予想通り、講道館の館長に上村氏が就任。
柔道界はまあこんなものだろうと思う。
ジャーナリズムもこんなもの。速報で伝える各社のどこもが、深く切り込んだ論調はなく、全柔連の会長も引き継ぐことが濃厚とだけ伝えている。
錚々たる先生方が決められたことなので、おそらくこの結果が正しいのだろう。
私自身が主張してきたことが間違っていたとは少しも思っていないが、自分の価値観や考え方に自信がなくなるような事柄が多い
柔道界はまあこんなものだろうと思う。
ジャーナリズムもこんなもの。速報で伝える各社のどこもが、深く切り込んだ論調はなく、全柔連の会長も引き継ぐことが濃厚とだけ伝えている。
錚々たる先生方が決められたことなので、おそらくこの結果が正しいのだろう。
私自身が主張してきたことが間違っていたとは少しも思っていないが、自分の価値観や考え方に自信がなくなるような事柄が多い
増田俊也です。
コメントを寄せたかったのですが、体調が悪く、延び延びになってしまったことお詫びいたします。
自信をなくすことなんてないですよ。
山口先生は、以前、私にはっきりと仰いましたね。
「私は柔道家だから、柔道家の誇りにかけて王道で往く」と。
その考えを貫き、最後まで王道を貫いたこと、尊敬します。
最近、私のまわりの柔道関係者の間では「山口香ほどいい男はいない!」とみんな言っています。
女性に「男」なんて言葉を使うのもおかしなものですが、
これはもちろん褒め言葉です。
私も、もし山口先生が男だったら、
牛島辰熊先生と今田新太郎少佐(当時)が腕の血をすすり合って義兄弟の契りを結んだように、
山口先生と義兄弟になりたいと思うほど惚れました。
山口先生が講道館長選に立候補していたら、これほど心躍ることはないでしょう。
上村春樹先生への対抗馬になるとしたら、ほかに
岡野功先生、山下泰裕先生らが上がると思いますが、
この4人が立候補すれば、
いずれ劣らぬ人気と現役時代の実力、そして人格識見を備えた方ばかりですから、
かなり票が割れたでしょう。
どちらにしても、自分が館長になったらどんな講道館を作っていくのか、
しっかりとしたビジョンを示した上で全国の柔道経験者、
初段から十段までが同じように一票を持って投票する選挙をやるべきでしたね。
以前、松原隆一郎先生(東大教授、社会学者、大道塾師範代)が
「ゴング格闘技」誌上で、「講道館長には山口香先生を推したいですね」と発言しました。
これはもちろん半分冗談でしょう。
でも半分本気だったような気がします。
松原先生が講道館長に山口香先生を推すのなら、
私は全柔連会長には北大柔道部の小菅正夫先輩(旭山動物園園長)を推したいですね。
これも半分冗談ですが、半分本気です。
実現不可能だと思うから半分冗談なんですが、可能なら全部本気です。
少なくとも今、全柔道家のなかで
最も組織運営能力、改革能力、リーダーシップに優れている人物であるのは明らかだからです。
でも問題は、小菅さんが一度も全日本選手権に出たことがないことと、段位が四段と低いことでしょう。
しかし、そんなことは関係ありません。
組織を生き返らせる能力にかけては日本一であるのは間違いない方だからです。
(本人は面倒だからやりたくないと言うでしょうが、笑)。
嘉納治五郎先生は生前、こういう言葉を使っています。
「大柔道」
この大柔道を、私はやりたいんだと。
大とは、つまり包括的なというような意味ですね。
競技や乱取りでの強さだけではなく、
柔道は日常生活から仕事から思想から、すべてを包括するものだと。
門弟が生業とするその仕事もさまざまなものがあります。
嘉納翁は言いました。
「講道館の門弟のなかには優れた政治家、優れた学者、優れた企業人など、競技生活を卒えて、いろいろな道で柔道精神をもって大きな仕事をしている超一流の者が野にごろごろいる。そういう人たちを集めて、私の理想とする大柔道を完成するのだ」と。
この教えに返るならば、
日本一の組織再生能力を持った小菅正夫さんを持つ柔道界は、
