酔っぱらい一人旅

オール電化キャンプを推進します・・・

☆★2002年5月某日・・・日本式マッサージ屋スリウォン支店オープン!!!

2015-03-24 21:20:58 | 1999年バンコクで起業した回想記

 

印象に残っている出来事を時系列に沿って書いている。

 

2002年5月某日・・・・・

スリウォン通りウォールストリートタワーに支店を開店した。

マッサージ師は4人、受付1人・・・・受付は本店のサオさんに出向してもらったのだったか。

これだけ書けばスムーズに開業できたようだが・・・・・・

開業二日前に雨が降った。店舗は地下にある。

地上の雨水は雨水管を通って更に地下の下水管に流れるわけだが・・・・

雨水管は本来地上から下水管まで一直線に繋がってなければならない。

これが何故か店の天井裏で途切れていた。

雨が降ると・・・・・・天井裏に雨水が・・・・・・・・・

思い出すのも嫌になる。

完成した店舗は水浸し。

まあ、それでも予定通り開店できた。

開業初日はスタッフに協力してもらいタニヤ通りでビラ配りをした。

俺自ら配ったが、日本人が配ると皆受け取ってくれるのでありがたかった。

ビラ配りの効果か初日の来客は5人だった。

新規開店のマッサージ屋の初日としては上々だろう。

 

しかし、この店舗・・・・色々と問題が、、、、、、

 

 

 

 

 

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☆★2002年3月下旬・・・日本式マッサージ屋、、、支店の内装工事開始!!!

2015-03-21 08:51:40 | 1999年バンコクで起業した回想記

 

印象に残っている出来事を時系列に沿って書いている。

 

2002年3月下旬・・・

スリウォンのウォールストリートタワー地下のテナントを契約した。

 

 

↑この画像は2013年タイ旅行の際に撮影。

手前にパーテーションを立てているので狭く見えるが、実際はもっと奥行きがある。

 

広さは60平米弱。ベッドを6台設置でき、足マッサージ用の椅子を3脚置くことが出来る広さだった。

肝心の賃料は、、、、15000B。場所を考えれば破格の安さに思えた。

但し、エアコンの室外機に当たるものが天井裏に有り、これを冷やすために水を循環させているのだが

その水代が月に5000B近くかかっていた。

 

タニヤに近いこのビルの地下には他に「酒の店」「クラブ・ラマンチャ」「日系スナック」等々が入っている。

上部階はオフィスビルなので昼間はスーツ姿のビジネスマンが出入りしているが

夕方以降はビル前に先程の店の移動式の看板がずらりと並ぶ。

 

テナントの契約が済むと早速内装工事業者に見積もりに来てもらった。

今回は受付スタッフ・ヌンさんに業者を紹介してもらった。

ヌンさんの友達とのことだ。太った女性と痩せた男性の2人だった。

女性はトゥイさんといった。男性の方は名前は忘れてしまったが、ミャンマー人だ。

2人は夫婦だそうな。ミャンマー人の男性は母国で大学を卒業してタイに出稼ぎに来ているらしい。

テナントは以前の内装が少し残っているが、床、天井全て新しくする必要があった。

日本でいうスケルトン状態より、元からあるものを取り去ってからの工事になるので、その分時間も金もかかる。

トイレは室内にあるのだが便器が半壊しているのでこれも新しいものと交換する必要がある。

資材は最初に全てこちらで購入するので、工賃のみでの見積もりを出してもらった。

正確な料金は覚えていないが、資材と工賃で20万B位だったか・・・・

期間は約1ヶ月とのことだった。

早速、トゥイさん夫婦と資材を買いに行った。

車はトゥイさんが運転していた。ミャンマー人の旦那は不法滞在なので運転していて違反で捕まるようなことがあったらマズイので運転しないとのことだった。

建材の店はチャイナタウン界隈にあった。

そこで床用のタイルやトイレの便器、その他必要な資材をなどを購入した。

翌日から工事が開始された・・・・・・・

 

