フィリピンの顔

フィリピンの日常や、旅行記、人、観光地、ビジネス、
出来事等を記録します。

人は「導き」が必要な時には、「師」が現れる。②

2010年02月01日 | 日記
世は2月になったのに、Pinoy は未だ去年の話をしている。

来年の話をすれば鬼が笑う。と言いますが、去年の話をしても鬼が笑うのかな?

♪「鬼さんこちら。」なんて鬼を呼んでたら、
とんでもない(優しい)鬼を呼び込んでしまいました。

ここに掲載している鬼さんですけど、
『日本に帰って来い。仕事の話がある。』 だって。


ほんの3、4日ですけど、2年ぶりで、母の見舞いにも行けそうです。

★  ★  ★  ★  ★  ★


ところで、先日の、「その① ~手紙~ 」の記事のことなんですけど、
たくさんの方からメッセージを頂きました。

「Pinoy さん、ご家族の問題、大変ですね。」とか、

「Pinoy さんも妹さんも今とても辛いと思いますが、お母様の快復を祈って頑張って下さいね!」  や、

Issei さんからは、「美しい兄妹愛ですね。」  など...


励ましのお言葉を、た~~くさん頂きました。
本当に、ありがとうございます。

でも、な~んか違うんだなぁ...

私は、看病で苦しんでらっしゃる方々を励ましたかったんですけど、
私の方が励まされちゃった。

やっぱ自分のこの「貧困ブログ」で、私が人を励ますなんてお門違いですかねえ?

私個人の、た~いへんな問題は、
他人事だと思って、笑ってやって下さいな。
結構丈夫に出来てますから...
母も、妹も、弟も、フィリピンの家族も...

それより心配なのは、日本に帰ったら寒いかな? なんて。

2月は如月ですね。
如月は着更着で、衣更着です。
もっと寒くなるから衣を更に着てください。ですね。
うっ!  さぶっ!


ところで、こういうメッセージを“のあ” さんから頂きました。

「お母様大丈夫です!!
ご家族皆さんがお母様を信じて祈り続けていれば少しずつ快復します!!
奇跡って起こるんですよ☆」

これも私たちを励まして頂いたのですが、

この、「奇跡って起こるんですよ☆」の言葉。

この言葉が、私の一番言いたい言葉です。


本題に入ります。

人は誰しも「導き」が必要な時には、その「師」と逢える。② 


★  ★  ★  ★  ★  ★



Tamaraw さんのブログから、偶然(本当は偶然なんてない)“手紙”を見つけ、
看病で疲れている妹にTamaraw さんのブログを見る様に伝えました。

妹との、ネットでの会話を続けます。
(留守中に、妹がくれていたメールです。)


『この詩はどこかで読んだことがあるような、もしかして似たような詩をよんだのかもしれない。
この詩はお母さんの気持ちを表していると思うし、私にも凄く分かるよ。
だっていつもお母さんと接して、お母さんの姿を通して私自身の将来を見ているから。
私の老後に子供達に伝えたい想いと同じだから。


お母さんを毎回トイレに連れて行き、着替えさせたり、足に薬を塗ったり、背中に髪の毛が入ってないか(いつも入っているので痒い)背中をゴシゴシかいてあげるのも毎日の日課でね。いつも2時間位同じことを話したりしてるけど、お母さん喜んで私が来るのを毎日楽しみに待ってるんよ。
昨日も、「あんたのお陰で生きていられる」って言ってくれるから、「お母さんが生きてくれてるだけでありがたいんよ。」って話しました。
「生んで育ててくれて感謝してるから、こんなことするのはほんの少しだけのお返しをしているんだからね。何も心配せんで良いんよ。お母さんは私がずっとそばにいるから安心して」っていつも話してます。
お母さんをこうして私だけが独り占めして兄ちゃんにはちょっと悪いなぁとは思ってるよ。
お母さんが完全に認知症になっても、お母さんの魂はちゃんと私のことが分かっていると信じているよ。
いつもトイレでお母さんのリハビリパンツを上げ下ろししてるけど、何か私には世話が出来ると言うのが楽しいと思えてね。
我が子にしていたことと同じことだから、何も苦にならないよ。
ただ、先日70.4キロだったそうで、重いかなって違いです。


