岩田家のガラス芸術 BLOG 岩田の事

炎の贈り物 藤七・久利・糸子が織りなす岩田家のガラス芸術

川端康成 藤七への言葉 「火中蓮」

2021-11-10 23:00:00 | 藤七への言葉
川端康成と親交篤かった藤七は、日本の文化に分野を越えて造詣深い氏を
大変尊敬しており、しばしば鎌倉の家を訪れていました。

1972年5月に講談社から発行された「ガラスの芸術岩田藤七作品集」には、
同年4月に逝去した川端康成からの手紙を序文に引用しています。


序にかえて
 
火中蓮は
奇なる哉火中蓮華生ずとの佛語 出典はちょっと忘れました あるはずの
ない事 あるひはあり得べからざる事が生じる つまり奇蹟かと解せられ 
やきものガラスなどにも通ふところある言葉と思へない事もなさそうです 
一休には(二人比丘尼)次のやうに用ゐた例もあります
男はおとこのまま 女は女のままにて此身をも この心をもこれなきこと
を知りて五慾のなかにてのぞむ所なく修行するを 火中の蓮華にたとえて 
善男善女人と佛はこれをほめたまふ    九月十五日    川端康成
岩田藤七様


 四月十六日、夜来の雨晴れ、この春荒れ多し。晴れ間をみて鎌倉近代美
術館に、不思議な画家、ブリューゲルの版画を見る。皮肉といわんか、現
代を諷す。大佛邸に立寄る。今日は流鏑馬の日なるにより、雑踏甚しく、
面会日でないゆえに、川端邸訪問を遠慮す。
 七里ヵ浜にはや裸体の子供たちとマリーナを望む。土方、狩野両先生を
訪ね、夜十時帰る。臨時ニュースで川端先生の自殺のことを聞いた。
七里ヵ浜に立った時が、昇天の時とは思わなかった。私自身にとっても用
もなくなり、きたない身体で恥多き老醜よりは、死もまた愉しい。
 十七日、講談社の松井氏より文藝春秋の四十七年二月、創刊五十年記念
号に川端先生の「夢幻の如くなり」の文章がのっていることを聞く。先生
の遺書ともいえる内容のものである。その最後に「火中の蓮華」の章があ
り、つぎの文章がのっている。

 友みないのちはすでにほろびたり
 われの生くるは火中の蓮華
「火中に蓮華」という仏語を、私のいのちにたとえるのは少し勿体なくて、
いずれは天罰を受けるであろうかと思う。

 川端康成先生の冥福を祈る。
  昭和四十七年四月十七日
                             岩田藤七
 

大佛次郎 藤七への言葉 「日本的な独創」

2012-02-08 14:34:45 | 藤七への言葉
「鞍馬天狗」の作者として知られる大佛次郎氏(1897~1973)は、
現代小説、歴史小説、ノンフィクション、さらには新歌舞伎や
童話などまで手がけた藤七と同世代の小説家です。1964年に文化勲章受章しました。

