ロシアのナショナルチームが日本に練習に訪れている。昨晩は、コーチたちと夕食を共にし、様々な話をする機会を得た(写真中央がガンバ氏、左がマカロフ氏、右がモロゾフ氏)。
ロシアは実は昨年の北京オリンピックで金メダルどころか、メダルを一つも獲得できなかった。男子は日本、フランスと並ぶ強豪国であることを考えると、大きなショックであったに違いない
柔道愛好家で知られるプーチン首相の後押しを受け、これまで以上に強化の体制が整っていると思われるにもかかわらず結果が後退しているのは皮肉だ。これは日本男子にも同じことがいえる
北京後、危機感からか、ロシアは初めてヘッドコーチを海外から招聘した。イタリア人のガンバ氏である。彼は、1980年代に活躍し(1980モスクワ五輪71kg金,1984ロス71kg銀)、引退後は母国イタリアにおいて長年コーチを務め、北京前にはIJFが支援して作られたアフリカトレーニングセンター(モロッコ)にてコーチ。アフリカ勢は北京において銀メダル1個、銅メダル2個を獲得という成功を収めた。ガンバ氏に加えて、アテネ後引退した若いマカロフ氏(ロシア人。2001年世界選手権金、決勝では日本の金丸選手と、駆け引きではなく技を出し合う素晴らしい試合を繰り広げた)もコーチングスタッフに加わっている。
ロシアは、ロシアスタイルと言われるほど、サンボやレスリングの技術を生かしたパワフルな柔道が特徴である。しかし、ここにきてテクニシャンと言われた二人のコーチを採用したことは、少しずつ目指す柔道の方向を転換していこうという表れか?
マカロフ氏曰く「グルジアのパワー柔道はすごい。ロシア人とは比較にならない。」私たちは、旧ソ連の国々をまとめて考えてしまいがちだが、それぞれの国に違いがあり、ロシアはパワーで勝負していたらグルジアにはかなわないと考えているというのにびっくりした
ガンバ氏に日本の男子柔道について聞いてみた。彼は2度の世界選手権決勝で日本選手に敗れている。その当時と今の選手達は何が変わったのか。
「日本は世界のどの国の選手達よりも恵まれている。そのことが強さに結びついていない。また、柔道以外の可能性も多く、柔道で金メダルを獲ることが’夢’ではなくなってしまったのではないか。長い間、日本に練習に訪れていて思うのは、日本は何も変わっていない。練習のメニューも20年前と同じ。変化が必要なときもあるのではないか。日本が弱くなったのではなく、世界が強くなってきた。世界は、柔道は日々進化している。日本は20年前と同じ位置にいる。」
おそらく、日本人の多くが、言われなくてもわかっていると言い返すかもしれない。しかし、世界が進化しているのに対して日本は何を変えてきたのか。もちろん変えなくても良い部分もたくさんあるはずであるが、組織、システム、コーチなど改革すべき部分も多分にあったはずだ。これまで日本は海外の変化、進歩に対応を繰り返してきた。対応ではなく、自身を進化させるというポジティブな変化を残念ながら行ってはこなかった。そのことが世界の進化においていかれている原因だろう
ロシアの選手達は常時合宿体制で練習を行っている。週11回のセッション(技術練習を含む)、週4回のフィジカルトレーニング。ヨーロッパの主な国々、韓国など、強豪国のほとんどはこのような練習環境を整えている。つまり選手達はプロフェッショナルなのである。お金の問題ではなく、生活が柔道中心になっている。日本の選手はガンバ氏が述べたように恵まれてはいるものの、コーチを含めてプロフェッショナルという感覚が低い
実業団の選手達(男子)は、まとまって練習をしているケースはほとんどなく、個々の出身大学において練習を行っている。そこには大学の指導者はいるが、その人たちのターゲットはあくまでも学生達である。つまり、世界を目指す最も大事な時期に選任で見てくれるコーチが実はいないという現状にあるのである。どんなに優秀な選手でも自分を客観的にみることは難しい場合が多い。
おそらくこういった従来のやり方でもこれまでは世界で闘ってこられたが、世界が進化していく中、日本といえども変化しなければ、さらにおいていかれることは間違いない。
北京後、若い篠原氏がヘッドに抜擢された。強化システムも、ナショナル、シニア、ジュニアという新しい区分に変わった。改革の試みは見て取れるが、大きな改革とは言い難い。ロシアのようにメダルゼロとなれば変わらざるを得ないし、周囲も納得する。そういった意味で日本は危機感はあるものの、そこまで切羽詰まっていない状態だろうか。
全日本のコーチを辞めてから、海外に試合に行っても他の国のコーチたちとゆっくり話す機会も減ってしまったが、彼らとの話の中で得られることは大きいと改めて感じた
ロシアは実は昨年の北京オリンピックで金メダルどころか、メダルを一つも獲得できなかった。男子は日本、フランスと並ぶ強豪国であることを考えると、大きなショックであったに違いない
柔道愛好家で知られるプーチン首相の後押しを受け、これまで以上に強化の体制が整っていると思われるにもかかわらず結果が後退しているのは皮肉だ。これは日本男子にも同じことがいえる
北京後、危機感からか、ロシアは初めてヘッドコーチを海外から招聘した。イタリア人のガンバ氏である。彼は、1980年代に活躍し(1980モスクワ五輪71kg金,1984ロス71kg銀)、引退後は母国イタリアにおいて長年コーチを務め、北京前にはIJFが支援して作られたアフリカトレーニングセンター(モロッコ)にてコーチ。アフリカ勢は北京において銀メダル1個、銅メダル2個を獲得という成功を収めた。ガンバ氏に加えて、アテネ後引退した若いマカロフ氏(ロシア人。2001年世界選手権金、決勝では日本の金丸選手と、駆け引きではなく技を出し合う素晴らしい試合を繰り広げた)もコーチングスタッフに加わっている。
ロシアは、ロシアスタイルと言われるほど、サンボやレスリングの技術を生かしたパワフルな柔道が特徴である。しかし、ここにきてテクニシャンと言われた二人のコーチを採用したことは、少しずつ目指す柔道の方向を転換していこうという表れか?
