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花咲あさひ の 心神とともに。古神道と和の仕組の復活への道

感謝・反省・謙虚・奉仕・素直・勇気・結び・歓び・怒りあと1つの心柱は?
観世音菩薩は裸足で山を飛び出して行きました。

予科練から神風特攻。そして,ひめゆり学徒隊 2

2019年11月20日 03時37分50秒 | 豊葦原瑞穂国新聞

 

こんにちは。昨日は「予科練から神風特攻。そして,ひめゆり学徒隊 1」を書かせて頂きましたので,今日は続きを書かせて頂きたいと思います。以下の黒文字は昨日の記事の一部です。

>しかし戦局は悪化の一途を辿り,敵が本土に迫った時,そのほとんどが神風特別攻撃隊員となって,一機一艦必殺の体当りを決行したのです。名も命をも惜しまず何のためらいもなく,ただ国を救うことのみに無限の未来を秘め祖国と家族を守るために尊い命を捧げたのであります。創設以来終戦までの予科練の歴史は僅か15年3ヶ月に過ぎません。しかしながら,祖国の繁栄と同胞の安泰を願い,たくさんの少年たちが全国から志願し,その予科練卒業生の8割が未曾有の国難に殉じ特攻による戦死をしたのです。私たちの今の生活があるのは,先の大戦で決死の覚悟で戦った英霊の御蔭であることは言うまでもありません。拝

昨日の記事では,予科練と云う神風特攻隊に入隊することをほぼ前提とした若い14歳から17歳の少年兵について書きましたので,今日は主に予科練を卒業し,特攻隊へ入隊してから出撃するまでの内容を書かせて頂きます。予科練を卒業した予科練習生の多くは特攻隊へと入隊することになりましたが,特攻隊が本格的に部隊として編成されたのは昭和19年10月でした。アメリカ軍のレイテ島上陸作戦により,日本軍の最高統帥機関であった大本営は「捷一号作戦」を発令しましたが,フィリピンのマバラカット飛行場では第10期生を主軸とした特攻隊員13名が自ら志願し,第一次神風特別攻撃隊として4つの隊が編成されました。その4つの隊とは「敷島隊」「大和隊」「朝日隊」「山桜隊」であります。特攻一番機は第一次神風特別攻撃隊の総指揮官で且つ,敷島隊の隊長でもあった関行男大尉でありました。その戦果はアメリカ海軍の護衛空母であるセント・ローを特攻により撃沈しました。

今現在でもフィリピンでは,日本の神風特攻隊は英雄とされお祀りされていて祭祀施設も建設されております。

第一次神風特別攻撃以後,終戦に至るまで,航空機による敵艦船に対する攻撃は,主として20才に満たない予科練出身の少年たちの特別攻撃に依存せざるを得ない状況になっていました。また,日本軍はありとあらゆる特攻兵器を開発して行きます。たとえば「人間ロケット:桜花」「人間魚雷:回天」などは御存知の方も多いことだろうと思います。そして,この特攻兵器を操るのは未だ少年の域から抜け出ない若い10代の特攻隊員でした。当時,大本営は昭和天皇に特攻隊の戦果を報告すると,昭和天皇は「そこまでせねばならぬか」と大本営参謀に話されていたようです。一方,アメリカ海軍などの連合国軍は,日本の特攻隊と特攻兵器について正気の沙汰ではない。日本軍の上層部は何を考えているのか?まだ子供で若い兵士をしかも特攻させるなんて信じられないと驚愕していました。この特攻はアメリカ海軍にもの凄い恐怖を与えていたようです。特攻が決行された後の艦上は火だるまとなり,搭載されている爆弾や弾薬が四方八方に飛び散り,死傷したアメリカ兵の損傷状況があまりにも酷い状態であったようです。

以上,特攻隊のほんのごく一部を書かせて頂きました。現代は,インターネットなどでも予科練や神風特攻隊のことはたくさん勉強できますので是非,若い人たちは少しでも学んでほしいと思います。史実や歴史に学ぶことはとても素晴らしいことでありますし,社会に出ても必ず役に立つ時が来ると感じております。そして,自分の頭で考え,自分の心で感じ取り歴史から何を学ぶかでその後の生き方に良い意味で影響することであろうとも考えています。特に,先の大戦から学ぶことはとても多いはずです。

私も特攻隊や予科練について詳細に記事にすると3日間では到底,書き切ることが出来ないのでこの辺りで次回へ譲りたいと思います。特攻隊の多くの隊員が出撃の前に愛する家族に宛てた手紙や遺言があります。又,出撃する直前には七生報国と書かれた鉢巻をされておりました。この七生報国の意味は多くの方がご存知であると思いますが,特攻隊員がしていた七生報国の真の意味は「七たび生まれ変わっても祖国と家族を守るためならば,あと七回来てやる」と云う意味だと私はそのように思います。毎年,この8月15日前に政治家の靖国神社の参拝がテレビなどのニュースで騒がれます。毎年です。先般,防衛大臣に着任された稲田防衛大臣も靖国参拝はされないようですが,いつになったら近隣諸国の顔色を窺わなくても政治家が堂々と参拝できる日が来るのでしょうか。

最後に先の大戦後に各国の要人や著名人が日本と日本人のことについて述べているものをいくつかご紹介させて頂きます。

●ハーバート・フーバー(元米国大統領、ルーズベルトの前任者) もし我々が日本人を挑発しなかったら、日本人から攻撃を受ける事は決して無かったであろう。

スカルノ大統領 我々が(オランダから)独立を勝ち得たのは,日本があれだけ戦ったのに,同じ有色人種の我々に同じことが出来ない 訳はないと発憤したからである。

朴鉄柱(韓国 韓日文化研究所) 大東亜戦争で日本は敗れたというが,敗けたのはむしろイギリスをはじめとする植民地を持った欧米諸国であった。彼らはこの戦争によって植民地をすべて失ったではないか。戦争に勝った敗けたかは,戦争目的を達成したかどうかによって決まる,というのはクラウゼヴィッツの戦争論である。日本は戦闘に敗れて戦争目的を達成した。日本こそ勝ったのであり,日本の戦争こそ”聖なる戦争”であった。ある人は敗戦によって日本の国土が破壊されたというが,こんなものはすぐに回復できたではないか。二百数十万人の戦死者は確かに帰ってこないが,しかし彼らは英霊として靖国神社や護国神社に永遠に生きて,国民尊崇対象となるのである。

以下は,特攻隊員の遺言です。

大日本帝国海軍 林 市造少尉(大正10年生まれ 昭和20年4月12日 沖縄方面にて特攻戦死 24歳)
母への便り その後元気の事と思ひます。 私達の名前は神風七生隊です。本日その半ばが沖縄沖の決戦に敵船団に突入しました。私達の出撃も二,三日中に決まっています。 お母さん,私が死んでも淋しがらないで下さい。名誉の戦死,それも皇国の興廃をかけた戦いに出て征くのですから有難いです。 飛行機で九州に入ってから博多の上は通りませんでしたが,腹一杯歌を唱ってなごりを惜しみましたよ。

もう余り思いのこすことはありません。

出撃の服装は飛行帽に日の丸の鉢巻をしめて,純白のマフラーをして,義士の討入りのようです。 お母さんの千人針は右に万人は左に,たおるとも・・・の書いてある国旗も身につけてゆきます。 お母さん達の写真をしっかりと胸にはさんで征こうと思っています。お母さんが見て居られるに違いない。祈って居られるに違いないのですから,安心して突入しますよ。 お別れには,いなりずしと羊かんがつきますよ。弁当をもって征くのもなかなかよいですね。立石さんからもらったかつおぶしもお守りと一緒に持ってゆきましょう。お母さんのとこにゆくのに一寸海の中をほってゆかねばならないのですから。

