ビギナークリスチャン♪シズコの縁側

クリスチャン歴18年、うつ状態歴27年をむかえたけど未熟or発展途上?悩み満載!生かされて感謝♪クリスチャンブログ。

不安定な心身の日々、地獄のような過去

2010年12月13日 | 病気・鬱・糖尿病など
あなたは激しく憤り
わたしたちを全く見捨てられました。
旧約聖書:哀歌5章22節


先週の水曜日に風邪をぶりかえし、金曜日糖尿の血糖値検査に行ったら、ふらふらするので、内科のドクターに診察してもらったら思ったより症状が重く「明日は一日静養する事」と言い渡されてしまった。明日と言うのは土曜日で、キッズブラウンがある日だし、「まきば」のクリスマス会の後、村山市で開催された青森で「森のイスキア」を主催されている佐藤初女さんの講演会を聞きに行きたかったのだが、キッズブラウンだけにして全部キャンセルして寝てた。キッズブラウンも本当は休むように言われたのだが、「これは仕事なので休むわけには行かない」と食い下がって、「なら点滴して行きなさい」とすぐベッドで点滴をしてもらった。このとき私は(事情は言えないが)精神的にもう爆発寸前だったので、このドクターの提案がひどく嬉しかった。

点滴をしながらぼろぼろ泣いた。
この頃私は泣けなかった。とても泣きたいのに泣けず笑ってまたピエロにならざるを得ない状態だった。昨日から今日にかけて私は堰を切ったように号泣した。

そんな時慰めてくれるものは、何も無い。
「御言葉(=聖書の言葉です)」と書けば、いかにもクリスチャンブログらしくて良いのだろうが・・・まあ、詩編30編6節には慰められた事だけは告白しておこうか・・・もう今日は頭が真っ白。感情もめちゃくちゃな、辛い辛い一日だった。風邪もぶりかえしたので、一日ほとんど食べずに寝てた。寝るときに半錠だけ安定剤を飲むのだが、体は正直なものだ。夢でうなされた。夢の中でお金を払えと催促される。明日行くコンサートで指定席なのに、別の人が座っていたり、散々だった。今私はひどく辛い。そして働けないので焦っている。お金を稼げないと言うのは血のつながった家族と暮らしていてもひどく惨めなものだ。
お金は必要だ。これは誰がなんと言おうと、ここにはっきりと書いておきたいと思う。

特にきつかったのは、母との口論した時、フラッシュバックのように、結婚して舅姑と同居していた時、仮面をかぶったようにして舅姑の言う事には何でも「はいはい」と従って、いつもびくびくしていた精神衛生上きわめて不健康な時を思い出して、体が震えて頭がパニック状態になってしまった。私は実の母と弟と同居しているのだが、特に母に対してパタンと心を閉じてしまい、意識的に能面を被ったようにしか今接する事ができない。
これは嫁時代、舅姑に逆らえない時身に着けた悲しい習性だ。

舅姑に対し、同居する場合は嫁は絶対服従である。簡単に言えば、「姑が『カラスは白だ』と言えば、嫁は『そうですね』と相槌をうつぐらいの覚悟が無ければ、絶対同居なんてできっこない。これを貫かなければ同居は地獄と化す。私はこの地獄を三年間体験したからよくわかる。

結婚して長男の嫁となり、最初に言われた言葉が
「あなたの一番の仕事は跡継ぎを産む事」だった。
ひどく、惨めだった。泣いた。
もともと生理不順の私だったので、月経の時期が近づき、その気配がないと「今度は妊娠したかも?」と、不安と期待のない交ぜの気持ちで毎月を過ごしたものだった。で、ある日、月経が来た朝、私は悲しくて、泣いてしまった。泣き顔のまま台所に行って、姑であるひとに泣き顔で挨拶をしたら「どうしたの?その顔」と言われ、「また、生理になってしまったんです」とすがるように言った。彼女の答えはこうだった。「そんなことで、いちいち泣かないで」