藤七とは大変懇意で、美術・文学はもちろん、歌舞伎や舞踊など広い世界を共に
楽しんむ、猫と鎌倉を愛する長身の紳士でした。

この文章の掲載されている、作品集の刊行世話人代表でもあります。


「日本的な独創」  大佛次郎 1967年毎日新聞社発行「岩田藤七ガラス作品集」より

 つい昨日までの日本の生活では、ガラスの器は夏の季節につながっていたようである。
梅雨が明け、青すだれで外の日射を防ぐ頃になって、土蔵や戸棚の奥から持ち出され、
箱をひらき被布を除かれて、透明で涼しい、それこそ夏の姿をあらわした。欧米生活の
四季の感覚が薄く、厚い壁の中で営まれていた日常とは、自から扱い方が違っていた。
日本でも、冷暖房が発達した現代とは感じ方も異なる。それに、何としてもギヤマンには、
日本で作られても、いつまでも舶来のよそよそしさが付きまとっていたものだろうか?
 正直に言って私は、ガラスには冷淡であった。古い日本の切り子ガラスは、美しいが
どこか不粋な重々しさがあるようであまり好まなかったし、バロック風の装飾の手が
こんだ西洋のものも好ましいとは思わなかった。つまりは、物をみていなかったので、
ヴェネチアへ行っても、サン・マルコの広場を囲む店の飾窓に、葡萄酒色の美しいガラス
器が飾ってあるのを見ても、特別に入って見ようとも欲しいとも思わなかった。ただ
日本にいて偶然に手に入れた中国の乾隆硝子の卵黄色の小さい壷には、珍らしく愛着を
覚えた。器械的でない輪郭の、目に暖かい円味と、美人の肌に触れるような手ざわりの
柔媚さに、西洋のガラスにはないものがあるようで、ガラスを夏だけのものと考えるのは
偏見らしいと知ることができた。これも同じ料子でも、技巧を凝らし、梅や水仙の花など、
精巧に彫刻したものなどよりも、飾りなく、すぽっとして、肌のなめらかなものが
好ましい。聞けば、ガラスの面に人間の手を加えて磨き出すものなので、整然とし過ぎた
冷やかさから免れ得たものらしい。
 私がガラスに興味を抱くように成ったのは、言うまでもなく、岩田藤七氏を知り、
この優れた作家の年々のお仕事を親しく見まもる幸運を得てからである。ガラスと言う
ものが次第に、これまで見てきた性格のものではなくなって来た。傍にいて、その変化や
進展の様子を見ていることが、どれだけ私にとって勉強になったろう。岩田さんの創作は、
年々変わって、新鮮なものを生み続けた。古い能衣裳を見るように、絢爛とした色を
見せていたかと思うと、深海の水を凍らせたように透明な、エメロードの色の塊となり、
光と湿気に因って色調を変える敏感で濃い鮮苔の色を見るようなものさえ現れた。
色は次第にマチエールに深く滲透して、ガラスの本来の性質まで変わったように見える
ことすらある。吹きガラスの成形も自在で、これまでの冷やかに整然とした形から離れ、
彫刻されたオブジェの趣きを示した。十八世紀のイギリスあたりの精緻を極めてエレガント
な性質よりも、重量感ある姿は、やはり日本の切り子のガラス伝統を、無器用からでなく、
現代化したものとして、自然に現れたのではないか? 色調の、時に渋い古典的な趣きも、
明らかに日本人のもので、西欧のガラスの作家に、想像がつかぬものではないか? 
ガラスの触感さえも、岩田さんは変更させた。前に言った乾隆硝子び自から近付いている。
これも他所ならぬ東洋の味を生み出したものと言えないだろうか?
 その岩田さんが近頃、ある雑誌に次のような若々しさに溢れた、おしゃれな感想を
述べていられるのを読んだ。
  「真夜中の一時か二時、一人ぼっちになって、二、三のガラス器を並べる。ある時
 は戸のすき間から水銀灯を通し、ある時はスリム・ライト、サークリングライトと、
 光線を変えて、乱射し、反射して、ガラスの影と光りを、バリエーションの内で楽しむ。
 そうしたことによって、やっと昼間の粗雑、粗暴、ゴーゴー的な野卑から解放されて、
 さわやかな時をもつ。すると、飾ったガラスたちは、青や、茶や、緑の眼をパチパチ
 させて、話しかけてくる。ほんとに、夜中のガラスは、ささやく。秘事を皮膚から
 伝えてくる。いきものである。生きものというより魔女でさえあると思う。
  この赤い敷物の上で、いやベッドで映された燭台は、最近のヴェネチアのものだが、
 桃色と青と金色、よなよなした、もつれた腕のもろさは、私のだいすきなガラスの
 一つであり、茶やオレンジの敷物にすると、また変わる。周囲と置き所で変化し、
 感情をかえる細かい神経は、人間以上である。
  私は静かに、そおっと、なんでも、いうことを聞いてやる。ほんとに、扱いにくい、
 わがまま者、時には、しらん顔を見せる。こんなガラスの花の、燭台を作った職人に
 逢いたく思う。
  名器とは、博物館や個人の収蔵館や、お茶席の内のみにあるのではない。自分の
 周辺から自らに合うものを発見すればよい。私には、この二つが名器なのだ。私の
 欲している『エレガント』というものを語ってくれるから。すなわち、一方通行の
 交わりで、
 中年の女性の美しさを充分に楽しめる。ガラスは魔ものである。魔女で ある。」
 これは、私の制作はまた近く変わりますよ、と言う岩田さんの宣言のようである。
この次の魔女は、どんななめらかで、体温のある肌をしていることであろうか? 
私は、今日この集にあるものだけを楽しんでいる。深夜を待たず、また光の戯れに
待つこともしない。そのもの自らが美しく、また力をこもらせているからである。
 

1967年頃。舞踊家・武原はんの料亭、六本木「はん居」での、初午の会にて。
真中和服女性が武原はん、その左が大佛次郎、右が藤七。
左側後姿左が岩田マリ(藤七孫)、右が岩田邦子(藤七妻)。

藤七賛歌2 「堀口大學」

2011-01-01 09:00:00 | 藤七への言葉
あけましておめでとうございます。
本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。

本年は藤七への言葉、藤七賛歌2より始めさせて頂きます。
2月からは、藤七が1964年、毎日新聞に書いた「ガラス十話」をお届けいたします。

堀口大學氏はフランス文学者で詩人。(1892~1981)
藤七と同世代に活躍し、詩作の他多くの翻訳・評論を手がけ、
1957年に日本芸術院会員となり、1979年に文化勲章を受章している、
日本を代表する文学者です。

1937年第三回個展の際、藤七にこの賛歌が贈られました。



藤七賛歌 2

「玻璃のミラアジ」       堀口大學

それは夏の日のあかるさを持つ
それは祭日の気易さを持つ
それは微風のさわやかさを持つ
それは空気の流動性を持つ
それは天使の気高さを持つ
それは乙女子の純潔を持つ
それは花々のはなやかさを持つ
それは形のない姿を持つ
それは光と色が作る虹のたぐひ
それは岩田藤七が作る玻璃の蜃気楼




岩田藤七の作家紹介と経歴はこちら

藤七賛歌 1 「与謝野晶子」

2009-11-18 10:45:38 | 藤七への言葉
1937年 第三回個展のカタログに、この賛歌を贈られました。

「天女の指紋」  与謝野晶子

絞り手の玻璃(はり)の高つきいはばこれ天女の指のうす紅の跡

藤七が墨流しなる玻璃を吹き世の新しくなれる夏かな

玻璃のみかもろもろの珠とけ会ひて成る飛雲手(ひうんて)の鉢

吹雪手のしろきに巻かれ天地(あめつち)の中に遊べるここちこそすれ

こは硝子恋する人の目に見なば手にしみぬべき紫の壺

夏きよし雲の不思議に勝りたる玻璃のうつはをかたはらに置く




岩田藤七の作家紹介と経歴はこちら