」を聴いたりする人は存在します。これ自体に何ら不思議さを感じたりすることはありませんし,違和感を持つこともありません。たとえば,神社やお寺の建築をする集団である宮大工の業界では良くそう云った特異体質の方が多くいます。しかしながら,そう云ったことで資金を集めて政治に介入することに私は大きな疑問符が付きまといます。お釈迦さまの教えだと言いながら,たくさんの人々から多額の資金を集め,その資金で私腹を肥やしている宗教家こそお釈迦さまの説かれた心の燈火の意味を再度しっかりと学ぶべきであるのです。

お釈迦さまが説いた心の燈火と云うのは,自分の肉体を酷使させた修行も精神を追い詰めた修行も人が悟りを啓く為には無駄なものだとお釈迦さまは,自分の弟子たちに説きました。そして,固く偶像崇拝を禁止したのです。この偶像崇拝禁止も古神道の考え方にとてもよく似ています。そんな外よりも自分の内,心の中に存在する神聖なる燈火を拠りどころとして生きて行くことが大切だと説いたのであります。この心の燈火と云う言葉に,私はもの凄い音霊「波動」を感じ取ってしまうのです。まさに古神道の発想そのものです。つまり,お釈迦さまが自己の心の燈火こそが大切なんだと云う結論に至ったまでの道のりと申しますか過程にとても関心があるのです。わたしが思うに,お釈迦さまの修行の内,最大で最強の相手との真剣勝負にあったのではないかと想像しています。

お釈迦さまが挑んだ最大で且つ最強な相手とは?なんでしょうか?

また続きます。拝


 

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私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。

又,人はそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

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お釈迦さまは古神道の御方でした。1

2018年04月06日 11時15分02秒 | 祭祀と和の国

こんにちは。こんなことをタイトルにするとこいつは何を言っているんだと仏教者や仏教徒から怒られるかも知れませんが,本当なので仕方がありません。なぜならば,お釈迦さまはシャカ族の王子さまであったのですが,実家を飛び出してしまい厳しい修業の道を辿ることになってしまったのです。お釈迦さまの実家は太陽信仰をしていた祭祀者の家柄です。したがいまして,お釈迦さまは古神道の御方でありました。それでけではなく,お釈迦さまが説いたとされる説諭にもたくさん古神道の思想が入っております。

たとえば,お釈迦さまが悟りを啓いたと言われている理由は,現代の仏教界即ち,仏教者や仏教徒がよく話すような理由ではありません。お釈迦さまが悟りを啓いたと云われる最大の要因は「慈悲」にありました。人に施す「慈悲」です。なにも難しいことではなく,自分の眼の前にいる困った人に対し,自分ができる最大限のことをする「慈悲」です。それをお釈迦さま自身が体感したことによって悟りの境地に達したのであります。要は,他人からの思いやりにお釈迦さま自ら触れたときに悟りに達したのであります。

キリスト教では何と云うかは存じませんが,きっと愛ではないでしょうか。わたしは聖書を読んだことがないので,聖書の中に悟りや愛と言った言葉が出て来るのかは知りません。ただ,キリストと云う言葉の音霊「波動」をわたしの心の中の心柱に降ろすと愛と云う言葉がよく出て来るのであります。お釈迦さまの説かれる心の燈火に従って照らすと慈悲と云う文字が光って観えます。

古神道ではお馴染みの「和」です。いつも北斗七星に祈りを奉げていると伝わって来る音霊「波動」が和なのです。なんでかは解かりません。さらに,毎朝,太陽神に祈りを奉げていると感謝することと心柱に波動が降りて来ます。感謝の思いを言葉にすると,あ・り・が・と・うの5音です。キリスト教では,それと罪と火です。この言葉も聖書に出て来るのかは知りませんが,とても意識的に使われているかのようです。穢れは水で流せる。しかし,罪は水に流すことは出来ない。罪は火を以て消滅させると云う音霊「波動」が降りて来ます。ですが,その奥に存在するものはやはり日本の太古から存在する古神道に行き着いてしまうのです。

