家具の学校

『家具の学校』から始まったモノづくり
現在は、ダニエル元町本店にてワークショップ体験をご案内

ブログその7 (7期生)

2011年06月02日 | Weblog
5月22日 体力も集中力も
 今日は授業に出かける前の気分を書いてみる。
先週から道具箱の製作に入ったせいか、不安がいっそう体の中で暴れる。上手にやろうと思うからか。遅れずに着いていけるかしらと思うからか。やっていることを理解できるだろうかと考え込むからか。集中力が持たないからか。
 ものづくりというのは、今まで経験してきたことと思考の回路というか、行動パターンが違うような気がする。自分がすぐに馴染んでいけないから、そう思い込みたいのかもしれない。あるいは、これからの進行を創造すらできない恐怖感が大きすぎる故かもしれない。だが、周回遅れでも前に進むことが目標だから、さあ、行ってきまぁす!

 午前の授業は象嵌。面白かった。寄木細工は箱根の土産といった程度しか知らなかったが、手間ひまかかっている工程が見えてくると唸ってしまい、見る目が確かに変わる。象嵌には4種類があることを教えてもらった。そこで疑問が湧く。そもそも象嵌って?辞書を引いてくればよかったなと休憩時間に考えていたら、授業再開すぐに先生が「象嵌とは形を嵌め込むこと」と教えてくださった。実物と作る工程と言葉の意味を知る、これが揃うと頭の整理は遥かにラクになる。
 これまで私が住んでいた世界では、最初に言葉の定義、次にその現象に至る(至った)過程、最後に未来への影響などの説明があるのが普通だった。しかし、今回のものづくりの世界は、実物を先に見て、それを作る道具や過程の説明があり、どちらかというと最後に「だから、これは○○と言います」といった順序が多いような気がする。
 午後は道具箱の2回目。図面と実物と先生の模範実技をしっかり頭に焼き付ける。だが、自らの手を動かすために作業台に戻った途端、焼き付け過ぎたのか、消失している。周囲の人や先生に何度も聞き、通りがかりの仲間に手助けをしてもらって、ちょっとずつ前へ進む。目の前で進んでいく自分の作業が自分のものとは思えない感覚に何度も陥る。ほんとに私がやっているのか。私自身が行えているのか、と。不思議な感覚だ。
ピカソは創作に入ると、「体力は部屋の外に置いてあるから疲れない」と言ったそうだが、慣れないことに精を出す土曜日の私の集中力は一度に2時間が限度のようだ。午後の実技後半30分は、頭も体も「動きたくない」と、だはんをこきだした。だはんこくは北海道弁で、「だだをこねる」の意。「家具の学校に行きたくない」と、だはんこく自分を作らないようにしよう。

だはんこき へんしんさせる ダニエルは
コメント
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