続きます。
◎ 雲石街道分岐点 道標があった。(現在は安神社に立つ)
右 → 出雲街道
左 → 廿日市方面
◎ 古民家
軒裏の「ガイシ」「格子のはまったすりガラスの窓」
◎ 恵比須神社 雲石街道筋に立つ。(商業の祭神)
毛利、福島時代の雲石街道。(幅、7尺)
◎ 安神社
元の名を「祇園社」と言い、町名の由来となっている。
当初松尾山(祇園中学校付近)にありましたが、正安(1299~1301)の頃、
兵火に遇い焼失、その後、武田氏がこの場所に社殿を建立した伝えられる。
明治43年(1910)にも火災にあいましたが、ご神体は難を逃れています。
現在の社殿は大正2年(1913)に再建された。
神殿は伊勢神宮を模したもの。
「道標」 古市の雲石街道分岐の道標。
「祇園坊柿」の発祥の地とされる。
(大きい実が付いていました)
「古木」境内の古木も歴史を感じます。
電線にいるのは「ひよどり」?
◎ 武田時代の雲石街道筋。(道幅、6尺弱)
「AIC欧州学園」→ 元、大下学園。
(今も残る、木製電柱)
◎ 安芸津彦神社(官弊社)
ご祭神;安芸津彦紳 安芸津姫神
◎ 桑原卯之助の生家。
◎ 下祇園駅
午後、16:40
最終解散地、下祗園駅に到着です。
陽もかたむきかけた夕暮れです。
雲石街道筋よく歩きました。
7200歩、5kmのスマホの歩数計です。
皆さんお疲れ様でした。
16:48の可部線、広島行きのJRで帰宅しました。 END
軒裏のガイシや格子戸が在りし日の繁栄ぶりを忍ばせます。
道幅六尺なんて言われても現代っ子にはちんぷんかんぷんです。あはっ
調べて見ましたよ〜。一尺は約30cmのようですね。約1.8mですか・・・狭いですねぇ。
木製電柱も残っていますが、今も現役で使われているのですか。
雲石街道は、言われるように出雲大社に行く道、又、石見方面に行く萩往還というのもありますね。
案内の先生が歴史学者なので非常に詳しいのです。
色んな事教えて貰えます。
木製電柱はもちろん現役ですよ。
昔の道は狭く、馬が走っていたようですね。
大八車も通っていたそうです。
寒い中ご苦労様でした。
でも、5キロも歩けば汗をかいたでしょうね。
最近は外歩きもできずイライラ状態です。
朝から出掛けていました。
午後からは暑いですねぇ❗️
5㎞歩くと足が疲れます。😉