やがて自分も年老いていくことを考えれば、本当にお母さんの気持ちや寝たきりの老人の気持ちが分かるようになって、私には凄い勉強になったよ。
だから、お母さんは苦しくて辛いけど、凄い勉強させてもらってありがとう!って言った事あるよ。』



『fujichan さんのメールはとっても良いねぇ。
凄くありがたいね。
この人、魂がピュアなんよ。
だから兄ちゃんの魂と合ったんよ。


この人の考えたタイトルやサブタイトルは良いよ!
でも、兄ちゃん覚えてる?
私が以前、兄ちゃんは人に出来ない色々な体験を沢山してるから、いつか兄ちゃんは自叙伝を書いたら良いって言ったでしょ?


タイトルはまさに、fujichanさんの言うとおり、これで良いと思うよ。
この人との出会いは生まれる前から決まっていたかも知れないね。
いろんな意味で、運命の人かもよ。


「荒城の月」でお母さんが泣いていた話だけど、それは以前のことでね。今は悲しくないし辛くもないみたいよ。
全ては「時」が解決してくれたよ。
お母さんの場合は特にね。


どんなに裏切られてもいつも時が経てば許してあげてたしね。
あんなにお父さんが大嫌いだったのに、死んだ後は「今度生まれ変わってもお父さんと結婚したい」なんて言ったりね。
そこがお母さんの良い所よ。』

☆ fujichan さんとは、ブログで知り合った友達で、お顔を拝見した事は無いのですが、彼の製作したドキュメンタリーのDVD を送って頂いたり、私に本を書くように勧めてくれています。

☆ 「荒城の月」は、親父が好きだった曲で、病院の同室の女性と、「は~る~こ~お~ろ~お~の~」と死んだ日の朝歌った曲で、
私が帰国した時にいつもこの曲をバイオリンで弾くと、母は泣いていました。
この同室の女性は、偶然にも(偶然なんて無い)今母が入院している同室の女性です。


次の日の朝。

おはよう。
今ね、「ドキュメンタリー」って番組で、樋口了一さんの再放送があったよ。(6時半~7時)
外から帰って来たばかりで、「樋口了一さんの手紙」とか言ってるのでびっくりしたよ。
今年2月からライブで全国40ヶ所以上を介護施設など中心に回ってるそうです。
出演料はないそうで、「手紙の配達人」だって。
歌詞で、「悲しいことではないんだ」と言うところだけが、この樋口さんが付け加えた唯一の歌詞だって。
昨日兄ちゃんから教えてもらい、昨夜涙した歌を今朝、なんと偶然(偶然なんてないと思ってる)に、たまたまつけてたフジテレビで、再放送で始まったばかりなんてね。凄いことよね。
この歌は一生忘れないよ。
この人の声、〇〇さんを思い出したよ。
たぶん性格も似てるのかもしれない。
とにかく今、全国回って忙しくなると思うよ。
では、またね。

☆ 〇〇さんの名前は私が伏せましたけど、30年ほど昔、妹と組んでフォークを歌っていた私の友達です。

そして昨日このブログを見た妹から、


『おはよう。
今、ブログ見たよ。


お母さんと私の話がちょっとオーバーで、
何かおかしくてね。


まずは、「暴れるので両手両足をベッドに縛りつけたまま…」の件だけど、暴れたんじゃなくて、点滴が目障りとか、気になるようで、
無意識の時にただ外そうとするので、両手をベルトで固定されてただけで、両足はしてないよ~。


それから、フィリピンから兄ちゃんが帰って来てるとかで、私がそれを否定して喧嘩したように書いてるけど、喧嘩とかしてないよ~。
私はいつも、「それは、兄ちゃんの魂がお母さんの所に帰って来てるんよ」って優しく話して、お母さんはいつも「そうね、帰って来てないとねぇ」って納得してたとよ~。