 

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☆★2001年11月某日・・・日本式マッサージ屋、ブランチ出店を考え始める・・・

2015-03-19 20:58:50 | 1999年バンコクで起業した回想記

 

印象に残っている出来事を時系列に沿って書いている。

 

2001年11月某日・・・

日本式マッサージ店を開店して1年ほど経った頃・・・・

この1年の間に色々とあったわけだが、なんとか貯金を取り崩すことなく生活できるようになっていた。

この頃マッサージスタッフは15人だったと記録がある。

受付スタッフ2人にメバーン(メイド)3人で従業員は20人になっていた。

ビジネスとして成功と言うには程遠かったが、この頃は調子に乗っていた・・・まだ29歳と若かったからな。

調子に乗って支店を出店しようなどと考え始めていた。

そして支店の店舗探しを始めたのはこの頃だったか・・・・・

支店を出すのはシーロム界隈と決めていた。

暇な時間にシーロム界隈に店舗探しに出かけたが中々条件に合うところは見つからなかった。

 

 

これまた何気なく涼もうと思って入ったビル・・・・・スリウォンのウォールストリートタワー

 

 

ここを見つけたのは2002年3月くらいだったか・・・・・

 

今考えれば開業1年余りで支店出店なんて・・・と思うが

この頃はそうは思わなかったのだよ・・・・若いって素晴らしい!!!

 

 

 

 

 

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☆★2000年11月11日11時・・・日本式マッサージ店オープン!!!

2015-03-17 20:08:09 | 1999年バンコクで起業した回想記

 

印象に残っている出来事を時系列に沿って書いている。

 

2000年11月11日・・・

 

 

内装工事では業者に逃げられ、スタッフ研修では1日目の研修翌日から来なくなった者がいたり・・・・

色々とあったが、予定通りオープンすることができた。

 

 

オープニングメンバーはヌイさん入れて5、6人だったか。

やはりゴールデンタイムというものがありその時間帯にお客様が集中する。

この日は土曜日ということもあり忙しかった。

忙しいといっても、後から考えれば大したことはないのだが、慣れていないためにバタバタした。

現在も盛業中の某日本食店の社長に「この店は間違いなく当たるよ~!」と仰って頂いたのは大変嬉しかったし今でもはっきりと覚えている。

 

 

受付スタッフも採用した。

初代受付スタッフのヌンさん。

ヌンさんは1児の母でとても性格も頭も良い女性だ。

 

 

 

店内はこのような感じだ。

日本では当たり前のスタイルだが、タイでこのようなスタイルのマッサージ店は初めてだったと思う。

この日の来客数は15人・・・・だったと記憶している。

翌日も日曜日ということもあり18人だったろうか・・・・

30人来客があればとりあえず成功と言われているマッサージ店で、初日としては上々?の滑り出しだったんじゃないかな??

 

 

 

 

 

 

 

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☆★2000年11月某日・・・内装業者に逃げられる!!!

2015-03-12 12:18:52 | 1999年バンコクで起業した回想記

 

印象に残っている出来事を時系列に沿って書いている。

 

2000年11月某日・・・・・

トンローの治療院は10月末で閉院した。

僅か4ヶ月に満たない開院期間で、ピヤワンさんにも勿体無いと言われたが、

店舗規模拡大のための移転なのだから仕方が無い。

11月に入り内装屋にベッドや備品を新店舗に運んでもらった。

この時点でオープンは11月11日(土)と決めていて広告の手配などは済んでいた。

マッサージ師もヌイさんの他に新たに5人雇い研修を開始していた。

そんな時、エアコン業者が来て1台だけ取り付けていった。

その時サムリスも立ち会っていて、残りは明日以降に順次取り付けるとのことだった。

 

翌日、業者誰も来ず・・・・・

サムリスに電話すると都合が悪くていけなくなったとのこと。明日は大丈夫だろうと・・・・・・

そして更に翌日・・・・またまた誰も来ず。

サムリスに電話したが出ない。

俺の携帯からだと着信番号を見て出ない可能性が高いので他の電話からかけた。すると出た。

今日も来ないじゃないか!どうなっているんだ?このまま警察に訴えるぞ!!

