昭和天皇はマッカーサーに日本統治のノウハウを教授したらしい 2025/03/31
マッカーサーはユダヤ人ではなく
米国本土内では嫌われもん(白人研究者)
日本統治のトップとして
非ユダヤ人のマッカーサーを派遣するのは
簡単な理由(非ユダヤ人)だとわかります
日本人はここら辺を理解不可能だと思います。
近衛文麿、山本五十六、米国海軍長官スティムソン
すべてユダヤ人。
ユダヤ人繋がりで先の戦争をコントロールしたのだ。
天皇(日本の國體)保持で
双方とも合意していた(田中英道)
Unknown (1983)
2025-03-31 18:47:51
終戦時の昭和天皇は神懸かってたと思うが
⭕️占領以後の対応が⭕️悪い
・『⭕️拝謁記』で再軍備の場合は憲法改正が必要という認識を持ちながらも旧軍と同じものは嫌だと拒否
・日米安全保障条約の肯定
・沖縄に駐屯する在日米軍について永く駐屯していればいるほど良いと発言
占領後の発言は
明らかに⭕️旧軍や⭕️戦死者への⭕️裏切り
昭和天皇は⭕️アジア解放に興味が⭕️無かった証拠になる
⭕️旧軍や戦後⭕️左翼が⭕️反対体制になったのも頷ける
昭和天皇は
マッカーサーの上位Freemasonです。
Freemasonは軍階級制度です
会社ですと
昭和天皇は役員であり
マッカーサーは部長?いや?課長クラスですかね。
昭和天皇 GHQ本部
フリーメーソン昭和天皇は
マッカーサーの上位Freemasonであり
GHQ本部のマッカーサーを13回ぐらい訪問(白人研究者)して
マッカーサーに
日本、日本人の性根(しょうね。気質)を教え、
日本統治のノウハウを教授した
マッカーサーはアドバイスに従って日本統治を行なった。
東京裁判、70万冊の焚書、WGIP洗脳、は、戦争継続の戦争攻撃の一環である事を
我々日本人は知らなければならない。
マッカーサーは
フィリピン滞在(フィリピンを離れる前)に
本部から「昭和天皇は利用する」という手紙を受け取っていた。
マッカーサーには「利用する」という内容は
実は真逆の内容である
日米双方のユダヤ人同士の合意
「日本の國體はいじらない」=國體の保持
が合意されていた(田中英道)
戦争とは国家予算外の出費であり
敵味方双方で話し合いが行われてから開戦となる
我々庶民の預かり知らない領域があるんです。
ましてや戦争中でも停戦の話し合いが行われる
双方合意に至れば戦争終了になるが
ウクライナ戦争は
戦争継続が双方の合意らしい。
『終戦のエンペラー』予告編
https://www.youtube.com/watch?v=N3BAKr32p7k
「終戦のエンペラー」主人公⭕️フェラーズ大佐は裏の任務を遂行するメーソン系工作員だった? (Unknown)
2025-03-30 18:44:13
<ボナー・フランク・フェラーズ(Bonner Frank Fellers、1896年2月7日 - 1973年10月7日)は、アメリカ陸軍の軍人で、最終階級は准将。元々は中東専門のG2(情報[1])将校[2][3]。第二次世界大戦の北アフリカ戦線で、観戦武官として送ったイギリス軍についての詳細な情報を枢軸国軍側に解読され、イギリス軍に悲惨な敗北をもたらしたことで世界的に有名である。この事件でG2将校の任務を外された後、太平洋戦線のダグラス・マッカーサー大将の総司令部へ転属となり、対日心理戦を担当した。
連合軍占領下の日本において昭和天皇の戦犯訴追免除に大きく関与したとされ、
映画『⭕️終戦のエンペラー』の題材ともなった(略)
イタリアとドイツのフェラーズ報告解読
中東専門のG2将校であるフェラーズ少佐は、北アフリカ戦線での戦闘が始まった翌月の1940年10月、駐エジプト視察団の観戦武官に配属され、地中海・中東戦域(Mediterranean and Middle East Theatre)のイギリスの軍事作戦を観察し報告する任務を与えられた。イギリスはフェラーズに彼らの活動と情報へのアクセスを許し、フェラーズは知ったことを全てフランクリン・ルーズベルト大統領と統合参謀本部に国務省の「ブラック暗号」(Black Code)を使って報告した。
