岩田家のガラス芸術 BLOG 岩田の事

炎の贈り物 藤七・久利・糸子が織りなす岩田家のガラス芸術

久利への言葉  彩ガラスの四季 12月 入江相政

2010-12-01 09:00:00 | 久利への言葉
岩田久利 彩ガラスの四季  12月

2010年は(久利への言葉)の第一弾として、「彩ガラスの四季」を
12ヶ月にわたって掲載しております。
これは、1983年婦人画報に年間掲載されたものです。

1月 日本的淡雅と洋風な清新     谷川徹三  哲学者
2月 雪窓                  黒澤 明  映画監督
3月 斬新な造形と煌めく美しさ     橋本明治  日本画家
4月 省略された美の世界        武原はん  舞踊家
5月 美とロマンを担う作品       河北倫明  美術評論家
6月 機能的な形と蠱惑的な色彩    勅使河原宏 草月流家元
7月 繊細で洗練されたものが好き   森 英恵  デザイナー
8月 静けさと烈しさと         辻井 喬  作家
9月 かぎりないロマンを秘めて    松本幸四郎 歌舞伎役者
10月 優雅さと知性の結合       植村鷹千代 美術評論家
11月 キラキラとかがやく無限の芸術境 小倉遊亀  日本画家
12月 幻の光              入江相政  侍従長

今月は最終回、元侍従長・入江相政氏です。
歌人である入江氏は藤原定家の子孫で、京都の冷泉家の一族。
昭和天皇の侍従長を務められました。
ガラス工芸にも深い造詣を持たれ、藤七の頃よりご高覧、ご支援頂いておりました。


幻の光 入江相政(侍従長)


                                    撮影 藤森 武
              

これは、私の夢の光である。私の書斎は、あかるくはない。
窓の外には緑が一杯。高いところからアオギリが覆い、
その下に、キョウチクトウ、レンギョウ、ハゼ。
秋は深まりつつあるが、でもまだ緑である。
岩田久利さんの壺を、書斎の机の上に移して、ただただ見入っている。
地は朱色、竪に薄い黒の筋、その上に一面に散りばめられた金箔。
芸術院賞のお祝いのパーティーで私は「書や画は、とにかく手順が分かるが、
硝子工芸はさっぱり。そこが魅力」と言った。
友人が横でささやく「昨日テレビでやったじゃないか」と。
テレビカメラはまさに岩田さんの工房にはいった。
私もそれを見た。けれどもあんなことでわかるもんか。
まっ赤な、球に、どうしてこんな細かい細工を入れるのか。
わからなくていい。知らないうちに私の夢はかなえられるんだから。
これは私の夢であり、幻であり、幻の光なのである。



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久利への言葉  彩ガラスの四季 11月 小倉遊亀

2010-11-01 09:00:00 | 久利への言葉
岩田久利 彩ガラスの四季  11月

2010年は(久利への言葉)の第一弾として、「彩ガラスの四季」を
12ヶ月にわたって掲載しております。
これは、1983年婦人画報に年間掲載されたものです。

今月は、日本画家・故小倉遊亀氏です。
日本を代表する女流日本画家・小倉遊亀氏は久利を大変可愛がって下さり、
その作品には、久利のガラス作品の入った静物画がいくつかあるほどです。


キラキラとかがやく無限の芸術境 小倉遊亀(日本画家)

撮影 藤森 武

先生のように病気がちの華奢な方が、千数百度からの熔解炉の熱気の前で、
いくら呼吸のあった熟練工といっても、全く自分と同じではない人達を
手足のようにお使いになることは、やはりご苦労にちがいないと、
私はハラハラいたします。あのキラキラしたガラス感の中で、
透とおった色と色の縦横無尽の駆使は人間業ではないと思えます。
「少し位の疲れはあっても、あの熱気の中へ入ってゆくと嬉しくなって
何も彼も忘れてしまいます。」私はそれを伺って久利先生は熱気の前に
立たれたとたんに、不思議の国の不思議な魔女の妖精にご自分がなって
おしまいになる。
それと、より深められつつある先生の人間味がキラキラととけ合って、
無限の芸術境をお拡げになるのだと思いました。
私はいつまでも先生のお作品を眺めさせていただいていました。
そしてほんとうに羨しいと思いました



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久利への言葉 彩ガラスの四季  10月 植村鷹千代

2010-10-01 09:00:01 | 久利への言葉
岩田久利 彩ガラスの四季  10月

2010年は(久利への言葉)の第一弾として、「彩ガラスの四季」を
12ヶ月にわたって掲載しております。
これは、1983年婦人画報に年間掲載されたものです。

今月は、美術評論家・故植村鷹千代氏です。
藤七の仕事も大変評価して頂きましたが、その深く知的な審美眼で久利の作品を
捉え、藤七との違いも明確な薫り高い文章を頂きました。


