goo blog サービス終了のお知らせ 

ジージのドイツ散歩

散歩中に見た物を写真に撮って、記事にしています。

コーヒーの木

2013-01-12 | 特別編

                    このブログへのコメントで、
                    一時沈丁花が話題になりました。
                    僕はあの花の香が好きなのですが、
                    ドイツでまだ見たことがありません。
                    家のパソコンで調べると日本語になってしまうため、
                    仕事場で時間のある時に調べた結果、ドイツには
                    自生していないけれども、ネット販売があることを
                    突き止めました。

     この家では無理かもしれないと思ったのですが、
     買いたくなってよく調べていくと、どうやら
     違う木だったようです。沈丁花の木を買うのは、
     どうやら日本でないと無理そうですね。
     今度は植物検疫を調べようかな

          以前、スーパーにミカンの木が売っていた
          事を書きました。花屋とかガーデンセンター
          でなく、スーパーにですよ。
          でもこっちのスーパーでは、
          時々変わった植物を売ります。
          それほど高くなかったし、冗談にしても
          面白いと思って夏ごろに買ったものは
          これ、コーヒーの苗です。

     

               苗は5株ほどあったのですが、かなり水分補給が必要で、
               途中で枯らしてしまい、今ではこの2株だけに
               なってしまいました。
               コーヒーカップの中には小さな植木鉢が入っていて、
               そこに苗が植わっていたのです。

     

     横向きで撮ればよかったですね、ミニ植木鉢です

     

     このコーヒーカップの中に入っていました。

     

     カップは特別にいいものではありません。
     仕事場の自分専用コーヒーカップにします。

          そしてミニ植木鉢から苗を抜くと、

     

          このようにかなり根が張っていました。
          根を出来るだけ傷つけないように
          2株に分けます。

     

          根はかなりしっかりしていますね。
          そしてそれを1回り大きい鉢に植え替えます。
          根が張ってきたら、これよりもう1回り大きな
          鉢にしますが、まずしばらくは様子見ですね。

     

     

               これが現在の状態です。
               まさかハンブルクでコーヒーの豆が収穫
               出来るとは思っていませんが、そうしたら
               皆さんに試飲をしてもらいます 


     仕事場にアフリカスミレ、セントポーリアが
     置いてあったのですが、どうやら持ち主は辞めたらしく、
     年末の水遣りが心配だったので、家に持って来てあります。
     まだ状態はよくないので、時期を見て植え替え、
     手入れをするつもりです。
     その時はまたここにレポートしますので。


                    今日もジージのブログを訪問いただき、
                    ありがとうございました。
                    どうぞお気軽にコメントください。

                    では次回まで  

団塊時代の教育 続編

2013-01-05 | 特別編

                    前回のブログで、鹿苑寺舎利殿(金閣)を記事に
                    しましたので、ひょっとすると銀閣のことを
                    調べた方もいらっしゃるのではないかと思います。

     

     慈照寺観音殿(銀閣)です。

     さて、団塊時代の教育について。
     僕は国語の授業が大嫌いでした。興味が湧かない
     のが1番の原因でしたが。そのくせ、さんずいの
     漢字を書け、木へんの漢字を書け、と言われれば
     人一倍書けたのですがね 

          前回も書きましたが、音楽の授業も嫌いでした。
          まるで面白くない 
          これは先生のせいではなく、文部省(当時の)の
          教育方針だったのでしょうが、何しろ洋楽一辺倒。

               ヨーロッパ音楽が日本に入って何年になりますか?
               ヨーロッパ音楽に何年の基盤がありますか?
               そしてヨーロッパ音楽はキリスト教と共に
               発達してきたのです。
               それでも洋楽を中心にして授業の方針を決める。

     日本古来の音楽、邦楽はどうなのでしょうか?
     宮廷音楽、虚無僧による尺八音楽、そして筝曲。
     あるいは語り部に使われた琵琶、民謡と切っても切れない
     三味線(沖縄では蛇皮線ですね)音楽。すばらしいと僕は
     思うのですが、小学校、中学校で聴いた邦楽曲は、
     宮城道雄の箏と尺八の為に書かれた「春の海」だけ 

