「苦海・浄土・日本 石牟礼道子 もだえ神の精神」 田中優子著から
毒死列島に祈りを捧げるもだえ神はもはやいない。縄文からの射程でいえば約3000年あまり。そんな太古から来た人の物差しで見れば、魂の抜けた人間たちが愚かなことを繰り返し、一度滅びて生まれ直す歳月はどうということはないかもしれない。しかし、それは「生まれ直す力があれば」という条件付きである。
救いというものはない。まず自分が人間になり直す作業を魂に課すこと。それが、日本人が成し遂げることができなかった魂の自立だと道子は言った。人間になり直すとは、自然を支配下に置こうとするのではなく、自然の中に入って生類たちとの連帯を取り戻すことであろう。それができなければ、人類は孤立し、破滅の一途をたどるだけである。
毒死列島に祈りを捧げるもだえ神はもはやいない。縄文からの射程でいえば約3000年あまり。そんな太古から来た人の物差しで見れば、魂の抜けた人間たちが愚かなことを繰り返し、一度滅びて生まれ直す歳月はどうということはないかもしれない。しかし、それは「生まれ直す力があれば」という条件付きである。
救いというものはない。まず自分が人間になり直す作業を魂に課すこと。それが、日本人が成し遂げることができなかった魂の自立だと道子は言った。人間になり直すとは、自然を支配下に置こうとするのではなく、自然の中に入って生類たちとの連帯を取り戻すことであろう。それができなければ、人類は孤立し、破滅の一途をたどるだけである。