なんとかその力を使えないだろうかと考えるのが普通じゃないでしょうか。
事実、小菅さんは、ここに社名を挙げると問題があるのであえて挙げないが
あちこちの超一流企業からトップとして来ないかと引っ張りだこだという噂を聞く。
もちろん政界からもあちこちから声がかかってるそうだ。
(本人はそんなことはやりたがらない恬淡な人でオジロワシの野生復帰に生涯を捧げたいと言ってますが)
不思議なもので元気のいい企業、元気のいい組織ほど、
「うちの組織をもっと良くするための秘策を聞きたい」
と小菅さんを呼んで役員会で意見を求めるのです。
元気のない、勢いのなくなった組織は、小菅さんを呼んで話を聞こうなんていうことに
考えが及ばないのでしょう。
柔道界は明らかに勢いを失っています。
全柔連会長に小菅さんを! などと実現不可能なことは私は言いません。
でも、せめて一度、講道館も全柔連も、
小菅さんを呼んで柔道界復活へ向けた意見を聞くことが必要でしょう。
小菅さんは柔道を愛する一人の門弟なんですから、遠慮なんてすることはありません。
嘉納治五郎翁の言った「大柔道」の実現を、
全柔道家で考えなければいけない時期にきていると思います。
引継のシステムやルールについての山口先生のご指摘は仰る通りです。それだけ古い体質を抱え込んだ組織ということなのですね、講道館も全柔連も。
上村先生の質疑応答をニュースで読むと上村先生は「重複する仕事がたくさんある」と述べてますのでこれを素直に解釈すると上村先生は「現状が理解できてない」ことになります。
しかし逆に好意的に解釈もできて、上村先生はその立場にふさわしい発言を今までしてきました。IJF理事として出席しているときはその立場で述べるでしょうし、IJF総会では全柔連の代表として応対することはないでしょう。今までの上村先生の発言を見る限り、そのように振る舞うでしょう。
山口先生が危惧されている一人の人間が複数の組織の長をつとめるとやがて相反する結論を抱え込む事は遠からず予想されますので今の状態のまま続けるのは問題でしょう。上村先生が今後どう整理をつけていくのか、そこを記者会見で訊いて欲しかったですね。
底辺の人間は柔道有段者といってもこんなもんです。あまり興味がない、偽らざる現実です。
しかし山口先生のブログを拝見していたために疑問を持ってこの流れを見る事ができました。
少なからずこういう人間もいます。問題提起をするだけでも意味がある事です。頑張って下さい。
本名は書き込みませんよ、私にもいろいろ生活がありますからw
ネット界というところはそんなものです。それに先生が調べるつもりになればこのブログに誰が投稿したのかある程度わかるようになっているのもネット界の常識です。
私はネットには真実は無い、と思っています。それにネットの世界の情報は偏っています。これで世論を動かす事などできはしません。
ネットで情報発信!といえば格好はいいですが、先生のいらっしゃる教員の世界でもブログが評価されて昇任なんてことありますか?ありえないでしょう。ネットはあらゆるサービス情報の坩堝ですから、誇張、誇大、嘘、偽り、まぎらわしい事のオンパレード。都合の悪い事は書かないしね。
また、こういうやり方で自分の意見を発信するのは、それも批判的な意見を出すのは卑怯なやり方だと私は思っています。たとえ自らの本名や立場を明らかにしてさえもです。いえ逆に、先生のような有名人がそういう行動にでる事は、それこそはっきり言って自爆テロです。
誰に聞いたか明らかにできない話や証明されていない事実や山口先生の主観を基に論を進めても、なんにも始まらんでしょう。例えば、先生のブログに「民主的に選んだほうがいい」とか「独裁はいかん」という表現が何度か出てきますが、あのナチスのヒトラーも当時のドイツの民主主義上ちゃんと正当な手続きを踏んで選挙で選ばれて現れた人物なのですよ。民主主義にはそういう面もあるんです。ファシズムは民主主義から生まれるんですよ。知ってましたか?