何だか夢のようです。明日はいないのですからね。

お母さん,ぐちをもうこぼしませんから、お母さんも私についてこぼさないで下さいね。泣かれたとてかまいませんが、泣いて下さいね。やっぱりあんまりかなしまないで下さい。 私はよく人に可愛がられましたね。私のどこがよかったのでしょうか。こんな私でも少しはとり得があったんだなぁと安心します。ぐうたらのまま死ぬのは、やはり一寸つらいですからね。 私は甘やかされましたね。今から考えると勿体ないです。境遇のよかったことは私の誇りです。この誇りを最後まで保持しようと思います。私から境遇を引いたら零です。随分ぐうたらですが、一人前で人の前に出られたのが有難いです。なにか変な話になりましたが、今日は一寸ねむいです。又時間があったら書き加えましょう。 もう余りなごり惜しまなくてもよいですね。ここらでお別れ致しましょう。なごりはつきませんね。お別れ致しましょう。

市造は一足先に天国に参ります。天国に入れてもらえますかしら,お母さん祈って下さい。

お母さんが来られるところへ行かなくてはたまらないですから。

お母さん さようなら。

英霊の御魂が天国で安らかでありますよう心より御祈念申し上げ,私たち子孫を見守り続けて頂けるよう励んで参ります。

花咲 あさひ 拝


予科練から神風特攻。そして,ひめゆり学徒隊 1

2019年11月19日 06時37分19秒 | 豊葦原瑞穂国新聞

 

こんにちは。

この2日間,昭和天皇に関する過去記事を掲載させて頂いてきたので,本日も過去記事を掲載させて頂きます。

以下,過去記事です。

こんにちは。先日,千葉県の成田市に御鎮座されます麻賀多神社へ参拝させて頂きました。御存知の方も多いと思います。麻賀多神社は,あの日月神示「ひふみ神示」が降ろされた天日津久神社があるところです。その帰り,隣の茨城県に仕事の用事があったので自動車で向かっている途中,阿見町と云うところを通過したときにあることを思い出していました。それは,2008年頃から研究していた神風特別攻撃隊「特攻隊」についてでした。この茨城県にある阿見町には,特攻隊への入隊を前提とされていた14歳から17歳までの若い人たちで構成された予科練があった場所です。私の大叔父も予科練から特攻隊へ入隊し,出撃の数日前に終戦を迎えました。今日と明日と明後日の3日間は,ただ純粋に国の為に朝夕と厳しい訓練に励んでいた予科練習生,愛する国と故郷,家族の為に尊い命を捧げた特攻隊員,そして,本土決戦で激戦地となった沖縄ひめゆり学徒隊を記事にさせて頂きます。いよいよ明後日,8月15日は71回目の終戦祈念日を迎えます。いま私たちに出来ることは,後世に伝え残すことだと考えます。

先ずは,下記の予科練から神風特攻隊として出撃される前にお母さんへ向けた遺言書をご覧ください。

僕はもう,お母さんの顔を見られなくなるかもしれない。 お母さん,良く顔を見せて下さい。 しかし,僕は何んにも「カタミ」を残したくないんです。 十年も二十年も過ぎてから「カタミ」を見てお母さんを 泣かせるからです。 お母さん,僕が郡山を去る日、自分の家の上空を飛びます。 それが僕のあいさつです。母上様。

(資料出処:予科練平和記念館)

この遺言は,予科練から特攻隊へ入隊し,昭和25年5月4日に弱冠19歳と云う若さで,特攻作戦のため出撃され沖縄で特攻戦死された福島県出身の茂木少尉が大好きな母上様に宛てた最後の御手紙であります。

上の画像は,知覧特攻平和会館に所蔵されている,燃えさかる特攻機から6体の天女が特攻隊員を救い出し,昇天の様子を描写させた画です。目で見ると確かにこの画像は,作者の鎮魂の祈りが描写させて描かせたものですが,この画のとおりのことが実際に起こっておりました。日本神界の神々様から仏界におられる菩薩様も総出で戦禍に赴いた御霊の救出と昇天をさせておりました。きっと,この画を描写した作者には,後世に伝えるために神懸りにより筆を取らせて描かせたものです。

それでは,予科練について記事にさせて頂きますが,予科練を語る前に,特攻について少し書かせて頂きます。特攻隊には幾つかの部隊が存在しておりました。陸軍や海軍に所属し,予科練はその内,海軍に所属する「海軍飛行予科練習生」のことを通称:予科練と呼んでいます。特攻隊員の多くは予科練の所謂,卒業生で卒業後はほとんどの少年が特攻隊へ入隊しています。14歳から17歳ですから中学2年生から高校2年生の未だ未成年の子供たちであります。これが少年特攻と言われる所以です。今とは想像もつかないと思いますが,これが現実でありました。特攻隊員は18歳以上の若者が出撃されたと云う風習になっていますが,私が研究している課程で元特攻隊員の方とメールですがやり取りさせて頂いた際に,17歳未満の特攻隊員も存在していたと話されていました。

いまの若い世代の人は,特攻や特攻隊と云う言葉すら聞いたことがないかも知れませんが,私たちのすぐ近くの御先祖様です。この特攻と言う言葉は,特別攻撃の略称で,航空機や水上・水中兵器に爆弾を搭載して,当初から死を持って敵戦艦に体当たりして撃破するという攻撃です。つまり,はじめから死を覚悟して出撃するのです。本格的に特攻隊が部隊として編成されたのは,昭和19年(1944年)の10月です。特攻隊員13名が志願により選出され,第一次神風特別攻撃隊としてそれぞれ4部隊が結成されました。最初の特攻攻撃の戦果が確認されたのが10月25日でした。

しかしながら,私も研究をしていて実は,特攻一番機の前に伝説となった「特攻ゼロ号」が存在していたことが判りました。敵がいなければレイテへ行きますと言って飛び立った伝説の英霊です。正式に大本営にて特攻したのかどうかの確認が出来ていないために,伝説の特攻ゼロ号と呼ばれるようになったのです。また次の機会で記事にさせて頂きたいと思います。

毎度のように話が少し逸れますが,アメリカの9.11の悲惨な出来事をまるで日本の特攻隊のようだとマスコミがニュースなどでコメントしていたり,第2の真珠湾などと言っていたりしていましたが,これはとんでもないことです。9.11のテロリストと我が国の特攻隊の御魂を一緒にするような発言は無礼にもほどがあると思います。私たちの御先祖様と一緒にしないで下さい。

話を戻しますが,予科練は,海軍飛行予科練習生で年齢は14歳から17歳の即ち,少年航空兵のことであります。この制度が出来たのが,昭和5年6月1日で,第1期生79名でした。当初は,横須賀海軍航空隊に予科練習部を設置し,その後,全国から5,800名の志願者から厳選され昭和14年3月には霞ヶ浦湖畔に移り,大東亜戦争が開戦すると航空兵の増員が急務となったのです。そして,予科練習生は優れた搭乗員としての人間形成と,厳しい訓練をものともせず,航空兵としての実力を身につけて行きました。さらにエピソードの1つとして,昭和12年8月14日,中国本土に孤立する居留民団(日本人)を救助するため,暗夜の荒天を衝いて敢行した渡洋爆撃にその初陣を飾って以来,予科練を巣立った若人たちは多くの偉勲を重ね,大東亜戦争では名実ともに日本の航空戦力の中核となり戦ってきました。

