ビギナークリスチャン♪シズコの縁側

クリスチャン歴18年、うつ状態歴27年をむかえたけど未熟or発展途上?悩み満載!生かされて感謝♪クリスチャンブログ。

恩師A先生の逝去

2010年05月30日 | わたしの好きなひと
だから、主にいやしていただくために、罪を告白し合い、互いのために祈りなさい。正しい人の祈りは、大きな力があり、効果をもたらします。
新約聖書:ヤコブの手紙5章16節



はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば多くの実を結ぶ。
新約聖書:ヨハネによる福音書12章24節



祝福されよ、主に信頼する人は。
主がその人のよりどころとなられる。
彼は水のほとりに植えられた木。
水路のほとりに根を張り
暑さが襲うのを見ることなく
その葉は青々としている。
干ばつの年にも憂いがなく
実を結ぶことをやめない。
旧約聖書:エレミヤ書:17章7節~8節



今朝、新聞の山形県内のお悔やみ欄を読んだら、真っ先に同じ山形市在住で、私が中学校で3年間英語を教えて頂き、主任でいらしたA先生の訃報が載っていました。
新聞を見たとたん、私は頭が真っ白になりました。

「うそだ。A先生のわけがない。名前の漢字が一字違ってる。こんな難しい漢字じゃなかったもの。でも、この住所は、A先生のだ。まさか?そんな?」

私は真っ白な頭で、タウンページをくって先生の名前を探しました。
同じ住所で、その名前は山形市にお一人しかおられませんでした。
「これ、読売新聞だべ?山形新聞見てみたら?」の家族の声。
山形新聞を見てみたら、間違いなく、懐かしいA先生のお名前でした。

A・R氏 住所○○。29日(逝去)。79歳。葬儀は1日午後2時○○にて。喪主:長男B氏。

A先生が亡くなった!私の大好きなA先生が本当に亡くなったんだ!

A先生から英語を3年教えて頂いたから、私は英語の道に進めたのに!
A先生のようなあったかい先生になりたいと思ってたのに!
父の葬儀にもいらして下さったA先生!
私の結婚式にもいらしてくださったA先生!
離婚の時にも、欝の時にも慰め、励ましてくださったA先生!
13歳でお会いしてから43歳の今日まで
何度も「A先生~」と電話したり、ご自宅までお伺いして遊びに行ったA先生!
いつも温かい笑顔だったA先生!
良いことは良い!悪いことは悪い!と
はっきり筋を通して心と身体で教えてくださったA先生!

そのA先生が亡くなった!

信じられず、自分でも信じられないほど涙が滝のように流れました。

「お葬式の前に、火葬になる前に、ご遺体にお会いしたい。そうしなくちゃ一生悔いが残る」

その思いに駆られ、私は、電話をし、今どこにご遺体があるか探しました。
ご自宅は誰も出られず、葬儀をする○○ホールに電話しました。
ご遺体は○○ホールの所属のある控え室に安置されていることがわかりました。
実を言うと今日、私は礼拝で献金当番で、その後は婦人会があり、その後にはこの間ブログに書いた英会話教室の第一回の話し合いがありました。
その上、一昨日からぎっくり腰と頭痛、激しいヒステリーが続き、今日は礼拝は休もうと思ってました。
けれど、そんなこと言ってられなくなりました。
私は、とにかくA先生のご遺体に会いに行こう、その後で礼拝にも行こう、と思いました。
英会話教室に携わるのを、このところの体調の悪さのせいにして、私はおじけてました。
けれど、A先生が亡くなったことを知った時、私はA先生から

「シズコ、何をおじけてるんだ!?シズコ、恐れるな!せっかくの大好きな英語のチャンスを頂いたんじゃないか?おじけるなんてシズコらしくないぞ!」
と、A先生の温かい声で励まされた気がしたのです。

その時思い浮かんだ聖書の言葉が上に書かせていただいた

はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば多くの実を結ぶ。
新約聖書:ヨハネによる福音書12章24節