今回の講道館と全柔連の2つの組織の長の問題も、いままで嘉納さんがやっている時には大きな問題にしないでこういう時に限ってあーだこーだ言うのもフェアなやり方ではありませんよね。嘉納さんがやってきた今までの講道館と全柔連の様々な仕事の評価をちゃんと全部やってからの話でしょう。
先生が本当に問題意識を持っていて、それを本当にどうにかしたいと思うのならば教育の世界で勝負なさい。大学教員の端くれならば論文と著書が武器ですよ。
そうする事が山口先生がその時何を考えて、どうしたかったのか世に残すことになります。先生の戦った跡がちゃんと残るでしょう?それが本当に正しいものならば世論はその正当性を評価してくれる。ネットじゃそれは無理です。
長くなりましたが、失礼な事も書きましたね、すみません。でも、それがネットです。
こんな世界で時間をムダにせず、正統な学問の世界で自分の意見を堂々と披露し、広く世界に先生の正しい柔道観が認知されるように願っております。まさかこの分野でも外国に遅れをとっているという事はありませんよねwww
失礼します。
>ネットには真実は無い、と思っています。それにネットの世界の情報は偏っています。
おっしゃるとおりです。でもこれはネットに限ることではありませんよね。世の中の現象は観点によって見え方が変わりますし、どうすべきかの最善策も取る立場によって変わります。ゆえに、「社会現象(に関する主張)に真実はない」というのが正確でしょう。1つの事件についての朝日新聞と産経新聞の記事が全く異なるものになっているのはそのためです。
それでも、ネットの普及によって嘘が増えたと言われます。メディア論の世界では、その1つの大きな要因は、発信者が増えたからだと考えられています。「ネットの普及で発信者が増える→真実(主張)が増える→どれが絶対の真実(主張)かわらかなくなる」というわけです(現代社会を生きる能力としてメディアリテラシーの必要性が叫ばれているのはそのためです)。
ネットの普及以前と以後で異なるのは、真実の有無ではなく、真実の数です。この意味で、ネット普及以前とネット普及以後は連続したものであり、両者には数の程度の差しかありません。「ネットに真実(や唯一絶対の主張)はない」のではなく、「ネットには真実や主張がそれまで以上にたくさんある」のです。
「ネットに真実・主張がたくさんある」ことは、われわれがアクセスする情報が増えたこと(しかもその情報には簡単にアクセスできる)を意味します。これはわれわれの社会を改善する契機にもなりえます。それまで目にできなかった観点の情報に(簡単に)アクセスできるようになるからです。山口先生のブログはその好例といえます。先生が書かれるような柔道に関する反省的な意見は、それまでなかなか目にすることができなかったものです。目にできたとしても、紙幅の限られた週刊誌等で単発的に取り上げられるだけでした。
私は上にネットの普及が「社会を改善する契機になる」と書きました。しかし貴方は、ネットでの意見表明について、
>世論を動かす事などできはしません
と書かれました。
かつてガーブナーというメディア研究者は、メディアは受け手に共通の態度や価値を持つよう培養させる、根源的な「培養基」の役割を果たすことを明らかにしました。また、マッコウムとショーは、メディアが取り上げる争点が、受け手の人々の側でも重要な争点として認知されることを明らかにしました(メディアの議題設定機能)。そして、ホールは、あるメディアの情報に接した受け手は、様々な読み(その報道を絶対化する読み、裏を読む読み、など)を行うが、どのような読みを行うにしても、「読みっぱなし」にできないことを明らかにしました。確かに、ブログで世論をドラスティックに変えることは難しいですが、メディアとしてのブログには、このような、「培養基」としての機能や読み手に問題の争点を認識させる機能があり、「読みっぱなし」にさせない力があります。
