手づくり漆器 ~うるし うるおい うるわし~

鳥取の漆職人がお届けします。

安積開拓に見る鳥取藩士の武士道

2010-10-27 18:14:29 | Weblog
今から140年ほど前、明治維新によって世の中が変わった。250年続いた徳川幕府が倒れ、明治という新しい世の中になった。約800年続いた武士の時代も同時に終わった。

鳥取藩も32万5000石という大藩であったので、たくさんの武士が鳥取城下に住んでいた。もちろん藩士は、藩から給料をもらっていた。

廃藩置県が施行され藩が消滅、今までの仕組みがまるっきり変わってしまった。当然武士は、解雇。無給になった。 四民平等の時代になったが、なにがなんだか、これからどんな世の中になるのか上から下まで大混乱が続いた。

武士たちの怒りは各地で勃発。明治10年の西郷隆盛を中心とした士族による反乱が薩摩で起こった。この西南戦争は、政府と不満士族の戦争であった。西郷が戦死し鎮圧されたが、ここで決定的に武士の時代は終わった。

行き場を失った士族に対して明治政府は、授産事業として北海道の開拓や福島県安積地方のような原野の開拓を斡旋した。

明治13年旧鳥取藩士は、リーダーの今井鉄太郎を中心に、67戸270人余りが安積地方に移住した。

藩士たちは、刀を鍬に変えて荒れ果てた原野を死に物狂いで開拓した。武士道の精神で、厳しい環境を乗り越えていった。

今から20年ほど前、その子孫の方々が鳥取にある先祖の墓参りにやってきた。墓参である。

先祖の生まれた故郷鳥取を思いつつ、郡山(安積)市から墓参に訪れたのである。

前の県知事西尾邑次氏もこのことに大変関心を示し、協力してくださった。

先祖の残した開拓精神で生き抜いてきた人たちの目には、武士の魂が光っていた。

それ以後、交流が重なり、平成17年11月には 鳥取市と郡山市の姉妹都市締結が結実した。

移住した武士たちに、つらい環境と時代を乗り越えさせたのは、武士道であり、また故郷を思いながらの志を捨てなかった精神に他ならない。

こうして、鳥取にすばらしい精神が残ったことを誇りに思い、これから生きる人たちへの応援歌にしたい。


    鳥取・郡山友の会 事務局 鳥取市川端2丁目211 TEL0857-23-3917

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ローマは一日にしてならず

2010-10-27 08:18:08 | Weblog
「ローマは一日にしてならず。」 有名なことわざなので知らない人はいないだろう。

紀元前地中海周辺北アフリカなど版図を欲しいままに広げたローマ帝国。その首都ローマ。今では、世界の観光地として世界遺産にも登録されている。

行ったことは無いが、テレビの世界遺産番組などで度々放映されているので良く知っている。

あのローマは、一日で出来たのではない。長い年月をかけて、いろいろな時代を経て出来上がったものであるというたとえである。

歴史や文化も、一日にして成らず・・・とは当たり前の話である。

鳥取は、歴史文化の豊かな町と認識している人たちがいるようだが、私はここの生まれではなく会津若松の生まれなのでどうしても比較してしまう。

ほんとに鳥取は歴史文化の豊かな街なんだろうか?

御存知のように会津は文化歴史の宝庫である。建物はもちろん、文化や歴史についてもきちんと小さいころから教育を受けている。

大きくなってもその受けた教育によって、ふるさとを誇りに思っている。
時々帰れば、ふるさとが温かく迎えてくれる。だからふるさとをどうにかしたいと思う。 

この連鎖が、地域を守りいろんな分野で地域を活性化する力になる。

まさに「会津は一日にしてならず」である・・。

歴史文化は、過去のものではなく、現代に至って先人の功績を尊び、それを後世に伝えるために現代人も努力していかなくてはならないものではないだろうか。

過去のものをただ利用するだけのものではない。造り上げて行くものでもある。

また、建物とか文化遺産だけが歴史文化ではない。その中に刻み込まれた先人の精神や思想そして哲学が大切なのではないだろうか。

鳥取市のここ10年間に及ぶ文化事業を見ると、深層部分が欠落しているように感じる。
その証拠として、町並み整備事業に多額の税金を投入しているが、歴史文化の漂う町並み及びその臭いが未だに感じられない。

鳥取砂丘は、全国に知られた国立公園である。最近、砂像事業で活気を呈しているが、これに甘えてはいけないのではないか。

ここにも、歴史文化の漂う街鳥取というキャッチフレーズが暗礁に乗り上げているのと同じ現象がいつか起こってくるような気がする。

鳥取市民は、砂像の全国化より町並みの整備や誇りうる歴史の街鳥取を望んでいるるのではないだろうか・・・。 

「ローマは一日にしてならず。」

だれが何を言おうと、何を後孫に残していくべきなのか・・そこに向かって、街づくりをすることが重要なのではないか・・。


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  次回は 福島県郡山市に移住した旧鳥取藩の子孫の方々についてです。
      お楽しみに・・・。








 

文化勲章 文化功労者

2010-10-27 07:44:41 | Weblog
この度、知っている方々が受章された。 

文化勲章受章の安藤忠雄さんとの出会いは、15年ほど前になる。

とは言っても、ご本人に出合ったのではない。安藤さんが設計した建物に出会ったのである。

瀬戸内海に浮かぶ直島に、ベネッセコーポレーションが所有の美術館兼ホテルがある。回り一面瀬戸内海が見える静観豊かな場所に建っていた。

打ちっぱなしの近代的な建物だった。「これが安藤忠雄の設計した建物か・・・」
とその時感動したのを思い出す。世界の安藤ということを知っていたからである。

あちこちに安藤さんのコンセプトが織り込んである建物だった。

元ボクサーでその後独学で建築を学び、現在東京大学の教授というすばらしいファイトを持った人間味のあふれた方と認識している。あの、いつも未来を見つめているような厳しいい目が印象的だ・。

王貞治さんも、文化功労賞を受章された。王さんとの出会いは、物心ついたときからであるので50年ほど前になるだろうか・・。

巨人 大鵬 玉子焼きの時代。 3番長島 4番王 監督川上哲治といった時代・・。あの一本足打法が生み出すホームランには、全身がしびれた・・。

 王さんは長嶋さんの影でいつも控えめだった。派手な長嶋はいつもヒーローだった。

しかし王さんは、巨人の4番としてあるいは3番として見事に責任を果たし、ホームランの世界記録を打ち立てた。まさにミスターホームランである。

子供ながらに憧れの人だった。あれから50年。王さんは、日本プロ野球の中心的人物になった。 ソフトバンクホークスの基礎を造った人でもある。パリーグの人気を盛り上げた大きな功績もある。 王さん目は、日本プロ野球に対する情熱と厳しさにいつも燃えている。

 兎に角、今回の受章に心からお祝いを申し上げたい。

 
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