優雅さと知性の結合      植村鷹千代(美術評論家)

撮影 藤森 武

 同じ火の芸術として、異質な味わいの土の芸術陶芸と
ガラスの芸術がうまれるのも興味深いが、同じ土の芸術でも
ヨーロッパの陶芸と日本のそれとでは、感性の風土の違いが
明瞭に表れるのが興味深い。ガラスの場合も同じである。
岩田久利さんは、現代の日本のガラス工芸、特に色ガラス
工芸の世界で、日本の美意識の伝統と現代の感覚を結びつけた
先駆者であった父君藤七さんの思想を継ぎ、新しい境地と
作風を開拓して、今日の日本のガラス工芸の最前線を担う
代表的才能者の一人である。久利さんの作風の新しさは、
世代の新しさの反映でもあるだろうが、父君の作風が、鮮明、
重厚な色彩のなかに優雅な古典的渋さを魅力としたのにたいして、
久利さんの作風には、フォルムにも色彩にも、日本的優雅さと
現代的な知性の結合に挑む覇気がみえる。そしてこの覇気が、
抑制のよく利いた大胆さであるところに、信頼できる才能の
美質がある、と私は思う。


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久利への言葉  彩ガラスの四季 9月 松本幸四郎

2010-09-01 13:30:00 | 久利への言葉
岩田久利 彩ガラスの四季  9月

2010年は(久利への言葉)の第一弾として、「彩ガラスの四季」を
12ヶ月にわたって掲載しております。
これは、1983年婦人画報に年間掲載されたものです。

今月は、二人の先代・松本白鸚氏と岩田藤七の頃より親交のあった、
歌舞伎俳優 松本幸四郎氏です。
藤七も久利も歌舞伎や邦楽を好み、芝居や演奏会にしばしば出向いていました。
重厚で端正な演技はもとより、舞台装置や衣裳の色彩、様々な邦楽の演奏など、
日本の感性の集約とも言える世界を敬愛し、多くの作品にそのイメージを表現しました。


かぎりないロマンを秘めて      松本幸四郎(歌舞伎俳優)

撮影 藤森 武

岩田先生とは、今は亡き双方の父親の代からおつき合いさせていただいており、
二代にわたって、折にふれいろいろな花器をお贈りいただき、大切に愛用いたしております。
私はガラスが大好きです。かつて正倉院御物のペルシャのガラスに魅せられました。
舞台での演技は、最初は無駄が多いものですが、だんだん腕をみがいてくると、
洗練された芸になっていくのです。上等な芸は無駄が無く、軽やかで、人の心をうつものです。
岩田先生の作品にも、相通ずるものがあるのではないかと思います。
目に見えない努力と忍耐と技術が込められているであろうことが、よくわかります。
ガラスは、はかなく壊れやすい命だからか、この作品のように透明感のあるガラスを見ると、
美しいセクシーな女性を思い、また、透明感を通していきいきとしたロマンを感じるのです。
ガラスは、人間の生み出した芸術品の最高傑作かも知れません。

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久利への言葉  彩ガラスの四季 8月 辻井 喬

2010-08-01 09:00:01 | 久利への言葉
岩田久利 彩ガラスの四季  8月

2010年は(久利への言葉)の第一弾として、「彩ガラスの四季」を
12ヶ月にわたって掲載しております。
これは、1983年婦人画報に年間掲載されたものです。

今月は、久利が若い頃から交友があった詩人で作家の辻井 喬氏です。
久利とその作品を、深く冴えた目で見つめた、美しい言葉をいただきました。


静けさと激しさと   辻井 喬(詩人・作家)

撮影 藤森 武

深い色である。青でも緑でも、見ていると引き込まれていくように澄んでいる。
これは技術だけで出る色ではないと思う。あの細い久利さんの、
何処にそんな烈しさが潜んでいるのかと不思議に思う。
それでいて作品は静謐な趣を湛えている。
むしろ静かだから強く訴えてくるというのが、久利さんの作風だと思う。
ガラスは透きとおるのが生命である。その本質をそのままに残しながら、
変化させ、あえて表面に皹を入れ、曇らせ、そのことによって
より一層透明度を感じさせる手法は「秘すれば花」と言った
世阿弥に通じているだろうか。
そこにあるのは凝視と呼んでもいい創作態度であり、形である。
声にならない無数の叫びが、緑のざわめきが、燃える赤が見る人の心に迫ってくる。
もし彼の内的世界が、このように屈折し、かつ澄明なものだとしたら、
それは才能が持つ不幸と言ってもいい純粋の哀しさである。


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