もしかすると,キリスト教も古神道の影響を強く受けているのかも知れません。わたしは,古神道がすべての宗教と信仰の元の本だと考えているのでそう感じるのかも知れません。仏教徒やキリスト教徒のみさなまが読まれていたら違うと云われるかもしれませんが,わたし自身が個人的に感じる事でありますので何卒,ご容赦願いたいと思います。正解不正解を主張したいのではありません。

ところで,キリスト教で「労働」とは何と説くのでしょうか?これが,罪と火に大きく関係しているようです。

つまり,肉体の労働を伴うことで肉体労働者の身体に熱が籠ります。この熱こそが「火」に相当する様です。したがいまして,罪を犯せし者は肉体労働を科すような思想が後に,キリスト圏「西洋」の刑法の出発点になってしまったのではないかと感じています。そして,これが後世に間違ったカタチで伝わり,肉体労働を伴う仕事をする労働者階級への差別に繋がって行ったのではないかと私は考えています。もしかすると,ブルーカラーやホワイトカラーと言った表現もこの辺りのことを含んで使われて来たようです。

そうなると,わたしは筋金入りの罪人となります(笑)。

それでは,わたし達の日本には,そう云った差別的な意味合いで使われて来た言葉がないのか?と云うとそんなことはありません。実際に使われて来ました。それが,白足袋衆と黒足袋衆と言われる言葉でした。御座敷「畳」の上にあがれる人を白足袋衆と呼び,それ以外の人を黒足袋衆として来たのであります。いまでもその風習は残っていて,御座敷「畳」にあがる人たちは,みなさん白足袋を履きます。神社の神職さんもお寺の住職さんも茶道の先生も華道の先生も皆さん白足袋を必ず履きます。神社や寺院の護持の仕事をしていて不思議に思っていたので,調べてみたらそんな歴史が日本の足袋ひとつにもあることに驚いたことがありました。

したがって,わたしは神社や寺院の仕事をするときは,堂々と黒足袋を履いています。なぜならば,わたし達のこの日本と云う国家は,労働こそ神聖なもので且つ,崇める対象として永く信仰されて来たのであります。そこが,諸外国の思想と大きく違った世界祭祀の中心に君臨する唯一無二の国なのであります。何と云っても肉体労働と労働者を「おほみたから」と呼ぶ国ですから。

 ※上記で,差別的な表現と書きましたが,果たして差別的な表現だったのか?区別的な意味合いなのかは議論があります。

話しが,お釈迦さまからだいぶ逸れてしまいました。続きは明日書かせて頂きます。拝


 

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ポンコツ弁護士なんて書いてはいけませんよ。

2018年04月05日 15時25分55秒 | 豊葦原瑞穂国新聞

こんにちは。今日のタイトルは自分に向けて書いております(笑)。

一昨日の烈戦・熱戦・超激戦の定例会議も無事に終わり,最終的に現場責任者各位の意向が可決され末端で働く従業員の給料が大幅にアップする運びとなりました。会議中は,あまりに理不尽な発言に対し,私も思わず参戦しそうな場面も多々ありましたが結果的に何事も無く終了することができ少しホッとしております。又,昨日は,仕事の関係で記事が書けず終いでした。別に毎日書かなくても書きたいことがある時に,書けばよいだけですが,記事を毎日書き続けると云うのは中々,難しいなと実感しております。

神さまからお預かりしている大切なこのブログですから,書きたいことお伝えしたいことは山ほどありますけれど考えていることや感じていることを言葉にし,文字にすると云うのもこれもまた難しいことでもあります。言葉の選び方ひとつにもなるべく気を使うようにしています。言葉の一音一音,文字の一字一字にも神さまの御心が存在するからです。私たちの日本語は祝語であるのです。