マカロフ氏曰く「グルジアのパワー柔道はすごい。ロシア人とは比較にならない。」私たちは、旧ソ連の国々をまとめて考えてしまいがちだが、それぞれの国に違いがあり、ロシアはパワーで勝負していたらグルジアにはかなわないと考えているというのにびっくりした
ガンバ氏に日本の男子柔道について聞いてみた。彼は2度の世界選手権決勝で日本選手に敗れている。その当時と今の選手達は何が変わったのか。
「日本は世界のどの国の選手達よりも恵まれている。そのことが強さに結びついていない。また、柔道以外の可能性も多く、柔道で金メダルを獲ることが’夢’ではなくなってしまったのではないか。長い間、日本に練習に訪れていて思うのは、日本は何も変わっていない。練習のメニューも20年前と同じ。変化が必要なときもあるのではないか。日本が弱くなったのではなく、世界が強くなってきた。世界は、柔道は日々進化している。日本は20年前と同じ位置にいる。」
おそらく、日本人の多くが、言われなくてもわかっていると言い返すかもしれない。しかし、世界が進化しているのに対して日本は何を変えてきたのか。もちろん変えなくても良い部分もたくさんあるはずであるが、組織、システム、コーチなど改革すべき部分も多分にあったはずだ。これまで日本は海外の変化、進歩に対応を繰り返してきた。対応ではなく、自身を進化させるというポジティブな変化を残念ながら行ってはこなかった。そのことが世界の進化においていかれている原因だろう
ロシアの選手達は常時合宿体制で練習を行っている。週11回のセッション(技術練習を含む)、週4回のフィジカルトレーニング。ヨーロッパの主な国々、韓国など、強豪国のほとんどはこのような練習環境を整えている。つまり選手達はプロフェッショナルなのである。お金の問題ではなく、生活が柔道中心になっている。日本の選手はガンバ氏が述べたように恵まれてはいるものの、コーチを含めてプロフェッショナルという感覚が低い
実業団の選手達(男子)は、まとまって練習をしているケースはほとんどなく、個々の出身大学において練習を行っている。そこには大学の指導者はいるが、その人たちのターゲットはあくまでも学生達である。つまり、世界を目指す最も大事な時期に選任で見てくれるコーチが実はいないという現状にあるのである。どんなに優秀な選手でも自分を客観的にみることは難しい場合が多い。
おそらくこういった従来のやり方でもこれまでは世界で闘ってこられたが、世界が進化していく中、日本といえども変化しなければ、さらにおいていかれることは間違いない。
北京後、若い篠原氏がヘッドに抜擢された。強化システムも、ナショナル、シニア、ジュニアという新しい区分に変わった。改革の試みは見て取れるが、大きな改革とは言い難い。ロシアのようにメダルゼロとなれば変わらざるを得ないし、周囲も納得する。そういった意味で日本は危機感はあるものの、そこまで切羽詰まっていない状態だろうか。
全日本のコーチを辞めてから、海外に試合に行っても他の国のコーチたちとゆっくり話す機会も減ってしまったが、彼らとの話の中で得られることは大きいと改めて感じた
1小学生~中学生~高校生~大学生 一番大切な時期に指導者がコロコロ変わることでプラス面よりマイナス面が大ききく出ている。
2少年柔道は盛んに行われているが中学になると人口が激減する、これは中学の大会を全国統一でオープン参加にするべきである。
2が可能になれば少なくとも中学卒業まで一人の指導者が長期的な目で指導に携われる。
一番の原因は指導者 学校 道場が勝ちにこだわりすぎスカウト合戦が熾烈になり日本柔道の将来を見越した指導が行われていないことだと思います。
自他共栄の精神を思い返すべきではないでしょうか?