          「春の海」は確かに名曲ですが、それだけしか
          教育カリキュラムに組み込まなかった教育方針に問題が
          あったのではないか、と言いたいのです。
          僕たちは日本人ではありませんか、その日本の音楽を聴くこと、
          教わることを否定されたのです 

     

               雪の銀閣です。
               絶対に慈照寺とは教わらなかったと記憶しています。

     音楽ですが、前回は利休ネズミの話をしましたね。
     正しくは 利休ねず と読むそうですが、そうすると
     北原白秋の立場がちょっと・・・

     今日は箱根の山です。

          箱根の山は天下の剣 函谷関も ものならず
          当時は歌うだけで、函谷関 と漢字の歌詞では
          無かったように記憶しています。

               函谷関の意味を、音楽の先生に聞いても
               どうせ知らないだろうと思い、
               そのままにしておきました。
               そしてここハンブルクで研究を一段落させた後、
               日本のことを、世界のことをよく知りたいと思い、
               当時はパソコンなどありませんでしたから、
               いろいろな専門書、歴史書を買って読みました。

     そして、中国史、三国志を中心に勉強して、
     初めて函谷関が何であるかわかったのです。
     同時に 四面楚歌 の本当の意味もわかりましたが 

     

          東求堂(とうぐどう)です。

     

          やはり東求堂と庭園です。

               小学校、中学校の時、授業開始以前に全校生徒を
               集めての朝礼というのがありました。
               今現在あるかどうかわかりませんが、
               僕は朝礼が大嫌いでした。
               10分、時によっては15分も立たされ続け、
               先生方の説教を聞かされるのです。
               ですから小学校の時は、授業開始を見計らい、
               全校生徒が教室に入る時に登校していました。

     当時中学校は実家のすぐ隣で、大げさな柵など無く、
     植木が実家と中学の間を分けているだけでした。
     学校内の実家に近い側にウサギやヤギが飼われて
     いて、のんびりしていましたね。

          それで朝礼ですが、開始時刻になると正門が閉められて、
          風紀委員が遅刻してきた生徒の生徒手帳に “遅刻” と
          ハンコを押すんですよ。ですから僕はこっそり植木の
          間を通って登校していました 

               ところがある時、実家と中学の間に柵が出来てしまったのです 
               僕は中学で学級委員をしていた立場上、
               風紀委員に捕まって、“遅刻” のハンコを
               もらうわけにはいきません。
               仕方がないので正門に回ることにしましたが、
               時々時間が差し迫っているために、
               柵を乗り越えたことが何度もあります 

     

     室町時代の創建当時の石組み、お茶の井です。

     前回書いたように、化学班はとても面白くて、
     当時教えてもらった薬品分析のクロマトグラフィー法、
     今から50年前ですよね、その当時その分析方法が
     確定されていた、ということは、それ以前からその
     分析方法があったということですが、それが実に面白かった
     のを憶えています。
     これは娘(化学ドクター)に聞いたのですが、
     いまだにクロマトグラフィー法以上の分析方法は
     ないそうです。

          その化学班で、実はロケットを自作して打ち上げた
          事もあるんですよね 
          燃料は黒色火薬で、自分たちで混ぜ合わせ、
          頑丈な紙を使って胴体を作り、黒色火薬の中に
          ニクロム線を入れて、木のカタパルトから
          電池でニクロム線に電流を通して黒色火薬に
          点火しました。
          まあ・・・5mほどしか飛びませんでしたが 

     

               銀閣寺垣です。
               不思議にも銀閣寺と名称が付けられていますね

               前回、今回と僕の写真はありませんでしたし、
               2度も有名なお寺の話が続いてしまいました。
               ここのところハンブルクは曇り、雨の日が続き、
               街中を回っていても楽しくありません。
               何とか太陽が照ってくれて、ハンブルクの
               様子を伝えられればいいなと思っています。

