花咲あさひ の 心神とともに。古神道と和の仕組の復活への道

感謝・反省・謙虚・奉仕・素直・勇気・結び・歓び・怒りあと1つの心柱は?
観世音菩薩は裸足で山を飛び出して行きました。

最後の宮大工 西岡常一棟梁 3

2018年02月27日 16時45分11秒 | 奉仕の心柱

こんにちは。

最後の宮大工の西岡常一棟梁。

その西岡家に代々伝わる口伝を昨日も紹介させて頂きましたが,西岡家を含む歴代の法隆寺の棟梁のみに伝えることが許されて来た秘伝には,どんな意味が説かれて来たのかを生前,西岡棟梁が書かれた著書から引用して掲載させて頂きたいと思います。

きっと,数千年と云う気の遠くなるような永い年月を経て繰り返しその時代時代の棟梁に代々伝え続けられて来た口伝・秘伝ですから現代の私たちでも学べることがたくさんあると考えます。たとえば,大工の親方と若衆,茶道や華道の師匠と弟子,会社の社長と社員,親と子など先人たちの知恵から何を学ぶかは私たち次第であります。歴代の法隆寺棟梁にだけ許される口伝です。

引用著書:木のいのち 木のこころ 著者:西岡常一棟梁

1.神仏をあがめずして社頭伽藍(しゃとうがらん)を口にすべからず。

 口伝曰く,

これは神の道を知らんものは神社建築を口にするな,また仏の道を知らぬものは堂塔伽藍を口にするなということですな。これは何も神道や仏教の専門家にならねば手を染めてはならんということではないんですな。自分が造ろうとしているもの,かかわっている仕事がどんなものか知らなならんという宮大工の心構えですな。金のためだけに仕事をしてはならんということでしょう。

法隆寺は聖徳太子が仏法者を育てるための場所として造られたんです。その仏法によって国を治めようとしたんですな。その聖徳太子の教えがどのようなものかぐらいは知らんと,法隆寺の修理にも解体にもかかわれませんな。私がこの仕事にかかわるとき,法隆寺の管長の佐伯さんがいいましたもんな,法華経ぐらいは目を通しておけって。

この口伝に似たもので,こんなものもありますのや。

家宅は住む人の心を離れて家宅なし。

家宅を造るならそこに住む人の心組みを受けて,その意を汲んで造作しなさいということですな。まあ,大工のわがままや,自分の儲けで造るなということです。寺は仏さんの住むところやから仏さんの心組みを忘れるなということでしょうな。

以上

第1の口伝は,神仏への崇敬心を大前提とした宮大工の心構えを口伝されています。少し前にも大手建設業「ゼネコン」で,儲けを追求するあまりにセメントを実際の図面より少なくしたり,杭を減らしたりといったことが大問題となりました。このような事が建設業界では日常的なことと言えるかどうかは分かりませんが,実際の図面に沿わない形で建築して行けば耐震性も耐久性も期待できません。つまり,人の生命にかかわる重大な事柄です。そう言った反道徳的な考え方や心構えでは仏さまの住むところは造れませんし,造らせる訳にもまいりません。又,西岡棟梁の説明文において法隆寺の管長さんに法華経ぐらいは目を通して置くように言われたと書かれていますが,わたしは,法隆寺の管長さんが仰りたかったことは法華経を文字図らだけで理解するのではなく,法華経の精神を心の目で読み解くようにと言いたかったのではないかと想像しています。これが音霊なのであります。

漢字で書かれている法華経をただ読んでいるだけ,又,唱えているだけではなく,法華経に書かれている言葉の奥を観るのであります。その時に,自分自身が直感的に感じたことが音霊なのです。この音霊については,過去にも何度か書かせて頂いていますので検索ツールを使って宜しければ読んでみて下さい。音霊を観ることこそ古神道の真髄ですし,音霊をこそ内なる声でもあります。

古神道で云う審神者です。音霊と言っても実際に耳に聴こえてくる音ではありません。目には見えない音ですから波動と言った方が解かりやすいと思います。この波動を読み取ることを審神者と申します。海や山や川などの自然からも目には見えない波動を発しています。その自然が私たちに発している波動を自分自身の心に建つ心柱(みはしら)に降ろして観るのであります。そうすると言霊が生まれて,私たちは言葉をしゃべることが出来るのです。つまり,自分自身の心次第で言霊も言葉も変わると云うことなのです。


 

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。

又,人はそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

そしてまた日本人の本当の性質を再び伝えて行きます。

そのことが日本を取り戻し,日本人としての誇りを取り戻す真の意味だと考えます。

観世音菩薩とともに。花咲 あさひ 拝



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