しかし戦局は悪化の一途を辿り,敵が本土に迫った時,そのほとんどが神風特別攻撃隊員となって,一機一艦必殺の体当りを決行したのです。名も命をも惜しまず何のためらいもなく,ただ国を救うことのみに無限の未来を秘め祖国と家族を守るために尊い命を捧げたのであります。創設以来終戦までの予科練の歴史は僅か15年3ヶ月に過ぎません。しかしながら,祖国の繁栄と同胞の安泰を願い,たくさんの少年たちが全国から志願し,その予科練卒業生の8割が未曾有の国難に殉じ特攻による戦死をしたのです。私たちの今の生活があるのは,先の大戦で決死の覚悟で戦った英霊の御蔭であることは言うまでもありません。


昭和天皇 終戦の詔勅に秘められた祈り 2

2019年11月18日 05時22分29秒 | 豊葦原瑞穂国新聞

こんにちは。

昨日の過去記事「昭和天皇 終戦の詔勅に秘められた祈り 1」の続きを書かせて頂きたいと思います。

その昨日の記事で,東京大空襲に纏わる内容とその作戦を計画立案した起案者についてご紹介させて頂きました。広島と長崎への原爆投下並びに東京大空襲のことについては,さらに別の機会で記事にして行きたいと思います。何ら罪もない私たちの先祖がたくさん犠牲者となった歴史の事実は伝えて行かなければならないことであります。私たちの先祖の犠牲の上に,私たちの今の日常があり,生活が存在できることに想いを寄せることは日本人であれば当然のことであります。神風特攻隊の史実もしかり,沖縄のひめゆり隊の史実も同様に後世に伝えなければならない歴史がたくさんこの国にはあります。靖國神社においてもそうです。

そこで今日は,いよいよ日本が終戦を迎えたとき,天皇陛下御自ら国民へ終結宣言がされた終戦の詔勅「通称:玉音放送,以下同様」について記事にしたいと思います。きっと,私たちくらいの若い年代の人は,玉音放送と云ってもおじいちゃんやおばあちゃんから聞いたことがあるくらいの話だと思います。しかし,この玉音放送には,昭和天皇の祈りのメッセージが込められていて,さらに,天皇家の御祖神である天照太御神そして,歴代の天皇への謝罪の意も込められている御言葉だと私は思っています。あの玉音放送を昭和天皇はどのような御気持ちで国民に向けて語られたのかを想像すると胸が痛くなります。それぞれの各人が素直な心柱で感じ取って頂ければと思っています。

その玉音放送で読まれた文書の中に「耐えがたきを耐え 忍びがたきを忍び」と云う日本の復興についての御言葉はあまりにも有名でありますが,それよりも私は「皇祖皇宗ノ神霊ニ謝セムヤ」と云う御言葉がその意を表しているように考えています。つまりそれは,天津神からもっと言えば,さらに国津神からお預かりし国民「おほみたから」と歴代天皇が守り続けてきた祈りを戦争と云う形で失ってしまった。そのことを私はどのように天照太御神と歴代天皇に謝罪すればよいのでしょうかと云った,我が国の最高祭主としての悲痛な言霊でもあると感じています。そのことを想像するだけでも昭和天皇の苦悩とは想像を絶するものであったと思います。天皇はありとあらゆる祭祀を司る最高祭主であります。

以前にも記事にさせて頂きましたが数千もの間,歴代天皇は,なぜ我々国民の平穏と幸せを天照太御神へ毎日祈り続けるのでしょうか。

もし宜しければ読んでみて下さい「伊勢神宮1300年続く 永遠なる祈り」と「伊勢神宮と出雲大社 国津神と天津神 」です。

すべての祀り事,祭祀を司る立場にある最高祭主の天皇陛下が天照太御神から預かった国民「おほみたから」を戦争と云う最も神から遠く,神の神意に叶わない方法で失うことへの想いは,玉音放送にも「五内爲ニ裂ク」とありますように我が身を引き裂かれる思いであったに違いないと私も考えております。政治と云う祭り事の最高責任者と国家国民の安寧を祈り続けることを使命とする最高祭主として戦争へと突き進んでいった史実は隠された秘め事もたくさんあるのであろうとも想像しています。又,玉音放送に至るまでの過程においても様々な人の思惑や思想,信条が入り交わり終戦の詔勅が作成されたのだと考えますが,決して昭和天皇の意思のみで戦争へ突き進んだのではありません。

神道が戦争を誘起させたと云う所謂,左派の皆さんはもっと勉強して頂きたいと思います。左派の論客が主張している国家神道が戦争をさせたと言わんばかりですが,それはぜんぜん違います。一部の軍人が,天皇と神道を利用して「戦争」国家神道を確立させたのです。

そして最後の箇所に「國一家子孫相傳ヘ確ク神州ノ不滅ヲ信シ任重クシテ道遠キヲ念ヒ總力ヲ將來ノ建設ニ傾ケ道義ヲ篤クシ志操ヲ鞏クシ誓テ國體ノ精華ヲ發揚シ世界ノ進運ニ後レサラムコトヲ期スヘシ爾臣民其レ克ク朕カ意ヲ體セヨ」と語りかけられております。国とそれぞれの一家の子孫にも絶えなく伝え,語り続けて行き,確固たる神の国は不滅であることを信じ,これからの復興がとても遠い道のりであることを皆が覚悟し,国家国民が総力を挙げて将来の建設に傾けて常に正しい道を歩み忘れず,世界の流れに遅れることがないように固く決意しなければなりません。ひとり一人の国民は,私の意をよく理解して行動に移しなさいと語られております。つまり,この戦争でのさまざまな出来事や事柄を将来の子供たちへ絶えなく伝え,語りかけて行くこと。そして,日本は神の国であり不滅であることを信じて,国と国民の復興を国家国民が総力をを挙げ,叡智を結集し新しい日本の建設を道徳と努力を忘れずに歩んで行くことが天皇の意であると私は解釈しています。

玉音放送「終戦の詔勅」から今年で,71年目の終戦祈念日を迎えます。戦争を経験された人もだんだんと少なくなって行き,伝え語り継ぐ人たちも少なくなっています。そんな時代だからこそ今一度,戦争の残虐性と恐ろしさをいま生きている私たちが後世へ伝えることが大切であると思っています。ちょうど現在,憲法改正の議論と集団的自衛権の議論が盛んになっています。これは,昭和天皇と先の大戦で犠牲になられた御霊からの伝え,語り続けるを忘れてはならないと云う重要なメッセージであるとも私は考えております。この国は,五穀豊穣を祈る国なのです。太古の昔から和と相互扶助が生き残る唯一の道だと云うことは過去の歴史が証明してくれています。理屈に騙されてはいけません。

学歴と偏差値,相続によって仕掛けられ来たのです。そんな仕掛けに騙されないで下さい。平和ボケだの右翼だ左翼だと云う無責任で破綻した理屈(理論)はどうでもよいことです。そう言った決めつけこそが戦争を仕掛けたい人や国民を分断したい人たちの想いや仕掛けであります。その仕組みにまんまと嵌められて行った歴史に学ぶことこそ昭和天皇の意に沿うものであると思います。それを論じる前に,私たちの先祖が尊い命を掛けて引き継いでくれた御恩は何としても忘れてはならぬことであります。

花咲 あさひ 拝


昭和天皇 終戦の詔勅に秘められた祈り 1

2019年11月17日 06時26分34秒 | 豊葦原瑞穂国新聞

こんにちは。

以下の記事は,3年以上前に掲載した記事ですが、再度掲載します。

毎年,この時期になるとお中元のお届けも一段落し,8月のお盆に備えて今年の神様への御酒の銘柄選びや御先祖様への御供物の献立を考え始めます。又,他にも71年前に迎えた終戦を祈念し始める頃でもあります。日本は,世界で唯一,原子爆弾を落とされた被爆国であります。いくら戦争と言っても罪もない人たちを無差別に殺傷する残虐性にただ茫然と祈りを捧げることしか出来ない自分にもこんなので良いのでしょうかと不甲斐無さを感じてしまいます。先の大戦でお亡くなりになった御霊は天国で今の日本をどのようにご覧になっているのでしょうか。サミット後のオバマさんが被爆者と抱擁されている様子を拝見し複雑な思いが致しました。

