実高ふれ愛隊日記

-石川県立大聖寺実業高校情報ビジネス科課題研究ブログ-

古代道路・「北陸道」にあった潮津駅

2013年11月18日 | 日記

隊員NO.5いくので~す

11月16日(土)に行われた加賀市観光ボランティア大学16回講座

 宇吉郎の世界と篠原古戦場-科学の心と歴史の心-」で、講師の

枷場達雄さんから、片山津周辺の歴史についても教えていただきました。

篠原新町にある実盛塚のすぐ前を通る県道は「石川県道20号小松加賀線

といって、今は海側を通って小松市にアクセスする重要な道になっています。

そして、今回の講師・枷場達雄さんからは、この県道20号小松加賀線

実盛塚前あたりの道は、実は、遠い昔、律令時代(飛鳥~平安時代)に整備された

五畿七道の一つ「北陸道」の一部だった可能性があります、というお話を

していただきました。

北陸道」は七道の中では小路にランクされていましたが、それでも幅が6mも

あり、両側に幅60cmある立派な側溝もあったそうです。そして、20里

(10.56km)ごとに置かれていた駅家には、国を守る役目を持った官人たちが

使う馬が置かれることになっていました。今の篠原町篠原新町は、この当時、

潮津町の一部で、このあたりに「潮津駅」があったそうです。古代の官道は、

山があろうが川があろうが、とにかく一直線につくられていたそうで、加賀市には

今の橘町に「朝倉駅」もあったそうです。ですから、篠原町と橘町を結ぶラインが

その昔、今の加賀市の幹線道路だったということになります。

わたしたちが今、なにげなく通っている道を、今から1,000年以上も前の人たちが

歩いていたのです。そして「潮津駅」に多くの人たちが行き交っていたと思うと、

とっても不思議な感じがします。

みなさん、今度「石川県道20号小松加賀線」の実盛塚前を通られる機会があったら、

今回、実高ふれ愛隊がお伝えしたことを思い出してみてくださいね!

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