サムリス: いいよ、いいよ・・・・

こいつ逃げる気だな・・・・

すぐにヌイさんに同行してもらいトンロー警察署に行った。

警察署ではヌイさんがことの経緯を一生懸命説明していた。

一通り話を聞いた警官は・・・・そりゃ、俺たちにもどうしようもないよ

訴えるなら手続き踏めば可能だけど、この名刺の名前だって本当の名前か分からないでしょ。

この住所だって本当にここに会社があるか分からないでしょ。

そういうことを全て証明してくれないと動けないよ。

・・・・・・まっ、頭にきた勢いで警察署まで来たけど、どうせ何の解決にもならないだろうと端から期待もしていなかったけどな。

ここで何を言っても無駄だろうと、名刺に記載してあるサムリスの会社の住所に行くことにした。

タクシーで100Bを少し超えるくらいの距離だったか。

大体この辺だろうというところまでタクシーで行き、そこからは近所の人に住所を見せて目的の住所に辿り着いた。

古いタウンハウスで、会社がある雰囲気ではない。

中の住人に声をかけると中年の男性が出てきた。

名刺を見せて、この会社の住所はここですよね?と言うと、

住所はここに間違いないけど、その会社とは関係ないよ・・・という返答だ。

ヌイさんがことの経緯を話すと・・・・

・・・あっ、またか。年に何人かあなた達みたいな人が来るんですよ。

住人と話をしていると近所の人たちが集まってきた。

一人が名刺を手に取ると・・・「サムリス・ソンジャイ」

「ソンジャイだってよ!」と言ってプスッと笑っている。

なるほど、こいつは常習犯だな。

丸っきり工事をしないということはせず、最後の最後で何かを省き、とんずらするってことだ。

こちらの落ち度としては・・・最初に3万B支払ったのがいけなかった。

それ以降、常に工事の進行具合より3万B多く業者側に渡っていたということになる。

 

嫁が最初に覚えた違和感とは・・・・

サムリスは金を受け取ると、その金を数えることなくポケットにしまったらしい。

雰囲気も胡散臭いと思っていたとのことだ。

こうなると捕まえようが無い・・・いや、本気で捕まえる気があるなら新規客の振りをしてどこかに呼び出すことはできるだろう。

しかし、そんな暇は無い。

この時点でオープンまで1週間を切っていた。

マッサージ師の研修や残りのエアコン、カーテンの調達を進めなければならない。

 

 

・・・・・・書いてたら、思い出してムカついてきた!

 

 

 

 

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☆★2000年10月某日・・・新店舗の内装工事開始!!!

2015-03-11 21:10:52 | 1999年バンコクで起業した回想記

 

印象に残っている出来事を時系列に沿って書いている。

 

2000年10月某日・・・

内装業者に3万Bを支払った翌日からスクンビット39の新店舗の内装工事が始まった。

工事期間は2週間の予定だ。

80坪近い店舗なのに18万Bとは日本では考えられない安さだが

この店舗は元からの内装が古いながら残されていたので少し手を入れるだけで済んだというわけだ。

日本でいうスケルトン貸しだと全て一から内装をする必要があり多額の費用がかかる。

元々スパとして利用されていたのでマッサージ店として利用するのに、ほぼそのまま使用できた。

トイレや水周りも少し手を入れるだけで済んだ。

早速現場に顔を出すと作業員3人が、せっせと壁や天井に白いペンキを塗っていた。

今思えば、安っぽい内装だったのはこの時にペンキを塗るだけで済ませたせいだ。

壁紙は張り替えるべきだった・・・・というわけで後に、、、4年後張り替えた。

 

