家具の学校

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上級特派員便り、2012年1月28日

2012年02月01日 | Weblog
上級特派員便り

2012年1月28日 @横浜校   晴れ時々曇り 寒い

今日は張りの練習4回目の講習。
ミシンの空き具合や、個人の力量などで作業の進捗に差がありますが、スツールの脚部分を覆うスカートの縫製が終わり、玉縁とともにスツールにタッカーにて取り付けるところ辺りから始まります。筆者は都合により前回お休みしたので、座面布の取り付けから。
スカートは、皆さんフリル付きを選んだためストレートより少々手間がかかります。折り目をきちんとチャコでしるして折り目をしっかりアイロンがけ。その上でミシンで縫製。フリルの変わり目がきちんとスツールのコーナーに来るようにせねばならず、その調整に少々手間取ります。筆者のフリルは前回欠席の時に海老沢先生に進めていただいていたので大変助かりました。
スカートを取り付けたら座面の底を黒い薄布でカバーして完成です。

スツールの見映えの良さは、生地がしっかり張っていること、玉縁が真っ直ぐ伸びていること、柄物は生地の変わり目で柄をきれいにつなげること。こういうところでしょうか。
スツールを仕上げた後は、2級技能試験の課題の練習に入りました。
張りの試験は隔年に行われ、今年はありません。

技能検定では、ミシンとタッカーが使えるようになったため時間内完成がずいぶん楽になったとのこと。以前は手縫いで釘の手打ちだったそうな。

写真1: スカートのミシン掛け

写真2: 手が動かず口ばかり 困ったもの(者)です。筆者です

写真3: 裏生地張って完成
  
写真4: 2級技能検定 椅子張り作業の練習


『お道具拝見コーナー』その13(三枝氏投稿)

今回は、佐宗先生が新しく購入した夫婦鉋の紹介をします。 

夫婦鉋は、碓氷健吾と明恵と言う鉋鍛冶ご夫婦の作品で、最初のセットは、寿一(としかず)と明寿のセットでした。
今回紹介のセットは、晩年の夫婦鉋として銘を千寿翁、万寿翁として切ってあります。
鉋を作って60年以上、その長い年月で生み出された技術の結晶と言える集大成の作品です。
使用鋼材は、千寿翁が東郷0号を元に成分を調整し耐磨耗性を発揮するように調整された、日立金属の青紙スーパーY鋼。
万寿翁はスウェーデン鋼のサンドビック鋼で炭素鋼になり、主に軟材向きの鉋で、それぞれに特色のある鋼材を使った鉋です。
この鉋を有名にしたのは、毎日新聞社刊「道具曼陀羅」に夫婦鉋として載った事に依ると思います。 その記事を読むと、亭主(碓氷健吾)が鍛え(火作り)、奥さん(明恵)が焼き入れ、焼き戻しの熱処理を行う夫婦合作で、それが夫婦鉋と言われる由縁の様です。
明寿がスウェーデン鋼、寿一が砂鉄を原料とする安来鋼を使っているとのことです。

東京の有名な大工頭梁野村貞夫氏が、NHKテレビに出演してこの鉋を試用して薄削りを行ったと聞きました。 碓氷氏は研究熱心で鋼の扱いも上手く、メディアの活用も巧みだったと思われ、三条の鉋鍛冶として有名になり、大工の欲しがる鉋の一つとなった様です。

写真左の貞秀は、有名な鉋鍛冶千代鶴是秀の弟子で、千代鶴貞秀 (本名 神吉義良)の銘を冠した切り出しナイフです。 この切り出しは、誰が(どの代の貞秀なのか?筆者は2代目ではないかと推測しています)作った物か知りませんが、今も貞秀の名前は受け継がれているようです。
筆者は使った事はありませんが、貞秀の鉋は最初はしかくて(Note 2)、刃が欠け易い硬い焼きの鉋ですが、使い込む程に、良くなり抜群の切れ味と聞いています。

さて 評判通りの納得出来る切れ味が、堪能できるか、それは暫く使い込んで一裏か二裏研ぎ減らさないと、判らないでしょう。

現状の作業で、家具職人が鉋を使いつぶすまでにどの程度時間が掛かるでしょうか。 恐らく佐宗先生でも、一生使っても、この二丁を使いつぶすことはなかろうと思います。 それだけ使い甲斐が有り、楽しみの有る鉋だと思いますが、現代では鉋の使用頻度も減っていると思います。 

この情報社会では、評判の鉋をネットなどでいくつも目にすることが有ります。 我々初心者でも、少し高いが購入して、試す事は出来ます。 しかしその性能を十分引き出す事が出来るかどうか、筆者は疑問に思います。 鉋を使いこなせると自信が持てるまでは、使わない方が良いと思います。 正当な評価が出来ないのに、著名鉋を持つ事は、作った鍛冶屋に失礼だと思うからです。 

Note 1:「はしかい」とはどこぞやの方言で、刃が硬くてもろい事を言います。

写真5:夫婦鉋

余談(編者追記):

左甚五郎は、一説には実在の人物か疑いもあるようですが、江戸初期の大工・彫刻師として有名で、特に日光東照宮の「眠り猫」の彫刻は有名ですね。
甚五郎は、右の利き腕が使えなくなり左腕で彫刻を続けたのだそうな。そのため左甚五郎と称するのだとか。

甚五郎の指紋は指十本すべてが右巻であったといわれ、天骨と言われたそうな。右巻の指紋は器用の証しでもあり、今も大工には右巻の指紋を持つ者が多いそうです。ネットでこの興味深い記事を見つけたので一部抜粋して紹介します。読者の手を広げて指紋を見て、器用なのか?また金運の道ありや?確かめてみたらいかがでしょうか。

抜粋記事の筆者が、大工の見習に入ろうと親方を伺った時「右手を見せろ」と言われ「右巻の指紋が三本ある。大工になれるかもしれぬ。」と親方が言った。
指紋が犯罪などの解明に利用されるようになったのは二十世紀に入ってからのことだが、指紋は古い昔から本人を立証する役目を果たし、今も印鑑としても使われている。しかし実際には、人間の生活用具を持ちやすくするための、すべり止めの役目を果たすためにあるのである。
抜粋記事の筆者が中国の旅行先で聞いた指紋の話では、右巻や左巻の渦になっているのを「斗」と呼び、流れているのを「簸箕(bòji)」と呼ぶそうである。斗が一つだと一生涯貧乏暮らしで、二つあれば、まあまあで、三つ四つあれば金運の道ありという。斗とは水を汲み上げる柄杓の意味があり、吉だという。「簸箕」とは風で物を飛ばすという唐箕(Note 2)の意味を持ち、金銭が懐に入っても風で飛んで行ってしまうので一生涯貧乏暮らしで、中国では凶であるそうだ。

Note 2:唐箕(とうみ)とは、収穫した穀物を脱穀した後、籾殻や藁屑を風によって選別する農具。

文責・編集  堀江

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