今日のハンブルクは今年1番の寒さです。
仕事を始めて窓の外を見ると、雪がチラチラ
時々降り止むのですが、夕方からはハンブルクでは珍しく
ボタン雪になりました。明日は積もっているかも
この年になると、伊達の薄着、などと言っていられないですね。
そろそろモモ引きの出番かな~
午前中、陽の当たっている時に撮りました
ジージのアウトドアスポーツ その1で、
当時の登山用具が重かったため、槍、穂高は
夢で、まずトレーニングを積んでから、と思って
いた、と書きました。
最近のリュックは合成繊維で軽いですね。でも
当時はジーンズの元の生地、帆布を使っていたのです。
ジーンズ用の生地より厚かったかもしれません。
山小屋も通年営業は珍しくて、晩春から初秋にかけて
オープンする山小屋がほとんどでした。
料理も限られるし、山小屋に泊まる時は、
米2合持参の約束ごとがありましたから。
テントの生地も厚くて、山で2泊、それも露営だと、
リュックはまず最低50キロの重量ですからね。
米を、非常時を考えに入れて5合、水は5リットル、
それに様々な装備です。リュックを1度背負うと、
休憩の時に降ろさないのです。なぜかというと、
途中で降ろしたら背負えないし、バランスを崩して
倒れる危険があるからです。
休憩の時は、場所を探して、リュックを載せられる岩、
さらに自分が腰掛けられる岩のあるところを探します。
ですからトレーニングを積んで、槍、穂高と思って
いました。
ビールはとてもじゃないけれど、重いので
持って行きませんでしたが、最近の山小屋では、
ごく当たり前の食事が出来て、ビールも飲めるし、
槍、穂高でも荷物の重量は5キロ前後だ、と
僕の知人が書いてきました。当時を思うと、
まるでハイキングですね。
槍ヶ岳の頂上です。こんなに人がウジャウジャいると、千年の恋も冷めます
奥穂高より槍と北穂高です。この2枚の写真は友人が撮りました
ジージのアウトドアスポーツ その1に書きましたが、
少し雲取山に触れさせてください。
多くの方が、東京都に2000m級の山があることを
信じないのではないでしょうか。
雲取山、日本百名山の一つですが、あまり名前は
知られていないですね。登るのも結構きついです。
七つ石より見た雲取山
雲取山より富士の眺望
東京に住んでいらっしゃる方で、スポーツの好きな
方には雲取山登山をお薦めします。
石尾根から登り、頂上に一泊して、翌日秩父に降りると、
露天風呂の温泉もありますよ
日によって、混浴だそうです
雲取山はあまり人気がないし、知っている
人も少なく、登りたいと思う人はまれなのでは
ないでしょうか。
変な言い方ですが、富士山、槍、穂高はイケメン
ですよね、でも雲取山はダッサーイ
とんでもないです。雲取山頂からの眺め、これは
そこに立った人でないとわかりません。
雲取山頂からの写真は、ほとんど富士を写した
物ばかりなのですが、それだけではありません。
僕はあえてここに書きませんので、出来たら
ご自分で体験して下さい。
アイススケートと登山に明け暮れていた高校生活も
終わり、大学に入ると僕はワンゲル部、部というか
同好会に誘われたのですが、僕は参加しませんでした。
なぜかというと、そのワンゲル同好会は、なんとなく
男女が親睦を深めるためだけの会であるような気がしたからです。
最近の人は、軟派、硬派という言葉を知らないと思いますが、
僕はカチカチの硬派でしたから。
その同好会は、僕がテントを持っていたため、
何度か僕からテントを借りていったのですが、
あまりにも乱雑に使ったので、貸すのを止めました。
そして僕がアイススケートを止める事になったいきさつです。
僕にはその当時、冬山の経験がなかったので、
大学1年の冬休みに入ってすぐ、登山の支度をして、
新宿に行きました。確固たる目的地があったわけではなく、
僕は時々上野や新宿に登山の支度をして行き、ぶらぶら
している間に考えをまとめる癖があったのです。
それは夕方9時頃だったのですが、小淵沢に行くには
もう遅いし、夜行に乗って松本辺りに行こうかな、
と思って新宿駅西口をぶらぶらしていると、大学の
同級生で友人のSがいたのです、そして、
「おい、何でお前がここにいるんだ?」
と聞いたので、
「山に行こうと思っていたのさ」
と答えると、Sは、
「○○、実はスキーバスをチャーターしたけれど、
参加人数が足りないから困っているんだ。お前も
スキーに行こうよ」
僕にスキーの経験が無いこととか、行く気があるか