その複雑な思いとは,こんなにも時間を必要とするものなのかと云う思いでありました。国としての姿勢や大統領としての立場,国益も考えて行かなければならないことはあるのかもしれませんが,そっと,献花と礼拝くらいは70年を待たずに出来たのではないかと思っています。戦後70年ですから原爆を体験された被爆者もどんどん亡くなってしまっています。一度でもいいからアメリカの大統領が祈りを捧げてくれる姿を観たいと感じていた方も多かったのではないでしょうか。それと,もうひとつ,東京大空襲を計画立案したカーチス・ルメイさんに対し,日本国政府は戦後,勲章を授与しています。正直言って,返して頂きたい。

戦争は人が人を殺し合うものです。そこには,兵士個人の一切の感情や人間心を持つことは出来ませんし許されないことであります。しかしながら,勲章は必要ないと私は考えます。東京大空襲の当日,東京の下町一帯にB29爆撃機が最初に決行した作戦は,下町全域を囲むように高さ数十メートルの巨大な炎の壁をつくり,住民をその炎の壁の中に封じ込める作戦を実行しました。当然,住民は逃げることなど出来ません。炎の壁の中に封じ込められた住民を次に,B29爆撃機は超低空飛行で接近し機銃掃射で目視できる住民を徹底的に射殺しました。お年寄りであろうと,女性であろうと,子供であろうと関係なしに射殺して行きました。

逃げ遅れた人々は,学校などの丈夫な建物へ避難しましたが,大空襲当日は,千葉県房総半島から入り込む強風の影響で巨大な炎の壁は猛烈な火災旋風と炎の竜巻を発生させありとあらゆる建物を焼き尽くして行きました。そうしたことも事前にカーチス・ルメイさんは本国の実験場で計算しており,下町の建物を破壊するにはどのような作戦が最も効果的で効率的であるかを繰り返し実験していました。その実験の成果は的中しました。計算通りに作戦は実行され作戦成功が本国へ届けられます。

大空襲の翌日,日本の大本営はあまりの悲惨さに昭和天皇の現地視察を拒みましたが,昭和天皇は自分の眼で現地の戦場を確認すべきとし,視察を実施されましたが焼き尽くされた人々を軍関係者の手によって大きな穴を掘り,その穴に無雑作に放り込みしたのです。その遺骨が未だに道路工事で重機を使い穴を掘ると発見されています。戦後71年を経過した今でもです。

戦後しばらくした頃だったと思いますが,新聞記者がカーチス・ルメイさんへインタビューした際に,東京大空襲をなぜ計画したのか訊くとカーチス・ルメイさんは「我々は,日本の軍事工場を破壊しただけだ」「日本は女子供でも工場で働いている」「その軍事工場とは下町の民家の中に多数ある」と話していたようです。いずれにしても罪もない人々をたった数時間の間に数十万人と云う大量殺戮を計画立案した元敵国兵に,我が国の政府が勲章を授与するなんてとんでもない話であります。戦争と云うものは,そういうものなのだと言われてしまえば返す言葉もありません。確かにその通りかもしれません。兵士同士が憎み合っている訳でもありませんし,恨みもありません。相手の兵士に待っている家族がいるんだなんて道徳的に考えていたら自分が殺されてしまいます。

過去の歴史に学ぶことは誰であろうと大切な事であると思っています。政治家だけではなく,私たちも含めて先の大戦を後世へと語り続けて行かなくてはなりません。決して忘れることなく,きちんと御伝えできるように私もたくさん勉強して次の世代へと伝える御役ができたらと思っています。今日は本題のテーマと記事の内容が違いますが,明日にまた本題を書きたいと思います。

先の大戦でお亡くなりになられてしまった御霊へ心よりお祈り致します。

合 掌


貧すれば鈍するって?何を指しているのでしょう? 4

2019年11月08日 04時31分09秒 | 豊葦原瑞穂国新聞

こんにちは。

一昨日,ある真言宗系の寺院の住職さんから,ちょっとお願いしたいことがあるので来ない?と連絡をいただきました。その住職さんとは8年くらいのお付き合いで,頭脳明晰な60代前半の御方です。ある事を悩んでいて,朝目覚めたら私のことを想い出して電話をくれたようです。普段,私は営業が苦手なので,営業をしているときもあまり仕事の話を長々としません。少しだけ仕事の話をさせていただき,あとはほとんど仕事とは関係のない話をしています。そちらの営業スタイルの方が私にはあっているようです。

ですが,そんな私でも営業の最後に一言だけ添える言葉があります。それは,何かあった時にだけで良いので想い出して下さいと云います。するとこれが本当に想い出して頂けるようです。そもそも新規のお客さまで,ましてや飛び込み営業となると営業の話を真剣に聞いてくれる人は,あまり居ませんし,早く帰ってくれないかな?と思われるのが通常のお決まりです。しかも,商品や会社の説明も長くくどくど話すと次の訪問では居留守を使われることもあり得ます。やはり,最初の営業は,短く要所だけを伝え,爽やかにしたいものです。営業職は,歩く広告塔ですから身だしなみや言葉使いに,態度や姿勢にも気を使うので大変な職種です。

そんないろいろな事が要求される営業職ですが,なかでも最も大切なことは知って頂くと云うことだと私は考えます。どんなに,良いものを作っても,どんなに良い会社でもその存在をお客さまに知って頂かなくては経済行為は生まれません。それどころか,会社の経営も出来なくなってしまいます。私の拙い経験で恐縮ですが,自分をお客さまに知って頂くとは営業の基礎基本ではないかと思います。その為にどうするか?これを考えるのが重要なのであります。私の場合,最初の1年は,少なくても1件のお客さまのところに最低5回は訪問させて頂きます。そうしてやっと自分の名前を憶えて頂ける程度です。営業職の皆さん,頑張ってください。

冒頭で紹介した,住職さんとの仕事の話しは30分くらいで終わり,その後は4時間も今の社会の問題や仏教界の問題,世界情勢や政治の問題など様々な話題について意見交換をしていると既に夜8時頃になっていました。楽しい時間はあっという間に過ぎてしまいます。その意見交換の中で,住職さんから人が背負う苦労についての話しがありました。ちょうど,このブログでも取り上げていた事柄なので興味津々にお話を伺っていると,住職さん曰く,苦労は人の魂が浄化する為には有効で,且つ,人が乗り越えた苦労は,人類の共通した意識に溶け込むと話されていました。つまり,私たちが人生において乗り越えた苦労が人類の進化に繋がっていると言うのです。これには正直,驚きました。私たちが生きていることで生じる苦労が実は,人類の共有意識に溶け込んでいると云う発想はどこから来るものなのか?しばし沈黙していると住職さんは,生命とは何か?生きると云うことは何か?それは魂の浄化であると続けます。さらに,私たち3次元で暮らす人間には,2つのプログラミングが設定されていると云います。その内,1つのプログラミングとは「破壊と再生」というプログラミング設定でした。この話は,とても興味深かった話しでした。

小さな子供が積み木を積み上げたあとにする行為を観察すると判ると云うのです。

またいつか,2つのプログラミングについて書かせて頂きたいと思います。

自分自身で体験しているさまざまな苦労が,まさか,人類進化の為になっているとは大変勉強になりました。そう考えるとどの様な苦労も決して無駄ではないようであります。私も自分の力だけではどうしようもない時,何で自分だけ苦労しないといけないんだ。こんな苦労に何の意味があるんだと思ってしまう時があります。苦労する為に生まれて来たんじゃないとも考えてもいます。

