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京の話題

12000年以上続いた「平安京」の文化・寺社仏閣・お祭り等を紹介します。

我が誇れる国・日本国のパスポート世界一値打が有ります「和」の国のパスポートー6

2013-06-04 19:50:10 | 我が誇れる日本国の事

古いパスポートをごそごそ探していましたが、ついに昔のパスポートは何処のに行ったやら。昔のパスポートは、勿論、赤色で今のサイズより少し大きくて出し入れに困ったものです。それに一番現行のものと違うのは、現在の物は、外務大臣の印の上に、

 「日本国民である本旅券の所持者を通行支障なく旅行させ、同人に必要な保護扶助を与えられるよう関係の諸官要請す」と書かれその下に「日本外務省」と印が押してあります。

 以前のパスポートにはこれに付随して「北朝鮮」は除くと英語の文章が記入してありました。もうかなり前の事なので、もしかしたら返納したかもしれませんが。

日本のパスポートもそのような物から、少し小型になり持ち運びに便利になり「赤色」から「濃紺」になり現在のものはまた「赤色」になりましたが、決定的に違うのは、パスポートにマイクロチップが組み込まれた事です。よって、たいていの入国はスムースになりました。しかしこのパスポートは世界一高値で取引されています。前記に記載したように「日本国」は世界一好まれている国です。http://blog.goo.ne.jp/itodoya/d/20130515

また「中国人は本当は日本が好き」http://blog.goo.ne.jp/itodoya/d/20130521等を記載しましたがその続き。

 何回交付されているか、小型になった以降の「濃紺」のパスポートと現在の「赤色」のパスポート。

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世界には「パスポート」の闇市場が有り、世界中のパスポートが日夜取引されているようです。あくまでも、冗談ですが、旅行中に日本人はお金が足りなくなると、そっと闇市場にパスポートを高値で売り、紛失したことにして、その国の日本大使館に駆け込めば、即再発行てな話が有ります。絶対そんな事をしてはいけません。しかし、発展途上国の一般の人から話を聞くと、不良の異邦人から「日本人は、いざとなったらパスポートを売ればいいお金になるからうらやましい」と聞いたことがありました。その不良によると、世界中のパスポートのなかで、日本旅券が最も高値で売れることです。日本のパスポートでビザ無で入国できる国が一番多く、また、ビザを最も簡単に取得できることがその理由らしいということです。日本旅券の所持者は世界の国々から歓迎され、また信頼されていうことの表れです。

 それではパスポート(旅券)を売る事は違法な行為か?当たり前です。旅券法で禁止された立派な犯罪です。

 では、なぜ日本旅券はビザなしで入国できる国が多いのか。日本が経済大国であるから、世界の国々が日本人の入国を歓迎した結果と思われがちですが、どうやら理由は他に有るらしいです。もし、経済大国が理由なら、アメリカ・中国などのパスポートがより高値で取引されるはずです。(中国のパスポートは安値ですョ、欧米国や日本も、中国人が宿泊したホテルの部屋はまるで、トルネードが去った後見たいで、根こそぎ物は無くなる、あちらこちらに※※はして拭いていない、当然、バスルームもメチャクチャ。欧米人は中国人がホテルに来ると露骨にいや~な顔をするらしいです。おもてなしの心の有る日本のホテルは、諦めて辛抱していますが)

 経済大国の、アメリカや中国のパスポートは安い値段でしか取り引きされません。どうしてでしょう?

 世界が日本人を歓迎するのは、ぺりー来航により開国して以来、日本が世界の国々と最も多くの「和」を育んできた結果です。よく「日本の外交は三流以下」と言われています。確かに、戦後の日本の弱腰外交を見ているとそう思いたくなりますが、かといってアメリカや中国の外交は一流とは到底思いません。アメリカの同時多発テロに象徴されように対外的に大きな爆弾を抱えています。また今日であのおぞましい中国の「天安門事件」でちょうど24年になります(中国共産党ではこの死者は319人と発表していますが 一説では、あの事件で中国の民主化運動家が1万人以上が殺されたいうことです。おりしも、今、中国では”天安門"24週年”等関係するWEBを検索出来なように当局がサイト上ブロックしているようです。益々、言論の自由が剥奪されています、全くの言論の自由のない国です、最近、政権が交代してとみに厳しくなっている傾向です)

以上の事から考えて、現在までの日本の外交は実質的には一流ではないかと思われます。しかし、今の、安倍政権で益々の日本の国際的立場が向上しています。欧米諸国・ロシア・中国・台湾・東南アジア諸国・アラブ諸国・イスラエル・パレスチナ・アフリカ諸国などと同時に友好な関係を持つことが可能な国は、世界中を見渡しても、我が日本国だけです。日本国が世界中の国々と友好関係を保っているからこそ、国際社会のなかで日本が担える役割が有ります。これは他者との協調を大切にしてきた日本の「和」の精神があってはじめて可能なことであるとおもいます。

