KAMAKURA☆CHAMPROO

見る前に跳べ!「無計画に走るのは世の常」が座右の銘

金庸 鹿鼎記

2006-10-28 16:36:31 | 中国小説
金庸作「鹿鼎記」読了。全8巻。週1冊のペースでの長い読書でありました。これで金庸の長編はすべて読みました。

この作品はあとがきで作者自身が言っているように、武侠小説の色合いが薄く、清朝時代の歴史活劇というべきものです。

武侠の側面が薄いのは主人公・韋小宝の性格によります。

彼の本質はは「市井の小人」の域を出ません。たいそうな野心もないし、そのために努力する気もない。自分が一番かわいいけれど、自分以外の世間の全てを敵に回して野心や欲望を貫く覚悟もない。彼の基本は「世渡り」です。政争も外交も軍事も恋愛も博打もひとしなみに「世渡り」のレベルに還元されてしまう。しかも「俺はなんてだめな人間なんだ」とくよくよ悩まない。あっけらかんと自己肯定的です。(訳者あとがき)

何のことはない、自分自身か自分の周りにいる「やな奴」が主人公という感じで、感情移入ができません。
他の作品と同様、主人公は陰謀や他者の思惑に翻弄されます。通常だとその中で武芸を極め絶技を身につけるのですが、韋小宝の場合は努力するのが嫌いなので、武芸を身につけません。逆にあこぎな手口で周囲をごまかし、時には闇討ちで殺人を犯しつつ、皇帝の寵愛を得て世俗的な権力を築いていきます。修得したのは逃げ技のみ。最後まで読み書きもわからず、極めたのはチンピラ風喧嘩口上のみです。そのくせ、女には執着が強く、金庸作品には珍しく作中でDT喪失し、7人の美しい「嫁さん」を手に入れるという破格ぶりです。
逆に徹底して本音ベースなので、まじめくさった英雄豪傑たちを翻弄するのは痛快な面もあります。

こうしたアンチヒーローを主役にした作品が成立した背景が、文化革命の言論思想弾圧への批判精神であったとすると(訳者あとがき)、武侠小説の枠をはみ出し、重苦しい当時の中国言論界に風穴をあける意図もあったのかなと思います。
いずれにしても、金庸の最終長編、問題作といってもよいでしょう。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