かごめかごめの真実とは

空海様が私に教えてくれた秘密の暗号

あの日の不思議な感覚は今でも・・

2022-06-08 04:20:00 | かごめかごめの真実とは

2022年6月8日(水)

今、イエス・キリストの墓へのガイドを希望する人達が増えています。

おそらくその流れは、内子町の旅での三嶋神社で体験した不思議な感覚と相通じるものかもしれません。

あの日の不思議な感覚は今でも・・新鮮に蘇ります。もう一度行ってみたいと思うほどに。

先人達は真実を知りたいと思う人達には、たどり着けるようにしていましたね。


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卑弥呼の陵墓と日月の山と内子のピラミッドの関係

2016-12-17 07:07:07 | かごめかごめの真実とは

2016年12月17日(土)

 卑弥呼の陵墓を頂点に、東に「日月の山」 西に愛媛県にある「内子町のピラミッド」が綺麗な二等辺三角形を描きます。

 偶然でしょうか。 偶然ではありえないでしょう。

 

 


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日御碕に海底遺跡が存在する

2016-09-27 11:29:44 | かごめかごめの真実とは

2016年9月27日(火)

下の図形は正三角形です。

三角形の底辺の西は宇佐八幡神社です。

中央が、間違いなくピラミッドであると思われる内子町上日の地(愛媛県)。

東が、できるだけ早く行くようにと言われる馬路村です。

頂点が、出雲にある日御碕沖です。

日御碕に海底遺跡があると言われていますが、間違いなく祭祀場遺跡があることを図形は教えています。

そして、馬路村(高知県)にあるピラミッドも祭祀場でしょう。

その馬路村のピラミッドも戦後、杉の木が植林されているようで、

その痕跡は腐葉土と植林で覆い隠されているでしょうが、必ず地表面に磐座の存在があることでしょう。

武部隊長の出番のようです。

 

 

国土地理院地図で見た馬路村のピラミッドです。

ピラミッドを国土地理院地図の3Dで見たものです。

イエスの生命の樹(カバラ)で、出雲、宇佐八幡、馬路は、重要なセフィラのポイントです。

重要な祭祀場が太古の昔からあったとしても不思議でありませんね。

 遥か太古の昔から、国創りは、生命の樹(カバラ)に基づいて設計されていることが言えます。


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武部さんの内子町での記録

2015-10-13 12:18:56 | かごめかごめの真実とは

内子の名も無い449.3mの山はピラミッドか-7 エピローグ

10月4日、5日と「内子の名も無い449.3mの山」に上森三郎さん、田中孝子さん、それに僕との三人で登り、その四角くて平らな「449.3mの三角点の有る頂上の下部」で、磐座や露岩、岸壁などを見つけた。

その報告は、
①・・「内子の名も無い449.3mの山はピラミッドか-1 プロローグ」 
②・・「内子の名も無い449.3mの山はピラミッドか-2 石灰岩の磐座
③・・「内子の名も無い449.3mの山はピラミッドか-3 磐座の掃除
④・・「内子の名も無い449.3mの山はピラミッドか-4 周辺の磐座」 
⑤・・「内子の名も無い449.3mの山はピラミッドか-5 遥拝の場所」 
⑥・・「内子の名も無い449.3mの山はピラミッドか-6 地質」 

⑦・・「内子の名も無い449.3mの山はピラミッドか-7 エピローグ

⑧・・「 内子の名も無い449.3mの山はピラミッドか-8 植物

   

・・・

 

 

 内子町は大変なところです! 

日本の超古代史が眠る町です!!