しかしながら,ほんの少しだけ考え方が変わるだけで,同じ事柄でも全く違うように解釈できるのであります。住職さんから急な呼び出しと,ちょうど人の苦労をテーマにした記事を書いている最中にドンピシャの話しが出来たことは不思議であります。しかも仕事まで頂いて帰って来ました。出会った頃は,住職さんもまだ若く,私が住職さんに気安く住職さんと話し掛けると怒られたり,仕事で頭から怒鳴られた時もありました。今思うととても懐かしい思い出です。きっと,これが縁と云うものなのでしょう。

感謝。拝


貧すれば鈍するって?何を指しているのでしょう? 3

2019年11月07日 04時07分35秒 | 豊葦原瑞穂国新聞


昨日は,平安時代に貧しいお百姓さんの為に,自ら立ち上がった平将門公を少しだけ書かせて頂きました。

その将門公は,現在の茨城県常総市に本拠地を構えますが,今の時代でも茨城県の常総・坂東一帯では絶大の人気があるのです。悲しいかな,将門公は悲運の猛将,朝廷への反逆者として後世に伝え続けられてしまっていますが,その実情は全く違います。そのことは昨日も記事にて書かせて頂いた通りですが,平安時代の当時,将門公に助けられた貧しいお百姓さんたちの感謝の想いは現代でも語り続けられており,その感謝の想いは,将門公をお祀りする祭祀場所を御守りしているのではないでしょうか。

巷で言われている,祟りに怨霊云々は,私には?です。

確かに,日本にはその様な怨霊思想と云うものが存在することは知っていますし,あるのかも知れません。しかしながら,普通に考えて見れば一般に普通に生活している人には関係のない話だと思うとともに,そもそも人のお墓や祭祀場所に興味半分,遊び気分で来たら誰だって怒ると思います。スピリチュアル気分で何とかツアーとは危険極まりない行為としか私には理解できないのです。本当にその御霊を供養したいと考えるのであれば,その行為はとても尊いことであろうと思います。祭祀にはお遊び厳禁であります。

それでは,記事の本題に戻りたいと思います。

人の心を扇動する為にもこの「苦労美化説」はされて来たのではないでしょうか?ただ苦労することは良いことだと・・・。宗教の教義や説法でも苦労を題材にしているのがありますが,言葉は人と場所をわきまえないと時には危険なものへと変貌してしまうことがあるので気を付けて行くことが大切なような感じがします。確か,前にもこのブログである宗教家が観音さまについての講演をしている音声をインターネットで拝聴したことがありました。しかし,話していた内容に対してとても疑問でした。

いいのかな・・・? そこで話を終えてしまって・・・? それ無責任じゃない・・・?

宗教家曰く,信者の皆さんへ一般の人たちは神社やお寺に厄を落としに行くんだ。しかし,わたし達は神社やお寺に役を貰いに行くんだと云う話の趣旨でした。どうでしょうか?皆さま。とても短い言葉ですが,皆さまは神社やお寺に厄を落としに行かれますか?それとも役を貰いに行きますか?私的にはもちろん真っ向から両方違うと想っていますが,私が何故その宗教家の言っている話に疑問を抱いたかと云うと観音行と云うものは自分自ら地獄の淵をさ迷っている人のもとへ行くと云うことなのであります。

生半可なことではありませんし,中途半端な事ではありません。だって,自分も地獄へ行かなければならないのですよ。そんなこと中途半端で安易な気持ちで出来る訳ないのであります。さ迷っている相手の念を自分に落とし込める人でなければ到底無理ですし,苦労の為の苦労が付きまとってしまいます。藁にもすがる思いで相手はいるのですから,やはり,生半可な気持ちでは無理です。

そのことを講演で信者さんへ話さずに,何かヒーロー役でももらえると勘違いしてしまって居る様に感じたのです。きっと,講演会に参加していた信者さんたは,その言葉をそのまま信じてしまい,人の因縁まで背負ってしまうのではないかと思います。

自分の心を傷つける苦労は絶対にしてはなりませぬ。拝


貧すれば鈍するって?何を指しているのでしょう? 2

2019年11月06日 04時21分46秒 | 豊葦原瑞穂国新聞

こんにちは。

昨日の続きを書かせて頂きたいと思います。

現代では他力本願と聞くとあまり良い方に捉えられることはありませんが,本来の他力本願と云う言葉の意味は,他人の為に救って差し上げることであります。仏教では,阿弥陀如来の本願と言われています。他力本願を説いた親鸞さんの言葉も有名ですね。

少し話は変わりますが,歴史の勉強をしていると過去の偉人を学ぶことになります。歴代天皇や皇族に貴族など。そして,戦国武将に一般庶民の暮らしに至るまで。宗教家もそうですね。その時代を懸命に生き抜いた先人の教えや生き方は,どれも私たちが生きて行く上でとても参考になります。歴史好きな人であれば,過去の偉人の言葉を座右の銘にし頑張って居られると思います。

そう言った,歴史上の「人物」を調べているとある共通することがあるのです。

それは何かと申しますと後世の私たちへ託す思いと願いです。その思いと願いは何かと云うと「他の為の奉仕」です。

つまり,現代を生きる私たちへの遺言であります。本当に日本は凄い国だなと感じるひとつでもあります。

平安時代に平将門公と云う徹底した弱者救済保護政策の実現を目指された御方が居りました。将門公は,今でも関東地方の特に,現在の茨城県坂東一帯で絶大の人気があります。当時の貧しい暮らしを余儀なくされていたお百姓さんを救済しようと日々奮闘を重ねて行きました。歴史書と云うものは常に勝った方が自分たちに有利に書いてしまう為,私たちが学ぶ歴史書は真実とは遠いものであるようです。平将門公も同じで,私たちが学んできた人物像とは違うのです。実際の将門公は慈悲に溢れた半端でない人物です。

その平将門公が,現代の私たちに向けた遺言が御座います。

どうか人の世に暮らす人々よ。他の為に慈悲を施し,悪行を消す為,善行を積むようにせよ。

実際に,将門公が言い残した言葉ではないようですが,書き記した人物が将門公の生き方を書き残したもの「将門記」の最後に書かれている言葉であります。わたし個人的には,貴族ばかりが京都の都でのうのうと贅沢に暮らし,一般のお百姓は今日の食べ物も皆で分け合っている姿に涙していたのだと想っています。そして,将門公自ら立ち上がり苦しむお百姓を救済する為に戦ったのです。

歴史上,平安時代と鎌倉時代は飢餓に疫病,大飢饉と言った災難・苦難・困難の時代でありました。私たちの先祖は,その苦しい時代を生き抜いて来たのですが,そんな時代だからこそ将門公のような慈悲の心を持ち,自分の身を犠牲にしてまで弱者救済政策を実現させようと奮闘し戦える人物が登場して来たのかも知れません。決して,自分が偉くなりたいとか言うことではありません。

歴史は,学問として捉えるか,ロマンとして捉えるかで全く違うものになります。

貧しい御百姓さんを何とか救済しようと権力者と戦い続けた平将門公でした。

現代の世の中をご覧になったらどう思われるでしょう。

続きはまた明日。拝


貧すれば鈍するって?何を指しているのでしょう?

