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都立上水高校 第1期社会科部OB・OG会公式ブログ

第1期社会科部は平成21年3月12日消滅。本ブログは現在活動中の新生「社会科部」様や都立上水高校とは一切関係ありません。

鉄道大回り乗車の旅(八高線編)その9

2006年02月17日 21時30分34秒 | 【連載】鉄道旅行記
高崎線は行く(2)
 倉賀野。上り電車は隣のホームなので、そちらに移動。ホームの案内表示には大宮,上野のほかに新宿や横浜方面といった行き先があった。湘南新宿ラインが開通してからはこのような行き先の電車も来るのである。ホームには高麗川行きの列車がやってきた。もちろんキハ110系。客を少し降ろしてすぐに発車していった。高崎側にはEH200型電気機関車らしきものが停まっていた。奥のホームに高崎方面行き電車が到着。車両はE231系だった。こちら側にも、もうそろそろ電車が来るだろう。
思ったとおり電車が近づいてきた。遠目で見た感じだが車両は211系らしい。私は車両がクロスシート車かどうか確かめるため端の方へ移動した。車両は5両×2編成の10両。大宮側の5両はロングシート、つづいて高崎側5両はいかに…。
 全バツだった。どちらもロングシート。ということで相談の結果、途中の籠原まではこの電車で行くことになった。
 高崎線211系に乗車。電車は倉賀野を発車した。再び鏑川を渡り、右に北藤岡を見つつ通過。関越自動車道をくぐり新町に到着。ここから本庄まではひたすら真っ直ぐでカーブらしいカーブがない。私はほかのメンバーと籠原で降りることを確認して、後ろの車両に移った。9号車はM(電動)車だがエアーコンプレッサー(CP)の音がうるさい。10号車はMc(電動制御)車。私はここに座った。神名川橋を越え神保原(じんぼばら)に到着。ここからはATOS(「アトス」と読む)区間に入る。車窓の景色は本線沿いなので、住宅が目立つ。本庄に到着。ここで特急「水上・草津」3号上野行きの接続待ちのため7分間停車。電車は車内保温のため、ドアが開かない。すると、車外に大学生らしい集団がいるのだが、ドアが開かないことに戸惑っている。開け方は分かっているみたいだが、ボタンをしっかりと押さないと開かないというものなので、軽く押しただけでは開かないのだ。この集団はしっかり押し切っていないがために、ドアが開かないのである。そこで、私は内側からドアを開けた。すると、この方々からは「ありがとう」と言われた。特急電車は5・6分ほど遅れているらしく、この電車は特急の後に発車することになり、ここで5分ほど遅れることになった。
 5分ほどして特急「水上・草津」3号上野行きが来た車両は185系古い部類の電車である。特急電車は本庄を発車。この電車もすぐに発車する。高崎線では半自動時は発車間際にドアを開く方式で、八高線とは逆である。
 本庄を発車。次は岡部。ここまでの遅れを取り戻すため、飛ばしてゆく。岡部を発車し、次は深谷。深谷の次が籠原である。深谷を発車したあたりで、私はほかのメンバーがいる車両に戻った。放送部長と構成員Aはゲームをしていた。
 籠原に到着。この電車は後ろに5両をつなぎ、15両で上野に行く。私たちは電車を降り、後ろの増結車両を見ることにした。後ろの車両もロングシートだった。そのため、次の上野行きに乗ることにした。211系は一度ドアを閉めた。いよいよ連結である。後ろから211系5両が到着。双方共に非常口を開け、作業員の方が、連携を取りながらゆっくりと近づいてゆく。残り1メートルほど、連結は、遅すぎると噛合わないし、速すぎると追突事故になる。速度を微調整して連結器が接続される。「ガチャン」と音が鳴り後ろの電車にわずかな衝撃が走る。連結完了だ。15両になった211系は上野に向けて5分ほど遅れて発車していった。
                                (つづく)
                          著者:研究関連担当代表
PS.掲載されている写真はこの際に撮った物ではありません。

鉄道大回り乗車の旅(八高線編)その8

2006年02月17日 00時33分12秒 | 【連載】鉄道旅行記
八高線は行く(6)
 寄居に到着。列車交換のため、発車まで10分ほどある。そのため私と放送部長は一度列車から降りることにした。例のごとくドアを開けてホームに降りる。ホームが低いため、車両にはステップがついている。外ではエンジンのアイドリング音が聞こえるので、一見バスのようにも見える。ホームが低いことから車両の床下が見える。そこからエンジンが見ると、やはり回っていた。今首都圏では、ディーゼル車の排ガス規制がされているが、鉄道もやはり対象なのだろうか。
 隣には東武東上線と秩父鉄道線がある。双方共に電化されている。この路線は依然非電化だ。ホームの時刻表は非常にローカル的なもので、1時間に1本とない。しかも年中同じダイヤなのである。(平日も休日も関係なし)ホームの看板も昨日の写真の通りどこか国鉄チックである。昔はここを5・6両編成が走ったというが、今では考えられない。
 そんな事で、すぐに時間が経ってしまったので、高麗川行きの列車が来た。入線するところを取るのもおつだが、そんな事をして列車に行かれてしまっては大変なので、すぐに車両に戻った。
 列車は寄居を発車。隣を秩父鉄道線が走っているのだが、電化されている線路は分かっても、その存在に最初は誰も気づかなかった。途中で、貨物列車とすれ違った気がした。ちなみに秩父鉄道を走っているのは国鉄の101系と元東急車、そして蒸気機関車(SLパレオエクスプレス)である。この先用土、松久、児玉、丹荘と進んでいく。乗客は次第に増えてゆく。この区間の途中で私はトイレに行った。
 児玉に到着。ここの看板は国鉄時代から変わってないそうな。ここまで、八王子から約80キロほど。寄居あたりが高麗川-高崎間の中間点で、ここまでが45分ほど。踏み切りも数多く越えてきたので、八王子からまもなく100箇所目に突入する。しかしその100箇所目がどこにあったかは知らない。丹荘を発車し、神名川橋りょうを渡る。ここからは群馬県だ。
 群馬藤岡。この駅前は多少栄えているようで、イトーヨーカ堂があったここでこの看板を見ることになるとは・・・。八高線もあなどれない。群馬藤岡を発車。車内は混雑し始めいよいよ立ち客が現れた。上越新幹線、上信越自動車道をくぐりいよいよ北藤岡に到着した。隣は高崎線の線路がありここからは実質的な高崎線になる。(「八高線は行く」おわり)

高崎線は行く(1)
北藤岡を発車。高崎線に合流。頭上に架線が復活し、電化路線をマスコンフルノッチ(アクセル全開)で加速してゆく。一度本線と別れ、単線のまま鏑(かぶら)川を越える。再び本線が右に出てきて3車線の中を2両編成のディーゼル気動車が快走する。そして列車は静かに減速してゆくいよいよ八高線の旅も終わりだ。降りる仕度をして、到着を待つ。
 倉賀野に到着。私たちは列車から降りた。ここのホームもキハ110系に合わせて低い。キハ110系は再びエンジンを唸らせ、高崎へ最後の駅を発車していった。ここからは本格的な高崎線。列車が来るまで少しかかりそうだ。
                                (おわり)
                          著者:研究関連担当代表

PS.2月16日から新しい役職に正式に代わりました。それに伴い、一部構成員の名義が変わります。
 2/10現在 → 2/16より
    会長 → 渉外担当代表
研究関連担当代表 → 会長
総合統括副代表 → 研究関連担当代表
会長全権代行 → 会長全権代行
出納担当代表 → 出納担当代表
                  その他変更はありません。