                    今日もジージのブログを訪問いただき、
                    ありがとうございました。
                    どうぞお気軽にコメントください。

                    では次回まで  

団塊時代の教育

2013-01-04 | 特別編

                    さて、何をテーマにしようか考えていた時、
                    いつだかブログのコメントの返事に、
                    中学校の修学旅行で記憶に残っているのは夜、
                    みんなで、と言っても男子生徒だけでしたが、
                    枕投げをして遊んだことくらいです、
                    と書いたのですが、金閣寺と銀閣寺はみた気がするし、
                    “鹿センベイだよ”という鹿センベイ売りの
                    掛け声も記憶にあったので、おそらく東大寺にも
                    行っているのではないかと思い、
                    京都、奈良の有名な寺社を調べる気になったのです。



     鹿苑寺舎利殿(金閣)です。
     そしてWikipediaで金閣寺を調べると、
     金閣寺は通称で、正しくは鹿苑寺(ろくおんじ)
     だということがわかりました。

          60才を過ぎた今になってそれを知ったわけですが、
          学校で鹿苑寺と習った記憶が全くないのです。
          ですので、当時の教育事情をテーマにしようと
          思いました。
          おそらく僕と同じ団塊世代の人は、金閣寺と教わっても
          鹿苑寺と教わった人はいないのではないのでしょうか。

               頭の良し悪しは別にして、僕は記憶力に関して
               自信があります。同じことを何度か聞く、あるいは
               ノートに書いたものは殆ど憶えていますね。
               当時、先生たちも大変だったと思います。
               以前書きましたが、何しろ小学校も中学校も
               1クラス50人、小学校は5クラス、中学校は
               10クラスでしたから。



     裏から見た舎利殿。

     いろいろな先生がいましたが、殆どの先生は
     教科書中心で、自分のノートに書いてあることを
     黒板に書いて、それを生徒に写させるだけ。
     歴史というか、社会の先生は、いつ何が起こったか、
     その年代を書いて、憶えさせようとしました。
     たとえば552年だと、午後に仏教伝来、のように。

          学校での授業科目が好きになるか嫌いになるか、
          その先生の教え方、あるいは情熱に大きく
          関わってくると思います。
          音楽の先生は、教科書に載っている歌を
          歌わせればいい、と思っていたようです。
          当時、ビートルズが流行っていたので、
          そこから音楽への関心を高めていったら、
          ずいぶん違ったのではないかと思いました。



               焼失以前の金閣 (1893年)です。

               中学校時代、クラブ活動で僕は化学班を選びました。
               担当の先生は理科専門ではなかったし、
               また僕たちを担当する先生でもなかったのですが、
               そのクラブ活動は面白かったですね。

     最初の時間は自己紹介だけで、次の時間に粉ジュース
     (当時、現在のようなジュースは無くて、粉末だったのです)
     を持ってくるように言ったのです。
     何かと思ったら、まず粉を溶かしてジュースを作り、
     それを試験管に入れて、みんなにアイスキャンディを
     作らせたのです 
     それから順次複雑なことをしたのですが、
     それ以来、化学のクラブ活動が面白くなりました。



          雪化粧の金閣です。

          音楽の授業での話ですが、北原白秋作詞の
          城ヶ島の雨という歌があり、僕は大好きで、
          歌詞に “利休鼠の雨が降る” とあります。
          当時、ネズミの雨が降ったら大変だ、と思っていたら、
          後日美術に詳しい人から、あれは利休鼠色、という
          意味だ、と教わりました。
          学校の音楽の先生には聞かなかったし、
          聞く気にもなりませんでしたね。



               鏡湖池と金閣です。

               くだらない話です。笑ってください 
               ウスバカゲロウという昆虫がいますね。
               あり地獄の成虫ですが、僕は中学時代、あれを
               うすバカ下郎だと思っていました 
               当時の先生が意識してそう聞こえるように
               発音していたんじゃないかな 
               そんなわけないか 



