酔っぱらい一人旅

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☆★1999年10月某日・・・アキラ氏&風来坊師匠との出会い

2015-02-12 20:22:22 | 1999年バンコクで起業した回想記

 

印象に残っている出来事を時系列に沿って書いている。

 

1999年10月某日

タイに移住して3週間ほど経った頃、タイ関係のネット掲示板で「RCAに集まって一緒に飲もう」という企画があった。

この3週間殆ど日本語を話していない。

ニサ・タイ語学校にも日本人生徒はいるので、休憩時間に多少会話することもあるが挨拶に毛が生えた程度の内容だ。

久々に日本語を話しながら酒が飲める。

・・・というわけでその企画に参加することにした。

RCAとはロイヤルシティアベニューの略でタイ人のハイティーンが集うクラブなどがあるエリアのことだ。

企画者はアキラというハンドルネームだった。

メールで連絡を取り合い、まずは俺とアキラ氏がシーロムで待ち合わせ、そのままRCAに向かい現地で他の参加者と合流しようということになった。

アキラ氏とはシーロムのMACの前で待ち合わせた。

約束の時間より少し早めに着くとMACの階段に座っている男性がいた。

日本人とわかる容姿だったのでアキラ氏なのは間違いないだろうと声を掛けた。

軽く挨拶を交わすとタクシーに乗りRCAへ向かった。

アキラ氏がタイに来たのは俺と同じ頃らしい。

特に何か目的があって来たわけではなく、とにかくバンコクで暮らしてみたかったとのことだ。

そんなことを話しているうちにRCAに到着。ここでもう二人合流するとのことだ。

一人は既に到着していてタイ人で溢れかえるクラブ前の席でビールを飲んで待っていた。

俺とアキラ氏も軽く自己紹介をしてビールを飲み始める。

日本語で会話するのは久々のことなので、無口な俺もよく喋った。

しばらくするとスーツ姿の日本人が来た。「風来坊です」と挨拶し席に着いた。

風来坊師匠はこの時在タイ6年とのことで現地採用で日系企業で働いているとのことだ。

師匠は流暢にタイ語を話していた。

後にも先にも日本人であれだけネイティブなタイ語を話す人に会ったことは無い。

ビールを数本飲んで良い気分になったところで店を変えようと移動した。

移動の最中、人混みのため先に来ていた人とは逸れてしまった。

俺、アキラ氏、風来坊師匠の3人になり師匠の提案でタニヤに行くことになった。

タニヤのクラブは俺もアキラ氏も初めてだった。師匠がボトルを入れてある店に連れて行ってもらうことに・・・・

師匠は車に乗ってきていたので俺たちも同乗して移動した。

車は会社から貸与されているとのことだった。

求職時の面接の際には給料以外にも車が付くかどうかも交渉するとのことだ。

タニヤに到着すると師匠の案内で雑居ビルの中の店へ入った。

知らないと入りづらい雰囲気の店だ。

師匠のボトルがあったので2時間居て1500Bだった。

 

師匠とは後日何度か飲む機会があった。タイの事情などは師匠に色々と教えて頂いた。

俺が開業してからは疎遠になっていたが2005年頃、店に来てくれた。忙しくてあまり話せなかったのが心残りだ。

師匠はその後、日系企業の支社長になったとアキラ氏から聞いたときは嬉しかった。

アキラ氏とはこの日以来数ヶ月、ほぼ毎日飲み歩いた。

特に最初に行ったタニヤのクラブの居心地が良く、2時間で1500Bかかるというのに無職の身でありながらほぼ毎日行った。

しかしこの時飽きるほどタニヤで飲んだお陰で本当に飽きてしまい、日本からお客が来た時以外は寄り付かなくなってしまったよ。

アキラ氏はその後タイ人女性と結婚し日本へ帰国した。

現在警察官をやっている。

数年前、東京に出張で来る機会があるとのことで飲もうとメールでやり取りしていたが出張が無くなり結局飲まず終いだ・・・・・

久々にメール送ってみるかな・・・・・・・・・

 

 

 

 

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