しかしイタリア軍事情報部(Servizio Informazioni Militare)がアメリカ参戦前の1941年9月、ローマのアメリカ大使館から暗号書を盗み出して撮影しており、イタリアはヨーロッパと北アフリカにあるアメリカ大使館から発信されるほとんど全てのブラック暗号を使った通信を解読していた。イタリアは同盟国ドイツに対するテコにするため、暗号書はドイツに渡さず、解読ずみの情報をドイツに知らせた。
そのためドイツ国防軍最高司令部暗号部(Chiffrierabteilung des Oberkommandos der Wehrmacht)は独自にブラック暗号解読に当たった。フェラーズ大佐(1941年10月昇進)の電文が、いつも"Milid Wash"または"Agwar Wash"で始まっていたことは("Milid"は"Military Intelligence Division"(陸軍省情報部)の、"Agwar"は"Adjutant General, War Department"の略)、ドイツ側に再暗号加算数(日本海軍では乱数と呼んだ)を使った暗号の解読を容易にし[4]、1942年1月末までにブラック暗号を解読した。フェラーズは同年2月、ブラック暗号の危険性を2回報告していたが、ワシントンが安全と指示したので使い続けた。中東戦域(Middle East Command)最高司令官クロード・オーキンレック大将の総司令部から第一線部隊まで情報を集めて回ったフェラーズは、ワシントンへ1日に5回も報告することがあり、枢軸国軍側は、イギリス軍の兵力、配置、損失、援軍、補給、情況、計画、士気などの最高機密情報を、フェラーズの発信から8時間以内に読むことができた。アドルフ・ヒトラーとドイツアフリカ軍団長エルヴィン・ロンメルはフェラーズの秘密報告を送信2時間後に読むこともあった[5][6][7]。ドイツ側で暗号解読を指揮したヘルベルト・シェーデル博士によれば、「ロンメルは毎日昼食時に、昨晩の連合国軍の配置を正確に知らされたのである」[4][8]。ドイツ側はフェラーズに「良いソース」("Gute Quelle")というコードネームをつけ、ロンメル上級大将はフェラーズを「小さな仲間」と呼んだ。
枢軸国軍は1941年秋以降、イギリス軍の反攻作戦「クルセーダー作戦」で押し戻されていたが、フェラーズ情報が利用できるようになったことで、1942年1月から再び攻勢に出た。ロンメル上級大将が指揮するドイツアフリカ軍団は、17日間で500kmも前進した。イギリス軍はロンメルの進撃を阻止するため、マルタ島にある空軍基地から、ロンメルのアフリカの石油補給線に空襲をかけた。そのためロンメルはマルタ基地からの空襲を取り除かねばならなくなり、マルタ島がドイツ側の主要な目標となった[4][9]。
ドイツ空軍の空襲でマルタ島は食糧と燃料が不足し、5月末までには降伏の瀬戸際に追い込まれた。そこでイギリスは、6月にマルタ島へ大規模な救援作戦を決行することにした。枢軸国軍側の航空兵力の効果を最小限にするために、護送船団はアレクサンドリアからの「ヴィガラス船団」とジブラルタルからの「ハープーン船団」の2つに分けられた。両船団の航行に合わせて、枢軸国軍の艦艇と航空機を無効にするための特殊部隊の攻撃も計画された。しかしこの作戦が準備された時、フェラーズはいつものように、ブラック暗号を使ってワシントンに通信を送った。6月11日付のフェラーズ電第11119号は、ローマとドイツ国防軍最高司令部暗号部の双方で傍受された。同電では次のように書かれている。
6月12日から13日の夜、イギリスの破壊工作部隊が、9つの枢軸国飛行場の飛行機に、粘着爆弾による同時攻撃を計画している。目的地にパラシュートと長距離砂漠偵察隊で到着する計画[10][11]。
イギリス軍と自由フランス軍の襲撃隊は、リビア国境の背後とクレタ島で行動を起こした。ほとんどの攻撃で、襲撃隊は警報を受けた守備隊の正確な砲火に遭って多大な損失を受け、ドイツ空軍に損害を与えることに失敗した。唯一成功したのは、フェラーズの警報が受信されなかったか、無視されたか、不適切に処理されたことによるものだった。一方、両護送船団は発見されて攻撃を受けた。ハープーン船団の6隻の輸送船と護衛部隊は、ジブラルタルを出港した翌日、空中と水上から継続的な攻撃を受け、2隻の輸送船だけがマルタ島に辿り着いた(輸送船2隻と駆逐艦1隻が沈没)。輸送船11隻、軽巡洋艦8隻、駆逐艦22隻などから成るヴィガラス船団は、輸送船2隻、軽巡洋艦1隻、駆逐艦3隻を失い、アレクサンドリアへ引き返した。
