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都立上水高校 第1期社会科部OB・OG会公式ブログ

第1期社会科部は平成21年3月12日消滅。本ブログは現在活動中の新生「社会科部」様や都立上水高校とは一切関係ありません。

奥多摩をゆく ~文字でふり返る奥多摩研修~ 第20回

2006年02月22日 22時04分28秒 | 【連載】奥多摩をゆく(完結)
立てば茶屋
 出発するのは良いのだが、しだくら吊橋を折り返さなければならない。今回は特に班編成はせず、準備ができた方から渡っていった。私は最後から2番目となり、殿(しんがり)は顧問が引き受けて下さった。
 心地よい揺れを感じながら、渡っていった。後ろをふり返ると、顧問は顔を下にさげ、肩をすくめながら歩いておられた。そのため向こう岸に着いた際、顧問に「以前、高い所は好きとおっしゃっていましたが、こういうものは苦手なんですか?」と尋ねると、「いや、高所恐怖症なんですけれど展望台とかは登りたがる性格なんです。」という答えであった。
 さて、こうしてしだくら橋を離れ、12時24分頃より私どもは歩いて行った。
すると12時32分頃、馬の水のみ場・立てば茶屋跡が見えた。昔、馬方衆はここで馬を休ませ、自分たちは「たてば」と呼称された茶屋で一服したそうで、しみず・大島屋・ごーろという3つのお店があったそうな。
 ここで顧問が、クイズ形式のガイドをして下さった。青梅街道は内藤新宿を出発し、いくつもの宿場町を越えていくが、新宿の次の宿場はどこかという質問が出されたが、私どもはなかなか答えが出せなかった。中央線沿線というヒントが出され、荻窪とか小金井という答えが出てきた末に、正解の中野という声が上がった。青梅街道の宿場は、内藤新宿→中野→田無→小川→箱根ヶ崎→青梅にあったそうである。しかし、青梅から先にも私どもが歩いているこの道が青梅街道として甲斐国の方へ続いていたが、途中に宿場などはあったのかという疑問があった。が、ここのように、青梅から先には宿場ではなく茶屋などの休憩所がいくつかあったのだろう、ということであった。
道所吊橋
 さて、立てば茶屋跡を出発し、12時39分頃にむし歯地蔵尊を越えながら歩いて行った。すると12時44分、道所(どうどころ)吊橋が現れた。またも吊橋である。しかし顧問などが難色を示されたため、希望者だけが渡ることにした。
 すると突然会長が、吊橋を走って渡りはじめた。これは蛮行である。そのため、顧問などから「走るな、走るな!」と言う声がとんだ。どうも会長は、この行動を軍事演習にタイアップしていたとみられる。
 私も半分ぐらいまで渡り、川の様子を写真撮影した。吊橋を支えるワイヤー部分を見ると、やはり恐怖を覚える。
 さて、こうして吊橋を堪能した私どもは、再び歩き始めた。しばらく登り坂が続いた。

※本連載本文で表記されている役職は、すべて平成17年11月5日現在のものです。現在とは大きく異なっております。(執筆:会長<元・研究関連担当代表>)