2021年2月27日(土)
2月24日(水)朝方、起きるなり地理院地図を開いて教えられた。
空海 ・・ 「お袋さんは鼻が高かったでしょうね・・」
母 ・・・ 「何!? 空海、お前が鼻が高かっただろうに・・、私のような立派な母さんに産んでもらって」
空海 ・・ 「は~~ハイ!そうでした、そうでしたね」
空海 ・・ 「お袋さんとの魔訶不思議な縁で結ばれてこの世に産んでもらったんだもんなぁ・・」
母 ・・・ 「おとん(父)に合わすことはできんかったが、それがあんたの運命を強くしたっばいねぇ・・」
空海 ・・ 「きっとそうかもしれんなぁ・・」
母 ・・・ 「あんたは勝浦町星の岩屋の近くで生まれたっばい」
空海 ・・ 「善通寺ではなかったとですか」
母 ・・・ 「774年7月16日生まれで血液型はO型だったばいね」
空海 ・・ 「身長は163㎝ありますばい」
母 ・・・ 「世の中、いろんなこつが誰にもあっとばいねぇ。おとんは僧だったぁ・・」
空海 ・・ 「そうかいなぁ ・・、妹と二人兄妹だったとですかぁ・・ 」
母 ・・・ 「貧しくて・・女手一つで育てられんかったけん、1歳7ケ月の頃、善通寺の佐伯家にお願いしに行って・・(涙・涙・・・)」
空海 ・・ 「お袋さん ・・ お袋さん・・」
母 ・・・ 「つらい思いをさせてしもうて・・、すまなんだなぁ・・ごめんなぁ・・」
空海 ・・ 「いえいえ・・、お袋さんに産んでもろうて、いつでん感謝しとっとばい・・」
母 ・・・ 「ええ~~豊受を授かったなぁ~、そいでこそ私の子ばい! わたしゃ鼻が高かっばい、どこ行ってん鼻が高か~~」
空海 ・・ 「そばってん、ちょっとだけ・・、僧だったというおとん(父)の顔ば見てみたかったなぁ・・」
母 ・・・ 「ててなし子にしてもうてすまなんだ・・、本当にすまなんだ・・」
母 ・・・ 「お前が、生い立ちば日本列島に書き込んだんも知ってるばい。本にすまなんだ・・」
母 ・・・ 「お前さんの心臓が止まった日は、835年7月31日でしたなぁ・・享年61歳で・」
空海 ・・ 「お袋さん、 おふくろさんよ・・、 おふくろさ~~ん!」
中央の二等辺三角形を成すポイントには、上から、鼻高山、弘法山、摩訶えん山、豊受山、亀岩である。
マリアの墓も、光明皇后の母である橘三千代さんの墓も、袋のコンターラインでしたが、
空海の母の墓も袋の形のコンターラインでした。
空海の墓は、お袋さんがつけてくれた名前のマオを、善通寺さんが真魚とした、カワイイ魚のコンターラインでしたね。
母 ・・ 「空海、お前の墓はカワイイ魚たいねぇ~~、ありがとうよ!」
2020年9月12日(土)
マリアの墓から空海の墓までは、227.21㎞と、ほとんど同距離です。
空海は、二人の墓の位置を知っていて、自分の墓の位置を決めているように思えます。
又、空海は、ルーツを辿れば橘三千代、マリアへと行きつくと言っているようにも聞こえてきます。
今日は、橘三千代さんの墓へとお参りです。
下は、橘三千代の墓のコンターラインです。袋の形をしています。
下は、マリアの墓のコンターラインです。こちらも袋(子宮)の形をしています。
下は、山口県にある空海の墓のコンターラインです。
幼少の頃、真魚と呼ばれていた空海の墓は、カワイイ魚の形をしています。
2020年8月20日(木)
東京のFさん(女性)からメールをいただきました。
・・・
上森さま
いつも楽しく、ドキドキワクワクでブログを読ませていただいております。
以前にマリア様のお墓参りツアーに参加させて頂きました。
最近の藤原不比等から、光明皇后など、私の興味ある人々のところの話題ですので、
余計に気になりましてとりとめのないメールを送っています。
私が一番気になり、ペンネームにもしている
橘こと、縣犬養三千代のことも
探求されますでしょうか?
資料がなくてとても気になる犬養三千代ですが
なぜだかシリウス、橘、犬、とイメージがきます。
いつか犬養三千代さまが眠る場所も見つけていただきたいです。よろしくお願いいた
します。
・・・
ちょうど、光明皇后の母はどこにお眠りになっているのだろうと、調査が終えていたところへのメールでした。
母、犬養三千代さまがお眠りの場所は、滋賀県多賀町大字大君ヶ畑(おじがはた)の険しい山の上でしたね。
下の図形からその位置は割り出されていきました。
全て空海さまはご存じでしたね。 ・・ 空海院が出現しました。
武部さん、またまたお呼びのようですよ。
現人神さまたちは大変なやきもちやきで、「うちのところには何時来てくれるのかえ」とお待ちのご様子ですぅ。
シリウス(おおいぬ) プロキオン(こいぬ) ベテルギウスの冬の大三角形を描いていますね。
母、三千代の墓とマリア様のお墓のコンターラインは、同じ雰囲気のコンターラインをしています。
袋の形です。
2018年6月12日(火)
千鶴山の北に位置する埴岡の里には、大国主命=イエス・キリストの墓を中心として、こと座を下ろした星々の位置のベガに卑弥呼の陵墓を造営し、祈りの場の八幡山や卑弥呼に同行した100人の同行場所が決められていました。
そして、イエスの四男で第四代懿徳天皇(いとくてんのう)の陵墓もイエスと対面するシェリアクの場所に決められていました。
あまりにも見事すぎます。
そしてそして・・、偶然では考えられないことで、千鶴山から卑弥呼のベガまでの距離とスラファトに位置する場所までは全く同距離で、ベガとスラファトを結んだライン上にイエス・キリストの墓が位置しています。
そして、イエス・キリストの墓からベガとスラファトの位置までは全く同距離です。
スラファトの位置に眠る人は、いったい誰なのでしょうか。
又、イエスの北側に位置する星に眠る人はいったい誰なのでしょうか。
このニケ所のポイントのコンターライン(等高線)は、共通したある形をしています。
人工的なコンターラインです。
何を表すのでしょう・・。
それは袋の形をしていますね。 そうです女性を意味している。
マリア様のお墓の発見の時も、コンターラインが気になって仕方がありませんでした。
母親のことを お袋さん と呼んだりしますが、語源は・・あるものを表しているようです。
みなさんの真の故郷とよんでもよさそうな・・、女性の方しか持っていないものです。
そして・・、「おふくろさん」という昭和の感動の歌もありました。
お袋さんという言葉を、大国主命=イエス・キリストも使っていたかもしれませんね。