元社会党所属の衆議院議員で、全国出稼ぎ組合連合会会長を務めた細谷昭雄氏が、3月12日に脳出血で入院先の仙北組合総合病院で87歳の生涯を閉じた。「細谷昭雄さんを偲ぶ会」が、佐々木長秀元社民党県議や小山誠治、藤井春雄元大仙市議、栗林次美大仙市長等が呼びかけ人となって、5月11日午後2時から大仙市大曲エンパイヤホテルで開かれた。会場には約250名が各地から集まって細谷さんとお別れをした。
細谷氏は公立学校教員を20年勤務した後、71年に県議選に出馬して初当選。県議2期務めた後衆院議員2期、参院議員1期務め国政の場で農業問題、教育問題の専門家として活躍した。そして故・栗林三郎衆院議員から引き継いだ「出稼ぎ運動」 を中心とする「大衆に依拠した政治活動」に半生をささげ、出稼ぎ者の福祉向上と権利を守るための活動を展開、出稼ぎ者の組織化を図り、有給休暇、退職金制度を勝ち取るなど大きな功績を残した。平成元年(1989)全国出稼連合会会長を栗林三郎氏から受け継いだ。昭和45年から40年間続けたで出稼者訪問は1000カ所を超え、約8200人の出稼ぎ者と合い劣悪な飯場の改善、労災事件25件、賃金不払い事件40件等の解決に奔走した。平成7年7月再選を目指した参院選で惜敗し、政界を引退した。 (一部引用)
「安らかに眠るな この社会を糾弾せよ」 むのたけじ氏 大仙市大曲エンパイヤホテル 2014.5.11
あと半年後、2015.1月で100歳になる「むのたけじ」氏は、細谷氏の足跡をたたえつつも、右傾化著しいこの時代に「安らかに眠るな」と遺影を指さし細谷氏を送った。厳しい顔の「むのたけじ」氏は右傾化の時代に細谷昭雄氏を失った悲しみの中、多くの参加者に「現状に甘んじるな、行動を起こせ」と警鐘したものに違いない。会場にいた自分は「むのたけじ」氏のこの発言に思わず立ち上がり、自分への叱咤の意味を込めて手をたたいていた。
平成13年2月24日逝去した、栗林三郎氏の「栗林三郎さんとお別れする会」は平成13年3月11日大曲市フォーシーズンで開かれた。平成25年7月30日高橋良蔵氏が亡くなり、平成25年11月15日、「高橋良蔵さんを偲ぶ会」が湯沢市ロイヤルホテルで開かれた。
ハガキ「河鹿沢通信」58号(鹿河沢訂正)「栗林三郎氏逝く」 2001.03.25
細谷昭雄さんは7月30日の故高橋良蔵氏の葬儀、11月15日の「高橋良蔵さんを偲ぶ会」に参加し元気な姿を見せていた。ただ遺影に向かって「もうすぐ私もそちらに行く」と呼びかける細谷氏に異様な姿に見えた。激動の時代の同志との別れに一抹の寂しさがあったことは確かなことかも知れない。思わず細谷氏にかけより言葉を交わしたことが昨日のように思いだされる。
ひとすじの道 高橋良蔵さんを偲ぶ会 配布の小冊子
かつて、鶴田知也氏は栗林三郎氏を陶淵明の「清風脱然到」という詩句で讃えた。高橋良蔵さんの偲ぶ会で参加者に配られた小冊子「ひとすじの道」だった。故高橋良蔵氏の生涯はまさしく農ひとすじ。農民の地位向上に地域の活性を創造していた。故栗林三郎氏のライフワークは「米と出稼ぎ」に代表される。これはそのまま故高橋良蔵氏、故細谷昭雄氏にも共通される。この偉大な三人の足跡は秋田の農民運動に大きな成果を残した。故細谷昭雄氏は誠実な方だった。教師の出身でありながら「出稼ぎ農民」の地位向上を生涯奮闘した姿勢に敬服する。「清風脱然到」と「ひとすじの道」を合わせ持った指導者だったと思う。
「偲ぶ会」で2011.8.6から9.10まで秋田魁新報の連載記事シリーズ 時代を語るで出版された「小さな石を拾うように」(一部修正)が配られた。前にネットで拝見していたが小冊子で拝読すると故細谷氏の誠実な姿と運動に頭が下がる。栗林三郎氏の後をついで国会議員になってからのつき合いだったが、この本で知らなかった細谷さんを知ることができた。
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「小さな石を拾うように」細谷昭雄 秋田魁新報社
現政権の首をかしげるような歴史認識と集団的自衛権、戦争ができる国の行く先はどこか。そして郵政民営化で味をしめた政権は大胆にもJAや農業委員会制度へも手をかけ出した。栗林三郎氏、高橋良蔵氏、細谷昭雄氏をつないだ「米と出稼ぎ」は、過去の時代になったようにも見えるが農村、農業は「米」で代表され、かつての「出稼ぎ」は「派遣」に名を変え、正社員とは雲泥の差のある劣悪な労働条件のなかにある。