それと、お母さんの異常さで私が毎日辛い思いをしてひどく泣いたとか、身も心もぼろぼろだったと思う…とか、
何か私それほどじゃないのに、そんなこと書かれて良いのかな?って恐縮したよ。


何か私、読んでると凄い頑張って、看病や介護してるみたいに聞こえるけど、良いのかな?って思ったよ。


私のしてることはたいしたことじゃないんだけどね。
ただ、寝たきりになるのかと思った時は本当に看護師さんや先生に泣いてリハビリをお願いしたよ。


それと、時々ボケた時は兎に角、毎日足し算や時刻や色々と教えてね。
これは介護士さん達が感心して、「お母さんは幸せ」って言われてた。

時々頑固で恥ずかしいことあるけど、これも私自身凄い勉強になってるし、私の修行なんよ。
私自身の成長にもなるから、まだまだお母さんには色々と教えてもらってるって感じです。
でもこれからの介護とかが、私にとってお母さんから教えてもらう最後の教育だと思っているよ。


まだまだこの先、泣いたり兄ちゃんに愚痴をこぼすと思うし、
迷惑や心配かけるかもしれないけど、
これからも宜しくお願いします。


でも、あんまり大げさに人に言わないでよ。
恥ずかしい~
では、またね。 』


 さて、本題に入ります。

今からが本題なの! いいの! 短いから。エヘン!

 『人は誰しも「導き」が必要な時には、その「師」と逢える。』


これは、子供の頃から頭の中でずっと思って来た言葉で文章にしたことが無いから、どう言い表せば良いのか分かりません。


『誰しも』は、「誰でも」。『導き』は、「道しるべ」「問題の答え」 かな?
『師』は、「導師」「先生」「解決策」等々です。


もっと言い方を変えてお話をします。



人は人生において、


必要に応じて必要なものに出会える。



このブログの、この章で言えば、「Tamaraw さんのブログを見た」「手紙のお話」「fujichan さん」「Issei さん他」「インターネット」

私はずっと、この感覚を大事にしてきました。

私は、本屋さんに本を買いにいくのが趣味ですが、若い時から本屋さんに行くと、棚にたくさん並べてある本を、人差し指で触れながら1~2周歩いて回ります。
その時に指先に妙な感覚がする本を、1冊、2冊、と引き抜いて買って帰ります。
電気が走るような感覚ですが、その本がその時その時代の、自分にとって必要な本だと思って買うわけです。

ある時期は趣味の本、ある時期は占い、ある時期はヨガ、医学、歴史、宗教本など。

人との出会いも同じです。
生まれてこの方ずっと、必要な時に必要な人に出会っています。

だから、どんな人でも自分の導師だと思います。

たとえ相手が子供でも動物でも...

ついでに私の人生観。

無駄なものは一つも無い。

偶然なんて一つも無い。

自分の能力以上の問題は来ない。

 

「無い」という言葉は、マイナス思考の言霊になりますから、
全て良し。
必然。
解決。
などと言葉を換えて考えた方が良いんでしょうね。


宗教で言う「無」、「無欲無心」は凄く大切だと思いますけど、
お釈迦さんが言ったのは、「欲」です。
それも「究極の執着」です。 これは「タンハー」と言います。


“のあ”さんの言われる、「奇跡って起こるんですよ」は本当なんです。


たとえ癌でも治ると思っています。


「究極の執着」で望めば、薬にも医者にも出会えます。



で、なんでPinoy はいつまで経っても貧困状態かって?


神様が私に「もういいよ」って言わないから...


まだ私に大金は必要じゃないって...


だからこの期間、私はたくさんの友達と出会えました。



袖すり合うも多生の縁。


一期一会。  です。


 


「何を馬鹿なことを言ってるのか?」って?


そんなこと言わないでよ。


人と自分を励ましてるつもりなんだから!



 

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コメント (8)
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