花咲あさひ の 心神とともに。古神道と和の仕組の復活への道

感謝・反省・謙虚・奉仕・素直・勇気・結び・歓び・怒りあと1つの心柱は?
観世音菩薩は裸足で山を飛び出して行きました。

ポンコツ弁護士なんて書いてはいけませんよ。

2018年04月05日 15時25分55秒 | 豊葦原瑞穂国新聞

こんにちは。今日のタイトルは自分に向けて書いております(笑)。

一昨日の烈戦・熱戦・超激戦の定例会議も無事に終わり,最終的に現場責任者各位の意向が可決され末端で働く従業員の給料が大幅にアップする運びとなりました。会議中は,あまりに理不尽な発言に対し,私も思わず参戦しそうな場面も多々ありましたが結果的に何事も無く終了することができ少しホッとしております。又,昨日は,仕事の関係で記事が書けず終いでした。別に毎日書かなくても書きたいことがある時に,書けばよいだけですが,記事を毎日書き続けると云うのは中々,難しいなと実感しております。

神さまからお預かりしている大切なこのブログですから,書きたいことお伝えしたいことは山ほどありますけれど考えていることや感じていることを言葉にし,文字にすると云うのもこれもまた難しいことでもあります。言葉の選び方ひとつにもなるべく気を使うようにしています。言葉の一音一音,文字の一字一字にも神さまの御心が存在するからです。私たちの日本語は祝語であるのです。

したがいまして,ポンコツ弁護士なんて言葉は書いてはいけないのですが,偶に本音が出て来てしまいます。

わたし達,人間には,神さまから授かった言葉と文字があります。自分の意思「思いや考え」を相手に伝えるためにどう云った言葉や文字を使えば,自分の意思が相手に伝わるのか意識的に考えながら伝えて行くことは大事なことであると私は感じています。又,そう言ったことを職業の1つにもしています。なかでも文書で自分の意思や主張を相手に唱えることはとても難しい分野です。

対面での会話や対話においても,一言が足りないばかりに紛争にもなりますし,相手に誤解を与えてしまう場合もあります。たった一言が言えないばかりにせっかくの縁が終わってしまうなんて言うことさえも現実にあります。日本語は,特にそう言ったことが云える言葉を持ち合せているのではないでしょうか。そもそも私たちが現在話している言葉は日本人が本来,話していた言葉ではないとさえ言われています。つまり,わたし達の遠い祖先は全く違った言葉を話していたのです。大和言葉と云う言葉が日本人の本来の言葉だと主張する人もおります。わたしも大和言葉を勉強したいと考えている一人ではありますが,なかなか時間が無くて勉強したと云えるまでにはなっていません。その時代時代によって変化し続けて来た日本語をもっと知りたいと云う好奇心があります。

古神道には,太古から言葉や文字には霊が宿るとされた言霊信仰と云う信仰形態がありますし,口は災いの元と言った先人からの言い伝えも御座います。これは本当のことでありますが,それよりも以前には,言葉そのものが存在せずに,お互いの意思の伝達はテレパシーを使っていたり,文字だけの文明も存在していたようです。カタカムナ文明と云う大変興味深い時代も縄文時代以前に日本にはあったようです。もちろん,今のような「ひらがな」や「カタカナ」の文字ではなく,神代文字と呼ばれる独特な文字と云うか記号のようなものです。そのほとんどの文字が渦を巻くようなカタチ「図式や図形」をしていて,現代語を話す私たちにはとても解読できるようなものではありませんでしたが,近年,研究者の努力の成果によって少しずつですが解明されて来ております。

簡単に意思表示できる便利な世の中ですが,メールのやりとりなどは,これから注意が必要に思われます。拝


 

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。

又,人はそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

そしてまた日本人の本当の性質を勇気を以て再び伝え広めて行きたいです。

そのことが日本を取り戻し,日本人としての誇りを取り戻す真の意味だと考えます。

観世音菩薩とともに。花咲あさひ 拝