酔っぱらい一人旅

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☆★1999年10/4 ニサ・タイ語学校へ入学!!!・・・その2

2015-02-10 11:03:46 | 1999年バンコクで起業した回想記

 

前回からの続き・・・

 

クルー・ヌッサラーの授業は大変分かりやすかった。

タイ語学校へ入学してから1ヶ月も経つと少しは話せるようになってきた。

英語オンリーだったケイトもタイ語混じりで話すようになっていたので彼女の話の内容も大分理解できるようになった。

ケイトは駐在員の奥様らしく運転手付きの車で通学していた。

俺は行き帰り共にモトサイ(バイクタクシー)で・・・・・片道10B

ケイトは授業で喋り足りないのかランチに行こうと誘ってくることもあったが

話の相手をさせられると思うとウンザリで何か理由を見つけては断っていた。

 

ある日、教室に入ると俺の定席に小さな女の子が座っていた。

ケイトと同じブロンドなので娘だとすぐにわかった。

How are you!!!・・・・と声をかけると、読んでいた本から視線を移すことなく「FINE!!!」とだけ返してきた。

すかさずケイトが「FINE Thank You って言いなさい!!!」と注意していた。

ケイトの娘はフランス人学校に通っているとのことだった。

アメリカ人なのに何故フランス人学校なのか理由を尋ねたが、どのような答えだったかは記憶に無い。

それから数回程ケイトは娘を連れてきたが俺への返答が「FINE!!!」でその度にケイトが「FINE Thank Youって言いなさい!!」と言うやり取りは変わらなかったな(笑)

 

この頃から3時間目にタイ文字の授業が始まった。

これは会話の授業かタイ文字の授業か選択制だった。

俺は迷うことなくタイ文字の授業を選択したのだが、喋り足りないケイトは会話を選択していた。

タイ文字の授業ではクルー・ヌッサラーがそのまま教えてくれた。

生徒は俺一人なのでマンツーマンだ。

ケイトは3時間目になると他の教室に移動して、そこの生徒に混じって会話の授業を受けていた。

マンツーマンで教えてもらった割にはタイ文字は完全に覚えられなかった。

タイ文字は記憶という過程が重要なので、授業だけでなく自分でも勉強しなければダメなのだろう。

会話の方は毎夜のように街に出動しては積極的に話すようにしていたので学校が修了する頃には簡単な日常会話は可能なレベルになっていた。

しかし、このコースの期間が思い出せない。

ニサのHPを見てみたが詳しいことが書いていない。

2ヵ月半か3ヶ月のどちらかは間違いないのだが・・・・・まっ、今更どうでもいいや

 

 

 

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