皆さん、こんにちは。
903cityfarm農縁長の志村です。
循環畑/循環みずたま村の運営・循環経営の第一人者である吉原史郎さんにお招きいただき「ソース・プリンシプル×JUNKAN」をテーマに掲げたイベントに出席させて頂きました。
『Work with Source』の著者であるトムさんと、そのパートナーのアグネスさんに講師をして頂き、1日目は、「マネーワーク」。2日目は、「ビジョンワーク」を行いました。
私にとってのお金とは何か?
今回は、1日目のマネーワークを通して得た、気づきをblogにまとめました。
私は毎月、人事労務のメンバーから、ベーシックインカムとして、私個人への支援金としてお金を頂いています。
そのお金は、一般的な給与とあわせて銀行口座に振り込まれます。いくら振り込まれたか総額は分かっても、誰がどのくらい振り込んでいるのかは分からない仕組みになっています。
今回のマネーワークですが、実際のお金を使って行います。無くなってしまったらちょっと嫌だなと思う金額のお金を、各々が持ち寄ります。
一切の会話を禁止した状態で、誰かからお金を奪ったり、あげたり、もらったり。
逆にお互いによく話し合い、合意の上でお金を交換するような行動から、自分の心と身体にどんな反応がおこるのかを観察し、それをみんなでシェアするようなワークを行いました。
一番印象に残っているのは会話を禁止された状態で、お金をもらう場面です。
自分の手元には、1万・3万・5万とお金が増えていく。
誰が、いくら私にお金をくれたかが目に見える状態のため、お金が増えていくことが嬉しい反面、自分の心は鎖や重りのようなプレッシャーを感じていました。
心拍数はお金を貰うたびにあがり、それを受け取り続けることへの抵抗感がどんどん増していきました。
この抵抗感は、私が「お金=責任」という価値観を持っていたからだと気づきました。
自分がそのお金を受け取り、責任を果たす「信念と覚悟」が備わっていれば、それを気持ちよく受け取れていたと思います。
直接手渡しをされたことで、改めて感じるお金を頂くことに対しての重み。
それは私が受け取るお金に対して、その人からの「想い」を投影しているからだと感じました。
その人はどんな想いを込めて、自分にお金を渡してくれているのか。
時は金なりと言いますが、まさにお金はその人が一生懸命働いて得たものであり、その働いた時間はもどっては来ないものだと私は感じています。
働いた時間で得るものはお金だけではありませんが、お金=時間と捉えると受け取る重さが格段に増します。
通帳の額面では感じられなかった「手触り感のある生々しいお金」の感触がありました。
事実として、想いが込められたお金を貰っていることには変わりないのですが、それが視覚化されたことによっての感じ方の違いと、そんな違いを感じてしまっている自分に対して深く反省しました。
ベーシックインカムで頂いている「口座に振り込まれているお金」と今回のゲームを通して受け取った「手渡しされるお金」に投影している想いや意味合いが同じ重さであることを認識し、日々の活動に邁進しようと思います。
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