きょうの教会ごはん 

神様との食卓で、一緒にご飯を食べましょう!

きょうの教会「棕櫚の日曜日」ごはん

2015年03月28日 | 羊のご飯


復活祭イースターが近づいています。イースターは、クリスチャンにはとても大切な日。最近日本でも、ウサギとかひよことかパステルカラーとか、まったく別の方向でイースターが取り上げられていますが、復活祭は魂の喜びの日なのです。ということで、きょうの教会ごはんも、いつもの食べ物話でなく、イースターについて書こうと思います。この日曜日は「棕櫚の日曜日」と言って、イエス様が子ロバに乗ってエルサレムに入城し、民衆が喜び迎えたことを記念する日です。マルコ伝にはこうあります。

二人が子ろばを連れてイエスのところに戻って来て、その上に自分の服をかけると、イエスはそれにお乗りになった。多くの人が自分の服を道に敷き、また、ほかの人々は野原から葉の付いた枝を切って来て道に敷いた。そして、前を行く者も後に従う者も叫んだ。
「ホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように。
我らの父ダビデの来るべき国に、祝福があるように。
いと高きところにホサナ。」
こうして、イエスはエルサレムに着いて、神殿の境内に入り、辺りの様子を見て回った後、もはや夕方になったので、十二人を連れてベタニアへ出て行かれた。




民衆が道に敷いた枝が棕櫚の枝だったため、枝の主日とも呼ばれ、アメリカではパームサンデー(Palm Sunday)です。「王の凱旋」を喜んだ民衆の歓声を聞きながら、イエス様はその先のことを御存知でした。そしてこのたった5日後に、同じ民衆の怒声の中、イエス様は十字架に架けられてしまうのです。

今週のメッセージは、「悪魔の正論」として語られ、その中で自分自身の内に潜むほんとうの動機について考えることになりました。ペテロは「他の誰が躓いても、私は躓きません!イエス様にどこまででも付いて行きます!」と豪語しましたが、その奥底にそういう自分に酔う自分、仲間を出し抜こうとする思いがいなかったでしょうか。私たちも同じです。確かに正論、正しい言葉を口にしますが、そこに「愛」(NOT 自己愛!)があるでしょうか。民衆の一時的な、あるいはノリの歓声状態ではないでしょうか。一般には「受難週」と呼ばれるイースター前の1週間は、クリスチャンのイベント週間ではありません。あなたはイエス様の十字架に、本心どう思うか、何を思うか、を黙想する時です。「知ったことではない」かもしれません。ヘンなごまかしをするくらいなら、その本心でOKです。本心にこそ、神様は語られます。だから、どんな思いであっても、1週間の内の一瞬であっても、あなたのイエス様への思いをきちんと考えてみる時を持ってください。そしてこそ、イースター、復活祭をほんとうにお祝いできると思います。あなたの復活祭を心よりお祈りします。

「全ての人に要請されている最も重要な決断は、心の底からイエスキリストに対する態度を決断することである。
一切のことがそれに懸かっている。」BY ヘンリー・ハーレー


ロサンゼルス(グレンデール)の家の教会で、毎週集まっています。一緒にご飯を食べましょう。心の食べ物も用意しています。えんじぇる田中牧師の聖書メッセージから、生きる知恵と希望を受け取ってほしいのです。 「教会って敷居が高い。。。」と悩んだこがのある方、ぜひ一度おいでください。教会は平和と笑いと聖霊様の満ちるところ。いつでもご連絡ください213-324-6942 / MUTSUMI


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