したがいまして,ポンコツ弁護士なんて言葉は書いてはいけないのですが,偶に本音が出て来てしまいます。

わたし達,人間には,神さまから授かった言葉と文字があります。自分の意思「思いや考え」を相手に伝えるためにどう云った言葉や文字を使えば,自分の意思が相手に伝わるのか意識的に考えながら伝えて行くことは大事なことであると私は感じています。又,そう言ったことを職業の1つにもしています。なかでも文書で自分の意思や主張を相手に唱えることはとても難しい分野です。

対面での会話や対話においても,一言が足りないばかりに紛争にもなりますし,相手に誤解を与えてしまう場合もあります。たった一言が言えないばかりにせっかくの縁が終わってしまうなんて言うことさえも現実にあります。日本語は,特にそう言ったことが云える言葉を持ち合せているのではないでしょうか。そもそも私たちが現在話している言葉は日本人が本来,話していた言葉ではないとさえ言われています。つまり,わたし達の遠い祖先は全く違った言葉を話していたのです。大和言葉と云う言葉が日本人の本来の言葉だと主張する人もおります。わたしも大和言葉を勉強したいと考えている一人ではありますが,なかなか時間が無くて勉強したと云えるまでにはなっていません。その時代時代によって変化し続けて来た日本語をもっと知りたいと云う好奇心があります。

古神道には,太古から言葉や文字には霊が宿るとされた言霊信仰と云う信仰形態がありますし,口は災いの元と言った先人からの言い伝えも御座います。これは本当のことでありますが,それよりも以前には,言葉そのものが存在せずに,お互いの意思の伝達はテレパシーを使っていたり,文字だけの文明も存在していたようです。カタカムナ文明と云う大変興味深い時代も縄文時代以前に日本にはあったようです。もちろん,今のような「ひらがな」や「カタカナ」の文字ではなく,神代文字と呼ばれる独特な文字と云うか記号のようなものです。そのほとんどの文字が渦を巻くようなカタチ「図式や図形」をしていて,現代語を話す私たちにはとても解読できるようなものではありませんでしたが,近年,研究者の努力の成果によって少しずつですが解明されて来ております。

簡単に意思表示できる便利な世の中ですが,メールのやりとりなどは,これから注意が必要に思われます。拝


 

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私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。

又,人はそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

そしてまた日本人の本当の性質を勇気を以て再び伝え広めて行きたいです。

そのことが日本を取り戻し,日本人としての誇りを取り戻す真の意味だと考えます。

観世音菩薩とともに。花咲あさひ 拝 


今日は記事が書けそうにありません。

2018年04月04日 19時18分40秒 | 豊葦原瑞穂国新聞

こんにちは。

今日は,配達のアルバイトの日なので,自宅に帰れるのが22時頃になってしまい,それから急いで禊をしから神棚の神さまに祝詞を奏上すると日付が変わるころになってしまいますので,今日は記事が書けそうにありません。

残念。


 

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感謝は森羅万象の中心の座に位置します。

2018年04月02日 09時23分38秒 | 美しき水の国

こんにちは。上の映像は,アメリカのNASAが撮影した夜の日本列島です。日本が龍に観えませんか?

朝,太陽が昇ると一番最初にすることがあります。それは,冷やされた地球を暖めることです。そして,暖められた地球は歓喜のあまり多量の水蒸気を発して行きたくさんの雲を産み出して行きます。生み出された雲は,雨を降らせ,地上に水となって私たちに恵みをもたらして下さいます。この自然の仕組みが,神々さまの働きそのものであります。人間がどんなに進化を遂げようと決して出来ることではありません。人間が出来ない事を太古の人々「祖先」は,神さまの御力としました。これが,古神道の起源と言っても良いかも知れません。又,その神さまの御力によって自分たちは生かされているのだと云うことも解っていたのであります。

つまり,わたし達の祖先は,感謝の心が森羅万象の中心の座に位置することを知ったのだと思います。

朝の太陽神が,地球神の身体を暖める。そして暖められた地球神は,歓びたくさんの雲を産み出して行く。私は,この大自然や自然の現象は,どこか人間界で云うところの夫婦「男女」関係にとても似ているように感じるのです。産みだされた雲はたくさんの子ども達に相当します。その産み出されたさくさんの雲「子ども達」は,やがて大きく成長し,宝ものを持参して地上に舞い降りて来ます。それが雨「水」であります。水は,わたし達の生活と暮らしになくてはならない存在ですし,水は五穀を齎してもくれます。

