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4月14日(日) 最後の一押し。

2024年04月16日 18時07分22秒 | 2024年

 8時半起床。

 朝食はソイプロテイン。

 妻が美容室に出掛けたので、娘と一緒にお散歩でもと誘ってみたのだが、「いや、M-1見ようぜ!」とのことでテレビを付ける。ミルクボーイが優勝した2019年のM-1が好きらしい。特にかまいたちとペコパの漫才がお気に入りで、意味を理解しているのだろうかと思っていたのだが、「かまいたちの左の人が、自分が間違えたのに誤魔化してるのがめっちゃ面白い」と言っていて驚いた。

 「餃子が食べたい」という娘の希望に合わせ、昼食は「大阪王将」の出前を取る。餃子が食べたかったはずの娘だが、それ以上に唐揚げが美味しかったようで、結局餃子は2個しか食べなかった。

 美容室を終えた妻が、帰りに「シャンドブレ」のパンを買って来てくれた。私の大好きなチョコを練り込んだフランスパンもあって、大喜び。

 妻が娘を連れてお散歩に出掛けたので、私はチョコレートフランスを楽しみながらテレビで競馬観戦。

 3歳牡馬クラシックの初戦、皐月賞(G1)。勝ったのは2番人気のジャスティンミラノだった。私の馬券は外れたが、圧巻のコースレコードを叩き出した素晴らしいレースだったし、何よりこの馬は藤岡康太騎手が1週前追い切りまで調教を付けていた馬だ。藤岡康太騎手は4月6日のレースで発生した落馬事故で意識不明となり、10日に亡くなった。ジャスティンミラノ鞍上の戸崎騎手がインタビューで「(2着馬との)首差は康太が後押ししてくれたもの」と話していたように、最後のひと伸びには人知を超えた何かを感じた。おめでとうございます。

 藤岡康太騎手といえば、ジョーカプチーノのNHKマイルカップ(2009年)やナミュールのマイルチャンピオンシップ(2023年)といったG1勝利が有名だが、私の中ではワグネリアンの神戸新聞杯(2018年)での勝利が印象に残っている。福永騎手(現調教師)に初めての日本ダービー制覇を届けたワグネリアンの休養明け初戦、福永騎手が怪我で乗れなかった神戸新聞杯に代打騎乗したのが、普段からワグネリアンの調教を付けていた藤岡康太騎手だった。

 私はワグネリアンのファンでダービーでも本命にしていたが、当時はこの乗り替わりを懸念し、他に強い馬が出ていることもあって本命からは外した。他の競馬ファンも私と同じように考えた人が多かったのだろう。実際、この日はダービー馬の次戦であるにも関わらず2番人気に甘んじていた。しかし、蓋を開けてみれば全く危なげない完勝。乗り替わりとは思えない、まさに人馬一体の走りだった。その日から私の中で「藤岡康太は買える(信頼できる)」というイメージが定着した。

 実際、近年の成績は上り調子だったし、レース本番でなくとも彼が調教に乗った馬は信頼できた。そして何より、競馬産業の端くれに身を置いている私にすらも、彼の人柄がいかに素晴らしく、多くの人たちに愛されているかということは伝わってきていた。一度お会いしてみたかった。

 享年35歳。騎手という仕事は常に危険と隣り合わせのものだとはわかっているが、それにしても早すぎる。ご冥福をお祈りいたします。

 

 競馬観戦を終え、しばらくカーペットでお昼寝。皐月賞を見ている間に、いつの間にか日本ハムファイターズが借金生活に突入していた。

 娘の明日の学校の準備を見守り、入浴を済ませてから、夕食。牛肉とピーマンの炒め物とミートソースグラタンなど、豪華だ。

 妻が時間を掛けて作ってくれていたグラタンがとても美味しかった。

 洗濯を済ませ、娘を寝かしつける。

 日付が変わる頃に就寝。


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