家具の学校

『家具の学校』から始まったモノづくり
現在は、ダニエル元町本店にてワークショップ体験をご案内

ブログその4

2011年05月15日 | Weblog
ブログアップ遅れてすみません。
木が遠くなる
 今日はアンケート用紙が配られた。一か月の授業を踏まえて、講義、実技、その他の三項目で学校の感想や意見・要望をというものだ。道具とその扱いに慣れるのに必死なせいか、学校に対してというよりは自分の反省文になってしまった。
 切るは切るでも、文章を切る、削ることはこれまで難なくやってきた。取材をし、要点をまとめ、記事にする。テープ起こしから主題が映えるようにレイアウトし、記事を入れる。これらのことを覚える過程において、あまり苦労したという感じを持ってはいない。
ところが、「木を切る」のは、私にとっては想像を絶する難解な世界だ。まず、道具を覚え、それに慣れる。木の目や流れを判断する。逆目で今日も削っていたようなので、いまだに体で理解ができていない。包丁もまっすぐ切ることは下手くそなので、鋸を引いてまっすぐに切れないことは容易に想像がついていたが、やはり、その通りになってしまった。自分で分かってはいたことだが、見えない涙が出る。
 もっと「切れないヤツ」が鉋だ。鉋の木の端っこから刃を覗き込むんだけれど、なあんにも見えない。おっかしいなぁ、みんなには見えてるようだぞ。何度覗いても、遠視と乱視と老眼の目が邪魔をして、焦点を合わすこと自体が難儀だ。トントン、トンと鉋を叩いて刃の出し具合を調整している音があちこちからする。うーん、刃が見えないのに叩いても無駄かも、と心の中の悲鳴が私の中を駆け抜ける。
鉋の調整と、調整済み鉋と木と自分との呼吸の合わせ方が掴めない。かつ、こまめに鉋を調整しながら削ることも必要のようで、刃の出具合のコツもつかめていない現状では、木が、いや、気が遠くなる思いだ。
 道具を使えるようになりたいなと漠然と思って入学したが、生易しいものではない。入学の理由は他にもあるが、それは別の回に。





粉になる わがカンナくず まずかろう

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