「細谷昭雄氏の偲ぶ会」で、99歳「むのたけじ」氏の発言、「安らかに眠るな」のフレーズが忘れられない。
細谷氏は公立学校教員を20年勤務した後、71年に県議選に出馬して初当選。県議2期務めた後衆院議員2期、参院議員1期務め国政の場で農業問題、教育問題の専門家として活躍した。そして故・栗林三郎衆院議員から引き継いだ「出稼ぎ運動」 を中心とする「大衆に依拠した政治活動」に半生をささげ、出稼ぎ者の福祉向上と権利を守るための活動を展開、出稼ぎ者の組織化を図り、有給休暇、退職金制度を勝ち取るなど大きな功績を残した。平成元年(1989)全国出稼連合会会長を栗林三郎氏から受け継いだ。昭和45年から40年間続けたで出稼者訪問は1000カ所を超え、約8200人の出稼ぎ者と合い劣悪な飯場の改善、労災事件25件、賃金不払い事件40件等の解決に奔走した。平成7年7月再選を目指した参院選で惜敗し、政界を引退した。 (一部引用)
「安らかに眠るな この社会を糾弾せよ」 むのたけじ氏 大仙市大曲エンパイヤホテル 2014.5.11
あと半年後、2015.1月で100歳になる「むのたけじ」氏は、細谷氏の足跡をたたえつつも、右傾化著しいこの時代に「安らかに眠るな」と遺影を指さし細谷氏を送った。厳しい顔の「むのたけじ」氏は右傾化の時代に細谷昭雄氏を失った悲しみの中、多くの参加者に「現状に甘んじるな、行動を起こせ」と警鐘したものに違いない。会場にいた自分は「むのたけじ」氏のこの発言に思わず立ち上がり、自分への叱咤の意味を込めて手をたたいていた。
平成13年2月24日逝去した、栗林三郎氏の「栗林三郎さんとお別れする会」は平成13年3月11日大曲市フォーシーズンで開かれた。平成25年7月30日高橋良蔵氏が亡くなり、平成25年11月15日、「高橋良蔵さんを偲ぶ会」が湯沢市ロイヤルホテルで開かれた。
ハガキ「河鹿沢通信」58号(鹿河沢訂正)「栗林三郎氏逝く」 2001.03.25
細谷昭雄さんは7月30日の故高橋良蔵氏の葬儀、11月15日の「高橋良蔵さんを偲ぶ会」に参加し元気な姿を見せていた。ただ遺影に向かって「もうすぐ私もそちらに行く」と呼びかける細谷氏に異様な姿に見えた。激動の時代の同志との別れに一抹の寂しさがあったことは確かなことかも知れない。思わず細谷氏にかけより言葉を交わしたことが昨日のように思いだされる。
ひとすじの道 高橋良蔵さんを偲ぶ会 配布の小冊子
かつて、鶴田知也氏は栗林三郎氏を陶淵明の「清風脱然到」という詩句で讃えた。高橋良蔵さんの偲ぶ会で参加者に配られた小冊子「ひとすじの道」だった。故高橋良蔵氏の生涯はまさしく農ひとすじ。農民の地位向上に地域の活性を創造していた。故栗林三郎氏のライフワークは「米と出稼ぎ」に代表される。これはそのまま故高橋良蔵氏、故細谷昭雄氏にも共通される。この偉大な三人の足跡は秋田の農民運動に大きな成果を残した。故細谷昭雄氏は誠実な方だった。教師の出身でありながら「出稼ぎ農民」の地位向上を生涯奮闘した姿勢に敬服する。「清風脱然到」と「ひとすじの道」を合わせ持った指導者だったと思う。
「偲ぶ会」で2011.8.6から9.10まで秋田魁新報の連載記事シリーズ 時代を語るで出版された「小さな石を拾うように」(一部修正)が配られた。前にネットで拝見していたが小冊子で拝読すると故細谷氏の誠実な姿と運動に頭が下がる。栗林三郎氏の後をついで国会議員になってからのつき合いだったが、この本で知らなかった細谷さんを知ることができた。
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「小さな石を拾うように」細谷昭雄 秋田魁新報社
現政権の首をかしげるような歴史認識と集団的自衛権、戦争ができる国の行く先はどこか。そして郵政民営化で味をしめた政権は大胆にもJAや農業委員会制度へも手をかけ出した。栗林三郎氏、高橋良蔵氏、細谷昭雄氏をつないだ「米と出稼ぎ」は、過去の時代になったようにも見えるが農村、農業は「米」で代表され、かつての「出稼ぎ」は「派遣」に名を変え、正社員とは雲泥の差のある劣悪な労働条件のなかにある。
「細谷昭雄氏の偲ぶ会」で、99歳「むのたけじ」氏の発言、「安らかに眠るな」のフレーズが忘れられない。