さて、何をテーマにしようか考えていた時、
いつだかブログのコメントの返事に、
中学校の修学旅行で記憶に残っているのは夜、
みんなで、と言っても男子生徒だけでしたが、
枕投げをして遊んだことくらいです、
と書いたのですが、金閣寺と銀閣寺はみた気がするし、
“鹿センベイだよ”という鹿センベイ売りの
掛け声も記憶にあったので、おそらく東大寺にも
行っているのではないかと思い、
京都、奈良の有名な寺社を調べる気になったのです。
鹿苑寺舎利殿(金閣)です。
そしてWikipediaで金閣寺を調べると、
金閣寺は通称で、正しくは鹿苑寺(ろくおんじ)
だということがわかりました。
60才を過ぎた今になってそれを知ったわけですが、
学校で鹿苑寺と習った記憶が全くないのです。
ですので、当時の教育事情をテーマにしようと
思いました。
おそらく僕と同じ団塊世代の人は、金閣寺と教わっても
鹿苑寺と教わった人はいないのではないのでしょうか。
頭の良し悪しは別にして、僕は記憶力に関して
自信があります。同じことを何度か聞く、あるいは
ノートに書いたものは殆ど憶えていますね。
当時、先生たちも大変だったと思います。
以前書きましたが、何しろ小学校も中学校も
1クラス50人、小学校は5クラス、中学校は
10クラスでしたから。
裏から見た舎利殿。
いろいろな先生がいましたが、殆どの先生は
教科書中心で、自分のノートに書いてあることを
黒板に書いて、それを生徒に写させるだけ。
歴史というか、社会の先生は、いつ何が起こったか、
その年代を書いて、憶えさせようとしました。
たとえば552年だと、午後に仏教伝来、のように。
学校での授業科目が好きになるか嫌いになるか、
その先生の教え方、あるいは情熱に大きく
関わってくると思います。
音楽の先生は、教科書に載っている歌を
歌わせればいい、と思っていたようです。
当時、ビートルズが流行っていたので、
そこから音楽への関心を高めていったら、
ずいぶん違ったのではないかと思いました。
焼失以前の金閣 (1893年)です。
中学校時代、クラブ活動で僕は化学班を選びました。
担当の先生は理科専門ではなかったし、
また僕たちを担当する先生でもなかったのですが、
そのクラブ活動は面白かったですね。
最初の時間は自己紹介だけで、次の時間に粉ジュース
(当時、現在のようなジュースは無くて、粉末だったのです)
を持ってくるように言ったのです。
何かと思ったら、まず粉を溶かしてジュースを作り、
それを試験管に入れて、みんなにアイスキャンディを
作らせたのです
それから順次複雑なことをしたのですが、
それ以来、化学のクラブ活動が面白くなりました。
雪化粧の金閣です。
音楽の授業での話ですが、北原白秋作詞の
城ヶ島の雨という歌があり、僕は大好きで、
歌詞に “利休鼠の雨が降る” とあります。
当時、ネズミの雨が降ったら大変だ、と思っていたら、
後日美術に詳しい人から、あれは利休鼠色、という
意味だ、と教わりました。
学校の音楽の先生には聞かなかったし、
聞く気にもなりませんでしたね。
鏡湖池と金閣です。
くだらない話です。笑ってください
ウスバカゲロウという昆虫がいますね。
あり地獄の成虫ですが、僕は中学時代、あれを
うすバカ下郎だと思っていました
当時の先生が意識してそう聞こえるように
発音していたんじゃないかな
そんなわけないか
修復中の金閣、2005年です。
屋上の鳳凰像です。
本日の写真は全てWikipediaの
規約を守って使用しています。
僕としては金閣よりも銀閣が好きですね。
いつか、今度は銀閣と教育の続きを
書きますので。
今日もジージのブログを訪問いただき、
ありがとうございました。
どうぞお気軽にコメントください。
では次回まで
鹿苑寺と言われてもピンとはきません
それにしても水面にうつった姿、綺麗ですね~
ジージさんご推薦の『吾輩はノラである』
ようやくゆっくり拝見できました
先程コメントも書かせていただいたのですが、ウチのゆずとは比べ物にならないくらいノラ猫さんたちは表情が豊かですね~
素敵なブログをご紹介いただいて有難うございました
金閣、美しいと思うのですが、なにしろ派手すぎて、
個人としては銀閣の方が好きですね。
しまじろうさんの写真はすばらしいですよね。
ゆずちゃんもいい表情していますよ
僕はしまじろうさんのブログを、少しずつ遡って見ています。
今、去年の8月でウロウロしています(笑)
古都だけでなく東京の寺社も調べたら、Wikipediaに
浅草寺のきれいな写真がたくさんありましたよ
その気がありましたらごらんになってください。
歴史の先生は、各時代、各国のなんと処刑の仕方を裏話として教えてくれて、怖いけれど面白い授業でした。
国語の先生は、たまにホラー映画を一時間まるまる使ってお話で聞かせてくれたり。
化学の先生は、あえてテストにでるぞ!とヒントをたくさんくれて敷居を低くしてくれたため、気が楽に勉強できました。
いい先生にいく人も出会えたなぁと、今になって嬉しく思い出します。
そういえば、大化の改新は乙巳の変と呼び名が変わり、1192(良い国)作ろう鎌倉幕府、も、年号が変わってしまって言えなくなりました。
変わっていきますね。いろいろと。
銀閣寺、庭苑がほんとうに素晴らしかったです。雪の金閣寺、行ってみたいなぁ……。ら
意味は、“先生にでもなろうか”、“先生しか出来ない”
当時は以前書きましたように、1クラス50人の時代でしたから。
先生方も落ち着いて生徒のことを考える余裕もなく、目前のことで
手一杯だったと思います。担当している授業時間も多かったですしね。
良い先生と出会うのは先生と生徒の相性もあるでしょうが、
でも記憶に残りますね。
団塊時代、激動の時代でしたが、振り返ると楽しかったかもしれませんね。