たとえば、このブログのコメント欄を読めば、山口先生のブログを読んでいる人が、上村先生が講道館館長と全柔連会長に就任することの背景に、IJF役員と全柔連会長(日本の代表)を兼任することに問題があること、講道館館長と全柔連会長を兼任することに問題があること、を認識したことがわかります(それを大問題と捉えるか、やむを得ないこととするかは別として)。また、同ブログ右のカウンターによれば、このブログにはこの2ヶ月半でのべ4万人以上がアクセスしています。コメントを書かない多くの人々も同様に影響を受けていると思われます。また、山口先生の数日前のブログによれば、報道関係者もこの当ブログを読んでいるそうです。したがって、彼(彼女)らも、記事にはしていませんが、このような問題があることは認知しているでしょう(いずれ記事として取り上げられるかもしれません)。山口先生のブログは、確実に人々に影響を及ぼしています。
私は、重要なのは、たくさんの人々がこのようなブログを見、問題意識を高めることだと思っています。もちろんそれは山口先生のブログに限りません(なお私、以前にも書きましたが(下にも書きますが)、理想的には、ブログではなく、全柔道人が参加(書き込み)可能で、目にできるような1つのネットワーク(できれば講道館が運営)があればよいと考えています)。たくさんの人がネットで議論をすることが、世論を動かすことに繋がると考えます。
>それが本当に正しいものならば世論はその正当性を評価してくれる。ネットじゃそれは無理です。
いえいえ。ネットはすでに世論(形成)の一部になっています。一度、貴方の言う「正統な学問の世界」で評価されている、ネットに関する「論文」を読んでみてください。いや、初学者向けの基本書でも構いません。具体的な実例とともに、そのことを説明してくれていますよ。
貴方は、ネットでの意見主張を否定し、
>大学教員の端くれならば論文と著書が武器ですよ。
と書かれていますが、私は、ネットを、次の2つの点で論文・著作以上に評価します。
①柔道は全柔道人のものであるという点
柔道界の上層部には大学教員もたくさんいます。しかし柔道は、柔道界の一部の上層部のものではなく、全柔道人のものです。
確かに山口先生の論文が評価されて柔道界が変わる可能性はありますが(その可能性が高いかどうかは別として)、その場合、その変革は、市井の柔道家に是非を問わずに柔道界の上層部のなかだけで検討・実施された変革ということになります(このとき、山口先生は上層部に含まれます)。
しかし柔道は全柔道人のものです。柔道が全柔道人のものならば、市井の柔道家の意志を尊重した決定、改革がなされるのが理想でしょう。私はネットにこの可能性を見ます。私は1人(山口先生)の意見を絶対化する者ではないので、ネット上に色々な人が対等に意見を戦わせる1つの場が立ち上がって、積極的に議論されればよいと考えています(繰り返しますが、それは、講道館が運営するのが理想的だと思っています)。
>あのナチスのヒトラーも当時のドイツの民主主義上ちゃんと正当な手続きを踏んで選挙で選ばれて現れた人物なのですよ。
>ファシズムは民主主義から生まれるんですよ。
ナチスを支持したのは、高度資本主義の発展のなかで経済的な貧困に陥った下層中産階級の人々であったといわれます。民主主義は多数決という方法で最終的な決定がなされますが、票決の前に何が妥当であるかの議論が、様々な社会的立場の人の間で徹底して行われれば、多数決の結果は大きく変わります。票決前の徹底した議論は民主主義の大前提です。この意味で、ネット空間は、ありうべき民主主義の実現にプラスに作用するものです。
②本というメディアの短所
山口先生が著書を出されるのは良いことだとは思います。しかし、本を書いても、状況はあっという間に変わります。著書は、執筆時と出版時にタイムラグが生じる点が短所といえます。もちろんブログはリアルタイムで更新されるため、この短所はありません。
