かなり以前に、元寇「文禄の役」(文禄11年・1274年)「弘安の役」(弘安4年・1281年)に元(今の中国、但し王朝は、現在の中国と違いますが)で対馬の人々に見るも無残な事をした詳細を記載しました。また、日本は武士道で、一人一人が名前を名乗り、一騎討ちで立ち向かって行きました。元軍はお構いなしに、いきなり攻撃です。名誉というものは程遠いものでした。それを見て、日本の武士は「あ~ぜん」です。およそ戦争の価値観が違っていたと言う事でしょうか。元軍は敵が、兵隊でも非戦闘員でもお構いなしの、殺戮でした。
元寇絵図「鎌倉武士と元軍との合戦絵図」
日本では、「内戦」や「宗教戦争」でも一度も非戦闘員を殺戮(さつりく)したことが有りませんでした。そして、内乱でも朝廷を倒し、新たな朝廷を擁立しようとしたことは、一度も有りませんでした。
「関ヶ原の合戦」は、近世以前の日本の合戦史上、一日の戦死者が最も多い合戦の一つです。この合戦は「天下分け目の合戦」と呼ばれ、200年以上続く徳川幕府を成立させた、日本史上重要な合戦です。わずか一日で勝敗が決しました。しかも、主戦場になったのは、「関ヶ原」の狭い地域で、他の地域で行われた戦闘も限定的で、日本全国が戦場になったわけでは有りません。
「関ヶ原の合戦」の戦力は、東軍7万5千人、西軍10万人で、戦死したのはそのうち約4千人から8千人くらいと考えれています。政権を確定し徳川幕府を樹立させた合戦のわりには、損耗率は約5%前後と極めて少ないです。また、合戦が行われたのは人里離れた平原だったため、戦線離脱が容易で、民間人がまきこまれることも有りませんでした。いずれも、世界史の常識ではありえない事です。
「関ヶ原の合戦屏風図」
その以前の戦史にも「第四次川中島合戦」や「長篠の戦い」のように、損耗率の高い大規模な合戦は有りました。しかし、日本の合戦はあくまでも職業軍人同士の戦いであり、民間人が攻撃の対象となった事はありませんでした。また、前記に詳細を記載した「応仁の乱」http://blog.goo.ne.jp/itodoya/d/20130130のように都市が戦場となった場合は、多くの民家が焼かれ民間人も犠牲になりましたが、それは目的で無く結果論であり、民間人の殺戮が意図された戦争は例がありませんでした。
以上のように、日本の合戦はいかに大規模なものでも、民間人が攻撃の対象とならないため、戦争犠牲者の数は中国大陸や欧州のそれとは比べものにならないほど少ない数でした。まして、前記の欧州の「三十年戦争」などの「宗教戦争」に見られるような、人口が何割も激減するような戦争は日本では一度も経験したことがなかったのです。
しかも、非戦闘員を戦争に巻き込まない考え方は、近代に入って、国家間で戦争を行うようになっても変わる事はありませんでした。明治時代以降も、「大東亜戦争」を含め、非戦闘員を攻撃の目標にする作戦を立てたことはありませんでした。
日本が「真珠湾攻撃」で攻撃の目標にしたのは軍事施設だけで、非戦闘員を殺す意図はありませんでした。アメリカ側の死者約2400人は全員戦闘員だったことからも明らかです。もし日本軍が欧米人の考えるように民間人を殺すことを戦争と考えていたなら、ホノルルを火の海にしたでしょう。日本人にとっての戦争とは、軍人同士の戦争を意味するもので、民間人を殺戮することは戦争の定義には当てはまりませんでした。日本は「東京大空襲」や「広島・長崎の原爆投下」により、初代天皇「神武天皇」から2千6百年以上経過してはじめて、敵の意図的に民間人が攻撃の対象となる戦争を経験したことになります。
「おぞましい広島原爆投下時のキノコ雲 」(米軍機にて撮影)
人類史上最悪の民間人を対象にした無差別大量殺戮です。地球が有る限り、二度とこのような事は絶対有ってはならない事です。
世界中が戦争のない世の中になればいいのにね。
しかし、日本の武士は世界に誇れるものでしたね。