花咲あさひ の 心神とともに。古神道と和の仕組の復活への道

感謝・反省・謙虚・奉仕・素直・勇気・結び・歓び・怒りあと1つの心柱は?
観世音菩薩は裸足で山を飛び出して行きました。

最後の宮大工 西岡常一棟梁 1

2019年04月27日 05時37分32秒 | 奉仕の心柱

こんにちは。

私の好きな方の中に,法隆寺を修復する棟梁の家系に生まれ,自らも棟梁となった西岡常一棟梁が居られます。NHKなどの番組で特集されたり紹介されていたようなので御存知の方も結構多いように思います。日本が誇る宮大工の最終者でもあり,薬師寺の復興にも総棟梁として若衆や技術者へ口伝されていた御方です。西岡棟梁が最も拘り続けたものが木です。木材の癖読みは今でも語り続けられるほどの眼力を備えていたようです。木と会話をしながら,木と呼吸しながら寺院を建築されていたのですから驚きです。

もし,生涯学習として人物研究をしたいとすれば,私は鎮守の森を守り続けた「南方熊楠」さんと最後の宮大工「西岡常一」さん,そして報徳思想の「二宮尊徳」さんです。私がなぜ西岡常一棟梁を知ったかと申しますと東日本大震災で被災した寺院の復興を約5年間ほど任されて居た際に,お寺の本堂建築を請け負った宮大工A棟梁からお話を伺ったからであります。そのA棟梁は,とても気性が激しく自分の腕(技術)には絶対の自信を以ていました。本当なのかな?と当初,私も思っていましたがA棟梁の地元では有名で,実際に過去建築した寺院をA棟梁と見学に何度も行きましたが,住職さんや檀家総代さんからも絶大な信頼を得ていました。

又,A棟梁は図面を見ないのです。全部,自分の頭の中に入っているのです。

図面を作製する一級建築士もA棟梁には敵わず,逆にA棟梁から教えてもらうことがほとんどでした。

頑固で気が荒く,自分の腕には絶対的な自信を以ている昔ながらの職人気質であります。私も復興事務局の責任者でしたので,このA棟梁とは何度も衝突しておりました。A棟梁もお前みたいな若い奴に何が解かる?と言わんばかりです。そんなA棟梁ですが,何故か憎めないことろがあり,こちらが謙虚になって技術のことを聞くと何でも教えてくれました。夜中に為ろうが何時間でも私の質問に正面から答えてくれていました。おかげで最後には,私も多少の知識を得ることが出来るように成長したのです。毎日の様に夜中まで激しくぶつかり,納得が行くまで協議し合った日々が今となってはとても懐かしく思えます。A棟梁は自分の技術を売りに来ていたかも知れませんが,私は700年続くお寺を護持する為に居るのですから易々と引き下がる訳には行きませんでした。

きっと,西岡棟梁も同じような性格であったのかも知れません。生前,西岡棟梁が書かれた本の中で,私が特に強く印象を受けたのが「穢れ」についてでした。西岡棟梁の穢れに対しての概念と申しますか観念と申しますか考え方は私も全く同じであったのです。西岡棟梁曰く「宮大工は一般の住宅を建築したらあかん」「一般の住宅を建築すると穢れが付いてしまうから建築したらあかん」と言っております。一見すると何を言っているのか意味が解りません。しかし,その理由はちゃんとあるのであります。

その理由を今日と明日に渡って書かせて頂きます。

先ず,穢れるとは「気が枯れる」ことを指します。汚いとか汚れとは違います。

つまり,商売の頭で計算していては,神社や寺院の建築は出来ないと云う意味であります。商売は損得勘定に基づいて商いがされて行きます。何処まで行っても損得勘定で計算しないと大損してしまいますし,そもそも経営が成り立ちません。経営が成り立たなくなるとそこで働く人々は失業してしまいます。食べて行けなくなりますから,現代においても企業は営利を目的にする営利法人と云う大前提であり当然であります。しかしながら,神社や寺院は,始めから営利を目的としていません。確かに,定款に定めれば営利行為は可能ですが,これはあくまでも理論上のことであります。その為に,神社や寺院は法律上も一般企業と比べて法人格も別ですし,税制も非営利事業に対しては不可税となっています。又,寄附金などを募集し,寄附を受けることも可能となるのです。

そう言ったことからも神社や寺院の建築は,損得勘定を以てすることは御法度で,数千年の昔から親方から弟子へ繰り返し口伝され続けて来ました。決して,損得だけで考えたならば少なくても数千年も継承して行くことは出来なかったであろうと思います。建築に使用する木材も損得勘定で考えたら安く仕入れて高く売るようになってしまいます。そうなれば,木材の寿命も低減し,地震などに耐える耐震性や免震性も期待できず,湿気の多い山間部に建立する場合を考えても木材は直ぐに腐敗して保湿性も度外視するようになります。安い木材を仕入れて神社や寺院に高く売ることは出来ないのであります。そこが一般企業とは決定的に違うのです。

それでは,損得勘定や銭勘定抜きで昔ながらの宮大工が存続できるのか?

そうなのです。結論から申し上げますと宮大工は,現在の日本には存在しません。

西岡棟梁が最後の宮大工と云われる所以がここにあります。

神社や寺院は一度,建立すると数百年は偶にある補修や修繕のみとなりますので,宮大工が食べて行けないじゃないかと思われると思います。私も同じ様に感じました。それでは,一般住宅を建築しない本物の宮大工が存続できるのか?です。そのことも西岡棟梁は本の中で書いていますが,昔から本当の宮大工は一般住宅を建築することが出来ないので「農家を兼業していたんです」「お寺の仕事が暇になると農業をしてます」「そしてお寺の仕事を頼まれると宮大工をします」このように宮大工と農業を兼業することによって一般住宅を建築しなくても食べて行けたのであります。現代にこの考え方を当て嵌めるには農業が衰退していますから無理がありますし,現在は,建設業法などの法律もありますから資金が潤沢でないと無理です。そもそも今の建築士さんでは社寺建築を理解できません。したがいまして,現在の宮大工さんは精神性は抜きにして,技術だけを継承していると考えると良いと思います。

この様にして文化や伝統は消えて行くのでしょうか?

明治時代に一部の官僚によって立案された神社合祀政策。そしてそれに真っ向から猛烈に反対し続けた南方熊楠さん。建築業法などの理屈で世界に誇れる技術者集団である宮大工を日本から消滅させ,それを推進する大学教授対しては鬼の如く徹底的に議論し続けた最後の宮大工西岡常一棟梁。わたしは,ここから何か学べるような気がしています。二人に共通するものは何なのか?やはりそれは和の心であったのだと思います。時の官僚政策が本当に正しかったのか否か歴史が判断する以前の問題であると考えます。

そのあたりのことを明日,書かせて頂きたいと思います。拝

  

毎日,クリック応援ありがとう御座います。

太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。 

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

心柱神社 心神とともに。花咲あさひ 拝


最新の画像もっと見る