     修復中の金閣、2005年です。



     屋上の鳳凰像です。

     本日の写真は全てWikipediaの
     規約を守って使用しています。

          僕としては金閣よりも銀閣が好きですね。
          いつか、今度は銀閣と教育の続きを
          書きますので。

                    今日もジージのブログを訪問いただき、
                    ありがとうございました。
                    どうぞお気軽にコメントください。

                    では次回まで  

ドイツのクリスマスパーティ+孫紹介

2012-12-27 | 特別編

                    娘夫婦はパリを少し出た所に住んでいるのですが、
                    12月22日から新年までハンブルクの
                    嫁ぎ先の実家にいます。
                    23日が家族、知り合いを集めての海鮮料理
                    パーティで、僕も行くことを約束していました。
                    しかし先週体調が悪かったので、1度は断った
                    のですが、娘に言われたこともあり、僕も気を変えて、
                    少しお邪魔することにしました 


孫とパパです。パーティが始まるまで孫はかなり不機嫌でした。


ママといてもご機嫌ななめ 


猫のキキです。娘夫婦の行く所、どこにでもついていきます 

     キキは大勢の人がいてもわが道を行く。
     好きな所で寝たり、のんびり歩き回ったりしています。


孫娘です。隣は孫娘のドイツ側のおばさんです。まだ若いですよ。

          その日は寿司も出ていたのですが、僕が
          写真を撮っている間にほとんどなくなって
          しまい、最後の1個を食べることが出来ました。
          冷凍寿司だとあとで聞いたのですが、以外に
          おいしかったですね。


もう1人のジージです

               娘の嫁ぎ先はインテリばかりで、
               僕なぞ恥ずかしくなります。


この左にテーブルが2卓あり、あと6人座っていたのですが、撮り切れませんでした

       
       これがその2卓。まだオードブルも配り終わっていません。



     ジャーン 

     ドイツのジージが、一生懸命貝柱を切ったのですが、
     牡蠣用ナイフではなかったので、てこずっていました。
     (僕は家に牡蠣用ナイフを持っていたのですが…)
     この牡蠣が出てきたあと、しばらく牡蠣の話が
     続いていましたね。
     フランスのどこで食べた牡蠣は、とか、アメリカの…
     果てはオーストラリアの… とか、世界中の牡蠣の話を
     していましたよ。

          でもそうこうしているうちに、なんとなくフラフラしてきたので、
          失礼を言って帰ることにしました。
          Hummer というイセエビのような大きいエビが人数分
          用意してあったのですが、結局食べずじまいになってしまいました。
          かなり後ろ髪を引かれましたけれどもね。
          ドラえもんのどこでもドアがあればいいのに…

               まあそのあと24日は買い物だけ、
               25、26日は全面休養だったので、
               無事すごすことが出来ました。
               28日が仕事納めで、新年は2日からです。


          喪中ですので、年末、年始のご挨拶を
             遠慮させていただきます。


                    今日もジージのブログを訪問いただき、
                    ありがとうございました。
                    どうぞお気軽にコメントください。

                    では次回まで  

風邪ひきです 団塊世代の主張でも読み直してください

2012-12-22 | 特別編

ハンブルクはここのところ曇りで、
どんよりした天気が続いています 
寒いのは仕方がないとして、陽が差さないのは
寂しいですね。
まあ冬至が過ぎれば昼が長くなるので、
それに期待しています。

     昔は少しくらいの風邪ひきであれば、そのまま
     生活していたのですが、年のせいですね 
     今日は僅かの写真で勘弁してください。
     団塊世代の主張を読み直していただくか、あるいは
     古い記事を読み直してくださるようお願いします 


仕事場近くの花屋です。





今は寒いので、花屋の店先も寂しいですね。
この3枚の写真は今年の6月に撮りました。
ここのところモミの木やクリスマスリースしか
売っていません。は~やくは~るにな~れ 


スーパーへの道筋です。寂しいですね。

     