 

 


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内子町へは・・

2015-10-10 16:28:45 | かごめかごめの真実とは

2015年10月10日(土)

武部さんが内子町での調査記録の続きをUPしましたね。

、「九賑峠の櫟(クヌギ)」の話もちょっと物悲しいですが・・。

 

 内子町は綺麗な町でしたね。

事前にレンタカーをお願いしていましたし、電車の到着時間に駅まで迎えに来ていただきましたので、

何不便なく山までも行けました。 

ガソリンスタンドがレンタカーもやって居られたので、もうそのガソリンスタンドに帰るだけでしたから、

車を返却するのにガソリンスタンドを探す手間も省けて、大助かりでした。

帰りはブラブラとそこから綺麗な街並みへと行って、しゃれたお店でコーヒーをゆっくりいただいて帰ってきました。

 

 


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神社に十字架に磔になったキリストの絵が・・!

2015-10-08 19:44:47 | かごめかごめの真実とは

2015年10月9日(金)

 5日(月)の内子町での出来事を武部さんがブログにUPされました

 私も5日の出来事をここにUP。

 

 朝9:00前に 上日の地の入り口、徳積にある三嶋神社へと立ち寄りました。

前日に山への行き帰りに気になったのと、地図上で遺跡の真東に位置しているのと、

山への入り口にもなる場所ですから大いに意味ありそうで、何かの手がかりがあるのではと・・。

するとそこには、なんと十字架に磔になったキリストの絵がありました。

絵にも十字架にINRIと言う文字が書かれていますが見てとれますか。

     イエス・キリストの墓が日本に・・存在していたとは・・・!!

                   

神社へお参りを済ませて、山へと行きました。

そして今日は、前日発見した南斜面の磐座へと行く前に、山の西側中腹にある遥拝する広場だと思われるその広場から下へと磐座が存在すると予測されるので、そちらへと下りていくと、予測通りに磐座が並んでいました。 しかもそこの石質は、南斜面に続く石灰岩質の磐座と全く違って、武部さん曰く、「大理石です」と

それらを見ながら頂上へと行って、前日武部さんが発見した磐座の場所を掃除してから車のところへと帰りました。

・・が、西の遥拝の広場から見たときに、右手の山が意味ある場所だと思っていましたので、道も良さそうだし上がって行くと・・・。

そこには大師堂がありました。

「この遺跡には空海様は来ていないでしょうね」と話していた私達でしたが、空海様は間違いなく来ておられたようです。

「何を言うか馬鹿もんが~!」と。

「下で、イエスの絵があったじゃろうが~」とも・・。

 

            

岡山家康!  

なにやら謎かけされているような??「解けるかね、上森君」と空海様が。

大師堂から下りてくると、途中正面に見えるのが遺跡の山です。

 

そして山を下る途中、遠くには山頂国家の名残がいまもその情景を教えてくれているようです。

  


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内子町遺跡を立証する

2015-10-08 11:39:29 | かごめかごめの真実とは

2015年10月8日(木)

10月4日~5日の二日間 内子町遺跡の調査を行いました。

武部さんがブログで内子町の山で見た感想を綴っていま~~す

           

山頂部分のステージは、石がもろく砕けて小さいものは土状に風化していますが、明らかに石の目が互い違いになっている人工的な部分が顔を出していました。

  

 

以前に下記のようなことを書いていました。

 

2013年4月20日(土)

一泊二日の馬路・租谷の旅は、神戸から走行距離757kmの長い道のりでした。

帰り道、高知自動車道の馬立パーキングエリアで休憩しましたが、その馬立(うまたて)に面白いものを見つけました。

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 この水琴の石板に彫ってある溝は、どう見ても 馬 の象形文字に見えてしまう私でした。この 馬の文字のデザインと、 馬路(うまじ)村の八杉森山頂に造られている地上絵と言いますか、象形文字と言いますか、同じに見えて仕方ないのは私だけでしょうか。

Img4151936430001_2

    ここをクリックして3Dで見てください。

さぁ~この馬の地上絵をどうして、この場所に造っているかと言うことですが、この八杉森と出雲大社と宇佐神宮を結ぶと奇麗な正三角形を描きます。 偶然でしょうか。

Img4201508000001

Img4142136380001
伊王島(長崎)から宇佐神宮を通って、生野、神河町へと伸びるイエス・キリストの生命の樹(カバラ)の重要な場所でもあった馬路でしたが、この八杉森から高知県で一番高い山である三嶺(みうね1893,4m)を通って、北に位置する鳥取県湯梨浜町にある古墳群がある馬ノ山 まで、一直線に人工の山が並べられているようです。

先人達って、どのような考えの持ち主だったのでしょうか。

 

 

 


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内子町に古代遺跡(ピラミッド)が・・・!!