ないか、全く無視して、Sは僕を夜行のスキー
バスに連れ込んだのです。
白馬岩岳スキー場
行った先は白馬、岩岳スキー場でした。
まあ僕は登山ウェアを着ていたので、服装は
OKだったのですが、問題は靴でした。
登山靴を僕は2組持っていて、1組は軽い
登山用。もう一つはがっしりした、ちゃんとした
皮製の登山靴です。
そしてその皮製の登山靴でスキーをすることになった
のですが、ビンディング、留め金が問題で、
その頃やっと出始めた最新式のビンディングは
全く登山靴に合わず、カンダハーと呼ばれている
旧式のビンディングを使用して、何とか登山靴と
スキー靴を留めたのです。
カンダハータイプの留め金です。
カンダハーは、アフガニスタンのカンダハールと同じで、
その地方で使われていたから、というのが一応説になっていますが、
色々な意見があるようです。
ここでスキーの話を延々と書くことは出来るのですが、
興味のない方もいらっしゃると思うので、簡単に書きます。
その岩岳の初スキーの一件以来、僕はスキーにはまって
しまったのです。スケート靴はよく脂でエッジを拭き、
カバーをかけてお蔵入り。
手術のために八甲田山にいけなかった僕の友人Hが、
その前からスキーを始めていたので、彼に相談して
即スキーセットを購入。
高校時代終わりごろから、僕の専門が特殊技能だったので、
まあ山のバイトは別にして、かなり稼いでいました。
大学に入学してから、親には一銭も援助は受けていないし、
同居していたので下宿代として当時2万払っていました。
大学時代は勉強もあるし、それほど自由は
きかなかったのですが、卒業すると、無理に
休みを作ってスキーに。
会社員と違って週末を避けて滑ることが出来たので、
空いているゲレンデを年間30日以上滑っていましたね。
途中でバレースキーに凝ってしまい、
バックでウェーデルンを出来るようにまで
なりました。
その友人Hとは何度も一緒にスキーに行ったのですが、
その話はまたそのうちに。
白馬、八方尾根スキー場です。
八方尾根はそれほど行きませんでした。
何しろいつも混んでいるので。
でも行くと、この画像正面の、兎平の右側で滑っていました。
急なため、あまり滑る人がいなかったからです。
あんまりジージの昔話を読んでいると退屈でしょうから、
次回は都心のクリスマスマーケットの話を
書きたいと思います。
それでは次回まで。お気軽にコメントください。
私も一度撮ってみたいなぁ。
登山の話、素敵でした。
山の写真、どれも迫力ですね~。
あんなにたくさんの人たちが、見た感じ完全に崖のところを登っているのがすごすぎますね。
吉野山どころじゃないです。
みんなすごいなぁ。
スキーもお上手なんですね。
何度かOL時代に行きましたが、怖がりなのでずっとへっぴり腰でした。
うまく曲がれずに、横に盛ってある雪だまりにぐっさりつっこんでました(苦)。
結局林間コースがノンビリ滑れて好きでしたね~。
スノボはもっとダメでした。
うまくバランスがとれず、リフト乗り場でこけて、後ろから来たイスにおしりをガン!
でっかい青タンを作りましたよ。
雪の上で、すいーと滑れる方は尊敬します。
山登りもスキーも慣れではないでしょうか。
一度、槍、穂高の写真を撮った友人が、送ってきた写真の
一つに、どの山か忘れましたが、絶壁を撮っていたんですよね。
そして彼はズームアップをして見てごらん、と書いてきたので、
ズームアップしてみると、崖のへこんだところで休憩している人がいたのです
まあそれは極端な例ですが、スポーツは何でも基本を忠実に守れば
上達をする、
スポーツ音痴はいない、というのが僕の自論です。
あとはそれに費やす時間ですね。
でもアウトドアスポーツはたとえ転んでも、失敗しても楽しいです。
最近年なので、出不精になってしまいましたが、また何か、
スポーツを探すつもりでいます。
家庭を持つまでは夏スキーに行きました。
ドイツだとスキー三昧でしょうね。
いやいや、もう年ですからダメですね。
とは言っても、スキー場に立てば、また滑るでしょうね。
カンダハーはあの時だけでしたね。
翌年からは、古いルックのビンディングでした。
ドイツに住んでいますが、ドイツでスキーをしたことはほとんどありません。
子供たちが滑れる年、4歳と6歳になってからはいつもオーストリーの
マイヤーホーフェンというスキー場で滑っていました。
ツィラータールという渓谷にあるスキー場でしたが、リフトを待たないで乗れるのはうれしかったです。