フェラーズの情報漏れを突き止めたイギリス
アメリカの暗号は同盟国イギリスも解読していた。そしてフェラーズ大佐が1942年2月18日に「アメリカ陸軍はイギリス軍と同じ戦域で効果的に仕事をするのが不可能であることが分かるだろう」とした暗号通信をイギリスに解読され、イギリス政府はフェラーズを「好ましからざる人物(ペルソナ・ノン・グラータ)」と判断した。ウィンストン・チャーチル首相はその1週間後、ルーズベルト大統領に外交団が使っている暗号の危険を警告したが、上記のようにアメリカ側は何の措置も執らなかった[12][13]。
ロンメル上級大将のドイツアフリカ軍団がニール・リッチー中将のイギリス第8軍(Eighth Army (United Kingdom))に致命的打撃を与える中、イギリス政府暗号学校(現在の政府通信本部の前身)は、4月中旬、ドイツが中東戦域総司令部に深く食い込んでいることを突き止め、間もなくフェラーズに疑いが向けられた。6月4日には、ドイツの暗号解読で得られたウルトラ情報(Ultra)から、「良いソース」がイギリス軍部隊を訪れてアメリカ軍の戦術と否定的比較をしていることが分かり、カイロのアメリカ使節団でブラック暗号を使用している誰かである最終的論拠となった。6月10日、イギリス情報部のトップはチャーチル首相に、ドイツがカイロにいるフェラーズの軍事使節団が使っている暗号を解読し、危ういと報告した。ヴィガラス作戦とハープーン作戦の失敗で、ワシントンは6月14日、カイロ駐在武官の暗号が危ういことを認め、チャーチル首相は激怒した[14][15]。
第2回ワシントン会談の最中の6月21日、ガザラの戦いでドイツアフリカ軍団がイギリス第8軍に勝利してリビアのトブルク要塞が陥落し、守備隊3万3000名が捕虜となった。この落胆の中でチャーチル首相はフェラーズ事件が与えた便宜を理解し、「良いソース」がまだロンメル上級大将に最高機密情報を供給し続けていることを暴露した。この首脳会談の直後、参謀総長ジョージ・マーシャル大将はカイロに緊急警報を送った[16][17]。
ヒトラーとベニート・ムッソリーニはロンメル元帥(トブルク攻略で昇進)に、アレクサンドリアを占領し、中東とその戦略的石油埋蔵量、スエズ運河を枢軸国で管理する命令を出した。ヒトラーは6月28日、「アレクサンドリア占領は、全イギリス国民を激怒させ(シンガポール陥落には裕福な階級しか関心がなかった)、チャーチルに対する騒乱を起こさせるだろう。カイロの米大臣(駐在武官)が、彼の下手に暗号化された海底電信を通じて、イギリスの軍事計画について我々によく知らせ続けてくれることだけが期待された」と熱狂的に発言した。「良いソース」は翌29日から沈黙し、ロンメル元帥は突然、暗闇に投げ出された[18][19]。
アメリカ陸軍省は6月19日、北アフリカ軍事使節団に代わってアメリカ中東陸軍(United States Army Forces in the Middle East)を設置。イギリス情報部からフェラーズ事件の情報を与えられていた司令官ラッセル・マクスウェル(Russell Maxwell)少将は、「好ましからざる人物」フェラーズの配置を終わらせることを求めるイギリス政府の要求を支持して、7月7日、参謀長代理(acting chief of staff)フェラーズ大佐を解任した。その際にマクスウェル司令官は、フェラーズをG2将校とすることは正当化できないと感じるとし、陸軍省に完全な報告をするため、フェラーズの帰国が最も望ましいとした。9日には情報部長ジョージ・ストロング(George Strong)少将がイギリス情報部との機密の相談の後、マーシャル参謀総長に、フェラーズを相談のため帰国させることが大いに望ましいと伝えた。フェラーズがワシントンに戻ると、ストロング部長は情報部の英帝国部門の一時的任務につけた。フェラーズの中東専門のG2将校としてのキャリアは終わった[20][21]。
