9:26新白島発の可部線で、あき亀山の「ふたたびの宮」を訪ねました。
10:10に [JRあき亀山駅]に到着です。
可部線延伸からこの3月で2年になります。
開通の日に来ていますので2度目の再訪です。
「旧河戸駅」がすぐ近くにありました。
土曜日には「朝市」が開かれるようです。
「
ふたたびの宮」はすぐ隣でした。
ふたたびの宮(永井伊勢社)というようです。
永井伊勢社は、天神として天照大神と、地神としての豊受大神を祭神とし、天照大神と
伝えられる木造をご神体としてお祭りしている。
お伊勢参りの出立詣でと帰省を報告するお宮として、お伊勢参りのかなわぬ人たちのお参り
のお宮として創設された。
300年以上前から、本地域の氏神様として、厚い信仰に守られてきたものです。
現在の社は昭和48年移築、平成23年春、可部線(可部駅以西)の復活を祈念し、再びの
願いが叶うお宮として、地域活性化を願い「ふたたびの宮」と称し、木製額を掲げました。
(置いてあった説明書きより)
ふたたびの宮を後に、次に行く「両延神社」を亀山公民館で聞こうと公民館目指します・
続く道は急坂で、結構上りました。
そこにあったのは亀山南小学校と亀山中学校でした。
途中誰とも会いませんでした。
車が4~5台通過しただけでした。
学校からは急坂を降ります。
途中の山肌は小学生向きに動物の案山子ならぬパネルが迎えてくれます。
降りたところは、偶然にも「亀山公民館」の前でした。
しかし、今日は火曜日、公民館は休日でした。
どうし様かと思っていると、3名の会社員らしい青年が駐車場に上がってきました。
「すみません、両延神社はどこですか?」
「このの道をまっすぐですよ」
教えて貰った道からすぐのところにありました。
「
両延神社」
「芸藩通志」によると、1190年宇佐八幡宮の分霊を下四日市村に勧請し、
1253年大毛寺村白石山に奉還したのが始まりと言われる。
往古より「可部の宮」とも「西の宮」とも称され、当地方の総鎮守として多くの人から
尊崇されている。
本殿かと思った社からは太鼓とお祓いの声が聞こえていました。
周りの木立ちからも「ヒヨドリ」が喧しいくらいに鳴いています。
「手水鉢」も変わっています。
「鐘灯籠」は可部の「鋳物」の象徴でしょうか。
「本殿」はこの階段の上というので120段ありましたが上がってきました。
途中の山門の中にある右、左と大神が見張っていました。
「本殿」にお参りしました。
本殿は歴史を感じる立派なものです。
閑静なパワーを感じながら、
神木の古木を拝みながら、わき道から居りました。
林の中の旧坂の道を降りながらもヒヨドリが急き立てるように鳴いていました。
降りた道路から少し歩きましたが、次に行きたい「舟山神社」は道が違うように思い道行く
おじさんに聞くと、バス道路はもう一本あちらだと聞き、右の方に向かっていくと、目指す
「舟山神社」の入り口でした。
今日は迷わずにロスのない探訪です。
入り口から100mもすると、すぐ赤い鳥居が「見えました。
「
船山稲荷神社」
初代天皇(神武天皇)が日向の国から軍旅を「整えて大和への海路の途中、安芸の国
(埃宮)に立ち寄られた地が、古来四日市を中心にした地と伝承されています。
この舟山に船を繋ぎ、休まれたと言われています。
急な階段を上がってみました。
本宮は台風で流出したそうで、小さな社は立ち入り禁止でした。
小高い小山は風が気持ちよく見晴らしが大変良かったです。
右側は先ほどお参りした「両延神社」がある緑の小山、左は可部の街が霞んで望めました。
「皇紀2600年」の記念碑、が建てられています。
裏側には神武天皇ゆかりの字句が掘られています。
降りて下から見上げた、稲荷神社です。
船山稲荷神社で正午、12時でした。
バス道を少し行くとスーパー「フレスタ亀山店」があり、昼食と休憩をしました。
「河戸帆待駅」に向かいます。
途中、運よく「帆待川」に出ました。
説明版がありますが、帆待川はほとんどが暗渠になっています。
「神武天皇ゆかりの聖なる川」として大切にされているそうです。
「河戸帆待川駅」に到着です。
駅前の「帆立て舟」のオブジェと説明版です。
13:26発の可部線で広島駅行きで帰ったのです。
ふたたびの宮再訪と、両延神社、船山稲荷神社の探訪でした。
単独行動でしたが、迷わずに行けてよかったです。
次回は途中見た福王寺山道入口の「福王寺」に行ってみたいと思った私の冒険でした。