2019年11月05日 08時22分10秒 | 豊葦原瑞穂国新聞

 

追記:コメント欄を一時期,開放致しました。

時間の許す限り,皆様方と有意義なやり取りが出来ればと考えております。

但し,如何なる宗教団体・その他の団体・個人等を誹謗中傷するようなコメントは一切,掲載致しませんので,予めご了承下さい。今後とも末永く,宜しくお願い申し上げます。拝

こんにちは。

とあるブログを興味深く読んでいたら「貧すれば鈍する」と云う言葉が書いてありました。

最初は,なるほど!と感心して読んでいたのですが,このまま「貧すれば鈍する」と云う言葉だけを意味も理解しないままを暗記するのは良くないような気がして自分なりにいろいろと考えて見ました。日本や中国にはことわざが沢山残っています。その一つひとつのことわざには,先人の体験に基づいた事や知恵を含んだ言葉として短く上手く表現されたものばかりであります。私もことわざから多くの事を学びましたが,ことわざと云うのは奥が深く,受け取る側の解釈によっては意味合いが全く違って来ます。

次の故事ことわざ辞典には,このように書いてありました。

貧すれば鈍する 

読み:ひんすればどんする。

意味:貧すれば鈍するとは,人は,貧乏になると利口な人でも愚かになるということ。

 参照ページ:http://kotowaza-allguide.com/hi/hinsurebadonsuru.html

他にもインターネットで普段みなさんが「貧すれば鈍する」と云う言葉をどのような理解でいるのか知りたくなっていろいろ調べてみましたが,だいたい皆さん同じような意味で使われているようです。今,このブログを読まれている皆さまは如何でしょうか?やはり,辞典に書かれているような意味で使われているでしょうか?しかし,貧すれば鈍すると云う言葉は,一体何を指しているのでしょうか?金銭を指すのか?それとも心の内を指すものなのか?つまり,2つの大きな区分けが必要ではないかと思います。

先ず,1つ目は「経済」の問題。そして,2つ目は「心」の問題です。

心と云うと判りにくいかもしれませんので,少し想像しやすいように「道徳」としても良いと思います。きっと,私も含め言葉だけを読んでみると経済的な金銭を見据えて書かれている様に思います。しかしながら,少し深く考えて想像して見ますと,いやいや経済的な金銭だけでは何とも理解しがたいことが判りました。私なりの結論は「心」の方を指しているのであると考えます。

実は,何故この様なことを考えていたのかと云うと,常日頃,私たち人は苦労する為に生まれて来たのではないと云うことを感じているからであります。苦労の為の苦労は,苦労でしかなく,それでは苦労する為に生まれて来たようなもので,無意味な苦労だと思うのです。過去においても苦労と云う言葉を用いて様々な引用がされて来ました。ちなみに,成長の為の苦労は努力です。

たとえば「若いうちの苦労は買ってでもしろ」「苦労している人は人の苦労が良く解る」などなど。

しかし,私は本当にそうですか?と聞きたいのです。言葉が独り歩きしている様にも感じます。

ちょっと違う気がしています。私は,苦労しなくてもよい苦労はする必要がないと考えます。それは何故かと申しますと一言で申し上げるなら「穢れ」を「畏れ」るからです。いつも書かせて頂いておりますが,穢れとは汚れや汚いと云う言葉の意味ではなく,気が枯れると云う意味での「穢れ=気枯れ」です。人は誰でも気枯れを持つと心と身体に異変が起きて行きます。精神疾患や身体の多機能不全です。疾病などもそうかも知れません。それだけではなく,日常の生活面でもだらしない生活になってしまいます。

これが一番ダメな理由です。 要はこれを「畏れ」ているのです。

成長の為の苦労は,私は努力としていますので苦労ではないのです。たとえば,仕事などで目的を達成する為に努力するのですから努力するのは当然であります。しかしながら,そこを苦労と言われてしまうと少し違和感があるのです。苦労は,自分の力だけではどうすることも出来ない事柄に直面した時に当てはまる言葉ではないかと考えます。つまり,自分以外の存在の力が必要な状況です。したがいまして,その様な自分だけの力ではどうすることも出来ない事柄に直面した時は,躊躇することなく他の存在の力を借りる勇気も必要だと思うのです。ひとりで抱えず,悩まずに他の力を頼って欲しいと思います。他力本願の意味はここにあります。

なにも恥ずかしいことではありません。自分の心を傷つけることを罪と申します。

互いに支え,助け合い,足りないところを補い続け,ともに手を取り,手を握り,

互いの違いを認め合い,互いの違いを尊重し合う。如何なることにも先ずは感謝を。

謙虚さ忘れず頭を垂れて,自ら手をあげ名乗り出る真の勇気と素直さと。

時には省み反省し,人への奉仕を忘れずに,歓びもちて結びとすれば,怒りの心も鎮められる。

こころのみはしら(心柱)祝詞の一部より。

きっと,私たち和の民であれば出来るのではないでしょうか。

花咲 あさひ 拝


そっと見つめる天津神,じっと見つめる国津神 4

2019年11月04日 04時38分06秒 | 豊葦原瑞穂国新聞

五円玉に籠められた国家の祈り。

 

こんにちは。私の住む地域では,今日は晴天で風もなく穏やかな日でありました。きっと,神社ではたくさんの七五三姿をした子供たちで賑っていたと思います。子供たちは,どの国でも宝ですから神様も御喜びのことと感じています。それでは,先日から書かせて頂いている内容の本丸に相当する部分を記事にさせて頂きます。ここからが,いよいよ本計画を実体化して行く為の総本山です。

昨日の記事の終わりに,本計画を遂行するにあたって最も適した存在とは誰かを書かせて頂きました。

それは,ズバリ神社や寺院の宗教家と総代さんや世話人さんです。神社や寺院の護持会を動かすことです。

その理由を一部だけ書かせて頂きます。

本計画を実現可能にする為には,以下に記すとおりの条件が必要です。

① すでに,全国的なネットワーク組織を有していること。

② 道義的な側面が強い立場にあること。

③ 不特定多数の人と深く関係性(関わり)があること。

④ すでに,小さくても良いのでコミニュティーが形成されていること。

他にも3つほどありましたが,ブログでは書けません(笑)以上の条件にピッタリと当てはまるのは,どこを探しても宗教家と神社・寺院しか存在していないことが判りました。そして,④は護持会に相当します。この④がとても重要です。

実際,仕組み(スキーム)作りの内容は,ほとんど理想論であります。つまり,こういう仕組みが社会にあれば良いなと思えることを自由に何らの制約も気にせずに起案することに意義がありますが,これを社会の中で,具体的にして行く為にはどうすれば良いかを結論付けて行きます。私が先ず,先に本計画を具体化するにあたって最も適した人や存在は,どのような人たちかを思案していると神社や寺院を最大限に活用することと浮かんで来たのです。神様が背中を押してくれたようでした。同時に,何故,神社や寺院を活用するのかの意味が理解できていました。ただ神社や寺院は建物ですから当然,言葉をしゃべりません。要は,神社や寺院の神職さんや住職さんと協力しながら総代さんや世話人さんを動かすことに意味があります。宗教家が中心的では意味がないのです。

明日また続きます。拝


そっと見つめる天津神,じっと見つめる国津神 3

2019年11月03日 06時20分31秒 | 豊葦原瑞穂国新聞


こんにちは。

早速ですが,一昨日の続きから書かせて頂きたいと思います。

先ず,本計画の骨子を立案する上で必要な要件(条件)を起案することから始めました。

第1項では「部門構成者及びサービス提供者」とそして,第2項では「設置前の要件(条件)」をそれぞれ立案して行き,その次に,下記の第3項の起案を続けます。この第3項からが,所謂,主たる目的の効果でもあり需要の面を掘り下げて行きます。

3.設置後の一次効果「主たる目的」

①買い物困難者の負担低減。

続いて,上記3の一次効果がもたらす波及性効果を検討して行きます。つまり,設置後の二次効果です。

4.設置後の二次効果「波及性効果」

①餓死者ゼロ,孤立死対策,孤独死対策,防犯対策,安否確認,日常生活支援,法律相談,事業者支援,雇用創出対策,地域活性化,地元商店街の活性化,児童道徳教育等。

※第1項②で書かせて頂いた,弁護士や司法書士,税理士等の士業,病院や医師,社会福祉士等は,この第4項①で活躍することになります。又,本計画の趣旨でもある一次効果の買い物困難者の負担とその二次効果「波及性効果」を同じスキームの中で同時進行的に仕切ることは困難でもあり,事務管理が膨大になるのではないかと云う懸念は当然にあります。しかしながら,ミクロの視点では十分可能であることが判りました。むしろ,ミクロでなければならないのであります。つまり,小さなコミニュティーです。

