父は会津塗りの塗師でした。
手はごつごつして、爪は漆で黒くなっていました。
胡坐をかいて、定盤に向かってひたすら漆を練っていました。
蔵の中は、弱い蛍光灯があって手元が分かる程度の明るさでした。
そのころは、まだ小さかったので、なにをしているのかよく分かり
ませんでした。
しかし部屋には、独特の漆の臭いが沁み込んでいて、記憶の中に
その臭いが沁みこんでいます。
仕事が終わると、よく釣りに行っていました。
仕事道具と同じくらいの釣り道具が、やたら多かったです。
私は、父のスクーターの後ろに乗せられ、一本竿は20本ほど
スクーターに縛り付けられ、人里はなれた穴場に連れて行って
もらいました。
鮒釣りです。 川の淀んだところに陣取って、持ってきた竿をあち
こちに仕掛けるのです。
鈴の付いた竿は、当たりがあるとチンチンと鳴るのです。
真ぶなやへらぶなですが、びくにたくさん入れて帰ると、
母がそれを甘露煮にしてくれました。
私が小学校のころの思い出です。今年で、父が亡くなって7年、母が
亡くなって17年になりました。
5月ごろには、会津に帰って墓参りをしようと思っています。
手はごつごつして、爪は漆で黒くなっていました。
胡坐をかいて、定盤に向かってひたすら漆を練っていました。
蔵の中は、弱い蛍光灯があって手元が分かる程度の明るさでした。
そのころは、まだ小さかったので、なにをしているのかよく分かり
ませんでした。
しかし部屋には、独特の漆の臭いが沁み込んでいて、記憶の中に
その臭いが沁みこんでいます。
仕事が終わると、よく釣りに行っていました。
仕事道具と同じくらいの釣り道具が、やたら多かったです。
私は、父のスクーターの後ろに乗せられ、一本竿は20本ほど
スクーターに縛り付けられ、人里はなれた穴場に連れて行って
もらいました。
鮒釣りです。 川の淀んだところに陣取って、持ってきた竿をあち
こちに仕掛けるのです。
鈴の付いた竿は、当たりがあるとチンチンと鳴るのです。
真ぶなやへらぶなですが、びくにたくさん入れて帰ると、
母がそれを甘露煮にしてくれました。
私が小学校のころの思い出です。今年で、父が亡くなって7年、母が
亡くなって17年になりました。
5月ごろには、会津に帰って墓参りをしようと思っています。