私の中で、少しずつ、何かが壊れていくのを感じていた。
それ以来私は決して嫁ぎ先の家では泣かなくなった。どんなに悲しくても心で泣いても顔では泣かず、笑顔を作った。笑顔は能面のように私の顔に張り付いた。今の私の顔はそれ。
泣きたい時は、通勤帰りの車を路肩に止めて、思いっきり泣いた。長い時は1時間近く泣いて、顔を直して(メイクをしなおして)笑顔を作り嫁ぎ先に帰った。
嫁とはそういうものだ。あのときの日々を思い出すと、私は今でも悲しくて惨めで涙が溢れる。

あるクリスチャン雑誌で「嫁と姑特集」をやっていたので、おもしろそうだったので呼んでみたが、悪いけど私はせせら笑ってしまった。「大賞を取った、ノンクリスチャンの姑との激しい戦いの末、長男のクリスチャンの嫁の導きでその姑はイエスを受け容れ、仲良く主に合っての姉妹となった」という話以外は、全くの奇麗事で、読んでいて私は「うっそくさー」と鼻で笑ってしまった。

教会のクリスチャンホームの方々はこういったらなんだけど、舅姑と同居なさってない方が圧倒的に多いように思われる。なんとお幸せな事よと思う。
一度舅姑さんと24時間同じ屋根の下に一ヶ月暮らして御覧なさい。
あっという間に地獄と化すから・・・。

「ルツ記」を読め。と、言うクリスチャンの方の声が聞えそうな気がする。
でも、私はあえて反論したい。「ルツ記」は、理想だと思う。
はっきり私は断言する。舅姑と別居しているのなら、「良い舅姑」にきまっているし「良い嫁」に決まっているのだ。私は三年間、長男の休暇の嫁として勤めたが、私にとっては一生涯で一番の地獄の日々だった。詳しくは今は書かない。私の母も長男の嫁で姑と同居したし、舅姑と同居している友達は、皆揃って同じことを言う。「同居してなきゃ良い舅姑に決まってるよね。同居してたら喧嘩しなくちゃやってけないよ」と。

全く全面的にこの意見に賛成である。舅姑問題はきれいごとではない。現実である。


ちなみに今度私が来世、で生まれたら、長女に生まれるのはまっぴらだ。(私は長女だ)
責任の重さに耐えられない。また長男の嫁も同居もまっぴら。これははっきり書いておきたいと思う。誰があんな地獄をまた体験したいと思うか。今、私は、自宅に居てもその事がフラッシュバックして、震えと恐れにさいなまれ、頭がんがんしている。風邪は治らない。
こんな時は耳栓をして、一人っきりになれるお風呂や、家族が寝静まった後、泣き声を殺して泣く。こんな私が、私はとてもみじめで、かわいそうでならない。
信仰も大事だ。
でも、お金が無いのは、血のつながった家族と住んでいても、みじめで、立場が無い。

今日はこれを書かないと、眠れない気がしておきて来た。
明日私は鋏を買う。わけは言わない。
今日のブログにはノーコメントです。
私の精神状態が良くなるように祈ってください。
今、心も体もバランスを崩しかけている一歩手前に来ています。
どうぞお祈り下さい。

追伸:最近、またヘンリ・ナウエンの「我が家への道」を読んでいます。ぱらぱらとしか頭に入らないけど、カトリック独特の静けさと苦悩、そして落ち着いた晩秋のような暗さ、深みがあって落ち着きます。
(なんでプロテスタントの書物はヘンに明るく単純なんだろう?と私は思う。)

追伸:これでも私はクリスチャンです。
でも、私みたいなクリスチャン、嫌いな人多いだろうな・・・でも、最近、それでも良いやって開き直るかなと思ってる。
だって、イエス様だけは私を愛してくださるから・・・

今日は一日、こんにゃくゼリードリンク一本だけで過ごしたので、夕方5時に朝ごはん、その後夕ご飯、その後今、ビスケット、耳パン、チョコレートと手当たり次第にに食べてます。美味しいかって?ぜんぜん!寂しさを紛らわすために食べてるんだもの。ただ詰め込むだけ。

久しぶりに生きる気力がなくなって、死にたいなと思った。

私に生きる希望を神様が与えてくださるようにお祈り下さい。
今はキッズブラウンに対する責任があるから死ねないからね。
でも、今、何も希望がなくクリスマスを迎えるのは・・・・辛いね。

おやすみ。

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