以上の第1項から第4項までの利用者の適用範囲は,前々回の記事でも書かせて頂いた通り,買い物困難者と定義付けられている人々ですが,一番大きな課題は,本計画をいったい誰が主導し,事務を統括し又,運営管理をして行くかと云う根本的な問題であります。ここまでは,あくまでも理想論であり,実際に現実的な問題は本計画を立案する以上に難題でもありましたが,私たちが暮らす社会で最も適した人物が唯一,存在しておりました。これ以上の適任者は,私の知る限りにおいてはいませんでした。

続きは,また明日以降に。拝


そっと見つめる天津神,じっと見つめる国津神 2

2019年11月02日 04時50分34秒 | 豊葦原瑞穂国新聞


こんにちは。

それでは,一昨日の記事の続きを書かせて頂きたいと思います。

日常の買い物をすることに困難な状態にある人たちを一昨日の記事でも書かせて頂きましたが,経済産業省などの行政では,買い物弱者や買い物困難者と政策上では位置付け,日本全国に推定600万人以上が存在しているとしています。又,超高齢化時代,TPPによる外国人労働者の入国などの影響により,今後も推定者数は増え続けると予想できます。

私個人的には,大型のショッピングモールの出店により,地域の商店街は閉鎖されたことも買い物弱者,買い物困難者を増やした要因の一つではないかと考えています。たとえば,徒歩以外の交通手段を有しない高齢者や被健常者の人にとっては,郊外の大型ショッピングモールへ買い物に出かけることは簡単なことではありません。

この様に,日常生活に必要な買い物をする事さえも不便で困難な人が,私たちと同じ町で暮らしております。私も計画を立案するにあたって,買い物弱者,困難者の政策を主務とする経済産業省や各都道府県にもっと詳細な統計資料や情報の開示を求めましたが,残念なことに経済産業省にしても都道府県庁にしても持ち合わせていないようでした。

立案にあたり,実際に作成した書面や組織図やフロー図などをブログに掲載できれば分かり易く説明も出来るのですが,掲載の仕方がいまいち解らないので文字だけの説明となります。又,買い物困難者と云う表現で以下は書かせて頂きます。

先ず,本計画を立案する主だった目的「趣旨」は,買い物をすることが困難な状況にある人の負担を低減させることが主たる目的です。これをここでは設置後の一次効果と呼びます。したがって,この主たる目的「設置後の一次効果」を達成するためには何をどのようにしなければならないのかを起案して行きます。それには,部門を構成する部門構成者及び買い物困難者へ実際にサービスを提供できるサービス提供者を決める必要があります。その部門構成者及びサービス提供者は以下,1項①及び②のとおりです。

計画立案ネーム:和の仕組「買い物困難者 編」コードナンバー:369

1.部門構成者及びサービス提供者

①地域の経済団体,商工団体,地域の郵便局,運送会社,個人商店などの個人事業主,NPO法人,商店街,コンビニ,スーパー,ドラッグストア,無店舗商店(ネット店舗)やネットスーパーなどの買い物必需品供給者。

②弁護士,司法書士,税理士,行政書士,病院,医師,社会福祉士,栄養士,その他。

※②の日常品の買い物と弁護士などの士業や病院や医師との関係性に疑問を持たれると思いますが,これは主たる目的である買い物困難者の負担の低減「設置後の1次効果」がもたらす波及性効果「設置後の2次効果」で説明できます。

続いて,本計画を設置する前の要件(条件)を起案します。下記,2項では,買い物困難者の現状分析や求められているニーズから発起人の決定,本計画への参加事業者や組織形態などを起案して行きます。つまり,現状分析と供給サイドの立案になります。

2.設置前の要件(条件)

①買い物困難者の現状分析,経済産業省及び設置対象候補地の都道府県への情報収集,上記1項①及び②にあげる部門構成者及びサービス提供者の募集及び選定,発起人の選任,提携先の選任など。

※実際に,ある県に実体の現状分析調査を実施しましたところ,同県においても県民へ買い物困難者についてのアンケートを実施しており,大変興味深い聴き取りが出来ました。その県民調査で最も多いニーズは「御用聞き」でありました。

続きは,また明日以降に。拝


そっと見つめる天津神,じっと見つめる国津神 1

2019年11月01日 04時13分10秒 | 豊葦原瑞穂国新聞

 

こんにちは。今日の記事も最初に掲載してから3年の月日が経過しました。

突然ですが,日本は御存知の通り,三権が分立されている国です。国会「立法」と内閣「行政」裁判所「司法」の三権です。その内,私たちの日々の生活や暮らしに大きく関わり合いを以てくるのが内閣に属する行政権であります。私たちに関わるほとんどが行政権と云っても言い過ぎではないくらいです。たとえば,行政権とは何ですか?と聞くと立法権と司法権を除いた全部と云うことになります。それほど強大な国家権力を有する組織です。でも,そもそも何故,三権に分立する意味があるのかと申しますと国家と云うものは常に暴走してしまう危険があり,一度,国家が暴走をしてしまうと究極には,国民の生命が危険にさらされてしまいます。そこで,予め権力を三つに分け相互間の均衡を保ち,権力の濫用と国民の自由と権利を守ると云う理由から,三つに分けて権力の力(パワー)を弱めておく必要があったのです。つまり,1つに集約された強大な権力を分離・分割すると云うことです。

さて,6年ほど前に私の事務所にて,ある社会問題にもなっている実情をリスクマネジメントを活用して計画を立案した内容を今日から数日間に渡って書かせて頂きたいと思います。もちろん,神様から授かったリスクマネジメントと云う得体の知れない,とても大きく,人間の以ている精神性の視点から本計画を立案したものであります。それと,リスクマネジメントは江戸末期から明治維新の間に活躍された福沢諭吉さんが西洋から取り入れた考え方だと言われています。確かに,リスクマネジメントと云う考えは,西洋では最も最高峰に位置する学問でもあり,理論,技術論でもありますが,しかし,その元の元が実は,私たちが暮らすこの日本が発祥であったと云うことは知られていません。それも,縄文時代まで遡ることになるのです。リスクマネジメントを日本人に説明する場合「将来,起こり得る危険を予め予測又は,予想し,その危険度を判定し,危険を事前に防止,予防する事」であると説明すると理解されやすいと思います。たとえば,私たちに身近なリスクマネジメントですと自動車保険(損害保険)や医療保険や生命保険もリスクマネジメントの一種でもあります。要は,危機管理ですね。別の言い方をしますと不測の事態に事前に備えることである云えます。ですが,リスクマネジメントの本質は危機管理ではありません。相互扶助こそがリスクマネジメントの本質なのです。相互扶助とは互いに支え合い,足りないものを補い,弱い立場にある人たちを様々な環境に応じて助け合うことです。これに尽きます。

一番最初に立案したものは,宗教家と宗教法人を活用した通称:世界扶助システムでした。通称でも世界扶助システムと云うと大袈裟過ぎますね(笑)今でも何でそんなことを考えていたのか解かりませんが,しかし,私は,宗教家と私たちの違いがどうしても理解出来ずにいました。たとえば,お寺のお坊さんは御経を毎日,読経されます。私も読経しています。つまり,同じです。お坊さんが読経している御経と私が読経している御経は,どこが違うのか?神社の神職さんは神様へ毎日,祝詞を奏上しております。私も毎日,神棚へ祝詞を奏上しています。神職さんが奏上している祝詞と私が奏上している祝詞は,どこが違うのか?ここでも同じです。