また、長い間出版不況が続いています。現在、重版(増刷)されるのは100冊に1冊と言われています。また柔道界について真剣に書いた本は柔道人しか読まないでしょうから、大きな書店でなければ取り扱わないでしょうし、そもそも書店や図書館に行かないという人もたくさんいます。ネットにアクセスする人のほうが多いのは明らかです。
以上から、ブログには、本にはない長所があるといえるでしょう。
でも、山口先生のブログは多くの方に考える機会を与えてくれました。とってもとっても私は意味のあることだと思います。きっとそう思っている方はたくさんいますよ~
がんばってくださいね(^^)
まず「ネットに真実はない」という表現に驚きました。もちろん、○○さんがそう思われるのは自由です。しかし、本当のところは、ネットにも、非ネットにも、真実と真実でないものの両方が存在すると言うことです。とてもシンプルな反論です。もちろん「でも私はそう思う」と根拠を示さずにおっしゃるのなら、それ以上の反論は出来ません。
「それにネットの世界の情報は偏っています」
これは賛成します。○○さんの言うとおりです。ただし、非「ネット」の世界も偏っています。新聞報道にせよ、雑誌報道にせよ、テレビにせよ、偏っています。たしかに、クズのような情報が占める割合は、非ネットの世界よりも大きいかもしれませんが、本当かどうかは知りません。印刷されて活字になっている情報(これが○○さんが想定しておられるネット以外の世界をさしているのかはわかりません)には偏りがないと考えている人は、もしいたとしても、それほどたくさんいるとは思いません。しかし、印刷されて活字になっている情報を過大に信頼する人が多いとしたら、相対的に、活字の世界の情報は、偏った影響を世論に与えると思います(ここのところ、自分でもうまく説明できていない。言いたいことは、印刷された活字の世界を過大に信頼している人にとっては、活字の情報が偏っていた場合の危険性が相対的に高いと言いたい~)。
「私はネットには真実は無い、と思っています。それにネットの世界の情報は偏っています。これで世論を動かす事などできはしません」
「ネットの世界に真実が無いこと」「ネットの世界の情報が偏っていること」が、「世論を動かす事などできはしません」ということと、どう論理的につながるのかあまりよく分かりません。虚偽の情報、ガセネタによって、世論が大きく動いたことはよくあることだと思うからです。そして、虚偽の情報によってさえも、良い方向に世論が動いたことすらあると思います。だれもが納得できる実例を出せればいいと思うのですが、スミマセン・・・。
おお、そうそう、たとえば、内閣の支持率なんてどうでしょう。内閣の支持率は、真実ではない情報、偏った情報によってずいぶん左右されていると思います。
「ネットで情報発信!といえば格好はいい」
これは誰が言ったのでしょうか。山口先生が言ったのですか? もし、そうだとしたら、山口先生、「ネットで情報発信!」なんて、!マークまでつけて、10年前のセンスですよ~。
「先生のいらっしゃる教員の世界でもブログが評価されて昇任なんてことありますか?ありえないでしょう」
あり得ないと思います。○○さんに賛成します。でも、山口先生は、昇任のために、このブログを書いているのではないと思いますので、なぜ、ここで、こういう表現をされるのか、流れが理解できませんでした。
「また、こういうやり方で自分の意見を発信するのは、それも批判的な意見を出すのは卑怯なやり方だと私は思っています。たとえ自らの本名や立場を明らかにしてさえもです。いえ逆に、先生のような有名人がそういう行動にでる事は、それこそはっきり言って自爆テロです」
なぜそう思うのでしょうか? もちろん思うのは自由です。でも、知りたい。ネットで批判的な意見を出すのが、なぜ卑怯なのか。ましてや、本名や立場を明らかにしてさえも卑怯と考える理由が提示されていないので、ぜひ、教えて欲しいです。
活字の世界ならいいのかな?繰り返しになりますが、活字の世界にも、常に真実があるわけではありませんし、偏っていると思うのだけれど。