(たわごと)

よくツアー等で、パスポートは命よりも大切まものです。と説明を受けますが、どうして、どうして、命よりも大切な物は有りません。パスポートは海外ではもちろん重要なもですが、無くしても、その国の大使館や領事館で仮発券してくれます。場所により、待ち日数はまちまちですが。それよりも、パスポートを闇ルートに売り再発行を申請すれば「旅券法違反」よりも、日本に帰国後「刑法第246条・詐欺罪」となり、大罪です。旅行中いくらお金に困ってもパスポートは売らないように。当たり前の事ですが。紛失や盗難はしかたがないですが、念のため。


日本人の「和」心と、無益な戦争をしない日本国・今日のアフリカ諸国との首脳会談と・中国の歴史の浅さ

2013-06-02 00:10:48 | 我が誇れる日本国の事

昨日からアフリカの主要諸国との「安倍総理大臣」の会談が横浜で行われておます。およそ、アフリカ人も戦争を嫌う平和な人々です、しかし、イギリス・フランス・ポルトガル等の植民地により、彼らは「奴隷化」されて人身売買された悲劇が有りました。日本の「慰安婦問題」ばかり世界中問題化されて、本当のこの悲惨な歴史を世界の先進国はどう考えているかと思います。

さて、日本は歴史的に無益な戦争をしない「和」の国家でした。(前記を参照下さい)

世界の国々が民間人を殺す戦争を繰り返す一方、不思議なことに日本は民間人を殺す戦争が行われませんでした。これを明確に証拠立てることは難しい事ですが、天皇が民を「「大御宝」(おおみたから)として大切にしてきたことに関係すると思われます。民は天皇の宝であるから、武士同士が戦うのは別にして、武士が民を殺す事に正当性を見出すことは出来ませんでした。

以上の事だけでなく、日本人が古来育んできた「和」の精神が、無益な戦争を排除する効果を発揮してきたと考えれます。「和」の精神で国が統合していれば、「宗教弾圧」が起きることなく、「宗教戦争」は起きません。

ところが、「大和朝廷」が、ただのお人良しだけを意味するものではありません。国を治めるにあたり、他者に価値観を押し付けて服従させれば、その恨みはいつか必ず表面化します。(現に世界中で必ず起こっているのが解かります・当然、北朝の崩壊はもうすぐです)王朝交代を繰り返した中国等はその典型的な例です。日本の「和」の精神に基づいて、各地域の価値観を尊重して統合していけば、一切の反発は有りません。「大和朝廷」は建国当初からそのような理念を実践してきました。

世界史の事実によると、前記の「十字軍遠征」http://itodoya.blog.ocn.ne.jp/blog/2013/05/post_3051.html#commentsにみられるように、ある勢力が他の勢力の支配領域を軍事的に制圧すると、勝者が敗者の宗教を否定してし、勝者の価値観を押し付けることが多々あります。欧米列強の常套手段は、初めに聖職者、次に軍艦、そして最後に商人を送り込むことで、近世までの間に列強はアジアや中東・アフリカのほとんどの地域を植民地とし、搾取に搾取を重ねたうえ、宗教を植え付けました。

そして、戦争の結果は、宗教だけでなく生活の細部までも変更させることになります。中国のおぞましい歴史は、満州族が中国の天下を奪った「清朝時代」(1644~1912年)は、漢族も満州族の髪形である辮髪(べんぱつ・頭部の前頭部を剃り後頭部を伸ばして編む髪形で、よく映画でみます)を強制されました。

「辮髪」(漢民族の髪形・べんぱつ)

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辛亥革命(1911年・所詮、中国はコロコロ王朝が替わる歴史の無い国です))によって「清朝」が滅亡すると、次は新政府により辮髪を切ることが強制されました。王朝の交代は、ときに民衆の髪形までも強制的に変更させられます。


日本の戦争は民間人を攻撃しない、正々堂々とした合戦の歴史

2013-06-01 00:04:36 | 我が誇れる日本国の事

かなり以前に、元寇「文禄の役」(文禄11年・1274年)「弘安の役」(弘安4年・1281年)に元(今の中国、但し王朝は、現在の中国と違いますが)で対馬の人々に見るも無残な事をした詳細を記載しました。また、日本は武士道で、一人一人が名前を名乗り、一騎討ちで立ち向かって行きました。元軍はお構いなしに、いきなり攻撃です。名誉というものは程遠いものでした。それを見て、日本の武士は「あ~ぜん」です。およそ戦争の価値観が違っていたと言う事でしょうか。元軍は敵が、兵隊でも非戦闘員でもお構いなしの、殺戮でした。