幼い子ども達がすくすくと大きく成長し,やがて社会に出て行き,さまざまなカタチで社会に恵みを還元して行く様子を大自然「神さま」と自然「精霊」から教えてもらっているような感覚になるのであります。したがいまして,自然を破壊するということは,幼い子ども達の成長の妨げになると云うことを大自然「神さま」は語りかけているように感じています。自然の循環を人間が乱し出すと,人間の心が乱れて行くことになります。つまり,自然界では天変地異が発生し,人間界では,戦争に紛争が起きて行きます。

自然を守ることは,自分自身を守ることに繋がります。それを発信し続けた人物が,南方熊楠さんでした。

ところで,幼い子どもを母親から引き離した自称憲法の専門家と豪語するポンコツ弁護士は,未だに子どもを母親のもとへ引き渡していないようです。その内,天と地の怒りをかうことになるでしょう。大自然「神さま」と自然「精霊」が示すようにです。自然の摂理に反するものは滅するのが定めなのです。それが森羅万象と言うものであります。今日は,怒りの心柱ではないので,これ以上は書くことは止めます。音霊が伝わって来て,スイッチが入ってしまい心の鬼が太鼓を叩き舞を舞い出すと鎮めるのが大変です。

古神道は,さまざまな宗教「神道や仏教,キリスト教に道教などなど」や信仰を産み出して行っただけではありません。仏教やキリスト教と書くと仏教徒やキリスト教徒に怒られてしまうかも知れませんが仏教やキリスト教が誕生する何万年も前から古神道は存在していますので,そういった事実に基づいて云っても本当のことなので仕方がありません。それ以外にも実は,古神道はたくさんの産業も産み出しているのです。金融業やサービス業,飲食業に運送業もそうですし,建設業も古神道が産み出して行ったものです。

わたし達が暮らしている水と火の惑星である現在の地球は,今から46億年前に,10回の巨大な隕石どうしの大規模衝突によって誕生いたしました。9回目までの衝突で未完成であった地球は,それまで燃えさかる火と灼熱のドロドロとした溶岩の塊ような球体であったようです。そこに,多層の水の成分を含んだ巨大な隕石が衝突して燃えさかる球体は急速に冷やされ,灼熱のドロドロとした溶岩は球体「地球」の中心部にだけ残りました。つまり,地球の中心部の内核です。しかし,この地球内部の熱がなければ,私たち人類はとうの昔に既に滅んでいることになるのです。なぜなら,過去の氷河期の時代を生き延びるために必要であったのです。

これをお釈迦さまは,わたし達の心を地球「宇宙」と同体とし,心の中の燈火「自灯明」と表現したのかも知れません。

このブログの十の心柱も実は,地球創生に纏わる十回の衝突の音霊(波動)を心柱に降ろしてはじめました(大袈裟ですが)地球が創られた十回の衝突と同様に,わたし達の心の中には,十柱の心柱「みはしら」が起立しています。きっと,十回の隕石どうしの大衝突で完成した地球創生とわたし達の心は大きく関係していて,この瞬間も関連し続けているのではないかと私は考えています。神道には大祓詞と云う何千年も前から唱え続けられて来た祝詞が御座います。その大祓詞の中に「下つ磐根に宮柱太敷き立て」と云う言葉が出て来ます。これが十の心の柱です。縦の軸と横の軸を示す,この十と云う文字についてもいつか記事にして見たいです。

花咲あさひ 拝

 

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海のとおり道と陸のとおり道のつづき。

2018年04月01日 07時50分22秒 | 美しき水の国

こんにちは。

昨日,記事で「海のとおり道と陸のとおり道。を書かせて頂きました。

今日は,そのつづき的な記事を書かせて頂きたいと思います。話しは一気に神道へと変わりますが,陸の地震のとおり道でもある中央構造線「これを龍のとおり道とします」には,太古に建立された日本の祭祀にとって重要な神社や寺院がいくつもあります。又,太陽信仰の祭祀場として建立された太古の神社や寺院が御座います。この通り道を龍が通ると地上の空に現れるものがあります。