しかしルーズベルト大統領自身は、マーシャル参謀総長と陸軍省に真っ正面から反対して、イギリス第8軍はドイツアフリカ軍団に勝てそうもないと激しく非難し、北アフリカでの重要なアメリカ軍介入を主張するフェラーズの報告書を真剣に受け止め[22]、チャーチル首相がトブルク陥落の報を受けた6月21日の首脳会談で、アメリカ陸軍数個師団の中東展開を示唆する基礎となった。1942年の海峡横断作戦「スレッジハンマー作戦」(Operation Sledgehammer)と1943年の海峡横断作戦「ラウンドアップ作戦」(Operation Roundup)のためアメリカ軍戦力をイギリス本土に集結させる「ボレロ作戦」(Operation Bolero)を進めていたマーシャル参謀総長はフェラーズの影響力上昇を喜ばず、6月23日の首脳会談後、ルーズベルト大統領に対する秘密覚書に「フェラーズは貴重な観戦武官ですが、彼の責任は戦略家のそれではなく、彼の見解は私と作戦部の見解と正反対です」と書き、イギリスの促す北アフリカ侵攻作戦「ジムナスト作戦」に反対していた[23][24]。
米英首脳会談後、イギリス政府がスレッジハンマー作戦は実施不可能と決定してアメリカ政府に通告した。これに対し統合参謀本部はアメリカの主戦力を太平洋戦線に投入する太平洋第一主義を決定したが、ルーズベルト大統領が拒否。ジムナスト作戦が「トーチ作戦」と改名されて実施され、北アフリカの枢軸国軍を東西から挟み撃ちにした。ルーズベルト大統領はフェラーズに陸軍長官から陸軍殊勲章(Distinguished Service Medal (U.S. Army))を授けた[25][26]。
事件の後、英米軍の司令官の何人か...
Unknown (Unknown)
2025-03-30 18:47:01
(↑コメント続き)
事件の後、英米軍の司令官の何人かはフェラーズを「おしゃべり大佐(Colonel Garrulous)」と軽蔑した。トーチ作戦準備段階からチャーチル首相にウルトラ情報へのアクセスを許されるようになっていた連合国軍最高司令官(Commander in Chief, Allied Force)ドワイト・アイゼンハワー大将(1942年6月23日まで作戦部長としてボレロ作戦を担当[27]。24日にヨーロッパ作戦戦域司令官[28])はカイロ会談の際、フェラーズと交流のあった特殊作戦執行部の女性スパイ、ハーマイオン・ランファリー伯夫人(Hermione, Countess of Ranfurly)に「ボナー・フェラーズのいかなる友人も私の友人ではない」と言った[29][注釈 1][30]。
フェラーズはマーシャル参謀総長の指揮系統にある陸軍省情報部から、統合参謀本部指揮下の戦略情報局(OSS)に配属替えの後、1943年秋、ニューギニア島ホーランジア上陸作戦準備段階で、「好ましからざる人物」と認定されたイギリスから可能な限り遠い南西太平洋戦域(South West Pacific Area)最高司令官マッカーサー大将の総司令部に転属となった[25][31]。OSSでの同僚は、フェラーズを「私が出会った最も激しいイギリス嫌い」と回想している[32]。>
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9C%E3%83%8A%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%82%BA
中東で英軍を敗北寸前に追い込みながら、ルーズベルトやマッカーサーには好まれていた知日派将校フェラーズ。
中東での任務を解任された後、OSS所属となったフェラーズはOSSのダレス機関と接触があった筈。ダレス機関はスイスで日本海軍の武官と接触し、イタリア降伏工作もしていた。
日本海軍は開戦時からスイスにハック博士を送り込みダレス機関とコンタクトしていた。OSSのダレス機関は、フェラーズ大佐を通してマッカーサーの司令部とコンタクトできたはずだ。
栗田の艦隊を反転させたのも、日本海軍の上級司令部がフェラーズを通してマッカーサーと何らかの取引をしたからでは??