でした。

本当にA先生の死をお聞きしたことで、教会で今度始まる英会話教室のボランティアとして使って頂きたいと言う決心が、やっと私はつけたのでした。

とにかくまず、教会員のKさんにお電話をして「恩師のA先生が亡くなった事、どうしてもご遺体にお会いしたいので、その後礼拝に行かせて頂きたいこと」をお話し、短く祈って頂きました。その後、母と一緒に、A先生のご遺体に会いに行きました。

お部屋には懐かしいA先生の奥様、喪主の息子さん、二人のお孫さんが弔問の接待にあたっておられました。
ご挨拶をしたとたん、涙が流れました。
「シズコさん、お父さんの顔見てあげて。喜ぶから」との奥様の声。
ガンで亡くなられたと言う先生のお顔は、私は最初、涙で見えませんでした。

ただ、お顔を見つめて「A先生!A先生!A先生」と泣きじゃくりました。「A先生、いいお顔をなさってる」と母の声が聞こえました。
ひとしきり泣きじゃくってから、先生のお顔を見つめました。
抗がん剤のせいで、髪をそられたというA先生のお顔は、最初別人のようでしたが
じーっとお顔を見つめると、やはり懐かしいA先生でした。
40分ほど、ゆっくり先生とお別れをさせていただきました。
自分でも馬鹿みたいに涙が溢れ、思い出が溢れました。
"Good morning,class"と初めて習う英語で挨拶を初めて授業をなさるA先生
"Good morning,Mr.A!
"How are you?"
"Fine,thank you,how are you?"と私たち生徒。
"You know me."(あなたはわたしを知っています)と言う英文を教えてくださる時
「ユー・ノウ・ミー。つまり『湯のみ』だ」と大真面目でジョークを仰るA先生
その大真面目な顔でジョークを仰るA先生に大笑いした私たち。
授業の最後も必ず
"Good bye,class"
"Good bye,Mr.A!"で授業を終わられたA先生!
A先生、シズコは30年前に先生から教えて頂いた事を、こんなにはっきり覚えてますよ!
楽しかった!A先生に教えていただけるのが嬉しかった!
3年間ずーーーーーーーーっと英語を教えていただけるのが嬉しかった!
A先生、初めての中学校の「教員雑感」には「house と home」と言うタイトルで書かれましたね?
私、覚えてますよ。
先生は、こうお書きになったんです。



初めて英語を習う生徒の顔は輝いていて、勢いこちらも真剣になる。ある時生徒に「houseとhomeは同じか?どちらも英語辞典で調べたら同じだと書いてあるが?」と聞かれた。私はとりあえず「同じである」と答えたが、はて、実際同じであろうか?・・・・中略・・・house(家)は建てられるがhome(家庭)はそうはいかない。homeは縄をなうようにじっくり築いていかなければならない、と改めて思わされた次第である。




ね?A先生、だいたいこんなこと、お書きになったんですよ?当たってるでしょ?
わたしね、最後の「homeは縄をなうようにじっくり築かなくてはならない」の文を読ませていただいた時、「あーあったかいなあ。A先生らしいなあ」って思ったんだもん。シズコよく覚えてるなあってほめてくださるでしょ?

A先生!もう一回シズコの頭、なでてほしかった

その後、母に送られて教会に行きました。
まだ車の中でぐしゅぐしゅ泣いていたら、母に
「涙をふきなさい。教会では涙はふいたほうが良いと思うよ」と言われました。
「本当にそうだ。これは私事だもんな」と思い、涙をふきました。

時間はもう11時半近く。「あーもう献金は間に合わないなあ」と思ったら
教会に着き礼拝堂に入る時、婦人会のTさんが「まだ献金終わってないよ。大丈夫よ。」と声をかけてくださいました。
そっと礼拝堂に入ったら、岡先生がメッセージをなさっていました。