それ以外にも素朴な疑問が山積していて,考えれば考えるほど解りませんでしたが,最終的に宗教家も一般人も同じであると結論付けました。宗教家が良い意味でもっと能動的に発起し,宗教法人が本当の意味で社会から必要とされ,地域社会と共に発展するようになれば,混沌とした社会に大きな良い影響を波及させることが出来ると思っていましたし,今でもそのように感じております。その様な理由から,先ず最初に計画の起案をしたのは,皆さんも一度はニュース等で見たり,聞いたりされたこともあると思います。

超高齢化に伴って,今後はますます増え続けて行くと言われている「買い物弱者」や「買い物困難者」についてです。

私の真の狙いは,ただ買い物弱者や買い物困難者の支援だけではありませんでした。もっと奥へ,さらに奥へと問題となる本質はどこにあって,どうすれば根本を掴むことが出来るかを突き止めることでもありました。そうすると次から次へと発案が湧き出てくるのです。こうすれば「孤独死も防止できる」「安否の確認もできる」「防犯対策もできる」「雇用の創出」も「無料法律相談」もと云った具合に網羅的に応対できることが判りました。やっぱり,神様の御力は凄いなぁ~と感じながら楽しく立案していました。

そして,2番目に起案したものは「災害弱者」と「避難困難者」についてです。

買い物弱者や買い物困難者とは,内閣府並びに経済産業省が試算する推定600万人が買い物弱者,困難者と云われ,日本全国に存在しているとされています。つまり,日常の買い物することが困難である人たちのことであると定義付けています。その買い物弱者,困難者であると呼ばれる人たちとは,どういった立場に置かれている人かと申しますと①65歳以上の高齢者などで徒歩15分圏内に買い物をする場所がない人②被健常者③妊婦さん④乳幼児を抱える父母⑤日本語を話すことの出来ない外国人等も含まれます。今後は,TPPの影響も相まって沢山の外国人労働者が日本に滞在して来ますので⑤は増える傾向にあると考えられています。

それでは,明日から具体的に,第1弾は買い物弱者,困難者をテーマにした計画立案の内容を書かせて頂きます。拝


自我は真我に付き従う。大自然の摂理です。

2019年10月21日 07時20分05秒 | 豊葦原瑞穂国新聞

 

令和元年十月二十二日 いさのはじまりありがとう

こんにちは。

大自然の摂理によって,もたらされることに不必要在庫の調整と云うものがあるのではないかと想像しております。

それはどういうことかと申しますと人は多くのものを持ち過ぎると一定のところで手放さなくてはならないものが出来てくると云うことであります。たとえばよく,運気の良い人が一転して置かれている状況が悪くなってしまった。こんな話を世間では聞くことがあります。実際に,私もそう云った御方が知り合いにおります。そのような状況に陥ってしまうと経済的にも精神的にも大変厳しい状態になってしまいます。しかしながら,そう言った厳しい不遇の時に去るものは,本来,その人にとって必要ではなかったものであり,又,与えられた役割を終えたが故に去るものであると云うことです。それは人でもモノでも言えるのかも知れません。

社会での成功者が一転して貧困になってしまうことがありますが,そのような不遇な状況に陥ったときに一番先に去るものはこれまで仲良く親しくしていた「人」であると聞くことがよくあります。それまで自分を慕ってくれていた人々が次から次へと自分のまわりから去って行ってしまったり,急に掌を返すような人も社会には現実に存在します。そう云った時の辛さや悔しさは言葉では言い表すことのできないことであると思います。金の切れ目が縁の切れ目と云う言葉も残っているくらいですから真理であります。

日本の言い伝えは本当に直球ど真ん中の言葉が多いですね。

そう云った厳しい環境に立たされた時にこそ自分自身を省みることが出来るように思います。これまでの自分の人生を振り返り,原点(中心)に回帰することで,さらなる飛躍が待っているのではないでしょうか?刀折れ矢も尽きた状態からの自分こそ本当の自分であると言い換えることもできるようです。何をやっても上手く行き,調子も良く絶好調のときに人は誰であっても傲慢になり過ぎてしまいます。これは人間の性(サガ)でもあるようです。そのような観点で観て見ると誰であっても例外なく同じであります。

人は多くのものを欲しがります。人よりも多くの財「お金やモノ」を持つことで安心すると錯覚を起こしてしまいます。しかしながら,本当に人よりも多くの財を得ることで安心することが出来るのか?と云うと決してそんなことはないようです。財を得れば,次は得た財を失うことへの恐怖心が芽生えてしまうからです。恐怖心は,さらに財を得ることへの執着心を産み出し,自分の我欲を強めて行きます。したがいまして,私たちが考えている財を得ると云う概念と安心感とは全く別なものであると云うことが言えます。

誰であってもそんなに大差はないのではないかと思いますが,やはり持ち過ぎると云うことには注意が必要な気もします。何かを得れば,何かを失うという言葉は個人的に好きな言葉ではありませんが,もしかすると,私自身がこの言葉に込められている奥を観れていないだけかもしれません。本当の幸福感や安心感は,手放すことからはじまり,手放す勇気と固執しない大切さを知ったときなのかも知れないと感じています。自我は真我に付き従うと云うことが大自然の摂理であるのです。摂理に反すれば滅びる訳です。

心柱(みはしら)神社を穢し,心神(しんしん)を傷つけることのないようにしましょう。拝


妹の花咲むすびです。

2019年09月23日 05時05分05秒 | 豊葦原瑞穂国新聞

上の1分動画は,古神道の聖地白山です。 

 

以下は,過去に掲載したアホな妹です(笑)。

みなさん、こんにちは。

花咲三姉妹の末っ子の花咲むすびです。いつも姉のあさひがお世話になっています。

今日と明日、お姉ちゃんのあさひは郵便局に配達のアルバイトに行っていますので,

 私むすびが代打ピンチヒッターで書かせて頂きたいと思います。

それにしても朝4時半に起きて、夜0時近くに帰ってくる仕事なんてただのブラックだと思いませんか?

 私には絶対にムリ!

まぁーそれはそれとして、

しかし書けと云われてもなにを書いてよいのやら・・・(汗)。適当に書くとお姉ちゃんに叱られるし。。。

 あっと!その前に自己紹介をしたいと思います。

名 前:花咲 むすび(花咲家の三女つまり末っ子)

    長女:あさひ 次女:ひかり 三女:むすび 愛犬:神社の境内に捨てられていた「ナムちゃん」。

愛 称:むっちゃん。むすびちゃん。

性 格:超現実主義(あさひちゃんとは全く反対)

特 技:弓 道

職 業:大学生(学費はお姉ちゃん持ち。)「アルバイト:神社で巫女さん」

    自治会長のススメではじめました。

趣 味:貯金 理由、何をするにもお金だから。

好きな言葉:一攫千金

毎日の日課:あさ太陽にあいさつすること。それと、神棚の水交換と先祖供養。

 あさひお姉ちゃんによると、神棚の水玉に麒麟とお水を呑みに来らしいです

榊の葉が枯れると「来たよ」のサインらしいです。麒麟身体(体重=重さ)はゼロなんだそうです。

                         もう、こうなると。えっ?なんのこっちゃ??ですけど。

     だけど「お水」だけは凄く気にしています。そこまでするか?と言いたくなるくらい。      

  それと、明け方と夜に北斗七星に祈っています。

   なんだか嬉しそうにしている件は「ちょっとコワイ」。

こんなの記事とは言えませんが、それでは また あした~。。。 

地蔵菩薩とともに。花咲 むすび 拝