そうした因縁で英国から「ペルソナ・ノン・グラータ」と見なされているフェラーズを主人公とした映画が最近になって作られたとしてもおかしくない。勿論、裏のネットワークの影響力が働いたからであろう。
<昭和46年、フェラーズは日本政府から勲2等瑞宝章を贈られた。叙勲推薦書には、彼は、「わが国天皇の大恩人」であり、皇太子殿下の家庭教師として「バイニング女史を推薦して殿下の御教育に貢献した」などの叙勲理由が書かれてあった。>
https://www.kamiyasohei.jp/2013/08/21/4535/
『終戦のエンペラー』予告編
https://www.youtube.com/watch?v=N3BAKr32p7k
Unknown (Unknown)
2025-03-30 20:53:36
第二次世界大戦は計画された
そこではヒトラーやチャーチル、ルーズベルトも
番頭格の人物として使われたに過ぎない
結局の所
彼らはそそのかされた
昭和天皇は戦争が始まることを知っていたが
大きく見れば
ヒトラーも日本の陸海軍もペテンに掛かったのだろう
「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」原爆死没者慰霊碑
クリスタルチルドレン
https://www.youtube.com/watch?v=Kpt9ymDX39w
グーグルから広告を剥がされるらしいね…。
新世界より
http://fromnewworld.com/archives/2563
YouTubeから削除された動画の字起こし版
ただ、「んチクワ」系の噂話は徹底的に取り締まるくせに、他の陰謀論は野放しじゃないですか。いや、野放しどころか、グルグル愛はインプレッションしてますよ。
つまり、ビックテックのAI的には、同じ陰謀論でも、「んチクワ」系の陰謀論は絶対に許さないけど、他の陰謀論なら逆にどんどん広めてもいいっていう方針なんですね。
やれ不正選挙だとか、リンウッドやパウエルが何を言ったとか、バチカンがDSの中心だとか、ローマ教皇が逮捕されたとか、トラさんが世界緊急放送をやるとか、ケネディジュニアが生きてるとか、ホワイトハウスの地下から大量の子供たちが救出されたとか、そういう話なら、いくら流していいんですよ。こちらのほうはプッシュしますよと。
逆に、私が「それはフェイクニュースだ」と言ったら、広告を剥がされるんですよ。なぜか、「それは事実ではない」と指摘する人のほうに、グルグル先生はお仕置きをするんですね。
私は間違いなくブラックリストに載ってます。だいだい、私の運営するサイトの一つがTwitterで引用できないんですよ(*当サイト「新世界より」のことです・笑)。
http://fromnewworld.com/archives/2493
ロスチャイルド家の祖マイヤーの妻グトレは毎朝複数の新聞を読み、息子たちに指示を出していた。グトレはロスチャイルド家で唯一、事業に直接関わった女性だと思われる。「今日の風呂掃除はネイサン担当な」みたいな指示だったら違うけどもw
https://x.com/Yotsubach242/status/1511669961412210688
因みに日本と言う国は則天武后の国である。ところどころにそのヒントが隠されている。 則天武后の天皇と言う称号は、唐から武周になった時だけ、以降は皇帝という。日本はそれを受け継ぐ。老子の道教=唐王朝、武則天は仏教を重んじ、朝廷での席次を「仏先道後」に改めた。
帰ってきたネズミさん @XNezmy
パロディアカウント
白いウサギと言えば古事記にある「因幡の白兎」で、これは酒井法子と似て、ワニを騙すが、うさぎを助けた時、底辺にいた人物「大国主」の運命を変える。
これを「トリックスター」という、
http://digitalword.seesaa.net/article/123952286.html
帰ってきたネズミさん @XNezmy
つまり、天照(則天武后)のトリックスターは、唐から逃げてくる中、日本(八十神)に嫌われ、いう事を聞く「大国主」を見つけ、結婚させ無理やり天皇にした。大国主をその戦いの前線に立たせ、最後に「地上界=日本」で自分の国を造った。
2、天照に武則天を描く
http://www7.torichu.ne.jp/~landp21/koj-2.html
則天武后(武則天)は天照大神か?