支払いは途中途中で3万Bづつ行った。

特に問題は無く2週間後、内装工事はほぼ終了し、追加ベッド4台も運び込まれ、中古エアコン1台が取り付けられ・・・・・・

この時点で18万B全て支払い完了していた・・・・・これがまずかった。

残るはエアコン4台とベッドの仕切りカーテン及び最後の清掃のみとなった時・・・・・・・

 

内装屋!サムリス!!逃げた!!!

 

つづく

 

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☆★2000年10月某日・・・店舗移転、、、内装業者の見積もり

2015-03-06 20:32:19 | 1999年バンコクで起業した回想記

 

印象に残っている出来事を時系列に沿って書いている。

 

2000年10月某日・・・

店舗の契約を済ますとすぐに見積もりを取るために別の内装業者に来てもらった。

契約前に見積もりを取った業者は15万Bとのことだった。

これを基準にすればいいわけだ。

内装工事中も家賃は発生している。

1日も早く開業しなければならない。

その内装業者にはトンローの治療院に来てもらった。

そして業者の車でスクンビット39の店舗に向かった。

彼の名はサムリス・ソンジャイ。

 

 

↑何故か名刺を保管してあった。

 

サムリスは1階から5階まで、ざっと見渡すと後日見積もりを持ってくると言い残して帰った。

 

2日後、サムリスが見積もりを持って来た。

現在治療院で使用しているベッドだけでは足りないので、ベッドを4台追加で製作することや

仕切りカーテン、中古エアコン5台等々含んで見積もりを出させた。

正確な金額は覚えていないが18万B前後だったと思う。

契約書にサインすると、最初に3万B支払ってくれと言ってきた。

何やら材料を買うのに必要だとか・・・・・

3万B支払うと、ご丁寧に仰々しい領収書を寄越してきた。

嫁はこの時から違和感を覚えていたとのことだ・・・・

 

つづく

 

 

 

 

 

 

 

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☆★2000年10月某日・・・店舗移転を真剣に悩む

2015-03-05 19:54:43 | 1999年バンコクで起業した回想記

 

印象に残っている出来事を時系列に沿って書いている。

 

2000年10月某日・・・治療院を開業して3ヶ月が経とうとしている頃

タイ人スタッフはヌイさん以外は定着せず、複数人の来客があっても対応できない日が続いていた。

だが、同時にタイ人マッサージ師による日本式マッサージの需要があるのだと実感する時でもあった。

タイ人スタッフを3人定着させるというのがそもそも無理なことなのだと、この頃気づいた。

ベッドが10台置ける店ならば10人のスタッフを雇っていれば、常時最低5人はキープしていくことが可能だろう。

ベッド3台で3人のスタッフでは病欠で一人休み、急に誰か退職すれば今のようなスタッフ一人状態になるわけだ。

そんなことを考えていたが、俺のほうは忙しかったこともあり特に何かを変えようとすることも無く過ごしていた。

そんなある日・・・・スクンビット39をタクシーでこの建物の前を通ったとき「FOR RENT」の看板を見てしまった。

 

 

以前にも書いたことがあるが、それが光って見えたのだよ・・・ガラスのドアが反射しただけか?