それが,わたし達が目撃する地震雲です。

雲はさまざまな形状に変化し,天と地の異変を私たちに教えてくれます。時には龍になって見せたり,麒麟になって見せたりして何かを訴えて来ます。わたしも一度,麒麟の雲を観たことがあります。とてもリアルでハッキリと麒麟だと解かる雲でした。そのときの麒麟は,何か楽しいことでもあったかのように片方の前足をあげて,頭を斜め下にさげながらダンスをしていました。

麒麟を見たのは,それが最初で最後です。

わたし達の祖先は,この龍のとおり道に大きな神の社を建立させていきました。そこで,天の神さま,大地の神さまに祈りを奉げ,大自然「地球」の中で人は生かされていることを知り,自然「精霊」と共に共生することをみなで誓い合ったのです。この龍のとおり道で,天の神さまと大地の神さまから人間が生きて行く上で欠かすことの出来ないとても大切な恵みを授かることになります。

それが,お水です。ゼロウォーターと云われる御神水。

そして,わたし達の祖先は,神の社のまわりにたくさんの木々を植えて行ったのです。その理由は,遠い子孫に至るまで天の神さま,大地の神さまから授かった大切なお水を戴くことが出来るようにと云うことと大切な水の湧き出る水源地を絶対に穢さないようにする為,みなで誓い合った,自然と共に共生する想いを後世に残す為に,私たち子孫にあるものを残してくれているのです。

それが,絶対立ち入り禁止とした,鎮守の森です。

わたし達の祖先は,自然を破壊することのないように,たくさんの木々を植えて行き立ち入り禁止としたのです。たとえば,奈良県にある春日大社の原生林も後世の子孫たち「わたし達」が,自分たちの都合の良いように自然を破壊することがないようにと大切な水源地を護持する目的で形成され固く立ち入り禁止としたのです。春日大社の真下には,龍のとおり道があります。龍のとおり道を後世の人々が塞がないように春日大社を建立し,水源地を守る為にたくさんの木々を植えて形成されたのが現在の春日大社です。

もちろん,春日大社も古神道系の重要な神社であります。今から何十年も前のある日の夜,春日大社で重要な祭事が執り行われておりました。その祭事の途中,当時,宮司さんでいらした葉室昭頼宮司の目の前にある焚火「灯火」が凄い勢いでピョンピョントと跳ね上がっていたようです。その様子に葉室宮司も何か変だなと感じておられたようです。そして,そのあくる日,阪神淡路地方で巨大地震が発生してしまいました。後日の談話において,葉室宮司は,もし,春日大社の原生林が後世の人々によって開拓され,大地を塞がれていたら地震のエネルギーが放出することが出来ず,春日大社も被害を受けていたのに違いないと話されておりました。

つまり,地震のエネルギーが大地から何日も前から放出されていたと云うことです。葉室宮司は,ちょうどその地震のエネルギーが放出している様子を神社の祭事中に目撃したのです。日本には至る所に,龍のとおり道があります。凄い数であります。陸にも海にも龍のとおり道があるのです。そこに,頑丈なコンクリートで覆われた建物を建ててしまうと地震のエネルギーが放出することが出来ず,一気に噴出してしまうことになる訳であります。太古に建てられた神社やお寺の建物の構造を確認すると解かりますが,くつ石に柱が立っているだけです。この工法がもっとも地震のエネルギーを放出することができることを昔の先祖は知ったいたのです。

話しが長くなってしまいましたので,この辺で。拝


 

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。

又,人はそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

そしてまた日本人の本当の性質を勇気を以て再び伝え広めて行きたいです。

そのことが日本を取り戻し,日本人としての誇りを取り戻す真の意味だと考えます。

観世音菩薩とともに。花咲あさひ 拝