そして、○○さんが問題視されているのは、本当に「ネットの世界」で山口先生が情報を発信!していることなんだろうか(山口先生、ちゃかしてスミマセン。でもやっぱり、今時、「ネットで情報を発信!」なんて古いですよ)
それとも、名前や立場を明らかにしようが、しまいが、誰かを批判し、その内容を不特定多数に向けて、即時的に発信!すること自体が卑怯なのかな。そう考える人もいるんでしょうね。でも山口先生がされているのは、本質的には手続き、や、あり方を批判しているのであって、個人を批判することを目的とはしていないと思います。もちろん、表面的には個人を批判しているようにも見えますが、それは山口先生の発言の意図をどう読み取るかというセンスの問題です。もちろん、○○さんも、手続きやあり方を批判することさえも卑怯だとおっしゃっている訳ではないと思います。
自爆テロ、というのも、○○さんの文脈ではよく理解できませんでしたが、たしかに、自爆テロという比喩は、山口先生の発言、行動の特徴を捉えた、でもあまりに切ない比喩だと思いました。
「誰に聞いたか明らかにできない話や証明されていない事実や山口先生の主観を基に論を進めても、なんにも始まらんでしょう。例えば、先生のブログに「民主的に選んだほうがいい」とか「独裁はいかん」という表現が何度か出てきますが、あのナチスのヒトラーも当時のドイツの民主主義上ちゃんと正当な手続きを踏んで選挙で選ばれて現れた人物なのですよ。民主主義にはそういう面もあるんです。ファシズムは民主主義から生まれるんですよ。知ってましたか?」
非ネットの世界においても、主観を基に論をすすめている主張ばかりだと思いますが。なぜ、山口先生だけが、主観を基に論を進めてはいけないのかが分からない。
また、ヒトラーのくだりが難しかった。。○○さんのおっしゃるヒトラー政権が、当時のドイツの正式な法的手続き(選挙)から選ばれたというのは歴史的事実として高校の時に習いました。おそらく世界史を選択した高校生ならだれでも聞いたことがあるはずです。小学館かどこかの、漫画シリーズ世界の歴史にも載っていたはずなので、小学生でも(一部は)知っていると思います(もちろん、知識として知っていることと、その意味を理解することは違いますね)。ですから、おそらく山口先生もご存じだと思います。しかし、だからといって、ヒトラーの政権が民主主義の手続きで成立したという事実から「ファシズムは民主主義から生まれる」と一般化できるかどうかははなはだ疑問です。それはさておき。
「ファシズムは民主主義から生まれる」ということが事実だとしても、そのことと、講道館の館長の問題とどうつながるのかが分かりませんでした。○○さんは、「講道館の館長人事において、民主的な手続きがとられたけれども、結果として新館長のもとファシズムのような状態ができてしまった」と心配されているわけではないですよね。どういう意図でヒトラーの話になったのかよく分かりません。
「財団法人講道館は寄付行為(運営における決めごと)によって運営されることが決まっている(山口先生のブログ"明日は注目"より)」にもかかわらず、「条項を無視して館長が交代するようなことが起これば驚きだ!寄付行為の条項を無視して人事を行うようなことが許されれば、講道館という団体が「ルールはあっても守らない、いい加減な団体」と世間に示すようなものだからだ(山口先生のブログ"明日は注目"より)」ということが問題なのではないでしょうか。「後任の館長は、それまでの館長の独断で推薦して決める」という講道館のルールがもしあったのなら、今回の人事はなにも問題はありません。もちろん、そういうルール自体は問題かもしれませんが、それはまた別の問題です。
つづく(長くてスミマセン)
「今回の講道館と全柔連の2つの組織の長の問題も、いままで嘉納さんがやっている時には大きな問題にしないでこういう時に限ってあーだこーだ言うのもフェアなやり方ではありませんよね。嘉納さんがやってきた今までの講道館と全柔連の様々な仕事の評価をちゃんと全部やってからの話でしょう」