2015-10-06 11:27:18 | かごめかごめの真実とは

2015年10月6日(火)

4~5日、愛媛県内子町へと調査に出かけました。

そこで見たものは・・・!!

古代遺跡(ピラミッド)でした。

国土地理院の等高線地図通りの段々に現地はなっていて、見事な磐座群もありました。

又またイワクラ学会の武部さんが磐座を発見しました! 武部さんの報告が楽しみです。

この内子遺跡は、古代日本建国の謎を教えてくれる大発見となることでしょう。

つづきは・・:おいおいと。

 

鶴島(出雲・出雲大社を通る) 宇佐八幡宮 内子町ピラミッド の3点は 2:1:√3の図形を描く

 

4日、AM11:55  いくつかの連続したトンネルを抜けてほどなくすると、そこが内子の町でした。

      

泰弘さんの[追憶の記]です・・ のブログに重要な記事がありましたので、ここに紹介させていただきました。 

 

 

 

【喜多郡の歴史概説】


日本には旧石器時代は人間は住んでいなかったであろうと考えられている。
それは旧石器時代の遺物が出土しないからである。
新石器時代になると、縄文式文化人は日本列島に住んでいたことは、土器やその他の出土によって明らかである。
新石器時代の後期、弥生式文化人は農耕を行い村落も営んでいたのである。
当、愛媛県喜多郡においてはどうであったか。 喜多盆地を中心としてその周辺の洪積層上の地点に土器石器が出土し、古墳も存在し、銅鏡も鉄器も出土する。
これらの点により考えれば、土器の中に縄文式土器も発見されているが、層位といって弥生式土器の下位の層より出土することが確定していないので、縄文式文化人がこの土地に居住したと証明は出来ない。
しかし、常識的には縄文式文化人も弥生式文化人の以前に居住してバトンタッチしたと観てよいと思う、又古墳から銅鏡や鉄器も副葬品として発掘しているので、日本列島の状態と何ら変わるところはない。
喜多盆地は土器石器の種類も多く、管玉等の玉類も出土し、種々の立派なものが沢山に出土する。
出土地としては、新谷村都谷、和田、伏折、大洲町徳の森、花瀬山、南久米村北只、菅田村染瀬、泉徳寺、下村嶋宮の首等であるが、喜多郡は何れの土地を歩いても一つや二つの石器土器は足元にころがり、この点弥生式文化人は郡内に広く分布していたのである。
しかし原則として沖積層上には存在せずして沖積土壌上に存在するのである。
次に上げなければならないのは巨石文化である。
喜多盆地周辺には人工的に巨大な石をもって造営した遺跡が有る。
これまた他に見られないほど沢山にある。それらは西欧諸国にあるドルメンやメンヒルと同じ発生を有するものか否か研究を要する。又ストンサークル群もある。何れも通風採光が充分で風光見晴らしの良い場所にある。この巨石文化遺跡は郡内各所にあるかも知れない。
古墳は上の時代より新しい時を示すものであるが、これも喜多盆地の周辺に散在している。

ここで問題に成るのは少彦名命の伝説である。
少彦名命は出雲経営を終わって常世の国に渡るとあるから、喜多盆地経営が最後であったかも知れない。
所詮、出雲の氏族が喜多盆地に小国家建設をしたのではあるまいかと言うのは、出雲系統の神社が、伊予全体で268社あるが、その中喜多郡に属するものが約60社あるからである。

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