霧っぽくて、陽が差していない、典型的な
ハンブルクの冬の様相です。

       そして壊されて欲しくない建造物。


天龍寺亀山天皇陵です


天龍寺大方丈と曹源池です

            今日は手抜きで申し訳ありません。
            早く風邪を治しますので。
            でも年だからな~~
            では次回まで  

団塊世代の主張 その2

2012-12-21 | 特別編

大学紛争が始まり、警察側も取り締まりに乗り出しましたが、
相手は大学生で、今後の日本を背負って立つかもしれないため、
初期のころの取り締まりは緩やかでした。
しかし過激派の学生が現れて、取り締まり側に亡くなった人が
出るようになると、取り締まる側の態度も必然的に過激になり、
今度は学生側にも亡くなった方が出ました。

     過激派の学生たちがテロに走ると、反体制運動に
     参加していても、ある程度の結果を見ることが出来たため、
     過激派から次々と人が離れていき、過激派はテロに走ります。
     そして過激派は赤軍となり、しばらく日本でテロ活動をしたあと、
     世界に、多く中近東に舞台を移し、テロ活動を続けます。

          アメリカには、長期化、泥沼化したベトナム戦争により
          反戦運動が広がって行きます。
          やがてギターを片手に音楽で反戦運動をする人が出てきます。
          その筆頭はジョーン・バエズとボブ・ディランですね。
          有名な歌に“風に吹かれて”がありますし、皆様も
          ご存知だと思います。
          ジョーン・バエズは“花はどこへ行ったの”を何ヶ国語かで
          歌っていますね。ドイツ語での“花はどこへ行ったの”
          もあります。

このギター片手での反戦歌は、ベトナム戦争終結後も、
アメリカで独自の路線を維持して、今に至っています。
そして日本でもギター片手に反戦歌を歌う人が現れます。
ボブ・ディランがギターを弾きながらハーモニカを吹く、
このスタイルを最初に取り入れたのが、吉田拓郎ですが、
彼は反戦歌でなく、独自の歌詞をつけたのです。

     それ以降、南こうせつとかぐや姫、さだまさしなど
     いろいろな人がこのスタイルを取るようになりました。
     アルフィーの坂崎幸之助は、この吉田拓郎のスタイルに、
     そして字余りの歌詞を無理やり音に押し込むのに
     驚いたといわれています。
     字余りの歌詞を無理やり音に押し込むのは、中島みゆきも
     そうですね。そして彼女の歌詞の方が、余りが多い(大笑)

          “外は白い雪の夜”、1979年篠島オールナイト
          コンサートの模様です。歌詞は松本隆。
          このコンサートで、吉田拓郎は咆え、そして泣いています。
          ぜひ聴いていただきたいコンサートです。


南こうせつです

かぐや姫はデビューしたあと、長くグループを
続けないで解散してしまいました。
そしてかぐや姫=南こうせつ、と思っている方が
多いと思いますが、伊勢正三も歌っているし、
歌ってはいませんが、グループには山田パンダもいます。


伊勢正三です

     伊勢正三とかぐや姫、“置手紙”です。
     伊勢正三は歌手としても活躍しましたが、作曲家、作詞家
     としても名を残しています。イルカも伊勢正三の曲を
     歌っていますね。



          これも伊勢正三とかぐや姫“なごり雪”です。
          この曲はイルカが歌ってヒットしました。
          伊勢正三もいいですよね、パルセットもきれいだし。
          この他に伊勢正三の作品として“22才の別れ”が
          ありますし、僕も好きです。リンクをあえて
          作りませんでした。興味のある方は探してください。