https://chicchic88.exblog.jp/33473479/
「武則天」を見れば、金印「委奴国」の読み方が分かる
https://lunabura.exblog.jp/31312438/
金印「委奴国」の読み方
今、福岡では中国ドラマ「武則天」があっています。
昼の12:00からです。(テレQ)
武則天とは則天武后のことですが、唐の時代に皇帝になった女性です。
どうやら、今まで皇帝として見られていなかったため、今見直しがあっているようですね。
武則天は唐の太宗と高宗という二人の皇帝の妃になります。
二人目の夫の高宗の実名が「雉奴」(ちぬ)です。
「武則天」を見れば、金印「委奴国」の読み方が分かる_c0222861_15434429.jpg
(武則天と雉奴)
1 「奴」は大きいという意味の好字
「奴」が皇帝の子の名前に付けられています。
日本人は「奴」といえば奴隷をイメージしますが、他に「大きい」という意味があります。
「雉奴」の「雉」には鳥のキジの意味と「土を築き固めた城の垣根」という意味があります。
ですから、「雉奴」という名には「大きい城の礎(いしずえ)」という意味が込められているのが分かります。
「奴」は好字なのですね。だから皇太子の名前に付けるわけです。
別の映画の話ですが、唐の玄宗皇帝が死んだ楊貴妃の形見を入れた小袋を見つめるシーンがあります。その小袋には「玉奴」と書かれていました。
「大きい宝玉」という意味になります。これも良い意味で付けられた例です。
2 後ろから形容詞が付く
「雉奴」や「玉奴」を見ると、「大きい」という形容詞「奴」が後ろに付いています。
これが金印の読み方の手掛かりになります。
3 「倭奴」の奴は「ぬ」と読む
金印の「漢委奴国王」の読み方について考えましょう。
「委奴国」は上の例から「ゐぬこく」と読むことが理解できます。
これを「ゐどこく」と呼んで伊都国だという研究者がいます。
さらには「奴」を「ぬ」と読む例は無い。「ど」としか読まない、と豪語する研究者もいます。
しかし、読み方は中国人に聞くのが一番です。
以前、黄當時氏が「ぬ」と読むと説明された話を書きましたが、テレビドラマでも武則天は「雉奴」を「ちぬ」と呼び、「ちど」とは呼んでいません。
金印は中国人が造った物ですから、「倭奴国」の「奴」は「ぬ」と読むのが正しいわけです。
今では「奴山古墳群」が世界遺産になったので「奴」を「ぬ」と読むことが知られるようになりました。
「奴山」は「どやま」ではなく、「ぬやま」と読みます。
「奴」は「大きい」という意味ですから、「奴山」とは「大山」という意味になります。
ちなみにそこにある山は「大石山」です。
いや、「匈奴」は「きょうど」と読むではないか、という方もいますが、これは日本読みです。
中国では「シャオンヌ」という雰囲気の発音をします。
もう一つ、国の名前「奴国」も「どこく」とは読みませんね。
「ぬこく」が古来の発音で、のちに「なこく」と音韻変化しました。
「奴国」は「大きい国」という意味です。
よって、「委奴国」は「ゐぬこく」と読み、「大きい倭」という意味になります。
「倭」を「和」に変えると「大きい和」すなわち「大和」となります。
スサ地方には、古代イランの遺跡であるスサと、山口県北東部の旧須佐町(現萩市)の須佐があります。
【スサ(古代イランの遺跡)】
イラン高原西南部にある遺跡で、古代イラン文明の中心地のひとつ
前12世紀にエラム人が王国の都として建設した
前640年にアッシリア帝国のアッシュール=バニパル王によって破壊され、エラム王国も滅亡した
【須佐(山口県北東部の旧須佐町)】
山口県北東端に位置する日本海沿岸の町で、須佐之男命の伝説にちなんで名付けられた
2005年(平成17年)3月6日、市町村合併により新しい萩市の一部となった
古くから風光明媚な地として知られており、須佐ホルンフェルスや須佐湾遊覧船などの観光スポットがある
須佐男命いかなどの地域ブランド名がある
縄文エリー
2024年4月1日 23:41
https://note.com/jomonpeace/n/n365db02cefdb
縄文時代に諏訪の地で文明を築いたのは「ツクヨミの一族」だったの?
