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きょうの教会ごはん 

神様との食卓で、一緒にご飯を食べましょう!

ご馳走

2012年01月21日 | 羊のお出かけ


友人がお誕生日ディナーに招いてくれると言う。「どこでも、好きなとこへ連れて行ってあげる!」というありがた~いお言葉。彼女とはクリスチャンになる前からのお友達で、美味しいもの好き、ワイン好きで、かつては大層ゴージャスなディナーを食べたこともある。確かに年に一度のお祝い事で、素敵な高級ディナーを共に味わうことに異論はない。クリスチャンになっても、美味しいものは好きだし、時には奮発することも厭わない。でも、クリスチャンになって明らかに変わったことが一つある。「何を食べるか」より、「どう食べるか」に一番のポイントがあるということ。

つまり、友人が誘ってくれ、そのためにご家族も一緒に来てくれるなら、もはや何を食べても私は嬉しいのだ。お勉強に忙しいはずの、ティーンエイジの息子さんまで同行してくれる。それなら、時間のロスがないように、なるべく近くて、集まりやすくて、それでいて美味しいと思えるものなら、それでいい。大切なのは、友人たちと一緒に食卓を囲んでお食事することができることだ。

彼女のお家に近いイタリアンレストランを希望した。「そんなトコでいいの?」と何度も気遣ってくれ、でもきちんと予約して待っていてくれて、ケーキを持ってきて、ご家族みんなでお祝いしてくれた。「ご馳走」とは、その準備のために走りまわることから来ている言葉で、まさに彼らは万全の用意で私をもてなしてくれた。とってもとっても嬉しかった。おもてなしの心を見せていただいた。感謝。

明日は礼拝。私も彼女のように、精一杯のご馳走を用意してみんなを待ち構えよう。日本語礼拝は午前10:30から、コリアンタウンで行っています。どなたでもぜひ、お出でください。お待ちしています。
場所はここをご覧ください。http://goodnewsstation.com/schedule2011.html



ケーキは、日本でもはやっているという米粉のヘルシーケーキ。真ん中の苺くんが可愛かった!





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心は聞いている

2012年01月18日 | 羊、朝の一声
心はあなたの言葉を聞いています。「もう、やっていられない!」と言えば、心は「そうか、やっていられなくさせよう。」と言います。「私って病気がちで弱いな~」と言えば、心は「そうか、病気にして弱くさせよう。」と言います。心に何を蒔いても、その通りに刈り取ることになります。だから、心に何を蒔くか、が鍵となります。自分の考えを動かすものが、心を動かし、心を治めるものが、将来を治めます。心を否定的な考えから守り、肯定的な、ポジティブな考えに転換させなければなりません。

リビングライフのエッセイから。





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続・信仰のテスト

2012年01月17日 | 羊、朝の一声
月曜日、「抜き打ちテスト」がありました。何せ事前通告済み&問題のヒント有なので、ひねくれやMUさんとしては、疑ってかかります。

 「ひょっとして、全然違う内容では?」
 「暗唱聖句させられたり?」
 「実技になっちゃったり?」

とんでもない!ひねくれているのは私だけで、テストはきちんと予定通り予告通りでした。疑心暗鬼の私は、「実技になっちゃったり?」なんてことも考えたのですが、これが当たらずとも遠からず。このテストの後、神様のテストがあったのです。

テストの後はお買い物にでかけました。クリスチャン本屋さんへ行き、店内を見ていると、突然おばさんが目の前に立ち、悲しそうな顔で「神様にどう祈ればいいか、わからない。教えてくれ」と言うのです。何故、私に

ホームレスのようなそのおばさんは、見た感じも体調が悪そうで、手足は汚れて、目は暗く翳っていました。「泣いて神様に頼むけど、状況は変わらない。私の祈りがどうして聞かれないのか。これ以上、どう祈ればよいか教えてくれ。必要なものはたくさんあるのに、どれも手に入らない。」まったくもって何故、私に

彼女のためにその場で癒しの祈りをしました。でも、私はその汚れた手を握ることに戸惑ったのです。心から喜びを持って彼女の手を取ることはできませんでした。その時、イエス様の愛を思いました。イエス様は、私がもっともっともっと汚れていても、私の手を取ることを喜び、溢れる愛をもって抱きしめ、癒してくださったのです。私は、クリスチャンとして当然すべきこととわかっていても、イエス様に倣う者とはとても言えませんでした。祈りはしても不潔な手が気になる、祈りはしても実質的に彼女にこれ以上関われないことを心のどこかで安堵する、そんな思いに押しつぶされそうに感じました。まさに、信仰の実践テスト。神様が与えられたのです。

結局のところ、おばさんはお金を必要としていたようで、祈っている間につと離れて別の人のところへ行ってしまいました。私は彼女の必要を満たしてあげることができませんでした。お金も、癒しも、祈りによる平安も。そして私は「神様がこの時を“私に”くださったのだ」ということを、確かに感じました。