元寇絵図「鎌倉武士と元軍との合戦絵図」

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日本では、「内戦」や「宗教戦争」でも一度も非戦闘員を殺戮(さつりく)したことが有りませんでした。そして、内乱でも朝廷を倒し、新たな朝廷を擁立しようとしたことは、一度も有りませんでした。

 「関ヶ原の合戦」は、近世以前の日本の合戦史上、一日の戦死者が最も多い合戦の一つです。この合戦は「天下分け目の合戦」と呼ばれ、200年以上続く徳川幕府を成立させた、日本史上重要な合戦です。わずか一日で勝敗が決しました。しかも、主戦場になったのは、「関ヶ原」の狭い地域で、他の地域で行われた戦闘も限定的で、日本全国が戦場になったわけでは有りません。

 「関ヶ原の合戦」の戦力は、東軍7万5千人、西軍10万人で、戦死したのはそのうち約4千人から8千人くらいと考えれています。政権を確定し徳川幕府を樹立させた合戦のわりには、損耗率は約5%前後と極めて少ないです。また、合戦が行われたのは人里離れた平原だったため、戦線離脱が容易で、民間人がまきこまれることも有りませんでした。いずれも、世界史の常識ではありえない事です。

 「関ヶ原の合戦屏風図」

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その以前の戦史にも「第四次川中島合戦」や「長篠の戦い」のように、損耗率の高い大規模な合戦は有りました。しかし、日本の合戦はあくまでも職業軍人同士の戦いであり、民間人が攻撃の対象となった事はありませんでした。また、前記に詳細を記載した「応仁の乱」http://blog.goo.ne.jp/itodoya/d/20130130のように都市が戦場となった場合は、多くの民家が焼かれ民間人も犠牲になりましたが、それは目的で無く結果論であり、民間人の殺戮が意図された戦争は例がありませんでした。

 以上のように、日本の合戦はいかに大規模なものでも、民間人が攻撃の対象とならないため、戦争犠牲者の数は中国大陸や欧州のそれとは比べものにならないほど少ない数でした。まして、前記の欧州の「三十年戦争」などの「宗教戦争」に見られるような、人口が何割も激減するような戦争は日本では一度も経験したことがなかったのです。

 しかも、非戦闘員を戦争に巻き込まない考え方は、近代に入って、国家間で戦争を行うようになっても変わる事はありませんでした。明治時代以降も、「大東亜戦争」を含め、非戦闘員を攻撃の目標にする作戦を立てたことはありませんでした。

 日本が「真珠湾攻撃」で攻撃の目標にしたのは軍事施設だけで、非戦闘員を殺す意図はありませんでした。アメリカ側の死者約2400人は全員戦闘員だったことからも明らかです。もし日本軍が欧米人の考えるように民間人を殺すことを戦争と考えていたなら、ホノルルを火の海にしたでしょう。日本人にとっての戦争とは、軍人同士の戦争を意味するもので、民間人を殺戮することは戦争の定義には当てはまりませんでした。日本は「東京大空襲」や「広島・長崎の原爆投下」により、初代天皇「神武天皇」から2千6百年以上経過してはじめて、敵の意図的に民間人が攻撃の対象となる戦争を経験したことになります。

「おぞましい広島原爆投下時のキノコ雲 」(米軍機にて撮影)

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人類史上最悪の民間人を対象にした無差別大量殺戮です。地球が有る限り、二度とこのような事は絶対有ってはならない事です。


恐ろしい欧州の宗教戦争の連鎖 ・前記の続き

2013-05-31 06:46:35 | 我が誇れる日本国の事

宗教戦争といえば普通は、欧州における16世紀にかけて宗教改革運動に伴っておきた一連の戦争をいいます。カソリックとプロテスタント両派の宗教対立と政治対立が結びついた戦争で、国際規模の戦争にはってんします。シュマルカルデン戦争、ユグノー戦争、八十年戦争、三十年戦争など多くの、国際戦争がありました。

 欧州最後の宗教戦争と呼ばれた三十年戦争はドイツを舞台に行われた国際戦争で、周辺諸国が介入して大規模な国際戦争になりました。その名の通り長期間にわたり行われた戦争です。発端は宗教戦争でしたが、結果は列強の領土争奪戦としての性格になり、この戦争の結果、ドイツ各国の領土主権が認められ、神聖ローマ帝国は実質的に崩壊しました。

 三十年戦争は人類史のなかでも最も破滅的な戦争の一つでした。ドイツの全土が戦場となり、ドイツの人口の三分の一にあたる約600万人が命を落とし、むらの六分の五が破壊されました。これによりドイツの農業の基盤が破壊され、経済は完全な麻酔状態となって著しく停滞しました。統一国家の建設も各国よりおおいに遅れ、19世紀後半までもちこされることになるなど、どいつの発展は200年間は後退したといわれています。

