フィリピンの顔

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マニラ市役所 (Manila City Hall)

2011年01月09日 | 施設お店等ご紹介
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すみませんね。マニラ市役所を表玄関から入る事が少なくて
ご期待の写真が取れませんでした。

マニラ市役所
Manila City Hall


↑ 地図クリックでジャンプ


のっけから廃品回収の写真です。
マニラ市と〔SM〕(Shue Mart)デパートが協力しあって、
リサイクル出来るペットボトルや空き缶等を集めています。

 



 

マニラ空港からマニラ市役所までは、渋滞でなければおよそ30分位です。
車で空港を出て、ロハス大通り(Roxas Blvd.)を右に20分程走ると、リサール公園(Rizal Park)が右側に見えます。 マニラ市街を過ぎた所ですが、その公園からパドレ・ブルゴス通り(Padre Burgos street)を右に曲がると、左にゆっくりカーブしながら、キャポ(Quiapo)や、カロオカン市(Caloocan City)に向かうのですが、リサール公園から日本庭園(Japanese Garden)を過ぎて10分程のその左カーブ辺りに高く大きな時計台が見えます。そこが
マニラ市役所の正面玄関になります。
    
もう一つ、空港近くから【LRT-1】と言う電車に乗ると、タフト通り(Taft Avenue)の上を走って30分位の駅〔U.N.アベニュー駅〕(【LRT-1】 United National Avenue Station)と、次の駅〔セントラル・ターミナル駅〕(Central Terminal Station)の中間位に在る〔S.M.モール〕の前が、
マニラ市役所の裏玄関になります。



今回はこの電車の下のタフト通りを車で走って来て、市役所の裏門と
〔S.M.モール〕の間の【LRT-1電車】高架線の下で「廃品回収」の写真を
掲載しました。

続けて、ユーターンして、右手の市役所裏門前の写真です。


玄関真正面の架橋下の、小さな販売店。タバコ、新聞等。


玄関前から左手です。廃品回収所からガードを潜って来た道です。


これは右手、ガードの向こう側を通って、マニラ市街から来ました。


ハイ、裏玄関に入ります。



玄関を入った所の正面の中庭です。真向かい奥は正面玄関です。

★上の平面写真をご覧になると分かると思いますが、
マニラ市役所は、『 棺 』の形をしています。
西洋風の『棺おけ』みたいですね。
そのせいか、よく幽霊が出るそうです。

そう言えば、幽霊職員に給料を払ってたって噂もありました。(笑)

私は、ここで説明し易い様に『 目 』の形と呼びますね。

そしてこの  の赤い文字そのものが建物で、
中には廊下も階段も、沢山の部屋もあります。

※以後、この建物を「目の字」として説明します。


で、この写真は、「目の字」」の中央の「口の字」の中ですね。



これが時計台の在る、「目の字」の2段目の「一の字」に当たる建物で、
市長さんが居られる所です。

この2段目の「一の字」は、「 -◎- 」と、こんな形で、
中央の時計台「 ◎ 」塔は、八角形で中心が赤い丸「 」です

しかし設計者達は何故こんな形の建て物を作ったのでしょう?




「目の字」の3段目の「一の字」です。
「目の字」の中央の「口の字」底の変の「一の字」の部分です。

ははは... なんかこんな説明は、余計ややこしいですね。


中央の中庭の左手の建物です。

...と言ったほうが早かったかな? ぷっ。




さて、入って来た裏ゲートの丁度2階に当たる所にある部屋。
今日はここに呼ばれて来ました。


イスコ・モレノ副市長のお部屋です。


早朝ですので、まだ副市長は来られてなく、職員も少しだけ。

時間をつぶしに、「目の字」の一番下の「口の字」、
中庭に行って見ました。縦長い「口の字」の部分です。

やっぱ、こう言う説明はややこしい。






中庭で小さなデスカウント・ショップをやってます。


ちょっとした軽食はここでどうぞ。




さて、副市長の部屋に戻ると、来客が大勢集まっていました。



来られてる人の多くは、自治区の長達と、
副市長に援助を求める貧困層の人たち。

週に2日は、副市長の「 ボランティア・デー 」です。


そして奥の副市長の部屋は、市のカウンセラーの方達。

副市長のお部屋です。



マニラ市 副市長 イスコ・モレノ
FRANCISCO "ISKO MORENO" DOMAGOSO


私の右隣は、自治区長の

オージー・ヘルナンデス
Ogie Hernanndez

“Boss Gie”

「ボス・ジー」と呼ばれて親しまれています。

どう言うことか、彼を通じて副市長が私を探しておられたようです。

副市長が主催するボランティア団体と私のグループがタイアップして、
日本人を交えた支援団体を作りたいようです。

私からの資金提供は要らないと言ってますが、
私は最低最悪な貧困生活者で「日本人難民」すから
長い間、お会いするのをお断りし続けていました。



副市長のテーブルには、週に2回、50万から100万円くらいの
札束が重ねられており、「子供が病気」、「身内の葬儀代」
「赤ちゃんのミルク代が無い」等の貧困者に対して、
「ハイ、2000ペソ」、「ハイ、あなたは3000ペソ」と
瞬く間に使い果たしています。

これらの資金は、副市長を支持する中国人の団体からの
「義援金」のようです。




〔BOTIKA NI ISKO〕
〔イスコの薬屋〕という意味です。子供の急な病気、熱や風邪などの薬は、ここに登録するとただで貰って帰れます。


だから週に2度、こんなに人が集まって来るのですね。

帰り際にイスコ副市長のボランティアカーを見ました。



救援物資を運んだりするときに小回りの利く車です。
宣伝効果もありますね。


・次回はこの不思議な美男子、

イスコ・モレノ副市長のことをお話したいと思います。

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