神様の抜き打ちテストの結果は、赤点です。0点かもしれません。朝の抜き打ちテストに「OK、OK!結構イケてる。」なんて思っていた私は、神様による「真のテスト」結果を見ることになりました。神様はすべてご存知です。私の高慢も、私の弱さも、私の勘違いも。そして私の0点の答案を見て、こう励ましてくださるのです。「まだまだ覚えることがたくさんあるね。」

少しずつ、少しずつ、主に倣う者になって行きたいと願います。


I HAVE A DREAM <私には夢がある>

2012年01月16日 | 羊、朝の一声


今日はキング牧師のお誕生日で、祝日でした。マーティン・ルーサー・キングJR牧師の有名な演説です。


今日、明日、仮に困難が待ち受けていようとも私には夢がある。
それはアメリカン・ドリームに深く根ざした、ひとつの夢です。

私には夢がある。
「万人は生まれながらにして平等である。これが自明の理であることをここに保証する」
この国家の基本理念を真の意味によって実現する日が来るという夢が。

私には夢がある。
いつか、ジョージアの赤土の丘に元奴隷の息子たちと元奴隷所有者の息子たちが一緒に座り、
友愛のテーブルを囲む日が来るという夢が。

私には夢がある。
いつか、あの差別の熱にうだるミシシッピー州さえもが自由と正義のオアシスに変わる日が来るという夢が。

私には夢がある。
いつか、私の子どもたち4人が肌の色でなく中身で判断される、そんな国に住む日が必ずくる。

私には夢がある。
差別主義者がはびこるアラバマ、知事は口を開けば州権優位、実施拒否で忙しい、
そんなアラバマにもいつかきっと、幼い黒人の少年少女が幼い白人の少年少女と手と手を取り合って
兄弟のように仲睦まじく暮らしていける日が来るという夢が。

私には夢がある。
「谷はすべて身を起こし、山と丘は身を低くせよ。
険しい道は平らに、狭い道は広い谷となれ。
主の栄光がこうして現れるのを、肉なる者は共に見る」

これが我々の希望。この信仰を抱いて私は南部に帰って行こう。

この信仰があれば、絶望の山から希望の石を切り出すことだって叶う。
この信仰があるなら、この国に溢れる騒々しい不協和音を友愛の美しいシンフォニーに変えていくことだってできる。
この信仰があるからこそ我々は共に働き、共に祈り、共に闘い、共に牢に入って共に自由のために立ち上がることができる。
いつかきっと、いつかきっと自由になる日が来る、そう信じればこそ。

その日…その日ありとあらゆる神の子は新しい意味を込め、こう歌うのです。

わが国は汝の国、自由の地なれば、ここに謳わん。
ここは父が骨を埋めた地、巡礼開拓者の誇り高き地なれば、
ありとあらゆる山腹から自由の鐘よ、鳴れ!

アメリカが偉大であるならば必ず、実現されよう。
だから、ニューハンプシャーの巨大な丘の頂から自由の鐘を鳴らそう。
ニューヨークの雄大な山々から自由の鐘を鳴らそう。
ペンシルバニアのアレゲーニ山脈の高嶺から自由の鐘を鳴らそう。
コロラドの雪を頂くロッキー山脈から自由の鐘を鳴らそう。
カリフォルニアのなだらかな丘陵地帯から自由の鐘を鳴らそう。

更に、ジョージアのストーンマウンテンから自由の鐘を鳴らそう。
テネシーのルックアウトマウンテンから自由の鐘を響かせよう。
ミシシッピーの丘という丘から自由の鐘を鳴らそう。
ありとあらゆる山腹から、自由の鐘よ、鳴れ!

そして鐘が鳴るその時、
すべての村、すべての、すべての州、すべての町で、
ありとあらゆる神の子は、
黒人も白人も、ユダヤ教徒も異邦人も、プロテスタントもカトリックも
共に手に手をとってあの昔からの黒人霊歌を歌うだろう。

自由だ!やっと自由になった!
全能なる神よ、感謝します。

とうとう我々は、自由になったのだ!


GOOGLEのイベントロゴは結構お気に入りで、これまたコレクションしています。面白いものをご存知の方は、教えてくださいね!


信仰のテスト

2012年01月15日 | 羊、朝の一声
試験勉強中です。実に何年(何十年?)ぶり。

というのは、明日の学びクラスでは「抜き打ちテスト」があるそうです、と先生からの通知。
 >>>ソレ、全然抜き打ちになってないって。。。
しかも、「ヤマ」まで教えられている。
 >>>ということは、これでダメならダメダメってこと???