さて、さだまさしです。



故意にこの写真を選んだわけではなく、
カッコいい写真が見つからなかったのです。
これはさだまさしの“しらみ騒動”の1シーンです。

    さだまさしは、デビュー当時、吉田正美(現吉田政美)
    とグレープというグループ名で歌っていました。
    代表作の“精霊流し”です。


精霊流しの1シーンです

    これはグレープとしてではなく、さだまさしとして
    歌っている“退職の日”です。
    僕はこの歌を好きですね。



          さだまさしは若い頃の方がいいですね。
          まるで咆えないし、淡々と、そして高い
          音からも平気で歌い始めます。
          パルセット(裏声)も全く地声と変わらないし、
          音域は南こうせつよりも広いのではないでしょうか。
          さだまさしは“北の国から”の音楽担当も務めました。
          その他、“しらみ騒動”という曲もあるのですが、
          あまりにもくだらないので、リンクを付けませんでした。
          もし興味のある方がいらしたら、探してください。

そして吉田拓郎から始まった一連の流れが、
やがてJ-ポップとなり、ロックにまで発展します。
Exileやドリカムもいいですが、僕にとっては
拓郎の“きょうまでそして明日から”や“旅の宿”
かぐや姫の“赤ちょうちん”や“神田川”の方が
琴線に響きます。

          最後に、壊されてはならない物の写真です


東大寺金堂


東大寺法華堂(三月堂)


そしてもちろんこれ、東大寺盧舎那仏像、大仏という方がわかりやすいですね

         では次回をお楽しみに  

団塊世代の主張 その1

2012-12-19 | 特別編

僕はタイトルを決めるのに少し迷いました。
“主張”だと大げさすぎるような気がしたのです。
“言い分”も変だし、まあ読者の方々の考えに
お任せします。

     僕は“団塊世代”という言葉がキライです。
     バケツの中に何もかも入れて混ぜ、それを
     ポイっと捨てるような気がするのですが、
     僕と同じような世代の人で、この言葉を
     好きな人はいないのではないでしょうか。


吉田拓郎、団塊世代が始まった頃の人ですね。
僕が好きな歌手の1人です 

これはYou Tubeからスクリーンショット
で撮ったので、著作権は生じないと思います。
スクリーンショットをご存じない方は、
ここをクリックしてください。

         信じられないでしょうが、僕の小学校時代、
         5、6年生の時に、1クラス50人、それが
         4クラスでした。
         中学校でも1クラス50人、それが1学年
         10クラス、全校生徒数1500人ですよ。
         教える先生方も大変だったでしょうが、教わる
         生徒側も大変…なわけないか 

僕たちが中学生の頃は、ちょうど日本の
高度成長期で、経済が急激に伸びました。
興味のある方は、城山三郎著の
“官僚たちの夏”をお読みください。
これはテレビドラマになったので、
ごらんになった方もいらっしゃると思います。

    しかし最近のノートパソコンは便利ですね。
    Wikipediaでいろいろなことを調べられるし、
    You Tubeで様々な音楽を聴けるのですから。
    でもYou Tubeに出されている音楽は、出した
    人が下げてしまったり、あるいは著作権に引っかかって
    しまい、聴けなくなることもあります。
    僕もかなりの数をYou Tubeのお気に入りに
    入れておいたのですが、上記の理由により、聴けなく
    なってしまいました。

        これも個人の考え方次第ですが、絶対に消えて欲しく
        ない音楽は、僕はハードディスクにダウンロード
        します。僕の場合はほとんど動画付きですね。
        ハードディスクの容量が気になる方は、CDに焼いたり、
        外付けハードディスクに入れればいいと思います。
        動画、MP3ダウンロードで、僕がお薦め出来るのは
        Craving Explorerですね。
        無料でダウンロード出来るので、グーグルなどで
        検索を入れてください。インストールも難しくありません。
        インストールの際に気を付けることは、ツールバーを
        以前通りにしておく方がいいと思います。
        Craving Explorerをツールバーに
        しない方がやりやすいです。
        動画をダウンロードするのであれば、あとでいろいろ
        細工しやすくなるので、AVIがいいですね。

僕は吉田拓郎の音源を動画付きでかなり
ダウンロードしました。
つま恋2006年の吉田拓郎の歌は、ほとんど
ダウンロードしてあります。
吉田拓郎は弾き語りの方がいい、という方は
70年9月16日録画の
今日までそして明日から”をどうぞ。



