Tout est bien qui finit bien.

結果オーライ(笑)

十年一昔

2005-08-12 | Web/PC
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8月12日
jundo 様

_______________ Thank you for your patronage! _______________
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\ │ @niftyを10年間ご利用いただきまして │ /
/ │ 誠にありがとうございます。 │ \
/ │ これからもどうぞよろしくお願いいたします。 │ \
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From @nifty スタッフ一同

8月12日は、jundo 様が@niftyにご入会されてから、ちょうど
10周年となります。
@niftyは、みなさまのご支援のおかげで、 多くの方にお使いいただけるプロ
バイダーに成長することができました。心よりお礼を申し上げます。

- - - - - - - - - - △ こ こ ま で △ - - - - - - - - - -

上記の書き出しで始まるメールがニフティから今朝届きました。
PCはもっと前からいぢってたんだけど、いわゆる「パソコンを使っての通信」ってのをやり始めたのが、1993年からパリに住み始めて、日本とのやり取りにメールを使いたいと思って入ったニフティでの通信が最初だったんですよ。そう言えば(笑)。

PowerBook550c って当時最新のカラー液晶のノートを使って、パリの自分の部屋の電話線を9,600bpsのモデムに繋いで telnet 経由で ComNifty 使ってオートパイロットで fdesign や PATIO を巡回してメール拾って、ログを落として、せっせとレス書いては再びオートパイロットで書き込み巡回して、、みたいなことやってました。
ちょうどパリで夕飯前くらいの時間にニフティに繋ぐと日本の22時とか23時頃で、fdesignのRT(いわゆるチャットですな)で仲間たちとワイワイとチャットして盛り上がって、向こうは「そろそろ寝る」って言ってこっちは「じゃ、晩飯作って喰う」とかいって落ちたり、、みたいな(笑)。完全なテキストベースでのやりとりのみで、毎日日本の仲間と情報交換したりして楽しかったなぁ、、。チャットで「どこから(繋いでいるん)ですか?」みたいな会話になって、みんなが東京だ熊本だとか言ってる時に「パリです」って応えて相手は「へ?」となるのが楽しかったりしました。あぁ懐かしい。
それからモデムを14,400bpsのに変えて、更に28,800bpsのまで奢ってしまったりって地味なスペックアップして楽しんでたりしましたね、わはは。

90年代半ば当時のフランスでは、普段の情報収集は minitel って日本で言うキャプテンシステムのようなものが広く普及していたんで、インターネットに関しては明らかにアメリカや日本に較べて遅れてましたね。
その頃にどうやらウェブってのは面白いみたいだぞってことになって、翔泳社刊の「インターネット ホームページデザイン」って95年発行の本を手に入れて初めて HTML ってのを知って、興味を持っていろいろあーだこーだしている内に今に至る、、みたいな(笑)。まだwwwブラウザが Mosaic からやっと Netscape が登場した頃で IE なんか存在しなかった時代の話です、、( -.-)トオイメ

ある日本人アーティストのサイトのフランス語版ページのローカライズなんかを手伝ったりしたんだけど、パリでのウェブの事情を調べようにもまだまだ用語すら定着してないし、こっちもネットの用語を駆使出来る程でもなかったのもあって、あっちこっちに問い合わせては四苦八苦した憶えがありますね。もう訳が判らないことばかりだったので、若さもあったのか、いきなり向こうのカルティエ財団のウェブマスターにメール送って質問しちゃったりして、、、。日本人から問い合わせのメール来たのが相当珍しかったのか、わざわざ実際に会ってカフェでお茶しながらいろいろ教えてもらったりもしましたねぃ、、今なら考えられないな(笑)。

そっかぁ、あれからもう10年かぁ、、、う~むぅ。

日航機墜落事故から20年

2005-08-12 | Bavardage
1985年8月12日に起きた日航機墜落事故から20年です。

ニュースでは20年目の慰霊登山や灯籠流しなどの映像が繰り返し流されていて、あの日の記憶を蘇らせてます。
遺族の方にはテレビを観るのは辛いんでないのかなぁ、、と思ったりもしますが、これくらい繰り返し報道しないと、この国では記憶の中にとどめずに忘れ去ってしまう人も多いんだろうな。と思ったりしています。

昼飯食べながら何気なく見ていた番組で、フライトレコーダーの中から拾ったのか、ボイスレコーダーが別個にあったのかは不明ですが、墜落直前のコックピットでの機長と副操縦士と機関士の会話の音声がテロップ付きで流されていて、思わず画面を凝視したまま固まってしまいました。

衝撃的だったので記憶が曖昧ではあるのだけど、「何か爆発した」と機長が言うところから始まって、「あぁ、だめだ」の機長の一言の後の衝撃音までがクリアに聞き取れて、背筋に冷たいものを感じて鳥肌がたちました。今でもあの音声を思い出すとゾッとしてしまいます。

確かに記録としては貴重だろうし、事故状況を解析するのに役立てて欲しいとは思うけれど、あれをニュース番組で流す必要は無いだろう、と思いました。あまりにも衝撃的だし、遺族の方が聴いた時のショックは計り知れないのではないだろうか、、と。

それにしても、最近の日航の飛行機の部品落下やら整備不良などのケアレスミス続きは呆れるばかりです。520名の犠牲者の方に対しても失礼だろうと思ってしまいます。20年前のあの事故が何も教訓として活かされてないのではないか?とさえ思ってしまいます。
彼ら日航の現役の経営陣、整備士他関係者にこそあの音声記録を心して聴かせる必要があるのではないでしょうかね。