と言うわけで、試験勉強中ですが、これが却って新鮮に感じています。


でも、もし神様からの「抜き打ち信仰テスト」があったら???
私、だいじょうぶかしらん。
そんな余計な心配までしながら、明日に備えています。
合否(?)結果をお楽しみに。

起きよ、光を放て

2012年01月14日 | 羊、朝の一声
1月も2週間が過ぎました。そろそろ気力も、決心も、ネタも、くじけてくる頃?その通り、金曜日はちょっと遅くまで外出でしたが、帰って来て「ちょっと休憩」のつもりがそのまま朝まで。。。という悲惨な結果に終わりました。ここで気合を入れないと!と思っている私に、リビングライフを通して語られました。週末のエッセイから。


新しい2012年の始まりに、「起きよ、光を放て」(イザヤ60:1)と叫んでみましょう。もう一度、起き上がるために「主の前にすべてを置き」、「自らへりくだり」、「自分を捨て」てください。そうすれば、すっとたつことができます。一度、やってみてください。私はそのようにすることで、本当に立ち上がることができました。(中略)行動に移さなければ、無意味だからです。ただ、放つのみです。従ってください。では、どうすれば光を放つことができるのでしょうか。

(要約)
光を受けて照り返す。主が光であり、主を心の中心において生きれば、光を放つことができる。
磨き上げる。どんな宝石も磨き上げない限り輝かない。「試練」によって「研磨」する。
自分に火がついてこそ、光を放つことができる。自分が消えてなくなることで、主の十字架が見え始める。
霊的な体験を通して光り輝く。たくさん祈って聖霊を受けた人ほど、光り輝く。神の御言葉が内に宿る。




私は叫んでみました。もう一度、起き上がりたいから。神様からの答えはいとも容易く聞こえました。「することしてから、グウタラしなさい。」うーーん、まったくその通り。そのわかっていることができない。これが主を中心にしていない、磨き上げていない、自分自身に火をつけていない、ということかもしれません。ということで、「ちょっと休憩」したい前に、このブログを書いている私です。「起きよ、光を放て」、明日も叫んでみよう、と思います。


写真は、横山匡氏撮影の「エルサレムの夜明け」です。





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ペンギン・コレクション創設

2012年01月13日 | ペンギンコレクション
今日はコレを手に入れるために、わざわざお出かけしました。重要なのは、これがセールされていたということ!ところが、行ったはよいものの、商品デザインが変わってしまっていて、ペンギン柄ではない、海の絵柄!ショック!!

しかしそこでメゲずに、いくつかのお店を回り、ようやくGET!できたのです。(この執念が信仰に生かせればねェ。。。)せっかくの戦利品なので、記録しようと「ペンギンコレクション」カテゴリーまで作りました。これが今後、どう働くことやら。乞うご期待。

嘘でなく

2012年01月12日 | 羊、朝の一声
今日は、約1ヶ月ぶりのLTG (LIFE TRANSFORMATION GROUP)。日本から帰ってきたと再会し、LTGを待っていてくださる神様の前に共に祈る時を持ちました。

LTGについてはこれまでも何度か記事に取り上げてきましたが、Life Transformation Groupsの頭文字を取ったもので、直訳すれば「人生変革グループ」。分かりやすく言えば、「互いに責任を負い合う関係」です。クリスチャンの基本である「表裏のない人間性」を培うため、互いの罪を告白し合い、語る側聞く側の癒しを祈ります。LTGは、人生を内側から変え、生き生きとした霊的歩みをなすための本質的で、基本的で、ごくシンプルな方法と言えます。
詳しくはGOODNEWSSTATION.COMを見てね!)

今日教えられたのは、「嘘」について。LTGの質問票には「嘘をついたり、ごまかしたりしませんでしたか。」という問いがあります。私たちは、誰かを、あるいは自分を守るために「ごく自然に」()嘘をつきます。「ごく自然」「誰でもしている」と考えますが、実はこれが間違いのもと。神様は「嘘はダメ」と仰っているからです。こういう部分に、人間が知らずと罪のうちにあることを思わされます。

嘘は嘘を呼び、雪だるま式に膨れ上がります。ちょっとした嘘が、気付いたときにはどうしようもない状態になっていることがあります。誰でもそんな経験があるはず。もちろん、私も。だから小さな嘘でも避けるよう、ついてしまったら悔い改めて神様に祈るよう、この質問に真摯に答えるようにしています。

この数日、「正論ハラスメント」加害者として反省を繰り返す私は、ふと「失敗するくらいなら、ごまかしてしまえばよかった。」という思いを得ました。彼女に何を言われても、“テキトー”なことを言って合わせておけばよかったのかと思ったのです。でも、今日のLTGの質問を聞いたとき、ごまかさないでよかった!と思いました。ほんとうにごまかさなかったことが嬉しかったのです。

もちろん、嘘を言わないことと、相手を傷つける言い方をするのはイコールではありません。私は、真実をどのように「穏やかに、敬意をもって、正しい良心で」伝えるか、学ばなければなりません。それは私の課題。しかし「失敗するくらいなら、ごまかしてしまえばよかった。」は違うのです。「ごまかすくらいなら、失敗する」方が良いのかもしれません。

久々のLTGに教えられました。予想通り、延長コースになったけど。(、長居してしまってごめん!)でも、LTGの大切さをしみじみと感じた時でもありました。神様に心からの感謝をささげます。





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