 以上の戦争で兵士として戦ったのは大半が傭兵でした。ドイツ人達は戦争によって村が荒らされ、休戦中も傭兵によって略奪と殺戮が繰り返されました。ドイツの冬は寒いです。家を焼かれた農民が、寒さで次々と死んでいきました。

有名な、ジャック・カロの描いた三十年戦争における農村での虐殺(被絞首刑者生る樹)の版画絵

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当時は「ドイツ」という主権国家が有ったわけでなく、神聖ろーま帝国の一地域でした。戦争犠牲者については諸説ありますが人口の90%が犠牲になった地域も有ると言われています。

 三十年戦争のように、人口の何割もの戦争犠牲者を出す事などは、日本では一度も有りませんで市歌。日本史上最悪の大東亜戦争ですら、戦争犠牲者は4%未満であったと言われています。

 三十年戦争の最も悲惨なことは、非戦闘員を最初から虐殺する戦略でした。日本の戦争では、当時実用化されいた大砲は「城」を攻めるときのみに使用されるものでしたが、三十年戦争は最初から都市を攻撃するために使用されました。

以上の事がら、太平洋戦争の末期に、アメリカ軍が日本国土の無差別爆撃や、あのおぞましい、広島・長崎の原爆攻撃はいかに非人道的なものと分かります。


「和」の国、日本国の仏教では考えれれない、外国の悲惨な宗教戦争の歴史

2013-05-30 03:18:15 | 我が誇れる日本国の事

前記に日本国は「和」の国によって成り立っていると記載しました。日本国は「縄文時代」から宗教において悲惨な戦争はほとんど有りませんでした。また「仏教」が日本に伝来しても、以前からその土地で信仰されいた「産土神」とうまく融合して、「神仏融合」となり長く平和な宗教世界が築かれてゆきました。

少し、世界に目を向けてい見ると、世界の人類の歴史は、「宗経戦争」の歴史の連続でもありました。

中世における最も悲惨な宗経戦争は「十字軍遠征」であると考えられます。ローマ経王「ウルパヌス三世」が、聖地エルサレムを異教徒の手から戻すように号令をかけや事で、約20000人の軍隊が結成されました。「第一回十字軍遠征」のはじまりです。エルサレムは「ユダヤ教」・「キリスト教」・「イスラム教」共通の聖地で「イエス・キリスト」処刑された地です。その帰属については古代から深刻な対立が有りました。

1099年に十字軍による「エルサレム」への攻撃が始まると、イスラム側はたちまち総崩れになりました。降伏した「イスラム総督」は財産をすべて渡すことで亡命が許され、結局、総督とその警護兵を除くと、すべてのイスラム兵が殺されたと伝えられています。戦争で、敗戦国の全の兵を処刑するのは、全く尋常な事ではありません。

第一回エルサレム攻撃(写本)

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そして、エルサレムを制圧した十字軍は、エルサレム王国を建て、イスラム教徒とユダヤ教徒らを虐殺し、全ての財産を奪いました。これに味を占めたヨーロッパのキリスト教徒の諸候は、様々な経済権益を求めてイスラム世界への略奪を繰り返しました。

キリスト教とイスラム教による聖地をめぐる骨肉の争いは長らく続き、1187年にイスラムの英雄「サラディン」により、およそ90年ぶりにエルサレムがイスラム教に奪還されました。「教皇サラディン八世」は聖地奪還のため、再度の十字軍遠征を呼びかけますが、成果は上がりませんでした。

その後、神聖ローマ帝国の「皇帝フリードリヒ二世」の遠征により、1229年にキリスト教側が再びエルサレムを手中に収めましたが、1244年にイスラム側に攻撃されてエルサレムは再び陥落し、多くのキリスト教徒が殺されました。その後、エルサレムは1917年にイギリス軍がオスマン軍を破り入城するまでは、イスラム世界が支配することになります。

しかし、聖地をめぐる宗教戦争は現代まで続いているのは、誰でも知っています。20世紀初期よりユダヤ人のパレスチナ移住が増大して、1947年の国際連合総会でパレスチナをアラブ国家とユダヤ国家に分断する決議が採択されると、イスラムはその決議を受け入れ1948年に独立宣言をしました。その後も、イスラエルは周辺アラブ諸国と四度の中東戦争を経て、現在でもパレスチナ武装勢力との紛争を続けています。問題は、エルサレムの帰属があるために、いずれも宗教的な対立が背景にあります。

中東には反米の思想を持つイスラム教徒が多く、あの記憶にも新しい2003年のイラク戦争以降、反米テロが各地で起こり、現代でもイスラム教徒とキリスト教徒が対立する世界の構造になっています。(元々は、同じ、イエス・キリストからの宗教的基盤からのものでありますが)

以上の事をふまえて、いかに宗教的には「仏教宗派」は一部を除いて、平和な「和」を保って現代まで来たと感心さされます。