団塊の世代が大学入学するころになると、大学紛争が始まります。
大学が始まっても、かなりの講義が休講になってしまいました。
僕はノンポリ派だったのですが、体制反対派の意見も聞きたくて、
体制反対派が僕の通っている大学に押し寄せた時、言い分を聞きに
行ったのですが、どうやらその時、僕の大学が特殊大学だったため、
体制反対派もなんとなくアジっているだけのような人を送ってきた
らしいのです。

    「我々は…」ハンドスピーカーで怒鳴るのですが、
    先が続きません。そのうち在学生からヤジが飛びます。
    「だからさあ“我々は”はわかったよ。主張を聞かせろ」
    そうヤジられても、反対派は、相変わらず“我々は”
    でした。やがて面白くもなんともないので、ひとり、
    ふたり、といなくなり、そして誰もいなくなった。
    これもオジンギャグかな?

         やがて過激派が現れて、テロが始まります。
         いわゆる赤軍の台頭です。
         政治改革、僕はそれに意義があるのならば
         反対しませんが、暴力、テロは絶対反対です。
         テロからは何も生まれない、破壊だけだ、
         というのが僕の考えです。
         人間は地球によって生かされていることを
         忘れてはいけない、と思うのですが。
         地球、このすばらしい自然を壊してはいけません。
         地球を壊す=人類の破滅だからです。
         自然だけでなく、人間が作ったものでも、
         すばらしいものがあり、それは永遠に
         壊されて欲しくないですね。


法隆寺西院伽藍


法隆寺西院回廊と大講堂

先日、You Tubeをサーフィンしていて、
面白い動画を見つけました。18禁ではないですよ。
吉田拓郎の“旅の宿”ですが、歌詞は“上弦の月”なのに、
画像は“下弦の月”なのです。いい加減だな…あっ、オジンギャグ 

でも現代のジェネレーションの方は、この歌を
聴いても面白くないでしょうね。でもジージの
年代の人には、あぁ、いいなぁ、なのです。


やはり団塊世代の人、僕と同年の南こうせつです。

   南こうせつも僕の大好きな歌手の1人です。
   これも若いジェネレーションの方にはわからない
   でしょうが、赤ちょうちん、続けて神田川
   75年、つま恋でのライブです。
   僕個人としては、赤ちょうちんのほうが好きですね。

       南こうせつ、というよりも、南こうせつと
       かぐや姫ですね。
       輝夜姫、全て漢字にするとこうなるのですが、
       読めないですね。檸檬もおそらく若いジェネレーション
       の人は読めないでしょう。
       
吉田拓郎は、歌う時に最近咆えなくなりましたが、
南こうせつは咆えません。咆えない歌手としては、
さだまさしもそうですが、それは別の機会に。
南こうせつの歌唱法はすばらしいですね。
地声でもかなり高い音域まで歌えて、パルセットと
呼ばれる裏声でも、かなり低い音域まで歌えて、
その音色の差がないのです。



   歌う時に咆えるのは、泉谷しげるですよね。
   咆えるというか、悪口で怒鳴ってばかり 
   やはり団塊の世代です。
   武田鉄也も団塊世代ですね。でも彼には陰に隠された
   強烈な自己主張があるので、嫌いな方もいると思います。
   泉谷しげる、武田鉄也、僕はこの二人を歌手としてではなく、
   俳優として好きです。

       何だか取り留めのない記事になってしまいました。
       今回の選挙の投票率が最低だ、という情報を聞いて、
       この記事を書く気になったのですが、団塊世代とは
       関係ない、というか、団塊世代が政治にも進出している
       だろうし、しりすぼまりの団塊世代かな 

投票しない、ということはあきらめです。
人間あきらめたら、そこで成長は止まります。
日本の現在の政治に不満があったら、ぜひ何とかしよう、
という心構えでいてください。
ネバーギブアップ、これは僕の主張の1つです。

       何か書いている本人もわからなくなってきました。
       僕と同じような団塊世代の方にコメントを
       いただけたらうれしいのですが。

       では次回まで。