「薤露青」
宮沢賢治
みをつくしの列をなつかしくうかべ
薤露青の聖らかな空明のなかを
たえずさびしく湧き鳴りながら
よもすがら南十時へながれる水よ
岸のまっくろなくるみばやしのなかでは
いま膨大なわかちがたい夜の呼吸から
銀の分子が析出される
・・・・・みをつくしの影はうつくしく水にうつり
プリオシンコーストに反射して崩れてくる波は
ときどきかすかな燐光をなげる・・・・・
橋板や空がいきなりいままた明るくなるのは
この旱天のどこからかくるいなびかりらしい
水よわたくしの胸いっぱいの
やり場のないかなしさを
はるかなマヂェランの星雲へとゞけてくれ
そこには紅いいさり火がゆらぎ
蠍がうす雲の上を這ふ
・・・・・たえず企画したえずかなしみ
たえず窮乏をつゞけながら
どこまでもながれて行くもの・・・・・
この星の夜の大河の欄干はもう朽ちた
わたくしはまた西のわづかな薄明の残りや
うすい血紅瑪瑙をのぞみ
しづかな鱗の呼吸をきく
・・・・・なつかしい夢のみをつくし・・・・・
声のいゝ製糸場の工女たちが
わたくしをあざけるやうに歌って行けば
そのなかにはわたくしの亡くなった妹の声が
たしかに二つも入ってゐる
・・・・・あの力いっぱいに
細い弱いのどからうたふ女の声だ・・・・・
杉ばやしの上がいままた明るくなるのは
そこから月が出やうとしてゐるので
鳥はしきりにさはいでゐる
・・・・・みをつくしらは夢の兵隊・・・・・
南からまた電光がひらめけば
さかなはアセチレンの匂をはく
水は銀河の投影のやうに地平線までながれ
灰いろはがねのそらの環
・・・・・あゝ いとしくおもふものが
そのまゝどこへ行ってしまったかわからないことが
なんといふいゝことだらう・・・・・
かなしさは空明から降り
黒い鳥の鋭く過ぎるころ
秋の鮎のさびの模様が
そらに白く数条わたる
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注解によると、薤露(かいろ)とは、
らっきょうの葉にたまった露のことで、
人のはかないいのちのたとえ、とありました。
この詩「薤露青」の草稿(鉛筆書き)は、
消しゴムで全体を抹消されていたのを、
校本全集編さん時に消し跡を判読して再現したものだそうです。