メッセージが終わり、岡先生が祈られ、それぞれ個人で祈るの時、私はまた涙が出そうになりました。その時、急いで今日の岡先生のメッセージの聖書箇所マタイによる福音書12章33節から37節を読もうとしたら、33節の次の聖句が心に飛び込んできました。イエス様が語られた言葉です。

「木が良ければその実も良いとし。木が悪ければ、その実も悪いとしなさい。木の良し悪しは、その実の結ぶ実でわかる」

この聖句を読んだ時、「あー木がA先生だ。私は実だ。泣かないで、しっかり献金当番しなさいってA先生がおっしゃってる」そう思ったんです。

お陰で献金当番を無事させていただくことができました。
最後に歌う讃美歌「主の祈り」も精一杯歌いました。

礼拝の後、岡先生、好美先生はじめたくさんの婦人会の方が「良く来れたね。来られて良かった。恩師の先生と良いお別れができて良かったね」と声をかけてくださいました。

その後、婦人会、英会話教室の打ち合わせ。全部参加させていただきました。

母にまた迎えに来てもらい、お葬式のストッキングを買ってから、松波チャペルの夕拝に今度は自分で運転して行きました。
今日だけはちゃんと、礼拝で聞けなかったメッセージを夕拝で聞きたかったんです。

讃美歌を歌っていたら、疲れと気が緩んだのか、とうとう私は、ポロポロ涙が溢れてしまいました。歌えなくなってしまいました。でも、皆さんの前で「感謝な事は、とても悲しかったけど、恩師のA先生が亡くなられ、最後のお別れをできたことです。」といえました。

その後、好美先生がメッセージをなさいました。その中で、新約聖書のヤコブの手紙5章13節をお読みになりました。その時、ふっと私の目に入った聖句が一番上の

だから、主にいやしていただくために、罪を告白し合い、互いのために祈りなさい。正しい人の祈りは、大きな力があり、効果をもたらします。
新約聖書:ヤコブの手紙5章16節

でした。

今日一日を振り返り、決して体調が良くない私が、夕拝にまで出られたのは、神様、そして皆さんのお陰だと思ったし、やっぱり悲しかったので、岡先生に祈ってもらいました。

そして、無事家に帰って、今こうしてブログを書かせてもらっています。
すごく疲れたけど、どうしてもA先生のことを書きたかった。皆さんにA先生のご遺族と私の慰めを祈って頂きたかったから・・・・

ここまで書かせて頂けたのは、一番最後の聖句を握り締めたお陰です。
南部教会で洗礼を受けてからずっとお世話になってきた婦人会のYさんにペンテコステのお祝いに頂いた聖句です。

祝福されよ、主に信頼する人は。
主がその人のよりどころとなられる。
彼は水のほとりに植えられた木。
水路のほとりに根を張り
暑さが襲うのを見ることなく
その葉は青々としている。
干ばつの年にも憂いがなく
実を結ぶことをやめない。
旧約聖書:エレミヤ書:17章7節~8節

お陰さまで、書けました。こんな長いブログを読んでくださったあなたに、心から感謝いたします。

明後日、A先生のお葬式です。午前に火葬で、午後2時からお葬式です。
私たちに一生懸命教えてくださったA先生を、心を込めて天にお送りしたいと祈ります。
私が心を込めて、祈りを込めてA先生をお送りできるよう、お祈りください。

そしてどうぞ、A先生のご遺族への慰めをお祈りください。
そして、A先生が、天国でゆっくりお休みになれますようお祈りください。

本当に、今日はここまで読んでいただいてありがとうございました。
私も、ここまで書けて嬉しい。
そして、最後に

A先生、ありがとうございました。
神様、A先生に出会わせてくださってありがとうございます。
A先生をどうぞ、天国でゆっくり抱きしめてくださいますように。

追伸:写真のタンポポの綿毛は、先週行った西蔵王で撮影しました。
A先生は、このタンポポみたいな先生でした。
A先生、きれいでしょ?天国からご覧になってくださいね。





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