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万人の万人に対する闘争

2023-12-05 11:36:36 | 日記

万人の万人に対する闘争

 ホッブスのリバイアサンに載ってる言葉だそうです。二葉亭四迷の訳だそうで名訳と思ったので今でも記憶している。初めてこの言葉を知った時、わたしは不覚にも同じ町内にある八百屋どうしとかトヨタ日産とかアメリカと旧ソ連が闘争するのであって自分には関係ないとずーと信じていたが、間違いであったことがその後すぐにわかった。各個人がその組織内で他の個人なり小集団と闘争状態にあるようである。単なる出世競争ではない、いじめという形である。そのことがやっと今頃報道されてきた。

 今まではこんな事件が起きても報道されないどころかなかったことにされたのである。学校で不幸な事件があったとする。校長は夜半密かにその家に赴き、その事件の前日の日付の退学届けを出してもらいその不幸な事件は学校と関係ないことにしたのである。単に校長の責任逃れだけではない、学校システムが何の反省もなく何の変更も受けないようにするためである。

お話変わってほんとうに昭和三十年台には「どこそこの何々さん兵隊に引っ張られはってどこそこへ送り込まれはった。」という会話が街門でなされていたのである。引っ張られるの代わりに「兵隊に獲られる」というコトバが使われたこともある。兵役に就くという漢語は街門では使われない。昭和四十年台にはそれに代わって「どこそこの○○ちゃん学校に引っ張られはってえらい目にあわされはったらしいで。」とか「学校に獲られる」というコトバが実際に使われていたのである。庶民にとっては学校は軍隊に準じる面倒くさいシステムだったのである。 学校は軍隊と同じ「辛抱するのが当たり前やろ。」という暗黙の暴力に支えられているシステムである。人々を強制して「辛抱するのが当たり前やろ。」というコトバの暴力に耐えるようにしむけようとするのが学校教育の本質である。これを達成するために犠牲者が出てもいいとまで思っている節がある。

今回の事件が明るみに出たことで会社の経営陣を糾弾してそれで一時の快をむさぼるにとどめてはならない。いまでも社会全体に蔓延するこの昔の軍隊と同じ「辛抱するのが当たり前やろ。」という暗黙の暴力を糾弾しないといけない。頑張ること辛抱することが良い結果を生むとは限らないことにもうそろそろ気付くべきである。暗黙の暴力に従うことが幸せでない。学校も会社も役所も変わらねばならぬ時である。

 暗黙の暴力はふるったもん勝ちみたいなところがあって、いまだにこの迷惑な人々が増殖している風に見える。時代は暗黙の暴力を必要としない時代に向かっていると思われるのにである。