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大磯吉田邸28-12-10

2016年12月12日 | Weblog
日経に大磯吉田邸の記事が掲載されました。
(株)ダニエルが、ソファと電話を大磯町から受注して製作中です。
記事の内容
日経28年12月10日朝刊に掲載
7年前に火災で焼失した神奈川県大磯町の旧吉田茂邸の本邸が再建され、2017年4月に公開が始まる。元首相の存命中の外観を可能な限り再現し、調度品なども復元して戦後政治を考える資料館の機能を充実させる。明治以降、伊藤博文、山県有朋、西園寺公望ら政財界の要人や文化人の邸宅が立ち並んでいた町は、これを機会に独自の「別荘文化」に再び脚光をあてようとしている。
旧吉田茂邸の外観はできあがり、来年4月の公開に備える
改装後の大磯町郷土資料館は「別荘文化」の展示に力を入れる
 旧吉田邸の再建は県と町が共同で取り組んだ。総事業費約5億4000万円のうち、2億7000万円は寄付でまかなった。木造2階建てで延べ床面積は743平方メートル。首相官邸直通のダイヤルのない黒電話や、伊藤の書の掛け軸の複製を作成中で、ベッドやソファ、テーブルなども当時の写真を元に再現する。

 旧吉田邸は1884年(明治17年)ごろに養父で実業家の吉田健三が建てた別荘にさかのぼる。吉田茂は少年時代の一時期を過ごした後、1945年に東京の自邸が空襲を受けたため、ここに移り住んだ。首相在任中は週末を過ごし、海岸を散策して気分転換するのがならわしだった。吉田の政界引退後も池田勇人、佐藤栄作ら「保守本流」の政治家らが足しげく訪れ「大磯詣で」と呼ばれた。没後の79年には日米首脳会談も開かれた。

 町に居を構えた著名人はほかにも多い。11月に旧吉田邸の隣接地に改装オープンした町の郷土資料館は「別荘文化」の展示コーナーを新たに設けた。町内には明治以降、伊藤や大隈重信、原敬ら8人の首相経験者や、作家の島崎藤村、獅子文六らが別荘を構えた。著名人が普段着で散策し、町民と気軽に会話したという当時の雰囲気を知る人もほとんどいなくなっている。このため、吉田や伊藤の遺品を中心に公開している。
 郷土資料館も三井本家の別荘「城山荘」の跡地に建つ。改装に伴い、三井家の別荘の大広間の吹き抜け上部をほぼ、当時の部材を使って復元している。学芸員の北水慶一氏は「町の歴史と魅力を改めて発見してほしい」と語る。
 町は「別荘群の小径(こみち)」と称して散策ルートを案内しているが、当時の建物を実際に見るのは難しい。現存するのは大隈邸、西園寺邸、陸奥宗光邸、安田善次郎邸などわずかで、公開しているのは町が所有する島崎邸ぐらい。例えば、国道1号線沿いにある伊藤の別荘「滄浪閣(そうろうかく)」はホテルの別館として使われた後、所有者が代わり、活用されていない。町内には「別荘を実際に見て回れるルートを整備してほしい」という声もある。
○大磯町は江戸時代、東海道の宿場町として栄えた。1885年(明治18年)に陸軍軍医総監を務めた松本順が療養を主な目的として海水浴場を開設。2年後の東海道線の開通もあり、保養地として人気を集めた。
○伊藤博文は1897年に大磯に本籍を移した。巨額の寄付で整備した道は当時の官職にちなみ「統監道」と呼ばれ、今もバス停の名に残る。吉田茂は井上蒲鉾店のはんぺん、真壁豆腐店の豆腐など地元の品々を愛した。
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