その時はそのまま走り去ったが、その夜その時のことが気になってしまい眠れなくなってしまった。

翌日、再度この建物の前まで行き「FOR RENT」の看板に書かれていた番号に電話した。

家賃次第ということで、開口一番家賃を尋ねた。

相手の答えは、まずは見に来てくださいとのことだ。

建物の前に居ることを伝えると今すぐに行くから待っててといわれた。

上の画像では分からないが当時は向かって右側の店舗はブティックで大家が経営していた。

そのブティックを任されていた人がテナントの管理もしていたというわけで

少し待っているとブティックからタイ人女性が現れた。

シャッターの鍵を開け内部を見せてもらった。

基本的にショップハウス1スパン5階建てなのだが、3階部分だけは3スパンあり総面積80坪近くあった。

長い間、空き家だったのか埃まみれだった。

最上階の5階は2部屋にシャワー、トイレがありここで暮らすことも可能なようだ。

1階を受付と待合室、2階をマッサージ師の控え室、3,4階を施術室にすればベッド25台くらいは置けそうだ。

どうせ家賃は高いのだろうな~と思いながら尋ねると・・・・なんとも微妙な金額だった。

1日20人の来客があればやっていけるぞ!・・・と瞬時に計算できたのは、この頃はまだアルコールで頭がやられていなかったのだな。

しかし、1日20人の来客がある保証もなく、その場で即決することはできなかった。

それと、内装費用が幾ら必要か不明なこともあった。

早速、内装業者に見積もりに来てもらった。

内装業者はザックリ上から下まで見渡して、15万Bと言ってきた。

またまた、なんとも微妙な金額だな。

まっ、とりあえずこの規模の店舗でも15万Bの内装費用で済むってことだな。

それなら何とかなるということで、店舗を契約することにした。

ここの最上階に住めばトンローのアパートの家賃も必要なくなる。

現在のホームプレイスの店舗+トンローのアパート+αの家賃で、現在の治療院の6倍以上のベッド台数にできるわけだ。

これはやらないわけにはいかないだろう・・・・・・

 

つづく

 

 

 

 

 

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☆★2000年9月某日・・・キティポン氏と出会う

2015-03-04 19:38:56 | 1999年バンコクで起業した回想記

 

印象に残っている出来事を時系列に沿って書いている。

 

2000年9月某日・・・

オリエント治療院を開業して2ヶ月以上経っていた。

オープニングスタッフのジャキット氏は1ヶ月ほど経った時、辞めたいと言ってきた。

理由はマッサージ師をやることをご両親があまり良く思っていないとのことだ。

確かに大学まで出した息子がマッサージ師になるなんて・・・・この辺の事情は日本とは全く違う。

日本では大卒のマッサージ師なんかいくらでもいるが、タイでは珍しいというかまず居ないだろう。

マッサージ=売春と混同されていることもある・・・・そのような店が多いのだから仕方が無い。

実際に・・・この頃から数年後だが、常連のタイ人のお客様がマッサージを受けている時に

その奥様が店に乗り込んできたことがあった。

「うちの旦那がしょっちゅう来てるみたいだけど、旦那に会わせて!」

何もやましいことはないので、部屋まで案内した。

施術中の様子を一目見ていただき、その奥様にも安心して頂けたようだ。

お帰りの時は何か安堵したような恥ずかしいような表情をされていた。

話が逸れたが・・・・・・そういうわけで、ジャキット氏が辞めてしまいスタッフはヌイさんだけとなってしまった。

俺は相変わらず忙しかったから、こんな状況でもやっていけた。

 

そんなある日・・・・

電話が鳴る。

「キティポンと申します・・・・キティちゃんじゃないですよ、、、ヘヘヘ」

電話での第一印象は、何だ?この怪しいタイ人!・・だった。

話を聞くと・・・この治療院のことを知り合いの日本人から聞いたとのこと。

日本ヘレンケラー財団の奨学生として日本の鍼灸学校に留学したとのことだ。

大阪の学校で学び鍼灸マッサージ師の国家試験にも合格しタイに帰ってきてからはタイの盲学校で教員をしているそうだ。

記憶が曖昧だが・・・・学校が休みの土曜日曜に仕事をさせて欲しいということだったと思う。

早速、その週に来てもらった。

直接会って話をすると日本語はかなり流暢だ。

日本語検定1級取得しているとのことだ。

鍼灸マッサージ師の資格は俺と同時期に取得したらしい。

早速、土日のみ来てもらうことになった・・・・・

 