https://ameblo.jp/guide-dragon/entry-12870600300.html
十二支は日本製
https://es-materials.com/jomon/J4_tatsu-2.php
十二支の辰はもともとはサメだったと考え、縄文人とサメの関係に調べました。 その結果、縄文人にとってサメは非常に身近な動物で、日常的に食料として捕獲していたことが分かりました。 各地の縄文遺跡には、サメの歯を加工した装飾品が多く出土しています。 サメ漁は当時でも危険でしたので、サメの歯の装飾品は漁師の勇敢さを示すものだったと思います。
https://www.youtube.com/watch?v=cJap5jxLPzc
https://www.youtube.com/watch?v=T-_B5mhCf3Y
変に持ち上がるか、否定的になるか
どっちかでしかないんだよな…。
【古代の謎】ヤマトからの支配を拒んだ古代東北民族・蝦夷(エミシ)の真実がヤバイ
https://www.youtube.com/watch?v=35fmiq30j6w
【裏日本】真実の歴史の鍵を握る東北の英雄〝アテルイ〟の真実
https://www.youtube.com/watch?v=atg_r3PFf9I
【禁忌】東北に逃げた神々の秘密は「八咫烏」が握っていた!全ての謎が一つになる衝撃回…
https://www.youtube.com/watch?v=Rd99u6EERrI
【削除覚悟】絶対に紐解いてはならない〝もう一つの日本〟
https://www.youtube.com/watch?v=QW_aDR1V3A0
【ゆっくり解説 】古代日本「多元王朝説」
https://www.youtube.com/watch?v=b9BhdQu2o9g
「中南米のオルメク文明には、黒人をかたどった彫刻があるが、これは倭人によって連れてこられた黒人であると考えられる。」
多元王朝説 wikiペディア
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%9A%E5%85%83%E7%8E%8B%E6%9C%9D%E8%AA%AC#:~:text=%E5%A4%9A%E5%85%83%E7%8E%8B%E6%9C%9D%E8%AA%AC%E3%81%AF%E3%80%81%E5%8F%A4%E4%BB%A3,%E5%AD%98%E5%9C%A8%E3%81%97%E3%81%9F%E3%81%A8%E3%81%99%E3%82%8B%E4%BB%AE%E8%AA%AC%E3%80%82
多元王朝説は、古代および中世の日本列島には複数の王朝と大王が並立・連立して存在したとする仮説。
海外王朝
倭国の版図は海外にも広がっており、日本列島外の倭人も独自の王朝をきずいていた、とする。
豪州
オーストラリアの先住民である黒人は『梁書』に出てくる「海人」である。尚、『梁書』では倭人が海人を食用にしていたと記されているが、これは古代にも人種差別があった証拠である。中南米のオルメク文明には、黒人をかたどった彫刻があるが、これは倭人によって連れてこられた黒人であると考えられる。