これもよく分からない、柔道界にさまざまな問題が起きているこういう時だからこそ、だからこそ、問題にするべきなのではないでしょうか。なにもかもがうまくいっているのなら、山口先生だって何も言わないと思います(言うかもしれません)。ですから、なぜここで、フェアという表現が出てくるのか分かりませんでした。
「先生が本当に問題意識を持っていて、それを本当にどうにかしたいと思うのならば教育の世界で勝負なさい。大学教員の端くれならば論文と著書が武器ですよ。
そうする事が山口先生がその時何を考えて、どうしたかったのか世に残すことになります。先生の戦った跡がちゃんと残るでしょう? それが本当に正しいものならば世論はその正当性を評価してくれる。ネットじゃそれは無理です」
論文なんて誰も読まないだろうと思います。論文が世論を動かしたことってあったかな。なぜここまで印刷された活字媒体を信頼するのかとても不思議です。ましてや、著書なんて、だれが買ってまで読むだろうか(山口先生、スミマセン。訂正します。ちゃんと買って読みます)。また、山口先生は、自分の戦った跡を残したいと思っているのかな。どうにかしたいと言うのが一番の動機づけではないか。柔道の問題を、教育の世界に限定して考えなければならない理由が分からない。柔道の問題は、柔道に興味を持つ全ての人の問題ではないでしょうか。私は、柔道には興味がありますが、山口先生が専攻されている教育の分野には興味がないので、こんな大事な問題を、論文にされては困ります。論文にしたものをPDFにしてアップしてくれるならいいけど。
「こんな世界で時間をムダにせず、正統な学問の世界で自分の意見を堂々と披露し、広く世界に先生の正しい柔道観が認知されるように願っております」
山口先生がこのブログで問題とされていることって、正統な学問の世界で議論するべきことなのかな・・・。うーん。それに論文になるまで待ってる余裕はないと思うしな~。だからこそ、山口先生は、ブログという手段を利用していると思う。
また、ネットの情報を、どう判断し、どう理解するかということが大事な時代に(とっくに)なっていると思うんだけどな~。もうインターネットの情報なしでは、世界は動かない状態に(とっくに)なっていると思うのです。
ネット批判と山口先生批判が混合していて、○○さんの言いたいことがよく分かりませんでした。
と、ここまで書いたところで、すでに、○○さんの投稿に関して、コメントしている人がいるじゃないですか! しかもアカデミックに。
自分の文章と読み比べてみて、自分の文章の幼さに恥ずかしくなってしまった。ネチネチしているし。私の柔道はいたって淡泊で、いつも先輩からねちっこい柔道をしろって言われていたんですが、そうはならずに、かわりに文章がねちっこくなりました。スミマセン、言われたとおりにできなくて~。
投稿するのはやめようかと思ったのですが、もったいないので投稿します。
山口先生、ブログ、楽しみに読んでいます。山口先生の考えておられること、現在の柔道界の問題点について、無料で、即時的に、世界中どこにいても知ることができるというインターネット、ブログの利点をしみじみありがたいと思います。ネットの世界には常に真実があるとは思いません。ネットの情報の中から、真実(らしき)ものを見分け、糧としていくことが必要なのだと思っています。
○○さんがおっしゃるように、山口先生は時間をムダにされていると思います。もし、現状のようなさまざまな問題がなければ、美しく柔道界が発展しているのなら、山口先生にはもっとやりたかったことがあったのだと思います。
こんなくだらない問題で山口先生の貴重な時間がムダになっていることを残念に思いますが、しかし、山口先生がムダにされた時間は、柔道の発展にかならず影響するはずです。どうか、今後もブログを続け、柔道界を遠くから見守るしかないわれわれに、柔道の政治の世界で現在起きていることを届けて下さるようお願いします。
香! ファイト!(なんちゃって)