これがキティポン氏と出会ったときの話だ。

キティポン氏は昨年訪タイした時にYAOさんから聞いた話では、もう店には来ていないらしい。

土日仕事をすると疲れて本業の盲学校の仕事に差し支えるからとのことだった。

・・・・・歳だからな。

 

 

 

 

 

 

 

 

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☆★2000年8月・・・さよなら、ピタックコート・・・アパートを引越した。

2015-03-03 19:54:49 | 1999年バンコクで起業した回想記

 

印象に残っている出来事を時系列に沿って書いている。

 

またまた少し遡って2000年8月。

開業1ヶ月経ち少し慣れてきた頃・・・・・

毎朝サトーンのアパートからタクシーで通っていたが、

往復のタクシー代、時間や労力を考えると治療院の近所に引っ越してきたほうが良いのではと思い始めた。

隣の本屋でタイの賃貸住宅情報誌を購入して探してみた。

治療院から徒歩圏内が希望だ。

情報誌はエリア別に別れているので探しやすかった。

トンローにしては家賃が手頃なタウンハウスを見つけた。

治療院の入っているホームプレイスビルの隣のソイだった。十分徒歩圏内だ。

早速、仲介業者にアポを取り現地へ向かった。

仲介業者とオーナーが現地で待っていた。

内部を見せてもらい、2人で住むのには少々広すぎるかとも思ったが借りることにした・・・

・・・契約は後日ということで、その場で内金を数千B支払った。

2日後、仲介業者から電話がかかってきた。

「あのオーナー貸せないって言ってます!ニサイマイディー!!(性格悪い)」と電話口で叫んでいる。

早く借り手を見つけたいために相場より少し安い賃貸料で広告を載せたが、

思ったより早く借り手が見つかり、その途端に相場より安い家賃では貸すのが惜しくなったのだろう。

まっ、そんなところだろうな。

こういう家主から借りても後々ろくなことはない・・・借りる前に分かって良かったと思うことにした。

支払った内金も回収して、さっさと他の物件を当たることにした。

そして徒歩圏内にアパートを見つけた。

 

 

トンロータワー。

ここはアパート(1オーナー)ではなくコンドミニアム形式だ。

日本でいう分譲マンションってところだな。

それぞれの部屋にオーナーが居て貸し出したりオーナー自身が住んでいたりする。

部屋を見せてもらった。

現在2戸空きがあるとのことだ。

50平米と100平米の2タイプあった。

犬がいるので100平米の方を借りることにした。

広さが倍なら家賃も倍というわけではなく3割り増し程度だったからな。

犬も飼育可とのことだ。

保証金2か月分を支払い契約した。

その日から夜になるとサトーンのアパートへ行き少しづつ荷物を運び出した・・・夜逃げではない

大きなものは洗濯機だったか。これはトゥクトゥクで運んだ。

トゥクトゥクの最後尾には折り畳みの荷台があり、ここにかなり大きなものでも載せられる。

アパートの大家のオバサマには8月一杯で退去する旨は伝えていた。

「どこへ行くの?」と聞かれたので、トンローと答えると「ビジネス上手くいってるのね」と言われた。

メバーンの女性には最後にチップとして数千Bほど余計に渡した・・・会社設立の時には助かったし

1年近く住んだわけだが、ピタックコートは大変居心地良かった。

窓が部屋の両面にあるので風通しが良く冷房を殆ど使用することなく過ごせた。

入り口にある初老のファラン(欧米人)が経営する洋食レストランも味は?だったが店の雰囲気は最高だった。

 

 

もし、またタイで生活することがあるとしたら迷わずここに来るだろう・・・・その時は無くなってるか。建物古かったからな。

そういうことで、引越しは完了した。

 

※現在ピタックコートは犬禁止のようだ

 

 

 

 

 

 

 

 

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